横井調査設計の地下空洞探査特に旧軍用トンネルについて


 これは株ミキモト会長が土砂崩壊で死亡したとされる、神奈川県逗子の海岸。どの部分で崩壊が発生したかはこの写真では分かりません。何処で発生してもおかしくない地形です。崖面には中新世三浦層群の見事な成層構造が現れています。凝灰岩でしょうか?
 さてこの写真で海岸線に沿って、洞窟の様な穴が並んでいるのが分かります。これは太平洋戦争末期に海軍が掘った特攻魚雷艇の格納兼出撃基地です。洞窟の奥に魚雷艇・・・と云っても先端に50s爆弾積んだだけのベニヤ製の安物・・・を格納し、満潮と同時に米軍上陸部隊に特攻しようとするもの。官僚が考える末期症状ですね。
 ただし戦後はしばしばサスペンスドラマの舞台にもつかわれている。
(20/04/26)

    戦争遺跡が次々と破壊されているらしい。何でもかんでも嫌なもの・・・穢れ・・・は水に流すという日本人の性格だ。政府による公文書破棄も似たような発想だろう。
 写真は沖縄陸軍病院トンネル。無普請で殆ど手掘り。意外に手掘りというのは地山を傷めないから長持ちするのである。戦後流行ったアメリカ流ダイナマイト爆破というのが諸悪の根源だ。あれが日本のトンネルをダメにした。
 写真を見ると断面は標準弾頭型。これは戦後も電力の地下発電所などでよく使われた形状だ。
 なお大阪府には日本有数の地下戦争遺跡があるのだが、これまで大阪府は一切調査を行なっていない。
(19/12/08)


 最近、兵庫県三田市のウッデイタウン内で旧軍用トンネルの陥没事故が発生しました。ついこの間も鹿児島県で旧軍用トンネルの上で道路の陥没事故が起こっています。この種の事故はここ数年の間に、東京・大阪地域・・・特に戦後の新しい造成地・・・で数件が生じています。これについて考えてみましょう。結論を言えば、旧軍用トンネル対策は、埋め戻しのような原始的方法よりはNATMによる補強をお奨めします。なお、一般の道路陥没事故については「陥没について」を参照。


旧軍用トンネル建設の経緯
 旧軍用トンネル建設の経緯をとりまとめると次のようになります。


 終戦から既に60年近くが経過しています。トンネル周辺地山は十分危険なレベルに達しています。


大阪平野とその周辺の旧軍用トンネル


(発表論文) 当社は旧軍用トンネル研究結果について学会発表を行っています。
  1、横井、窪田;「大阪平野とその周辺に於ける旧軍用トンネルの応用地質学的意義」;日本応用地質学会平成11年度研究発表会
  2、横井、五互;「旧軍用トンネルの計画・設計と高槻地下倉庫」;日本応用地質学会平成12 年度研究発表会

トンネル抗口 抗口部の陥没

       高槻市成合のいわゆる「タチソ(旧陸軍高槻地下倉庫)」の状況

 旧軍用トンネルの問題には次のような物が挙げられます。トンネルはかつての丘陵の中腹部に掘られています。戦後の造成で丘陵の上半部は掘削されたとすると、トンネルの土被りは2〜3mに過ぎなくなります。土被りが小さくなると、トンネル周辺の緩み範囲が広がります。


旧軍用トンネルの発見法

 では、この種のトンネルの所在は全く判らないのでしょうか。いいえ、100%とは言いませんが、かなりの確度で推測することは可能です。
トンネルはキチンとした測量と設計に基づいて施工されています。つまりトンネル配置には規則性があります。

  1. これを利用すれば、一箇所トンネル位置と方向が・・・例えば陥没によって・・・判れば後は芋蔓式にわかります。
  2. 排水とズリ捨ての都合から、トンネルは丘陵の中腹に設置されることが多い。先ず中腹に工事用道路(トロッコ道)を作ります。これが戦後、道路に転用されているケースがあります。地図をよく見て小さい裏道のようなものが残っておれば、それが工事用道路の可能性があります。
  3. 戦後の造成地域での残存土被りはせいぜい数mです。一方トンネル断面は4m、場合によっては7〜8mに達します。土被りに比べ、断面が大きいので物理探査法の対象としてはそれほど難しくはありません。

 つまり、埋没旧軍用トンネルの探査は十分技術の対象になります。下の図は埋没地下空洞を起震器振動法(表面波探査法)で確認した例です。その後の検討でこれは旧海軍地下弾薬庫と結論されました。


地下空洞と沖縄戦との関係

 戦後米軍のある幹部が「日本の将軍で誰が最も強敵だったか」という質問に答え、「海ではライゾー タナカ、陸ではミツル ウシジマ」と答えた。ライゾー タナカとは、昭和18年のサヴォ島沖海戦で、米軍巡洋艦部隊を夜襲水雷戦で撃破した田中頼三少将。実績から米軍が強敵とするのは当然である。ミツル ウシジマとは沖縄第32軍司令官牛島満中将。昭和20年4月1日、第1・第6海兵師団を先頭とするアメリカ第10軍は沖縄本島への上陸を開始した。しかし、日本軍は何ら抵抗せず、やすやすと上陸を許し、その後も目立った反撃もせずじりじりと後退を続け、6月22日牛島司令官・長参謀長が自決し、ここに沖縄に於ける組織的抵抗は終了した。中将は率先垂範、武人の鑑のような人物で、日本人の立場から中将を評価するのは判るが、沖縄では目立った戦術や戦闘指揮の冴えも見せていない。にもかかわらず、米軍が中将を高く評価する理由は何故なのか。私は終戦後、日本に進駐してきた米軍が、地下施設の実態を見てその規模に驚き「何時の間にこのようなものを作ったのか、我々が沖縄でぐずぐずしている間、つまり、牛島に一杯食わされたのだ」と思ったと考えている。ドイツのアルプス要塞を思い描いたのかもしれない。そう考えると、戦後アメリカが、「原爆を投下しないと、更に数10万人の被害が出ただろう」と言って、原爆投下を正当化した理由が判る。何故なら、米軍は本土に進駐するまで、軍用トンネルの存在を知らなかったと考えられるからである。
1)大阪府吹田市、吹田市民会館に平和祈念室という施設があり、そこに大戦中吹田市内での銃爆撃地点を示すジオラマがある。これを見ると、爆撃は朝日ビール吹田工場(現JR吹田駅)が北限で、その北は機銃掃射のみ。筆者が調査を行った海軍山田地下弾薬庫は機銃掃射の対象にもなっていない。
2高槻でも爆撃は湯浅電池本社工場(現JR高槻駅)が北限。成合の陸軍高槻地下倉庫(タチソ)では、朝鮮人労働者宿舎に機銃掃射が加えられたことはあるが、これは米軍パイロットが労働者を兵士と勘違いしただけらしい。全く爆撃の対象になっていない。
 もし、米軍がこれらの施設の存在を空中写真からでも知っておれば、爆撃の対象にしないはずがない。つまり、米軍は軍用トンネルの存在を知らなかったのだ。そしてこれを米軍の眼から隠したのが沖縄戦というわけである。つまり、この軍用トンネルは直接工事に携わった朝鮮人労働者だけではなく、数10万と云われる沖縄軍民の犠牲の上に構築されたものである。それを今頃になって、陥没するからと行って邪魔者扱いする役人や、土やゴミで埋め戻そうなどと不埒なことを考えるゼネコンがおる。英霊に対し済まぬと思わぬか。この空間をなんらかの形で有効利用することこそ、英霊に答える道である。



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