'08年西日本豪雨災害

技術士(応用理学)   横井和夫


 真備町洪水をおこした元凶の高梁川/小田川合流の変更計画。筆者は何かの情報で、上流に移すと思っていたが、実際は下流だった。では下流とは何処かというと、とんでもない場所。普通下流なら、その川の流路の何処かと思う。ところが、計画では今の高梁川と、西の柳井原貯水池に挟まれた山地の南側で、直接高梁川にはつながらない。どうするんでしょう?
 さてこの河川付け替え工事、山を貫くのだから当然トンネル河川になる。そうなら、先に筆者が提案した2)流域変更案と何にも変わらない。ところがこの案を50年間ほったらかしにしていたというのだ。 
 50年前といえばまだ旧河川法の時代。河川はオープンでなくてはならず、暗渠(トンネル)はあり得ない時代だった。そんな時代にトンネル河川を考えるはずはない。トンネル河川が可能になったのは、昭和60年代の河川法の改正以後。この結果、東京では第二神田川、大阪では第二寝屋川、第二平野川などのトンネル河川が次々生れた。その理由は、大都市の洪水対策である。
 従って50年前にトンネル河川で小田川治水対策を行うという発想はあり得ない。もしあったとすると、現在の柳井原貯水池のある谷を開削して、水路をつくることである。ところがここに水利権とか用地問題とか言うややこしい問題が発生する。例えばトンネルを出て倉敷平野に入ったところで、小田川の水をどう処理するのか?開削河川を作るなら、その用地は倉敷市の提供になる。普段水も使えない川のために土地を譲分けにはいかない、てなところだ。そんなことで50年間、ああでもないこうでもないと時間を潰し、そのうちみんなわすれてしまったのだろう。故人曰く「災害は忘れた頃にやってくる。」さて今回の災害記憶も、何時まで続くでしょうか?福島の記憶だって、自民党や政府・財界では薄れてしまっている。
(18/07/16)

 上の図は今回の豪雨で、岡山県最大の被害を出した倉敷市真備町の空中写真映像(GoogleEarth)です。写真右下に二つの河川(画面右を南北に走るのが高梁川、画面下に東西に走るのが小田川)が合流していることがわかります。合流点のやや上流両岸に山が迫っていますが、これがボトルネックです。この合流点の上流は河川敷がものすごく広く(図の赤破線で囲んだ部分)、いわゆる遊水池(普段は農地や湿原だが、降雨時だけ一時的に水を溜める空地)になっています。今回の豪雨は、この遊水池の調整容量を遥かに越えるものだったわけです。その結果が高梁川のバックウオーター水位を上げ、全面的な洪水に発展したわけです。国交省は現在、この合流点を上流に移設する工事を行っている最中だというが、何のためにそんなことをするのかよく分からない。合流点を上流に移設しても、ボトルネックとバックウオーターの問題は解決しない。
 解決の方法としては次の二つがあげられます。
1、現在の遊水池の調整容量の拡大。
 これは単に今の河川敷の面積を拡大するのではなく、開削あるいは地下貯水池を設け、調整容量を立体的に拡大するものです。
2、河川の付け替え
 これは高梁川と小田川の流域を分離するものです。方法としては小田川の下流に第二河川を設け、洪水時のみそこから倉敷側に分流するものです。第二河川としては、高梁川のボトルネックを構成する右岸山地を横断するトンネル方式になるでしょう。但しこの案の前提としては、倉敷平野の広域下水道整備が必要です。

 どちらが良いかは一概には言えません。但しここで挙げた案は既に検討されたはずです。それが消えて合流点の移設というなんとも中途半端な案に落ち着いてしまった。何故でしょう。
(18/07/12)

 未だ余韻は残っているようですが平成30年西日本豪雨もほぼ収束状態。これまでの報道を見る限り、筆者がかつて関わった(設計・調査)ことのある物件で、被害を出したものはないようだ。もし何かあれば、大変なことになるのが多い・・・本四の80mの盛土とか、兵庫県の勾配1;0,5で7段の切土のり面とか。
 さて今回の災害で一般に知られるようになったのが、ボトルネックとバックウオーターという言葉。これは元々河川屋の業界用語のようなもので、正式な学術用語ではないが、他に適当な訳語がないので、そのまま使われてきた。
 日本の平地は大きく、内陸の盆地と海岸沿いの海岸平野に分かれるが、前者は両方を、後者はボトルネックこそないが、バックウオーターの危険は何処でも含んでいる。
 筆者の住む大阪府高槻は今回こそ大した被害はなかったが、60年程前のジェーン台風で、南半分が水没するという被害を受けている。これは芥川お氾濫によるものとされるが、それも淀川の水位が上がったからである。実際は、淀川の水位が上がって氾濫しかけたところ、砂岩堤防は国道2号(当時)だから、これは切れない。右岸の高槻は未だ農村地帯だったから、ここを切ってしまえということで、高槻側が水浸しになってしまった。
 そして何故淀川の水位が上がったかと云うと、下流の茨木で、右岸から安威川が淀川に合流する。そこで淀川のバックウオーター水位が上昇したため、堤防を切らなければならなくなったのである。
 だったら、支流にダムを作って本流への流入量をコントロールすればよいじゃないか、というので出来たのが「安威川ダム」計画。ところが、下流の地元住民や「、国交省はぼったくりバーや」と云って、公共事業に非協力姿勢を掲げた大阪府知事が登場するに及んで、この計画は宙ぶらりん。おかげで高槻市民は何時洪水に見舞われるか分からない分からない状態に置かれている。しかし、肝心の高槻市や高槻市民に、危機感があるてゃ思われない。
 こういう状況は日本全国何処にでも見られる現象である。この原因の一つに下流優先という、日本独特の河川慣習がある。つまりなにをやるのでも、下流の同意が必要で、しかもそれが優先されるという慣習である。
 この結果、内陸盆地の住民は何時まで経ってもボトルネック洪水にさらし続けられるのである。
(18/07/11)

 今回の西日本豪雨で大災害を出した岡山県の真備町。さて何処かとYphoo地図で見てみると、やっぱり倉敷の北に広がる清音の盆地。この盆地のやや東側を高梁川が南流し、倉敷平野にそそぐ。10年程前、横溝正史ツアーでこの地域を訪れたことがあったが、その時この盆地はかつて洪水に頻繁に見廻れたのだろうなあ、と思った。理由は清音の駅から真備町に行く途中の高梁川の河川敷がいやに広いことである。まるで遊水池だ。その理由は高梁川が、倉敷平野に出るところ・・・丁度今の山陽新幹線が通る箇所・・・が、両方から山が迫りボトルネックになっていることである。こういう箇所は河床に岩盤が浅く現れ、いわゆる”瀬”をつくる。こういう箇所は洪水時に流速が遅くなる。そこへ上流から水が押し寄せてくる。水は狭い河道と浅い瀬に邪魔されて下流に流れなくなる。結果として背後の水位(バックウオーター)が高くなり、盆地に洪水を及ぼすのである。
 だったら、河道を広げたり、瀬を開削するなどして、水を通し安くすればよいではないか、と思うだろうがそうはいかない。そうすれば、今度は下流の倉敷平野が水浸しになる。倉敷平野を支配する倉敷藩は岡山藩の支藩で、石高は10数万石はある。それに比べ、清音藩は1万石そこそこの弱小藩。格も力も段違い。文句を言っても「まあ辛抱せえや」でおわりだ。実はこの力関係は、明治維新後どころか、平成の今でも続いているのである。
 もう一つ問題がある。昔ダイヤコンサルに居たころ、当時の岡山出張所の営業が云うには「岡山と言う処は災害がないから、県の役人にも危機感がないんですわあ」。要するにボーリングをやらない、やっても形通りのおざなりだ、と云いたいのだろう。実際筆者が若干タッチした農業団地造成工事設計では、盛土の勾配を1;1,2、安全率は1,2と、普通の土木では考えられない値を使っている。何故かと云うと、岡山県建築士協会の基準を使っているからである。また、土質試験のやり方も間違っているなど問題だらけ。低レベルの極みである。
 このように、物事の本質を理解せず、自分の都合に合わせた表面だけの御都合主義が、今回のような大災害を起こした背景にある。広島県も似たようなものだ。そこに見えるのは、とりあえずここさえ無事に過ごせれば、波風立てずに済むという無責任である。このような地方自治体の土都合主義、無責任体質が変わらない限り、今後も同じような災害を繰り返すだろう。
(18/07/08)


   
    今回の雨で崩壊した高知自動車道立川橋の上部斜面。実は崩壊地の脇にトンネル坑口があり、その坑口は高知道の概略設計の時に、ワタクシが決めた可能性があります。但し橋は潰れたがトンネル坑口は無事だったようだ。
 あのときの方針は、とにかくトンネル坑口を守る、長大切土のり面は作らない(せいぜい5段まで)、橋はどうでもよい、だった。それに従って、道路のフォーメーションを基本計画より20~30mほど上げた。そのおかげで、今回の豪雨でも助かった箇所は沢山あるはずです。
 なおこの崩壊は、いわゆる深層崩壊に類するものです。
(18/07/11)
    昨夜来の雨で増水した高槻芥川。府道城西橋から上流を臨む。正面は阪急京都線の橋梁。桁下には未だ余裕はあるようですが、水たたきは水没し、かなり厳しい状況。運休はやむを得ないでしょう。
(18/07/06)
   増水で堤防に避難してきたミシシッピーアカミミガメ
    18年台風7号くずれの低気圧の影響で増水した湧別川に掛かる、北海道遠軽町の「いわね大橋」。中央橋脚が沈下しています。原因は典型的な基礎地盤の洗堀です。つまり、川の水が橋脚基礎の下をくぐって、土砂を洗い流した所為です。何故こういうことが起こったか?原因は次の二つのどれかです。
1)計画時の基礎形式の判断ミス。ボーリングをやっていなかったとか、やっていても、担当者がボーリングデータの見方が分からなくて、適当にやってしまったとか、である。
2)設計は妥当でも、施工業者が役所担当者とつるんで、基礎工事を手抜きしたとか。よくある話です。例えば国道112号八溝沢橋とか。酷いのは旧国道4号鳴瀬川大橋。図面では井筒(オープンケーソン)が入っているはずだったが、実際は木クイだった。とか。
 道路橋でも東北・北海道では、昭和40年代前半以前の橋の基礎は、あまり信用しない方が良い。
(18/07/05)