阪神大震災地震の記憶

横井技術士事務所
技術士(応用理学)   横井和夫


 本日1/17は阪神淡路大震災から20年。マスコミや当時の政府関係者からもれ聞こえるのは、震災からたった2年で復興を成し遂げた関係者へのお褒めの言葉のみ。こういう言葉を聴くと、筆者のようなへそ曲がりは「みんなモノを知らないねえ」となる。事実経過を見ると、震災発生後2ヶ月後ぐらいに「復興計画案」なるものが出てきた。震災の後始末にてんやわんやの時期に、こんな早く復興案が出来るわけがない。そしてそれから2年位で、復興という名の神戸の都市改造が出来てしまった。
 都市計画法では・・・何条だか忘れてしまったが・・・4年毎に都市計画の線引きを見直すことが出来ることになっている。別にやらなくても構わないのだが、神戸市はこれをしょっちゅうやっているのである。なぜかと言うと、神戸という街は常に土地を動かしていかないとやっていけないからだ。つまり土地を動かして外部資本を導入し、消費を促そうということだろう。共産党にとってはトンデモない話だろうが、アベノミクスのような経済自由主義にとっては至極当たり前。
 この都市改造計画で常にネックになっていたのが、長田・須磨あたりの古い民家集落。ところが地震の所為で、この一帯がみんな焼け野原になってしまった。これは終戦の年以来である。神戸市特に都市計画局にとっては、しめしめこれを機会に一気に改造をやってしまおうというわけだ。そこで出てきたのが市役所の金庫に眠っていた「都市再開発計画案」。無論これは神戸市単独では出来ず、都計はじめ土木・水道ら関連部局や兵庫県・国交省と調整協議を進めつつ策定していかねばならない。逆に言うと皆さん了解済み。だからいざとなってもことはスムースに運ぶ。
 そこで元々あった「都市再開発計画案」のタイトルを「復興計画案」に書き直して、復興委員会に上程。すると復興委員・・・実は関東からきた何も知らない学者や評論家というシロート・・・はころりと騙される。要するに復興委員会自身、神戸市株式会社という地上げのプロの手玉に取られたようなものだ。予算配分でも神戸市の思い通り。当たり前だが県も国もグルだから話は簡単。
 それに比べ対照的なのが東北。震災後4年を経過しようとしているのに復興事業は遅々として進まず、復興事業も国主導で地元はそれに従うのみ。この差が何処から産まれたのか?それは先に述べた都市計画法への対応の仕方でしょう。神戸市はこれを上手く利用して早期復興につなげた。一方東北各市町村はこの方面の知識に疎く、結果として国に主導権を握られることになった。どちらが頭が良かったか、云うまでもない。

 ここから引き出される教訓は
1、復興も復旧も時間との勝負。事が起こってから考えていたのでは間に合わない。
2、だからその前に復興(復旧)案を予め作っておいて、地元住民の了解を得ておくこと。その方が政府からの予算取りも有利。関係官庁への根回しも忘れないように。議員はほおって置けばよいでしょう。
3、やっぱり災害に対する想像力が必要。
(15/01/17)

平成5年度兵庫県南部地震による「阪神淡路大震災」の内、西宮〜伊丹〜宝塚方面の被害写真の一部を紹介しておきます。

 昨日は昔いた東建地質(現東建ジオテック)大阪支店のOB会。朝5時半頃突然の地震。体感では2〜3個のイベントがあったように思われたが、波形が公開されれば判るでしょう。
 起きて早速TVを付ける。某民放番組「震源は播磨灘。津波の恐れがあります」。さて播磨灘に地震を引き起こすような構造があったかどうか、それと気象庁(かマスコミ)は未だに海溝型地震と内陸直下型地震の違いが判らないようだ。
 そこでNHKにチャンネルを切り替える。近畿地方の概略の震度分布が表示。ここで問題は大阪。中央がおそらく大阪管区気象台だろうが、この震度は5-。一方北部・南部は4。気象台のある場所は上町台地で、北部の軟弱地盤地域より、遙かに地盤は固い。その内、大阪府各市町村、大阪市内各区の震度が発表される。上町台地を取り巻く市内各区は軒並み震度3。にも拘わらず気象台の震度が5-とはどういうことじゃ*。ズバリ、気象台の地震計の性能や設置方法に問題有りと云うことなのだ。
 大阪だけでなく、日本国内の計測震度計にはおかしなところが多々ある。宮城県の某町は修正できたと思うが、未だ岩手県五戸町、山口県岩国市は気になる。1オーダー過大値になっている。
*東北太平洋沖地震の時でも、軟弱地盤の高槻でも震度1程度なのに、気象台は震度3になっていた。
(13/04/14)


建物被害

101 宝塚大劇場前のタイルに現れた、右横ずれ共役断層。
102 宝塚市安倉の柱が座掘して前傾した建物。ピロテタイプ。
阪急西宮北口駅北の公設市場。一階部分の柱が座掘し、一階が無くなってしまっている。建築基準法改訂以前の古い建物。
103 阪急伊丹駅西側の雑居ビル。これは三階部分で柱が剪断され、上階と下階がずれてしまっている。
104-1 震災直後の旧阪急伊丹駅。駅舎は傾き、上に電車の屋根が見えている。
104-2
レッカー車による電車の撤去準備作業中。
104-3 無事撤去されました。
105 駅舎の柱の破損状況。鉄筋が飴のように曲がっているのが判ります。
106 伊丹市昆陽付近の木造住宅の破壊状況。横に倒れるのではなく、垂直にぺちゃんこになっていることが判ります。この地区は戦災に遭っていないので、古い木造家屋が多く、白蟻による腐朽が進んでいたためと言われています。
107 旧白雪酒造倉庫の一部。壁が倒れずに傾いたまま残っています。地震の最中はもっと揺れたはずですが、倒れる前に揺れがおさまったのでしょう。この倉庫はその後取り壊され、高層マンションに化けてしまいました。

土木構造物の被害

地すべり、崩壊

液状化


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