平成28年熊本地震の話題

横井技術士事務所      技術士(応用理学) 横井和夫 


 京都大学教授の林愛明が熊本地震に関する論文不正で槍玉に上がっています。筆者は彼をよく知っている。彼は中国江南地方の出身で、日本では㈱建設技術研究所という国交省河川局系列コンサル会社にいたが、その後確か神戸大学理学部に移り、その後京大に移ったのだろう。
 問題は熊本地震後に「地震で発生した断層が阿蘇山マグマで止まった」という主旨の論文を発表したところ、その論文にデータの改竄・盗用があったというもの。筆者もこの論文の主旨を新聞で見た記憶があるが、如何にもバカバカしいと思ってHPにもとりあげていない。それはともかく、この問題の背景には現代の科学の世界を裏で動かしている科学ジャーナリズムの問題があると思われる。
 まず90年代頃から流行ってきたのが、研究者の業績評価の客観化である。客観化の指標として用いられたのが、論文発表数と引用回数。つまりその論文がどれだけ引用されているかでその研究者の価値が定まるのである。なんとなくSNSの”いいね”で記事の価値がきまるというFBのやり方に似ている。これを引っ張ったのがサイエンスとかネイチャーという科学雑誌。この雑誌にどれだけ掲載されたかが研究者のステータスになってしまったのである。
 間違ってならないのはこの2誌はれっきとした民間雑誌。公的なバックも権威もなにもない。おまけにその電子版はノンレフェリー、つまり掲載料さえ払えば誰のどんな論文でも掲載する。その結果怪しい論文が世間に出回ることになる。
 林君の論文がそんないかがわしい主旨で作られたものとは思わないが、上で述べた客観化によるもう一つの弊害が研究者間の論文競争。何かある話題が出来ると、たちまちそれに関連した論文が出てくる。というより出さなければ取り残されるという強迫観念が研究者の中に生まれる。
 熊本地震のような一大現象は地震屋にとって大イベント。これに載らなければ時代に取り残される。そういうわけで論文の作成などは助手や院生任せになってしまうのである。
 それでは教授として無責任ではないか、と素人の一般ピープルは思うだろうが、今の大学教授は研究予算取りとか他の資料作りに追われて、論文の細かいチェックなど出来るわけがない。林君もこの狭間に陥ったのだろう。
 要するに、最大の問題は今の文部科学省に、研究者に十分な研究環境を与える気も意欲もないことが根本である。マスコミは論文の盗用・ミスなどの枝葉末節の問題ではではなく、現在の科学研究の実情を取材報道すべきである。
(19/03/28)

 熊本地震で全壊した家屋が益城町を含め34棟。そのうち、新耐震で設計して倒壊したのは一軒だけ。何故倒壊したかは少し慎重な吟味が必要である。
 それはさておき、地震後テレビや新聞で大写しされるのは、潰れなかった新耐震住宅ではなく、老朽住宅のみ。それが何度もフラッシュバックされるものだから、一般ピープルの頭には、技術不信の根が芽生える。熊本城の城壁が崩れたところで、それがどうしたというのか?400年前に崩れたところを、そのまま何もしないで外ずらをなぞっただけなのだろう。今度も同じことをしそうだ。こんなことを繰り返して居れば、いずれ又崩れるのは当たり前。同じ失敗を何度も懲りずに繰り返す、これが我が日本人の最大の欠点。
 実はこれ、映像を使ったサブリミナル効果を狙った世論誘導なのである。この種の世論誘導は今、お昼のワイドショーや夜のニュース解説番組など、あちこちで行われている。あの池上彰でさえその一役を買っている。こういう時代だからこそ、人々はより疑い深くならねばならない。特に東京都民は。
(16/09/11)

 このほど気象庁は本震・余震の区別はせず、余震という言葉も使わない方針となった。理由は熊本地震の余震発生頻度が旧来の大森公式に当てはまらないからである。この公式が出来たのは半世紀以上も昔。これに当てはまらないからと言って、定義まで変えるというのは科学として本末転倒。なんだか自衛隊は憲法違反という意見が多いから、憲法を変えようという、アベ流安易手前勝手哲学のサル真似みたいなものだ。
 大森公式に当てはまらないのは、異なる二つの地震(4/14のM6.8と4/16のM7.0)を同一震源と思い込んだためである。これを二つに分離すれば、それぞれの地震の余震は、おそらく大森公式に当てはまるはずだ。そういう努力すらしないのが今の地震屋である。
(16/08/20)

 政府に「地震調査研究推進本部」という機関があるそうだ。これまでそんなのがあるとは知らなかった。誰がメンバーなのでしょうか?。そこが活断層の評価レベルを想定地震動M6.8まで下げたら、活断層の数が倍に増えたそうだ(07/31毎日新聞)。活断層というのは、自然科学的実体のはずである。ところが役人の胸先三寸で、どうにでもなるのだ。こんなことだから日本の地震学は、世間から信用されないのは当たり前。この「・・・推進本部」という役所こそ諸悪の根源
 日本の地震屋は、我々地質屋がこれは(活)断層だと云っても、まだ根拠が乏しいとかなんとか言って消しまくってきた。現在地調のHPから日本の活断層マップで熊本を検索すると、これまた沢山の活断層が描かれている。中には本当にこんなの活断層か?と言いたいのもある(特に天草周辺海底)。しかしひと昔前では、この辺りでは活断層はブランクだったのである。
 いつからこんなことになったかと云うと、13年東北太平洋沖地震からである。ところがこの地震はプレート型で活断層型ではない。活断層型都市直下地震は05年阪神淡路大震災だったが、この時の政府の対応は極めて緩慢で、あれはただの地域災害扱いだった。少なくともこれで活断層の見直しをする、という動きはなかった。今回の熊本地震でも、筆者の見解は、ごく普通の直下型地震で大げさに騒ぐ必要はない、というものである、
 ところが参院選が近づくや、マスコミも政府・官邸も、これまでなかったような大騒ぎ様。まさに羹に懲りてなますを吹く類である。これが選挙対策以外の何物でもないのは明白である。そこに活断層の評価基準の変更。地震屋がこれまでやってきたのはなんだのか?分かりません分かりませんと言って、政府から予算を引き出すのが目的なら、もはや日本の地震学は斉藤ハンカチ王子と同じである。
 そういえば日本近海底に設置されている地震計の値段はおおよそ一基3千万円。ポルシェ2台分だ。つまり日本列島の周りはポルシェだらけなのである。このポルシェがどのような効果を生んでいるかは、納税者としてもっと関心をもつべきである。
(16/07/31)

(熊本震災報道のウソ)

 昨日熊本市で「清正祭」なる祭りが行われた。さていかなるものか?熊本の街の状態はどうなっているか?が興味があったので、テレビのニュースを見ていた。熊本城は熊本市のほぼ中央にあるから、中心部の被害状況がよく分るはずである。しかし、市街地中心部はなんともなっていない。地震直後、震度7という大揺ればかりが強調された。その証拠として全壊家屋の映像がテレビにでてきたが、それは殆どが隣の益城町で、しかも築50年以上の老朽家屋ばかり。
 ところがたまに新聞やテレビで、熊本市内の新しい住宅地の写真が出ることがある。それを見るとみんな、なんともなっていないのである。これらは概ね55年建築基準法改正以後の作品で、熊本市や周辺だけで数1000棟はある。ところが中に倒壊したのが19棟あった。これに対し筑波大准教授のある地震屋・・・名前は忘れた・・がテレビで「耐震設計てなんだったのか!」と耐震設計そのものを全否定する発言。ところがこの建物、その後の調査で、内13棟が手抜き工事か設計ミスだったことが分かった。つまり新しい耐震設計基準でまともな設計と施工をすれば、十分効果があったのである。
 熊本地震報道で筆者が問題に感じることが二つある。
    1、震度7の一人歩き
    2 ,余震の騒ぎ立て
   
1、震度7の一人歩き
 震度7は阪神淡路大震災で初めて世間に取り上げられた。これをきっかけに震度の設定が、従来の体感震度から計測震度に代わり、日本中に計測震度計がばらまかれることになった。
 体感震度は地震が起こると、気象庁吏員が周辺の被害状況も勘案しながら決定する。主観的・経験的という短所はあるが、広域的な視点で捉えており、その点では逆に客観的であるともいえる

 計測震度は速度型震度計で捉えた波形を、一定の方法で定式化し、揺れの大きさを定量化するものである。一見科学的・客観的に見えるが、とんだ落とし穴がある。
1)計測震度は、震度計が設置された箇所の揺れの大きさしか現さない。ところがある地域の地盤には変化があり、それに伴い揺れの大きさにも違いがある。しかし、ニュースなどではある一か所の震度しか出てこない。何処の震度かというと大概は市役所とか役場のある場所の震度である。
 計測震度が流行るのは、95年阪神淡路大震災の後で、国土庁の補助で全国300箇所の地方自治体に設置された(東京・横浜など先進大都市は既に自前の地震計を持っている)ことが始まりである。これ以降、政府もマスコミもみなこれを絶対的なものとして崇め奉るようになった。
 ところが主な地震発生後、ニュース速報を見ていると、おかしなデータがみられるようになった。それはある特定の地点で特に大きな震度が計測されるとか、あり得ない値が出るようなことである。例えば、宮城県のある自治体(多分登米町と思う)がしばしば特異な値を出すとか、'13年東北太平洋沖地震でも、青森県五戸町での震度7という値である。
 何故か?宮城県の例では、地震計が石垣の上に設置されており、地震波が来たときは片振れ状態になるから、過大値を計測してしまうのである。このように、初期に自治体により設置された地震計データはかなり怪しい要素を含んでいるので、俄かに信じてはならないのである。この原因は設置に携わった自治体職員が地震計どころか地震にも素人だから、設置の方法もわからない。面倒だからメーカーに任せる。任されたメーカーも地震計は分かるが、地震や地盤のことは分からない。わからない者同士がめくらっぽうやってしまうから、とんでもない値が出てくるのである。
2)つまり計測震度は地震計そのものの揺れの大きさを表しているのであって、地域全体の揺れの沖さを表すものではない。そういう眼で熊本地震を見てみると、震度7を記録した地震は4/14と4/16の2回だが、それぞれ震源断層が異なっている(布田川活断層セグメントと網野ー八代活断層セグメント)。それぞれの断層がM6.8、M7.3の地震を起こしたのである。そしてこの時の震度分布(国立防災研)を見ると、震度7を示す地震計はそれぞれ一か所だけ。突出しているのである。M7級の地震が到来したとき、震度7を示す場所が一か所だけというのは信じられるでしょうか?
 
 震度7が話題になったのは、阪神淡路大震災での「震度7の帯」である。これは事後の被害状況から震度を判定し、その分布を示したものである。これでは震度分布が面状に示されている。熊本地震の震度7分布は、これとは大きな違いがある。熊本地震の震度7は一体何を測ったのか?十分な検討が必要である*。
 それにも関わらず、メデイアでは地震で倒壊した家の写真が、これが震度7の証拠と言わんばかりに、繰り返し放映される。ところがこの家築50年以上の老朽家屋。これでは、震度7どころか、震度5でもつぶれてしまう。そしてメデイアを通じて、震度7が独り歩きし、参院選もあってこれが地方予算ばらまき根拠になってしまった。地震(震度)の政治利用である。
*震災後気象庁は地震計を点検し、この値は妥当であったと発表した。しかしどこを点検していたかは、はっきりしていない。地震計の調整だけを見ていたかもしれない。周囲の地形や地盤、あるいは高密度地震計の結果を考慮にいれていたのか、疑問である。
2、余震/本震の問題
 熊本地震で、筆者が日本の地震屋というのは本当にダメだなと思ったのは、本震と余震の問題である。16/04/14にM6.8の地震が発生し、翌々日の04/16にM7.0の地震が発生した。気象庁は当初前者を本震、後者を余震と発表したが、数日後これを逆転する発表をした。ある地震屋は「これを気象庁の英断」と讃えたが、筆者には何が英断なのかさっぱりわからない。両者の震源と活断層セグメントを見比べれば、それぞれが全く別の断層で起こったこと分かる。
 最も滑稽だったのは余震の問題である。気象庁は余震発生頻度が従来の予測式に当てはまらないから予測出来ない、という。従来の予測式とは「大森公式」で、これは明治か大正にできた古典式。この公式は地震の震源を一つ、発生を一回と仮定し、そこからの余震の減衰を統計的にもとめたものである。
 式の構造は、余震の発生割合が時間に逆比例する、いわゆる双曲線近似法に似た方式である。しかしある事象の収束過程近似法にはマクスウェル法とか、VanderVeen法などいくらでもある。
 それよりもっと基本的な間違いは、異なる震源の地震を一つにしてしまったことである。すべての混乱は、みんなここから始まっている。またその後起こった大分の地震も、異なる地震である。
 何故異なる地震を一つにしなければならなかったのか?それは気象庁の体質の問題で、筆者にはわからない。しかし明らかなのは、余震発生は異なる二つの地震によるものだということである。これは中学生だって分かると思うが、何故気象庁の役人が分からないのか。
 筆者は本記事の04/19に、「余震は2~3カ月後に終息するだろう、と述べている。事実7月に入れば余震のヨの字も聞かれなくなった。
(16/08/03)

本日午後関東地方M5.0の地震が発生しました。震源は茨城県南部。これも「中央構造線地震」です。熊本地震都といい、最近中央構造線を震源とする地震が多く発生しています。

 本日午後関東地方M5.0の地震が発生しました。震源は茨城県南部。これも「中央構造線地震」です。熊本地震都といい、最近中央構造線うを震源とする地震が多く発生しています。
 いずれ四国・近畿・中部にもやってくるでしょう。
(16/07/17)

いずれ四国・近畿・中部にもやってくるでしょう。
(16/07/17)

 この間テレビのニュースを見ていると、福島県白河城城壁の復旧工事映像。見ていると崩壊した跡に土を盛って表面に石垣を積みなおすだけ。これじゃ又いずれこの石垣は潰れる。何故かというと、このやりかたでは石垣の外形は保存されるが、背面盛土の弱点も、そのまま保存されるのである。一旦大きなダメージを受けた地盤は、性格が変わってしまう。これには衝撃で強くなるケースとその逆がある。石垣やその背面土の場合は逆になるケースが多い。
 そこで熊本城だが昨日NHKの特番を見ると、熊本城は出来て20年か30年ぐらいたって大地震に見舞われ、石垣の大部分が損壊したらしい。そこで理科年表をめくってみると、「1625年に熊本地方にM5~6の地震があり、熊本城の石垣も損壊」とある。この時の破損修復図絵は残っているから、それと今回の損壊箇所を見比べると、おそらく面白い傾向がみられるだろう(筆者の予想では、両者はかなりの頻度でラップしているのではないか)。そうなら、結局石垣の弱点がそのまま保存されたことになる。つまり、従来の修復工事のやり方をそのまま踏襲しておれば、いずれ同じ目に遭うということだ。
 それと、災害は地震だけではない、雨もそうだ。今後地球温暖化で、これまで経験したことのない大雨に見舞われる。地震で緩んだ箇所をそのまま残しておけば、そういう大雨にも弱点をさらすことになる。それに対する対応策が、筆者が主張する補強土工法による背面盛土強化である。
(16/06/11)

 名古屋城の建て替え問題が揉めているらしい(中日新聞)。始まりは今の天守閣を木造に建て替えることから始まったのだが、熊本地震で、石垣が崩れたのを受けて、石垣補強を優先すべきだという派が出てきた。その模様をネットで見ていると、どちらも根本的な間違いを犯しているのだ。
1、石垣派は天守閣を支える石垣の補強が必要だと主張。そこでやったのが石垣の石の強度の測定。石垣は天守閣を支えているのではなく、周囲の土の土止に過ぎない。また、石垣全体の安定に寄与するのは、背面土強度であって、石の強度ではない。
2、天守閣派はあくまで原型に戻すべく、木造を主張する。
 筆者の解答は次のとおりである。
1、石垣の安定は背面土の安定が決定的役割を果たす。熊本城の例を見ると、これに不安要素があることは否定できない。石垣の安定を維持しようとすれば、背面に補強土工法を用いるべきである。石垣など化粧張りにすぎない。
2、天守閣の木造案はやめたほうが良い。木造は物凄く維持管理コストが掛かる。姫路城の場合は数10年毎の定期修復をやっているが、これは国宝で国の補助金が出るから出来る。姫路市や兵庫県ではとても対応できない。名古屋市や愛知県にそれだけの覚悟があるのか聞いてみたい。
 RCが嫌で木造も駄目なら、あとは鉄骨しかない。わたくしはそれでも構わないのではないかと思う。その理由は次の通り。名古屋城を作った福島正則、熊本城を作った加藤清正、松江城を作った堀尾茂助。みんな秀吉の家来だ。いわば戦国末期に現れた新人類なのである。彼らは旧来の伝統に捉われず、まったく新しい築城法を考案した。それは新技術の大胆な採用である。おそらくは信長の安土城に影響された秀吉の指図だろう。
 だから、これら中世特に秀吉由来の城郭再建には、現代の新技術を大胆に採用して、なんの問題もないのである。
(16/06/01)

 熊本地震の支援に行った佐賀県武雄市職員が、公用車でラブホに行っていたことがばれてクビ。ところがこの職員、ラブホで風俗嬢を呼んでいたらしい。熊本ではこの災害下でも、 風俗が営業していたわけだ。男どもは地震で気落ちして、がっくりしているにも関わらず、女はそれにもめげず、自ら体を張って稼いでいたのだ。火の国の女は強いねえ、と改めて感心した次第である。武雄市職員の行為もまた、一つの復興支援かもしれないのである。
(16/05/22)

 下の図-1は3~4日程前の新聞朝刊に載っていた写真。タイトルは「道路にも耐震基準を」だった。この写真だけ見ると、通常の盛土法面がすべっただけか、のように見える。図-2は一昨日ネットで見つけた写真。路面の崩壊の様子から図-1と同一地点と考えられる。これは図-1とは別のアングルからとったもので、崩壊部分の様子がよりリアルに見える。

     
図-1    図-2 

実はこの道路、通常の山岳道路のように、山の斜面を片切片盛したのではなく、急崖を伴う台地の縁辺に設定したものと考えられる。崩壊箇所は台地斜面を開析する浅い沢の頭部盛土である。問題はこの盛土の土羽処理であるが、盛土端部に残っている未崩壊部から推定すると、ブロック積みとか石積みのような慣用工法とみられる。慣用工法は設計法もなく従って安全率の評価のしようがない。筆者自身はこれは禁止すべきと考えるが、日本伝統工法ということで、今なおこれを支持するアホも多く、なかなかなくならない。使うとすれば切り土の最下段か、盛土なら高さはせいぜい3~4m以下、それもあまり重要度の高くない箇所に限るべきである。
 本件盛土は,おそらく高さも7m以下だったので、チェックにも引っかからなかったのだろう。では本崩壊の復旧対策を含め、こういう急斜面の頭部盛土にはどういう工法を使えばよいか?これはいろいろあって現地の地形・地盤・道路状況などを勘案しなくてはならないが、一例を別に示します。ワタクシなら、「鋼管クイ擁壁」にしますかねえ。この工法なら谷側車線を完全閉鎖することなく、部分規制だけで復旧工事が可能です。
 要するにこの事故は道路の耐震性云々の問題ではなく、耐震どころか設計法すらあいまいな、慣用工法を使ったことが原因なのです。
(16/05/19)

 熊本阿蘇地方の震災で、国道325号阿蘇大橋ともう一つトンネルの復旧を、国の直轄でやることに決めたらしい。ということは、現在のR325だそのまま残るのだ。本地震復旧工事の内最大の愚挙である。
 R325は丁度阿蘇中央火口丘の山裾に沿って走っている。阿蘇大橋破壊した崩壊は、この火口丘斜面に生じた深層崩壊である。その後別斜面でも崩壊が生じている。それだけではない、今は崩壊は免れているが、崩壊してもおかしくない斜面が阿蘇大橋の先にある。既に今回の地震で、阿蘇中央火口丘の状態は以前と様変わりし、地山は緩み・・・これは周辺温泉の異常からも推測される・・・安全性は遥かに低下している。今後大雨が来れば何時崩壊しても可笑しくない状態なのだ。現在の計画では、こういう不安要素がそっくり残る。つまり熊本県も国も、今後同じ失敗を繰り返すことになる。要するに、どっちも未だ危機意識が足りない。
 筆者の私見ではR325は根本的にルートを変えるべきである。一旦下の白川沿いまでシフトし白川を越えた後にルートを変え、どこかで現道に擦り付ければよいだろう。1000年安心プランだ。
(16/05/14)

 これは今回の地震でつぶれた熊本城の石垣(毎日ネットのパクリ)。一目みて、これではとても・・・大きな地震には・・・ダメだと思った。潰れるべくして潰れたのである。まず手前に大きい石が転がっています。どれも角が取れて丸みを帯びていることが分かります。写真左側に未崩壊部分が映っていますが、ここで使われているのも、同じような角の取れた石。こういう石は角がないから互いにかみ合うことが出来ず、必ず隙間ができます。その隙間に小さい石を詰めて詰めるわけですが、石と石だから完全には結合できないから、やっぱり隙間は残る。こういう構築法を「空石積み」といいます。実はこの工法は、今年国宝に指定された松江城でも用いられている。松江城を作ったのは堀尾茂助。熊本の加藤清正の同僚であり、お互い秀吉の股肱の臣。賤ヶ岳七本槍の一人。
 崩壊部では石垣の裏込め土の様子が見えます。ここで特徴的に見えるのは、丸みを帯びた直径数~10数㎝の石です。こういう石を俗に「玉石」と呼びます。玉石の周囲を充填しているのはやや細粒分を含んだ砂です。つまりこの城壁の主体は玉石積みで、石垣は空石積みだということです。これが今回の地震で石垣が崩壊した最大の原因です。
 玉石積みや空石積みの利点は、隙間が空くから水を通しやすいことです。大雨が降ったとき、透水性の悪い土では、石垣背面に間隙水圧が発生し、その水圧が石垣を押したり、裏込め土の強度を低下させるので崩壊しやすくなる。その点玉石積みでは、そのそれは少なくなるので合理的。実際、上の写真を見ても崩壊部には、水の痕跡は見られないから、この崩壊は地震によるものと考えてよいでしょう。
 では地震ではどうして弱くなるのか?この問題の解答は実は非常に難しい。地下の土に加わる力は、大きく鉛直力と剪断力に分けられる。鉛直力とは大雑把に言えば、上から掛かる土の重量である。これに対しては玉石というのは非常に強い抵抗力(強度)を発揮する。これに対し、横あるいは斜めから加わる力が剪断力である。これに対しては、玉石はからっきし弱い。玉石と玉石が接している場合を考えよう。お互い丸みを帯びているから、かみ合わされる部分が少ない。ここに横から力を加えると、簡単に転げてしまう。地震時ではこれと同じようなことが、地中でも起こるのである。ではどういう地震でこういうことが起こるのか?こういう構造物は、割合変位に対する追随性がよいので、少々の地震では問題は見えてこない。地震で動くのだが、変位が小さいときは、また元に戻るから地震に強いと錯覚されやすいのである。しかし変位が一定値を超えると、元に戻れなくなるから、上のような破壊につながるのである。
 ここで筆者が言いたいのは、地震時での破壊の講義ではなく、この後の復旧をどうすべきか、である。崩壊した土砂・岩石を使ってもとに戻すなら、それはただの修復にずぎない。これでは問題点を後世に残すだけである。もし熊本県が本気で修復を志すなら、城壁全体を補強土工法で改修すべきである。そもそも熊本城は当時の最新工法で作られたのである。ということを考えれば、熊本城復旧に、現代工法を採用4しても清正公は文句を言わないはずである。
(16/05/13)

 16年熊本地震について今も気象庁やマスコミは前震とか本震とか、言葉にこだわっているようだ。前震・本震・余震というのは、地震が一つの断層の破壊で生じたと考えるから出てくる言葉である。筆者の見解では4/14のM6.8も、4/16のM7.3も、その後起こった大分の地震や最近の阿蘇の地震も全く別々の地震で、中央構造線を「構成する別々の活断層セグメントの破壊で生じたものである。それぞれが余震を発生するから、その累計値が単独の地震と仮定したとして求められる過去の推計式と異なるのは当たり前である。従って起震断層を分離し、それぞれの地震による余震を区別すれば余震の減衰傾向は明らかになるだろう。
 そういう意味で筆者は今回の九州地方の地震を「熊本地震」のようなローカルな名前で呼ぶのではなく、「平成28年九州中央構造線地震」と呼ぶべきと考える。そうだとすれば「四国中央構造線地震」や「近畿中央構造線地震」があっても不思議ではない。そう考えないと、広域防災計画は作れない。
 九州地震の根本原因はフィリピン海プレートの押し込みである。その結果が次の南海トラフ地震になるのだから、この影響が一回で終わると思ってはならない。この前後に四国や近畿を中心に、今回と同じような連続直下型地震が起こると考えて不思議ではない。
(16/05/09)


 これは先日の応用地質学会関西支部役員会で我々の槍玉に挙がった、「引っ張り応力説」の根拠となった「正断層」というもの。発見者は正断層と言うが、場所は斜面であり、元々表面には引っ張り応力が働いている所。しかも断層沿いなら、地山強度は周囲より低い。おまけにその後の降雨で地山の強度は低下している。
 筆者には地震で緩んで生じた表層崩壊の滑落崖にしか見えない。最近の学者には、このように教科書的発想しか出来ないのが増えて困る。これもセンター試験の影響か?純粋地質学者の視野の狭さか?
16/05/02)

 熊本城の石垣が崩れた。それで前の東北太平洋沖地震で崩れた奥州白河城石垣の復旧工事を参考にしようというわけで、その様子を昨日のテレビでやっていた。一見してあれでは駄目だと思った。やっていることは絵や彫刻などの文化財と同じ修復なのである。ところが城壁は文化財ではなく土木構造物である。土木構造物の使命は危機に対し、本体を守ることである。そのための防護構造物と云ってもよい。もしこれに損傷が発生し、機能が失われたとき、やらねばならないことは危機以前より強固な構造物に作り直すことである。
 ところがやっていることは修復。つまり表面を元の形に戻すだけ。これでは構造物の弱点をそのまま残すことになり、将来同じような災害が起これば、再び崩壊することになる。ン10億円がパーだ。二流の建築屋の発想だ。
1)範囲;表面上崩れたところは一箇所でも、他の場所にも影響はあるはずだ。地震で城壁背面盛土全体が緩んでしまっている可能性がある。まず背面盛土の状況を調査た上で、対策範囲を決めるべきである。そうしておかないと、将来地震でなくても豪雨があったとき、別の場所で崩壊する危険性がある。
2)工法;白河城の修復工事を見る限り、崩壊箇所をそのまま盛土し、石垣を再構築するようである。これでは背面盛土の弱点をそのまま受け継ぐことになる。筆者なら背面盛土に補強土工法を用い、まず城壁背面に補強土擁壁を作る。その上で前面に石積みを貼り付け、外観の修復を図る。貼り付け工法は結構難しいが、最近発達してきた岩盤接着工が使えるだろう。
 壁面が外に反り返った、所謂「お城積み」は力学的に不安定で、個人的には禁止すべきと考えるが、上記の工法を使えば可能である。以上のようにやっておけば、この後何が来ても数100年は大丈夫だ。
(16/05/02)

 熊本地震の余震が昨日1000回を越えました。気象庁はこれを前例がないと発表。熊本地震とは「中央構造線」が九州北部の東端から西端まで、ほぼ同時に動いた地震である。延長はおおよそ100㎞。その中の複数の断層セグメントが相互に影響しつつ応力再配分を行った現象である。1000回以上の余震があるのは当たり前。
 そもそも日本で近代的な地震観測が始まったのは20世紀に入ってから。それも微小地震を詳細に捉えられるようになったのはここ4~50年ぐらいのこと。前例がないのではなく、我々が経験したことがなかっただけの話である。その点、気象庁は言葉の使い方に気をつけるべきである。
 しかし直下型だから必ず収束する。しかし終わることはない。、阪神淡路大震災でも余震は数ヶ月続き、その後も数ヶ月~数年置きに発生している。この間もその余震と見られる兵庫県東南部地震が起こった。熊本など未だ起こって2週間である。焦ってはならない。問題は気象庁が役人特有保身目的の中途半端発言を繰り返し、それにワルノリしてマスコミが不安を煽ることである。
 なおこの地震を南北方向の引っ張りだという学者がいて、本日朝刊にその証拠とする正断層写真が載っていたが、あれは誰が見ても地震で発生した表層崩壊だ。こういう中途半端学者が居るのが問題なのだ。学者教育の問題だろう。
(16/04/28)

 これは一昨日南阿蘇村え発見された新たな亀裂(YOMIIURI-net。ネット情報だから場所が何処だか判らない。地表に多数の亀裂が入っているが、みんなある方向を向いている。地形は平坦な台地だから地すべりと言うことはあり得ない。新たな地表地震断層の可能性がある。
 この亀裂を横ずれ断層に伴う引っ張り亀裂と考えると、みんな左上から右下に並んでいるので、主断層は右」横ずれ断層になるから、今回の地震による中央構造線の動きと調和的である。
 古代人はこういう割れ目から魔物が現れると考え、それを大王や神仏の霊力で抑えようと、その上に墳墓や神社を築造したのだろう。
(16/04/24)


 財務大臣の麻生が国会で、今度の「熊本地震」による災害を「大規模災害」とは判断していないと表明した。「大規模災害」とはなにか?定義は色々あるだろうが、財政上で考えれば、対策費がアオテンになるということだろう。
 既に総理のアベは、これを劇甚災害に指定し、対策のために数千億の補正予算を指示している。これに危機感を抱いた財務省が、麻生のネジを巻いたのではあるまいか?筆者自身あの程度の被害を「大規模災害」にしたのでは、日本語が怪しくなってくると思う。
(16/04/26)

 熊本県の道路復旧工事について、国土交通大臣は国直轄という方針を表明。理由は、高い技術力が必要だからだそうだ。あの程度の災害復旧も単独で出来ないとは、熊本県も舐められたものだが、国つまり国交省に云うほど高い技術力があるとも思えない。所詮九州地方整備局のなんとか工事事務所のレベル。実施にあたるのは九州の地元コンサルと地元ゼネコン。こういう斜面崩壊対策を出きる全国区の総合コンサルといえば、日本工営とか国際航業辺りになるが、どちらも資本力や社員数では日本有数だが、技術力は大したことはない。ああいう連中に設計させると、事業費が高くついてどうにもならない。
 良い設計とは何かというと、目的を明確化し、無駄を徹底的に排除することである。だからワタクシが設計すると、工事費が安くなって、業者や役所の評判は悪かった。無駄こそが公共事業の命なのである。さて国交相の云う高い技術力とはなにか?お手並み拝見。どのみち選挙目当ての田舎猿芝居だ。
(16/04/25)

 さて熊本県知事が政府に対し、10項目の要求を出し、補正予算に反映するよう要求しました。その根拠として熊本県は、今回の地震を未曾有の災害と捉えているようです。本当にそうでしょうか?詳しく言うと長くなるので省略しますが、確かに地震規模は平成5年兵庫県南部地震に匹敵しますが、発生した被害はその1/10以下です。又、被害の中には手抜き工事の疑いがあるものもある。決して未曾有とは云えない。それは兵庫県南部地震以後、建築や土木構造物の耐震化が急速に進んだからです。今回の地震で崩壊した構造物の大部分は、耐震化を怠ってきたからです。
 又、政府は明日にも激甚災害指定を行う予定だ。激甚になると、復旧工事意の9割りまでは国費負担。但し復興部分は地元負担が原則。つまり、復旧事業の9割までは会計検査の対象になるということだ。一難去って又一難。
 それと熊本県は、たかが熊本城の屋根瓦の修復まで、国にねだらなければならないのか?根性がない。大阪では昔から大阪城の再建・修復は、みんな地元市民の寄付で補っている。瓦ぐらい自分で治せ、といいたい。
 いいですか!危機に陥った時ほど、自分で踏ん張らなければならない。冬山に入って、悪天候に見舞われたとき、だれが助けてくれますか?ジーット我慢して天候の回復を待つのです。その後脱出法を考える。そういうことを経験してこそ、タフな人間が出きるのだ。
 では政府は熊本県の要求を呑むでしょうか?多分呑むでしょう。全ては夏の参院選のため。いいですか!そうなれば熊本城の屋根瓦や手抜き工事の後始末まで、税金が使われるのだ。この結果、日本人の能力・根性はますます劣化し、民族滅亡の危機に陥るでしょう。
(16/04/24)

 熊本平野周辺の主要構造線(活断層セグメント)。今回の地震は、布田川活断層セグメント(H)と網野ー八代活断層(A-Y)の接合部で起こったとされますが、筆者はそれぞれの端部での破壊が原因と考えています。

 昨日プライムニュース、ゲストスピーカーの防災コンサルタント山村が、以前熊本県から防災講演の依頼を受けた。そこで水害・火山・地震の三点セットを用意したところ、県側から地震は関心が低いのでやめてくれと云われたと述懐。概ねそんなところだろうと思っていた。
 元々、九州・瀬戸内地方は地震への関心が低い。地震が起こって被害が拡大する要因に、行政の無策や普段の備えの不足がある。これまで阪神淡路大震災や新潟県沖地震などで、都市直下型地震の資料が蓄積されているにもかかわらず、どうしても他人事に考えやすい。それはこの地域は江戸時代外様の大大名が多く、みんな独立王国化していたからである。つまり縦割り行政にどっぷりつかってきたのである。
 一方関が原の経験から幕府に対する恐れも強く、学問は京大阪で流行った実学より、幕府推奨の儒学(虚学)が中心になった。儒学の主張するところは、ずばり言えば支配階層の既得権益を守ることである。これは熊本藩で特に強く、幕末に於ける実学党vs敬神党の対立になった。結果は敬神党の勝利に終わった。他の九州・中国諸藩でも似たような状況だたろう。これが現在西日本各自治体に見られる、建前・既得権益優先主義の木っ端役人を産んだのである。その結果は武士(役人)の視野を狭くし、目先のことばかりを重視することになる。
 と言うわけで、筆者はこれらの県の仕事は苦手。あるとき大林組本店の土木設計部に行ったところ、設計部長がなにやら図面を抱えて苦虫噛み潰した表情。聞いてみると、広島支店の依頼で、岡山県湯原温泉近くでゴルフ場開発の物件が舞い込んできたらしい。そこでワタクシは「岡山なら断ります。県民性が合わない」と云ったら、設計部長も「そうだなあ、合わんなあ」と同意。岡山でこれだから、熊本はもっと合わないでしょう。
 冒頭に挙げた山村講演に対する熊本県の対応など、当にこの既得権益主義の産物である。ではこの思想、今回の地震で払拭されるでしょうか?とんでもない。もう既に国に対する言い訳文書作りに大忙しだ。当面、土木部長や財政部長は国からの出向になるだろうが、喉元過ぎれば熱さを忘れるで、早速追い出し工作が始まるのではないか?
(16/04/19)

 地震発生以後よく取り上げられるのが、余震の回数。昨日までに震度1以上の余震の数が500を越えているためである。数だけで云うとその通りだが、中身も見なくてはならない。気象庁や地震屋が異常だという根拠は、下図左の余震累積数(赤線)グラフ。このグラフを見れば直ぐ判るが、累積数は04/16のM7,3地震を境に跳ね上がっている。それ以降の累積グラフは04/14地震の余震と04/16地震のそれが重ねあったものだ。だから余震の継続を考えるなら、本来この2者を合理的な方法で分離しなくてはならない。
 そのためには余震累積グラフの定式化が必要である。このタイプの累積曲線の定式化方は、昔から沢山あって・・・・例えばマクスウェルモデルとか双曲線法とか・・・、それほど難しいものではない。但し結構面倒臭い。筆者が持っているのはネット情報だけだから厳密なことは出来ない。そこで少々曖昧だがアナログ的手法を使う。
 まず左の図の04/14地震余震グラフを延長する。但し延長も山勘ではなく、クロソイドを使った万能定規というものを使う。これはたった一本で、あらゆる曲線が描けるという優れもの。プロのトレーサーが使う。この定規をグラフに当てて延長するのである(右の図の赤破線)。この辺りはセンスとしか云いようがない。画の下手な人間には無理だ。
 そして余震累積グラフとの差をプロットする。それを連ねたものが右の図の黒破線。本来ならこれを原点移動すればよいが、それをすると図も複雑になって返って判り難くなる。そんなことをしなくても直ぐに判るはずです。余震発生は、どちらも通常の地震と変らないということです。

 この図から判ることは
1)04/14地震と04/16地震とは別の地震です。おそらく震源断層が異なっていたのでしょう。
2)それぞれが別々の地震ということから、余震の収束も従来の経験則を当てはめて差し支えないと考えられる。つまりここ1~2週間は強い地震は発生する可能性はある。2~3ヶ月後には7割り方収束するだろう。完全収束はない。
(14/04/19)

 昨日大分でM3.1の地震が発生しました。これは筆者が云う「中央構造線(MTL)地震」説でいけば、当たり前で別に驚くことではない。力学的には、MTL沿いにもっと震源が広がっても不思議ではない。
 今回の地震で九電川内原発の安全性が取りざたされていますが、筆者は今のところ運転を継続して差し支えない、と考えています。それより問題は四電伊方原発です。原子力規制委員会は伊方原発再開の方針ですが、そもそも何でこんな危ないところに原発を作ったのか、理解に苦しむ。伊方に比べれば関電美浜や原電敦賀の方がずっと安全だ。他にウンと云ってくれる県がなかったのだろう。九電力全てに原発を作らせるという政府方針が間違っていたのである。
 マスコミによく登場するのが「今回の熊本地震が引き金になって、他地域の地震あるいは南海トラフ地震を誘発するのではないか?」という懸念です。これが川内原発停止論の根拠になっている可能性もあります。しかしこれは誤った認識です。「熊本地震」には他地域に地震を発生させるほどのエネルギーはない。
 もっと広く考えましょう。現在の西南日本の広域応力場を支配しているのは、フィリピン海プレートの押し込みです。これとユーラシアプレートとの対立が様々な地殻変動をもたらしているわけで、かつての「兵庫県南部地震」も今回の熊本地震もその一つです。その結果多数の小さい地震・・・・神戸も熊本もその小さい地震の一つ・・・が起こり、その最終結果・・・過去2~300年間・・・が「南海トラフ地震」なのです。
 破壊力学に於ける累積損傷度理論によれば、繰り返し加えられる応力で発生する損傷の累積値が、物体が持つ限界値を越えると全面破壊に至る。今の西南日本の全面破壊が「南海トラフ地震」である。かつての「兵庫県南部地震」や今回の「熊本地震」はその通過点に過ぎない。大事なことは損傷の累積値をどう見るかである。その結果として今回の熊本地震と似たような地震が、これからもあちこちで起こるということだ。
 では何処で起こるかと言うと、それは確率・バクチの世界だ。しかし候補地は幾つかある。一つは紀伊半島の何処か、もう一つは四国山地の何処かである。非常に大胆な予測だが、筆者は、大阪府河内長野を震源とする地震の可能性も考えている。又、来月G7サミットが開かれる紀伊半島西端の鳥羽・志摩地域も候補に入る。ここは従来あまり地震記録がない。ここにはMTLだけでなく、神何鉾構造線の片割れのような断層も入ってくる。伊勢志摩サミットをやっているときに、突然M7級の地震が襲ったら、面白いですねえ
(16/04/17)

 一昨日の熊本地震以来、マスコミはテレビも新聞も天地がひっくり返ったような騒ぎ。しかしよく見ると、今回のは当たり前の断層帯で、当たり前の規模の地震が起こって当たり前の被害を出しただけ。斜面崩壊が起こったとしても、シラスの台地だったら当たり前。高速道路の盛土が崩れても、どっちみちシラスなんてろくでもない土を使っているんだから、これも当たり前。
 何処かの市役所が凹んだらしいが、九州だから業者が柱の帯筋を手抜きしてそれで柱が座屈したかもしれないし、どんな基礎をやっているか判らない。これも当たり前。

     

 つまり今回の熊本地震は、当たり前の地震で当たり前のことが起こっただけなのである。従って対策も当たり前のことをやればそれで済む。ところがアベは「一刻を争う」だとか、誰も頼んでいないのに激甚災害指定を発表。激甚災害とは、国土交通省とか関係省庁の現地調査を経て初めて認定される。他の災害とはレベルが違うのである激甚に指定されると、復旧工事費の9割まで国費負担。但しその原資は空気から出てくるわけではない。皆さんの税金です。従って査定は厳しく復旧事業費の9割まで国が介入する。だから自治体の裁量で動けるのは1割りだけだ。有難迷惑と云えば有難迷惑。
 地元協議も複雑になるから、指定まで、最低でも1~2週間はかかる。これをたった二日でやるなどとは前代未聞。頭の中に夏の参院選があったのは間違いない。所詮小心者だ。
(16/04/16)

 平成28年熊本地震が発生して以来、筆者が注目していたのが「中央構造線」との関連です。今回の地震は間違いなく「中央構造線地震」です。震度分布を見ていると、何か北東ー南西方向に偏っている傾向がある。図は16/04/16-10:38の余震における震度分布です。

 震度3~2のやや強い震度域が、この方向に並んでいることがわかります。黒の破線は「中央構造線(九州では南北2本に枝分かれし、熊本方面に分岐するのを『日奈久構造線』と呼びます)のトレースです。
 大きな断層(特に横ずれ断層)があると、それに沿ってトラップ波という波が発生し、断層に沿って大きな揺れを生じるといわれています。この震度分布はその現れとも考えられます。
(16/04/16)

 昨日夜の熊本地震。丁度そのとき筆者は風呂に入って、そのまま寝てしまったので今朝になるまで知らなかった。震域の大きさや震度分布から、マグニチュードはせいぜい6.5位かと思っていたら、やっぱりそうだった。ずばり云って吃驚するほどの地震ではない。
 しかし熊本市近郊の益城町で震度7というのが気になる。昼のワイドショーで益城町の現状をレポートしていたが、被害状況から見ると、せいぜい震度5+から6ー程度ではないか?と思われる。
 震度7レベルであれば耐震性の高い建物(例えば鉄筋コンクリートや鉄骨造)でも被害が顕著に現れるはずだが、益城町レポートでは古い民家は潰れているが、その隣の新しい建物(おそらく新耐震以降)は何もなっていない。
 こういう現象は、阪神淡路大震災の震度7以外の地域でも頻繁に起こっていたのである。
 建物被害の実情と気象庁発表の震度階との乖離は、以前からも度々指摘されていた通りである。阪神淡路大震災のあと、国土庁の補助で全国300自治体に計測震度計が設置された。その後気象庁補助事業などで更に拡大されているはずである。
 実はここに問題がある。計測地震計が導入された経緯は、従来の体感震度では個人差が大きい・・・実態は震度計測に慣れた職員が居なくなった・・・ことである。計測震度なら客観性が持てるだろうという浅はかな物理屋の思い込み。体感震度は判定基準は曖昧で、個人差はあるが、そこには広域的な情報が含まれている・・・これが重要なのである。
 計測震度計の情報は客観性はあるものの、その地点での情報でしかない。そこから10m離れたらどうなるの?という質問には答えられない。そして一般に自治体は地震計の設置についてはシロートである。本来ならその専門家である地質・地盤や地震関係コンサルタントに委託すべきだが、地方自治体の中には、はこういう業界があることも知らないのもいる。だからメーカーに丸投げしてしまう。ところがメーカーも設置にはシロートである。この結果設置すべきでない箇所に設置してしまう。これがしばしば異常データを発信する。
 例えば宮城県栗原町だが、ここは以前より周囲から1オーダー大きい震度を発信していた。不思議だなと思っていたら、何年か前にNHKクローズアップ現代がこれを取り上げた。それによると栗原町は地震計を、本来設置すべきでない崖の上に設置していたのである。また、東北太平洋沖地震でも青森県五戸町で震度7を発信している。これもあり得ない数字である。他に自治体計測震度と実態が異なるケースは一杯ある。場合によっては、それが行政の責任逃れ隠れ蓑になっていることもある・・・山口県岩国市のように、自分の施工ミスを地震の所為にする悪質自治体もある。みんな計測地震計はテレビや冷蔵庫と同じ、置いておけばそれで済むと錯覚しているのである。*
 ところが、こういう疑問に対し、気象庁は頑なに数値は正しかったと言い張るのである。その結果、震度がせいぜい6ーなのが7になってしまう。地震保険に対する影響が出てくるのだ。官害の極みである。
 これに比べれば、国立防災研がやっている高密度地震観測の方がよっぽど現実に合っている。筆者は常々地震情報というのは、各地にモニター(ボランテイア)を配置し、彼らの情報をインターネットで結びつけ、そこに専門家が介入することによって、正しい方向に結びつけるべきと考えている。あらゆる基準は、役人が勝手に考えるものではなく、現実に即したものでなくてはならない。これは原発稼動指針にも当てはまるだろう。
*例えば高槻市で計測地震計を設置する場合を考えよう。だれでも市役所の敷地内が良いとおもうだろう。ところが高槻市役所の地盤はいわゆる沖積軟弱地盤である。従って基礎クイが多数打設されている。こういうところに地震波が入ってくると、地震計が感じる振動は、地盤と基礎クイが合成されたものとなる。従って地盤応答を求めようとすれば、動的地盤調査を改めて行い、基礎クイとの連成系で地盤応答解析を行って、地震計の応答特性を決めなくてはならない。あっという間に1000万円超だ。だから誰もやらないのである。
 なお、高槻市で地震計を設置するならどこがよいかと聞かれると、まず高槻市の地盤を代表できる地点でなくてはならない。そういう意味では高西町などその代表だから、高西町自治会「さざんか公園」も候補の一つに上がる。しかしここも建て込んできているので、少し離れるが京大農場あたりも候補だ。市役所は駄目。
(16/04/15)