コイズミ政権の謎

1、コイズミ政権の謎
 コイズミ政権最大の謎は、あの高支持率です。頭も内容もカラッポなのに、何故あんな高支持率が得られるのか?21世紀初頭最大の謎として、将来の政治学及び社会心理学上の研究対象になるでしょう。しかし、20 世紀には同じように、常識では根拠も判らないのに、高支持率を獲得した政権があります。それはアドルフ・ヒトラー率いるナチ政権です。この政権は、いまだに良い意味でも悪い意味でも、政治学や社会心理学の研究材料として無視は出来ず、ナチのシステムを参考にした国家や政党や企業は、消えるどころか増えていると云っていいでしょう。
 1932年、ドイツ総選挙でナチは地すべり的勝利を収めました。ヨーロッパは小選挙区制だから、この選挙の結果は、昨年我が国の衆院選挙と同じようなものだと考えて間違いはありません。この結果、保守派の首相フォン・パーペンは辞職し、最期までナチ政権誕生に反対したヒンデンブルグ大統領も、ヒトラー首班指名に応じることになる。又、大統領の変節により、ナチ政権誕生の折りにはクーデターを準備していた国防軍(陸軍)も、ナチに妥協することになったのです。このようにヒトラーナチ政権の誕生は決してスムーズなものでは無かった。しかも総選挙及び1933年大統領選挙における、ナチ及びヒトラー個人に対する支持率は、せいぜい30〜40%。何故、この程度の支持率で、政権奪取が出来たのか、そしてそれを維持出来たのか?それは、脅しとテロと、デマゴギーに満ちたサプライズの連続の結果なのです。
(注)ヒトラーやナチの支持率は30〜40%かもしれないが、小泉は発足当時で90%以上、退任時の現在でも60%強の支持率を得ている。ヒトラーとは比べものにならないと云われるかもしれません。しかし、その中身をよく吟味することが大切です。小泉政権発足時内閣支持率の内、40数%は田中真紀子、10数%は公明党(創価学会)が持っていた。実質小泉支持率はそれらを差し引いた 30%前後と見るべきです。事実、真紀子が辞任した直後には、支持率は40%台まで落ち込んでいる。現在の60%強の支持率も、公明(創価)が10数〜20%位含まれている。更に日本人独特の御祝儀投票というものが数%程度。これらを差し引くと、実質支持率は30数〜40%止まりと見るべきで、ヒトラーや、海の向こうの某合衆国大統領と大して変わらない点に注意。なおこれは、民主主義国家では、トータルで30数%の支持率を得られれば、何でも出来るということを意味しています。レーニンは最低12.5%の支持率で政権を奪取した。

 ヒトラーは政権奪取後、議事堂焼き討ちや共産党員、社会党員及びユダヤ人に対する乱暴狼藉・暴力行為により、一旦支持率は低下しますが、その後の軍備拡張「(これにより若年失業者の軍への吸収に成功した)、更に1936年ラインラント進駐、1938年オーストリア併合というサプライズを連発したために、その都度国民・軍部は目くらましにあい、国民支持率は上昇したのである。これらのサプライズの都度、国防軍は反ナチクーデターを計画したのだが、いずれも実行を断念している。W.シャイラーは戦後、その著書で、当時のドイツ国防軍、中でも陸軍参謀本部(ベックやハルダー)の優柔不断振りをなじっているが、当時のドイツ国内のヒトラーに対する支持率を考えれば、軍部がクーデターを躊躇するのも当然なのである。
 では、政権掌握後のナチ支持率はどう推移したのでしょうか?実を云うと具体的で信頼出来るデータは何も残っていません。ナチが政権を掌握以後、世論調査は勿論、まともな選挙も行われていないからです。しかし、全体として高支持率で推移したことは容易に想像出来ます。更に、ドイツが断末魔に陥った1945年春でも、第一次大戦末期と比較すれば、おそらくヒトラー支持率は50〜60%位はあったのでは無いかと想像されるのです。第一次大戦では、ドイツ国内は戦場にならなかった。それでも1918年秋には、ドイツ軍部 はカイゼルに対し、休戦受諾を通告したのである。1945年春のドイツでは、連合軍による無差別都市爆撃が繰り返され、都市は崩壊し、西からは米英軍、東からはソ連軍が国内に流入している。にも関わらず、反ナチ行動に移ったものは誰もいない。前年に軍部や政治家の一部による反ナチクーデター未遂事件があったが、これもドイツ大衆には大きな感銘を与えなかったようだ。彼等の頭には、なお「ナチは嫌いだが、総統は信頼出来る」という固定観念が巣くっていたのである(ナチを自民党に、ヒトラーを小泉に読み替えれば、そっくり現代日本に置き換えられる)。

1、ヒトラーの権力奪取過程
 ここで、第一次大戦後から、ヒトラーが政権を掌握するまでの経過を簡単にレビューしてみましょう。
 まず、知って置いて欲しいのは、ナチはヒトラーによって造られたのではなく、乗っ取られたということです。1918年9月、ドイツ軍部は政府及びカイゼルに対し、戦争継続不可能を通告し、連合国との休戦を勧告(事実上の強要)した。問題は、カイゼルに対し、休戦・・・事実上のドイツの敗北・・・を認めさせたドイツの将軍達(フォン・グレーナー、ルーデンドルフ、ヒンデンブルグ)が、その後の出来事について、誰一人、何一つ責任を取ろうとしなかったことです。
 10月にはマクス公の文民政権は総辞職し、カイゼルは退位し、エーベルト率いる社民党に政権を投げ出した。驚いた社民党は陸軍の支持を得て、11月に共和制を宣言した。但しこの軍部支持は、当てにならない空手形だったのである。それからは混乱の続きで、左右両翼の対立抗争が数年間に渉って続く。
 まず左の代表は、ドイツ共産党で、その行動部隊はローザ・ルクセンブルグと彼女の愛人カール・ループクネヒト率いるスパルタカス団。民主ソビエトドイツ樹立のために、赤色テロを繰り返す。一方右翼・保守団体は独自の、自由兵団と称する武装組織を作って、白色テロで対抗する。殆ど無政府状態と云ってよい。
 この混乱の中、ミュンヘンで「ドイツ勤労者党」という、党員40人に満たないマイナーな政治団体が誕生しました。創始者はアントン・ドレクスラーという錠前屋。当時ヒトラーはミュンヘンの連隊で、当時雨後の筍のように林立していた左右政治団体の思想動向を調査し、報告する任務に従事し、その一環として「ドイツ勤労者党」の集会に潜り込んだ。ここで一悶着があり、国家社会主義に反対する聴衆の一人を論破したところ、ドレクスラーに見込まれ、入党を勧誘され、同党の7番目の委員になったのである。
 1920年、ヒトラーは軍を退役し、「ドイツ勤労者党」の専従となり、宣伝・扇動を担当することになる。党名も「ドイツ国家社会主義労働者党(NSDAP)、略称ナチ」に変更された。ヒトラーは、大して稼ぎのない党の中での稼ぎ頭(右翼団体からの講演依頼が主な収入源。ドレクスラーは演説下手で、余所からお呼びが掛からなかったが、ヒトラーの演説は大衆受けがするので、大いに稼げたのである)で、次第に独裁・専横の傾向が強くなった(この時期にヘス、ゲッベルス、ゲーリング、ヒムラー等、後にヒトラーと運命を共にする、盟友達が廻りに集まってきた)。他の委員達はヒトラーの専横を非難し、退党を勧告する動きを見せ始めたが、ヒトラーは直ちに反撃、反ヒトラー派を名誉毀損で告発すると同時に、党委員会の解散、権限のヒトラー個人への集中を要求し、これを通してしまった。このやり方は、後にヒトラーがワイマール共和国を強奪した手法とそっくりなのである。
 その後、ヒトラーはミュンヘンで武装蜂起を企てた(1923)が失敗し、投獄されるも、いい加減な監視で、返って健康を回復し、「我が闘争」の執筆に専念できた。その後、党勢は泣かず飛ばずだった。ところが、1929年、ニューヨーク株式市場の株価大暴落に端を発した世界恐慌は、ヒトラーとナチに対し、またとない絶好の好機を与えたのである。
 1919年5月、ヴェルサイユ条約草案が発表され、英仏から50億ドル相当の現金その他の物資を含む賠償金が請求された。この結果、マルクは暴落し、猛烈なインフレが発生した。しかし、その結果、ドイツ政府はこれまでの戦時国債等の借金をチャラにし、更に国債を発行して現金を調達したが、更にインフレが進行するから国の借金は減ってしまう。この手を使って、ワイマール政府は賠償金を支払ってしまった。この手を使ったのが、シャハト(完全なケインジアン)なのだ。世が世であれば、間違いなしのノーベル経済学賞受賞者。運が悪くてA級戦犯になってしまった。しかしその過程で、インフレで儲けた大企業もあれば、悲惨な目に会った中小企業や個人もあったのである。つまり、社会の格差が広がってしまった。そもそもドイツ第2帝国 時代は、ビスマルクの国家社会主義政策と社会民主主義との・・・目的・理念は違う・・・相乗りにより、世界で最も格差の少ない社会だった。その最大の財産を食いつぶしたのが、カイゼル・ヴイルヘルム2世という、自信だけは満々だが、知恵の乏しい浅はかな人間。この時期にナチは幾らかは党勢を延ばした。
 一方、1920年代になると、ヨーロッパでの復興需要を当てにして、アメリカで好景気が発生した。ドイツでも、経済が落ち着いた1925年以降になると、アメリカからの投資が盛んになり、空前の好景気が発生した。一種のバブルである・・・なおこのバブル経済時代に、欧米では公共・民間投資が進み、土木・建築技術は飛躍的な発展を遂げた。テルツアギーが土質力学の基本理論を熟成したのも、この時代である・・・。当時のドイツは、かつての社会民主主義などとっくの昔に忘れ、アメリカ流市場主義経済に浸っていた。従って、好景気の影響は、当然富裕層を更に富ませ、経済格差を広げたのである。無論、格差が広がっても全体が底上げされておれば誰も文句は云わない。みんな満足していた。そこへ大恐慌が発生した。
 この影響はたちまちヨーロッパに波及した。無論ドイツも例外ではない。ワイマール時代、ドイツには英米資本の進出が盛んで、これによる投資で、好景気が演出されていた(現代のイギリスが当にそれである)のだが、株価暴落で外国資本は、ドイツから資金を引き上げる。この結果、ドイツでは空前の不景気が到来し、中小企業の倒産が相次ぎ、巷には失業者が溢れるような状態になった。ワイマール政府はこういう事態に為す術を知らず、左右両勢力からの攻撃に曝される。この結果、ナチは党勢を大幅に拡張したのである。ナチの主張とは何だったのか?実は現実的なものは何もない。シャイラーは云う「経済問題はヒトラーには苦手で、《利子奴隷制度》反対の変人ゴットフリード・フェーダーの気違いじみた考え方をおもちゃにする以外、ヒトラーは経済について手間暇かけて学ぼうとは少しもしなかった」(コイズミが竹中や宮内、松原、奥田等の極めて偏った意見しか耳を傾けなかったのとよく似ています)。と言っても何らかの主張が無ければ政党として態をなさない。仮に党としての主張があるとすれば、1920年ドレクスラー、ヒトラー他1名で起草されたドイツ勤労者党綱領25項目である。しかし、これは各階層(農民・労働者・失業兵士ら)の要求をかき集めただけのもので、一貫した主張などはない・・・要するにパクリ。ヒトラーは勿論この綱領を守る気はなかったが、消しもしなかった。自分の都合が悪い時は忘れ、良くなる・・・主に政敵を叩きつぶす時・・・と思い出したのである。シャイラーは続けて云う「ヒトラーが興味を持ったのは政治権力であり、経済は放任しておいてもどうにかなるものだった」。何処かの国の、何でも丸投げ元総理大臣とそっくりですね。但し、以下の項目だけは一貫して「ぶれずに」に繰り返された。@敗戦の原因は内部からの裏切りである、Aヴェルサイユ体制の打破と反仏主義・ドイツ国家の誇りの回復、Bドイツ民族の権利回復と東方への領土拡張。C反ユダヤ主義と人種優越主義。当時のドイツ人やヨーロッパ人でこんなことが実現するなんて考える人間は、ヒトラー以外に誰もいなかった。ところが、ヒトラーはとんでもない手を使って実現してしまうのである。最近、何処かの国の変人総理が、誰も出来っこないと考えていた「郵政民営」をとんでもない手を使って実現したようにだ。
 当時のドイツは政党が乱立し、1932年総選挙でナチは地すべり的勝利を収めたと言っても、議会での絶対多数を握ったわけではない。そこで首相のパーペンはナチとの連立を模索した。ところが、ヒトラーは「第2ヴァイオリンを弾く気はない」と云って、これを拒絶。飽くまで単独組閣を要求した。これに対しヒンデンブルグはオーストリア人の伍長を首相にする気はない、と云って首相任命を拒絶。しかし、200万と言われる突撃隊のデモの前に、パーペンは遂に屈服し、首相辞任。憲法規定によりナチ単独組閣が成立する。しかし、議会では未だ少数派。1933年2月国会議事堂が焼き討ちされた。ヒトラーはこれを共産党のテロと主張し(実際はナチのテロだったことが明らかになっている)、共産党を弾圧し、大統領令により権限付与法を施行した。翌年ヒンデンブルグが死ぬと、戒厳令を施行し、大統領を兼任して総統に収まってしまったのである。
 参議院で否決されたと云って、衆議院を解散するのは、確かに総理大臣の議員解散権の中にあるとは云え、実態はコイズミによる合法的クーデター、ナチの議事堂焼き討ちに匹敵する暴挙なのだ。誰かがこういうことをやると、将来真似をする人間が必ず出る。その時二院制による議会制民主主義が形だけになり、ナチ時代のドイツになってしまうのだ。

2、コイズミカイカクの実態
 ここで、まず小泉純一郎とは何者か?ということを明確にしておかなければなりません。当たり前の話しですが、彼は政治家です。政治家には
     (1)政策家
     (2)政略家
 の2種類があります。 (1)政策家とは、国家・社会のあるべき姿を見据え、自分を殺して、そこへ行くための道筋を示す政治家です。その為には、反対党との妥協もいとわない。目的と手段を相対化出来る能力を持った政治家です。一方(2)政略家とは、まず自己目的があり、それを実現するためには、手段を選ばない政治家です。一般には、明確な主義主張を持たず、目先の権力奪取(金儲けもこの一つ)のみを目的とした連中を指す言葉ですが、逆に独りよがりの主義主張を絶対化し、それを他に強要する原理主義者もこの種類に含まれます。
 
 コイズミが政策として打ち出したものに「カイカク」があります。このカイカクが政策に値するものかどうかで、彼が政策家かどうかが決まります。では、小泉カイカクの実態とはどういうものだったのでしょうか?沢山のカイカクが行われたと云われています。しかし、その中で、小泉オリジナルは郵政民営化」しかありません。その郵政カイカクも、実態は言葉遊びだけで(ヒトラーが「変人ゴットフリード・フェーダーの気違いじみた考え方をおもちゃにした」と同様)中身は何もない。少なくとも、あの衆院選に自民党に投票した人達の期待は完全に裏切られている。
 一昨年、小泉は郵政民営化をカイカクの本丸と名付けて、民営化法案を国会に提出しようとしたが、これがなかなかまとまらない。自民内民営化反対派の妨害と云われるが、実は郵政民営化とは言葉だけで、実態は何も無かったのである。反対派や野党の突き上げを食らって、竹中平蔵がようやく泥縄式にでっち上げたのが、これまでの民営化法案。但し、審議拒否などで抵抗した民主党も作戦がまずい。小泉がジタバタしている間に、独自の法案を出すべきだった。それをしておれば、昨年総選挙であれほどの敗北は喫しなかったろう。
 事実、郵政民営化の方向は、それまで主張していた郵政資金を民間に廻すのではなく、郵政会社の自己肥大化に向かっている。これでは詐欺ではないか。しかし、それを問題にする人間は何処にもいない。昨年郵政民営化に猛賛成したはずの、コイズミ支持層からですらそうなのである。
 小泉独自のカイカクですらこれである。他のカイカクに至っては中途半端で、その内有耶無耶になって、結局は官僚の天下り先を増やしただけ、というのが実態になるだろう。国立大学の法人化とか、大学設置基準の規制緩和など、文部科学省事務官僚、他に行き場がない行政官僚の、失業対策としか考えられないのである。
 その他のカイカクは、世間で不満を持っている不平分子が、小泉に自分の不満を持ち込み、それを小泉がフンフンと言って取り上げたものばかりである。竹中平蔵だって、実は伝統的経済学会や経済界では異端で、その意味では不平分子だった。このアメリカ帰りのチンピラ学者は、アメリカで習い覚えた市場原理主義経済理論を、あちこちに説いて廻ったが、相手にするものは誰もいない。一般にはコイズミがこの異端学者を拾ったと思われているが、実はそうではない。最初に目を付けたのは橋本龍太郎。後継の小渕の下で経済財政諮問会議に入った。橋本・小渕時代はこれは首相の個人的諮問機関だったが、次の森内閣で政府の正式機関となった。これによって、行政官庁だけでなく、産業界にも目を光らせることが出来るようになった。コイズミはこれを閣僚の一人に抜擢したに過ぎない。つまり、橋龍・小渕がいなければ竹中は世に出られたかどうか判らない。道路公団カイカクをコイズミに売り込んだ猪瀬という小説家も、幾ら小説を書いても売れない・・・・もともと小説家の才能がなかったのだろう・・・不平作家。小泉親衛隊長の山本(今や安部親衛隊長だが・・・・この男、利用出来ると見ると、誰でも親衛隊長になるんじゃないか)や慎太郎の息子も、昔からの自民党なら出る幕のない不平チンピラ議員にすぎない。その他、コイズミチルドレンもそうだが、コイズミの廻りに集まる人間は、みんな何かしら世間や体制に、不平・不満を持った人間ばかりなのである。 この辺りは、ヒトラーが世間の不平不満を吸い上げ、不平分子を自分の幹分に取り立てていった過程とそっくりなのだ。ゲッベルスの思想はコミュニズムというより、ボリシェビルズムそのものである。コイズミカイカクの特徴である一貫性の無さ、支離滅裂もここから発生する。
 だからといって、コイズミも馬鹿じゃないから、何でも持ち込みOKと言う訳じゃない。冷静な判断基準がある。それは何かというと、怨敵橋本派潰しに役立つか、どうかである。カイカクの対象となった、郵政、道路公団はもとより、対中・対露外交も旧橋本派の縄張り。日本遺族会も代々橋本派。橋本派時代は中国を考慮して、公式参拝は抑えてきた。ところがコイズミは、総裁選の時に任期中の参拝を公約したが、これは日本遺族会にクサビを打ち込むことが目的。整備新幹線は高速道路以上の不良債権発生源だが、これには手を付けていない。何故なら新幹線族のドン、子里が当初からのコイズミシンパだったからだ。つまり、コイズミカイカクとは、橋本派潰しという政略の下では、実に一貫しているのである。しかも、昨年衆院選で見せた、政敵潰し(いわゆる刺客候補)に見られる執念深さは、一種の異様さを感じる。当にコイズミ家に流れるヤクザの血だろう。これらの過程に、政策らしいものは一つもありません。政策は全て、コイズミの廻りにネズミのように集まってきた、不平分子によりつくられたのです。以上の検討から、コイズミ純一郎は、政策家ではなく、政略家であることが判ります。その政略の素は何か、と云うと、かつて師匠(親分)の福田に恥をかかせた田中派とその後継者に対する復讐、それだけです。これがヤクザの仁義というものです。そういえば、コイズミ親衛隊長の山本の出身は上州。国定忠治、大前田英五郎を産んだ土地柄。影の軍師、浜田幸一は千葉の本職(と言っても二流)のヤクザ。
 ヒトラーとコイズミ純一郎の最大の共通点は、途方もない政治ニヒリズムです。ニヒリズムとは、これまでの世俗的・精神的価値や社会規範を否定し、一切を自己中心価値で規定する生き方です。ニヒルと言えば、「大菩薩峠」の主人公机龍之介を思い出しますが、彼も武士でありながら武士を規定する封建制・身分制、それに基づく道徳を否定し、剣のみにしか価値を見いだせなかった人物です。これにヒトラー、コイズミ純一郎を重ね合わせると、両者とも、これまでの政治手法を否定し、ひたすら権力の掌握のみにしか価値を見いだせなかった点が共通しています。いや、ヒトラーにとってはナチズムが、小泉にとっては政治改革や郵政カイカクと言った目標があったのではないか?とおっしゃる方がいるかもしれませんが、それは大間違い。ヒトラーにとって、ナチズムは権力奪取のための手段に過ぎなかった。その証拠が権力奪取後の、本来敵に回らなければならない筈の、財閥や軍部との無節操な妥協です。コイズミも、本来なら一番先にやるはずの郵政民営化を政権最期に持ってくるし、それまでの道路公団カイカクやなんやらでも、常に抵抗勢力、特に参院青木との妥協を繰り返している。要するに、これらの政策は、橋本派潰しという個人的目標のための手段にすぎなかったのです。

3、コイズミカイカクの支持者達
 しかし、コイズミだって政治家だから、支持者が無ければ立候補も出来ないし、議員バッジも付けられない。彼を支持したのはどういう人達だったのでしょう。実はコイズミの支持層はヒトラーのそれと共通するところが多く、また支持者の取り込み型も非常によく似ている。両者とも基本的支持層は(1)中熟年女性、(2)老人、(3)若者である。彼等はどの時代でも常に潜在的に不平・不満を抱いています。それらは何でしょう。それは、今食べていけないなどという即物的なものではなく、自分の存在位置が判らないとか、自分がその能力・実績の割に尊敬されていないとか、自分と社会との関係が満たされないといった、現状に対する漠然とした不満、将来への漠然とした不安です。かつてのドイツでは、この問題は現代日本以上に、切実強烈なものであったはずです。
(1)中熟年女性
 ヒトラーの記録映像、またコイズミの演説会を特徴付けるものは、中熟年女性の熱狂である(コイズミの場合、今から考えるとサクラのヤラセの疑いが出てくるが)。ヒトラーとコイズミとの外形的共通点に、独身と体型がやせ形であることがある。これは女性、特に中熟年女性の母性本能を刺激し、「私が守ってやらねば・・・」という感情を起こさせるのだ、という説が昔からあった。そして、彼女らの共通した不満とは、今何故こんなに退屈な生活を送らなければならないのだろうか、ひょっとしたらもっと幸せな人生があったかもしれない、といった極めて利己的な不満です。そして、ひょっとしたら、あのちょび髭の小男、あのライオンヘアのヤモメ中年男が、ワタシの望みをかなえて呉れるかもしれない、という錯覚が彼女達に産まれるのです。
(2)老人
 老人はいつも過去に拘り、現状に不満を抱く。にもかかわらず、常に若者に負けたくないと意地を張る。コイズミがカイカクを唱えると、これに反対すると耄碌ジジイと呼ばれるのを恐れて、カイカクの中身も判らずに(当たり前で、頭はとっくに呆けているから)、カイカク支持派のポーズを取る。さっさと死んだ方が良いのだが。ワイマール時代の老人も同じで、かつてのドイツ帝国の栄光は忘れられない。連合国との協調をテーゼとする共和制政府では、かつての栄光は取り戻せない。その点、ヒトラーは過去の栄光の復活を唱えて老人を取り込むことに成功した。コイズミも、カイカクで過去の経済大国という栄光を取り戻せると宣伝し、靖国問題で中国・韓国と対決姿勢を示し、ナショナリズムを煽ることにより、呆け老人取り込みに成功したのです。これに若者の一部も引っ掛かっていますが、彼等の頭は半分呆けているから年寄りと変わらない。
(3)若者
 若者が現状に不満を抱くのは、古今東西何処にでも見られる共通の現象です。若者が敵視するのは、大人が支配する既存政治、企業、労働組合といった既製勢力です。ドイツの場合、昔から職工組合の力が強く、若年失業率が高い。その結果若者の社会に対する不満は根強く、それがドイツ共産党などの過激派組織に利用され、社会的不安要素を作った。ヒトラーはこの原因をユダヤ人による資本独占にあるとし、若年失業者やそれを抱える親たちの反ユダヤ感情を煽り、彼等の不満をナチス運動に吸収していったのである。
 コイズミは、まずカイカクを叫び、コイズミ流カイカクに反対するものを守旧派と呼び、自民党内をカイカク派と守旧派にわけ、更にそれを国会から社会全般に拡大し、国民を分断した(これは文革時の中国で、文革派がやった手段にそっくりなのである)。実はこのカイカクこそ、既製秩序の維持・擁護・強化に他ならなかった。だが、馬鹿な若者がそれに気付くはずがない。カイカクと名が付けば、何か世の中が変わると言うような錯覚を若者に与え、それを利用して昨年衆院選を演出したのである。ここで、若年層の内でコイズミカイカクを最も強く支持したのが、ニート・フリーター・派遣社員といった、現代消費社会の最末端を支える低所得階層だったのは、かつてナチス運動を支えたのが、やはり中産階級に属する若年失業者だったのと極めて類似している。

なお、これらの不平不満は所属階級に属するものではなく、階級を横断して発生する。ドイツの若年失業者の多くは、ナチ政権成立後、親衛隊(SS)に吸収された。その結果、左翼陣営からSS隊員は、ドイツの下層階級の不平分子を集めたものだという解釈がなされた。しかし、元武装SS将校クルト・マイヤーは戦後、その著書で、部下の大隊員の出身階級を調べ、大部分は中産階級出身だったことを、数字を挙げて反論している。また、大戦後期に編制された武装SS第10装甲擲弾兵師団(ヒトラーユーゲント)の・・・隊員の自主性に中心をおいた・・・独特の訓練方法は、この師団の兵士が、大部分中産階級出身だったであろうことを推測させるのである。

 さて、以上の不平・不満はナチ政権やコイズミ政権誕生の必要条件であっても、十分条件ではない。民主的選挙で実際に権力を奪取しようとすれば、大衆の不満をかき立てると同時に、実際に国家を支配している階層・集団の支持も取り付けなければならない。ヒトラーの場合、それは経済界と国防軍、コイズミの場合は経済界とマスコミだった。
 1932年総選挙で、ナチが第一党となったとき、ドイツ経済界はナチの党名に「・・社会主義労働者・・」とあるのを問題視し、産業国有化、企業活動の統制、労働組合の要求拡大を懸念した。それに対し、ヒトラーは@自由な企業活動の全面保障、A共産党、労働組合の弾圧、B公共事業、軍備拡張に伴う内需拡大を約束し、財界の支持を取り付けた。軍部が問題視したのは、ナチの行動部隊である突撃隊(SA)である。SA隊長レームは、SAと国防軍を合同させ、自分自身がその総司令官になることを夢見、しかも不用意にもそれを広言していたのである。これが国防軍の勘に触って、いざナチ政権誕生の折りには、軍によるクーデターが噂されたが、ヒトラーは「SAの問題は私に任せてくれ」、といって軍の支持を取り付けた。その結果発生したのが、血の粛清。レーム他SA幹部は殺され、SAは解散。替わりに登場してきたのがSSだったのである。
 コイズミも経済界に対しては、経済界の要求を丸呑みし、@ゼロ金利政策の維持、A企業減税、B規制緩和と民営化拡大、C公共事業抑制と郵政民営化による個人資産の(日→米)移動を約束し、支持を取り付けた。コイズミ政権誕生から終焉までの、あのマスコミの異常なほどの劇場型報道も問題だが、それより問題なのは、TVワイドショーなんかに登場する、田原総一郎、宮崎哲哉(特にこれは政権中枢にパイプを作り、安部政権でもNHK経営改善委員会に潜り込む。ただの評論家ではなくコイズミ・安部政権の大衆プロパガンダ担当オルグと見た方が良い)、塩川正十郎(これもコイズミプロパガンダ担当)や、訳の判らない弁護士などのコイズミシンパの言動である。彼等のチョットしたタワゴトが、ワイドショーを見ている、ババアやジジイの潜在的無意識に働きかけ、コイズミ支持率を押し上げていった。TV局もこれら視聴率を稼げるタレントを使うから、両者が相乗効果を呼んで、日本のマスコミ挙げてのコイズミ翼賛体制を作ったのである。そして誰も抵抗出来なくなった。

 ヒトラー、コイズミの権力奪取方法は非常によく似ているのだが、ただ一つ違うのは、経済発展の原資の取り方である。ヒトラーは経済界からそれを質問されると、「私に任せてくれ」と言って詳細は明かさなかった。実際に起こったのが「水晶の夜事件」。つまり、ヒトラーはユダヤ人の財産・資産を撒きあげ、それを経済発展の原資にした。ヒトラー(というよりシャハト)はこれを利用して、内需拡大を行い、外国資本に頼らずに経済拡大を成し遂げ、国民資産を増大させた。これなら一般のドイツ国民も、企業も腹は痛まない。それどころか分け前を享受するのみ。ドイツ人がヒトラーに感謝し、支持するのは当たり前である。ところがこの政策には落とし穴があった。世界経済が、今ほどグローバル化していなかったのである。それより、大恐慌以降、大国はブロック化経済に傾斜していた。ドイツ本国は面積も資源も限界がある。その中で無限の経済成長を持続させようとすると、必然的に領土拡大要求が発生し、隣国との衝突は避けられず、最終的に戦争に突入せざるを得なくなるのである。シャハトは1930年代ではなく、1990年代に生きておれば、全く違った評価になったろう。
 この時、ヒトラーがズデーデン割譲の次に、ポーランドではなくクロアチア割譲に動けば、その後は違った展開になった可能性はある。クロアチアを手に入れればドイツは地中海への進出点が得られる。無論、イタリア、イギリスはいらだつだろうが。

 一方コイズミ(と言うより竹中平蔵)がやったことは、構造改革と称して、中小企業を潰し、ゼロ金利政策で一般国民の資産を大企業・銀行・サラ金屋、そしてヘッジファンドを通じてアメリカに移転させた。おかげで、大企業・銀行・サラ金屋は儲かって仕方がないが、一般国民資産は減少の一途を辿り、かつて世界最高を誇った国民貯蓄率は、今や先進国では下から数えた早いレベル。これが国民に将来に対する漠然とした不安を作っているのである。これは、竹中平蔵というチンピラ学者が、日本とアメリカを混同した結果である。何時まで経っても経済成長を実感出来ない。それでも自民党を支持しようと言うのだから、本当にこの国民のナイーブさは理解出来ない。

4、コイズミにパクられた戦後政治
 戦後、様々な政治改革が行われている。その中で最大のものを挙げよ、と言われれば、私は1)小沢一郎による選挙制度改革、2)橋本龍太郎による行財政改革を挙げる。実はコイズミ政権は、この二つを巧妙に利用する事により維持されてきたのである。これに比べれば、郵政カイカクなどゴミみたいなものだ。
1)小選挙区制は地すべり的政権交替を可能にする、とは当初よく云われてきたことである。しかし、一向にその気配は無かった。昨年の郵政選挙は、それどころか、地すべり的に政権の安定化を実現したのである。何故かというと、野党側が小選挙区制の特徴を、よく理解出来ていなかったからだろう。少なくとも外からは、そうとしか思えない。それまでの中選挙区制と言うのは、始めから分け前が決まっている談合の世界。一方、小選挙区制は、勝ち負けをはっきりさせる戦争の世界である。ナポレオン曰く、「戦勝の要諦は、味方に有利な戦場を敵に強要することである」。であれば、小選挙区制で勝つポイントは、戦場・・・即ち争点・・・をはっきりさせ、選挙民にYESかNOの選択を強要すること、と言える。そして、それを実現するには、とにかく先手必勝。相手より先に争点を出して、それを足がかりに政局に持って行くことである。これを最も上手くやったのが、ヒトラーと小泉純一郎である。民主党は最期まで、中選挙区制効果を捨てきれなかった節がある。
 以上は国政選挙の話しだが、自民党という特殊世界では、全く別の動きが発生した。実は、小選挙区の地すべり効果を最も端的に現したのが、コイズミ以後の自民党である。1選挙区に自民党だけで、二人も三人も立候補出来た中選挙区時代と異なり、小選挙区では公認候補は一人だ。自民党は公明や野党と異なり、議員個人と派閥が選挙区の全てに責任を持つ請負制である。公認候補が一人となれば、公認争いが熾烈となり、いきおい党中央の意向が重要になってくる。まして、総裁が派閥均衡など考えていなければ、派閥より個人重視になる。この結果、派閥の力は弱化し、ますます党中央の力が大きくなったのである。これも小選挙区制のおかげである。但し、これが行き過ぎると、今回の安部選挙のように、総主流派、支持争いという奇妙な現象を産んでしまう。
2)橋本行革によって、省庁再編が行われ、大臣の数がおおよそ半分に減ってしまった。昔のように大臣が25人も6人が必要だった時代では、単独で組閣出来るのは旧田中派・竹下派のような大派閥だけ。中小派閥は、大派閥からの人材供給を仰がなくては、組閣出来なかった。ところが今のように大臣が12、3人で済むと、中小派閥でも単独組閣が可能になってくる。これを利用したのが第一次小泉政権で、橋本派からの入閣が0になってしまった。これに驚いたのが、橋本派やそれに連なる派閥。昔なら、大臣ポストも順番待ちという手があったが、大臣の数が減ってしまったから、そう悠長に構えてはいられない。これは特に若手・中堅にとって深刻な問題になった。これが原因で、ベテラン対若手・中堅の世代対立、更に中二階論などが出てきた。この結果は、従来の派閥にクサビを打ち込み、自民党の縦横の結合を分解させる効果を生んだ。このため、反小泉連合は空中分解、みんなが一斉に総裁支持に奔り、自民党史上例を見ない、総主流派(となりたい)時代が出現したのである。

 つまりヒトラーが政権奪取に成功したのは、彼が蛇蝎の如く嫌った、ワイマール体制のおかげであると同様、コイズミ長期政権があり得たのは、仇敵小沢一郎・橋本龍太郎のおかげだと言えるのだ。ヒトラーはナチを強奪して、ドイツを強姦したが、コイズミも又自民党を強奪し、戦後日本を強姦して、アメリカの妾にしてしまったのである。妾の子はハナカケ女郎になるしかない。読者の皆さん、妾とか、女郎とかハナカケの意味は解っているでしょうねえ。

5、コイズミ人気とは
 政治家が権力を奪取するのに必要な条件には、(1)歴史的必然性、(2)政治・社会的要求 、(3)大衆人気の三者があります。(1)は如何にもマルクス的で、今様ではありません。(2)は上で述べたとおりです。従って、残りは(3)大衆人気しかない。彼の大衆人気の源は何でしょう。よく云われるのは、難しい問題を簡単に表現する、ということがあります。本当でしょうか?
 複雑な問題を簡単な言葉で表現する人間には、次の2種類がある。
1)本当に頭が良くて、なおかつサービス精神の旺盛な人物。余りいませんがね。
2)とりあえず適当な言葉で切り抜けようとするタイプ。
 ブッシュとかコイズミは2)の典型です。このタイプの特徴は、若い頃本気で勉強したことがなかったので、ボキャブラリイが足りないことです。ブッシュはエールだが、親父のコネで入った。コイズミも慶応に二浪したが、遊んでいる訳にもいかないので、その間ロンドン大学に留学したが、遊んでばかりで勉強していなかったので、全く効果はなかった。あの英語力を見れば、解るでしょう。発音が中学生なみだからね。つまり、基礎学力が不足しているのである。だから、誰かから質問をされると、その質問の意味が解らないので、適当に答える。一方質問者の多くはマスコミだが、彼等は少なくともコイズミよりは知識はある。そいう人間に限って、とんでもない返答が来ると、無理矢理それを解釈しようとする。ところが解釈出来ないものだから、混乱に陥り、結局コイズミの術中にはまってしまうのである。典型的な例が、フセインと大量破壊兵器に関する「フセインが見つからないと言って、フセインが居ないと言うことにはならない。大量破壊兵器も見つからないと言って、無いとは言えない」という珍答弁である。フセインが存在したのは、誰もが知っている間違いのない事実である。しかし、大量破壊兵器については、その存在を見たものは誰もいないのである。大量破壊兵器が見つからないのは、隠し方が巧妙だから、という考えもある。しかし、現在のテクノロジーで云えば、大量破壊兵器を見つけることは、そんなに難しくはない。イラク戦争が始まって1年も経過して見つからない、ということは存在しないと断定して構わない。アメリカだってそれなりの努力をしているんだから。
 問題はコイズミのいい加減な答弁に、目くらましにあってそのあとの追求を出来なかった、野党やマスコミの知的レベルにある。コイズミと同様、この世界にも学力低下が始まっているのである。
道路公団を民営化したのは良いが、最大の目的は、癌であるファミリー企業退治だったはずだ。ところが、道路各社はメンテナンス関連の入札には競争入札は拒否し、更に随意契約を継続すると表明。これでは、何時まで経っても高速道路通行料はやすくならないし、道路公団の借金は減らない。何のための民営化だったのでしょうか?例の片桐は、東日本道路会社の社長にちゃっかり収まっている。片桐他の公団や旧建設省事務系官僚が、技術系を出し抜いて、自分らの利権を確保しようとしたのでしょう。それにイノセやコイズミが引っ掛かっただけ。つまり、公団民営化自体がインチキのカタマリだったのだ。道路会社やJRは、実は事務系職員にとっての天下り、利権の巣なのだ。例えば、今のJRの会長や社長は、旧国鉄時代なら、せいぜいJTBか日通などの関連会社の取締役辺りで終わり。それが一部上場会社の経営トップになれるなんて、民営化効果以外に考えられない。(06/09/27)

 先に、コイズミカイカクの本質は、小沢・橋本改革パクリである、と指摘しました。ところがこれの上前をはねる連中がいるのです。つまり、カイカク、カイカクと叫んで権力を握り、後は自己の利権を増やすだけ、というタイプ。その典型が、現在官製談合疑惑で地検の事情聴取を受けている現和歌山県木村知事です。彼は2000年知事当選以来カイカクを打ち出してきた、いわゆるカイカク派知事です。しかし、その実態は側近を使って公共事業発注を取り仕切る、旧態依然と言うか、昔でもこんな露骨なことは無かったと思うが、利権政治をやっていたのだ。一体何処がカイカクですか?それともこれがコイズミカイカクの実態なのか?こういうのをエセカイカクというのです。 昨年の総選挙でも、自民党候補者は中身も無いのにひたすらカイカク、カイカクを叫び続けていた。しかし、実態はカイカクの名の下に、地縁・業縁・クサレ縁で利益誘導を計る手合いが多かったのではないでしょうか?現在大阪9区で衆院補選が行われています。自民公認候補は、元職の息子である原田候補。例によってコイズミカイカクの継承を打ち出しているが、実際は医師会や建設業界頼みの組織選挙。業界はコイズミカイカクの被害によって、今のところ支持は一本化していないが、親父の時の関係を持ち出して、締め付けを計る。昔と同じ利益誘導のクサレ縁選挙。何処がカイカクでしょうか?つまり、コイズミ政権というのは、こういうエセカイカクによっても支えられてきたのです。

(06/12/29)


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