小泉独裁権力の起源


 第三次コイズミ内閣で、郵政民営化という踏み絵。これにみんなびびっている。なぜ、コイズミはこんなに独裁的権力を手に入れられたか。それは6年前の橋本行革にある。橋本行革で省庁統合が行われ、結果として閣僚の数が半減した。これはもの凄く大きい意味を持っている。議員内閣制では、総理は内閣一致が原則だし、それ以前に組閣できなくてはならない。橋本行革以前では、閣僚の数は確か26〜7人いたはずだ。総理が弱小派閥出身の場合、自前でこれだけの数を揃えるのは殆ど不可能である。入閣候補者と交渉しても、一人でもNOといえば、それで組閣失敗、内閣崩壊である。従って、どうしても強大派閥の支援を仰がなくてはならない。逆に、強大派閥は、自前で組閣しなくても、閣僚を派遣する事によって、内閣を自由に動かせるのである。これをやったのが、かつての田中派、次いで竹下経世会だが、実はこの手の起源は戦前の軍部、特に陸軍にある。陸軍は伝統的に、大臣現役制をとっていた。ある内閣に組閣の大命が下されたとする。この内閣の方針が、陸軍の気に入らないとする。この場合、方針一致せず、として入閣を拒否すれば内閣は崩壊する。
 ところが、閣僚の数「が半分の13人になると、どういう変化が現れるだろうか。先ず、閣僚就任確率がざっと1/2になる。更に次の入閣までの待機時間が長くなる。これは入閣希望議員にとって十分「なプレッシャーになる。更に、総理が弱小派閥出身なら、26〜7人の自前閣僚を揃えるのは難しいだろうが、13人程度ならナントカなるのだ。事実、これまで3回の組閣で、橋本派は全く無視されている。最大派閥を無視しても、組閣出来るようになったのは、閣僚の数が減ったからである。この元を作ったのは、橋本龍太郎。これを最大限に利用したのが、小泉純一郎。最大の敵、橋本龍太郎が小泉の最大の支援者になってしまったという皮肉。