堤防決壊は安易な河道付け替えのせいか?・・・新潟豪雨に関連して


 平成16年7月、新潟・福島、福井豪雨の特徴の一つに、堤防が決壊したため、被害が拡大したことが挙げられる。このため、日本の堤防は強度的に弱いとか、防災計画にもっと余裕を持つべきだ、といった無責任な意見が、直ぐにマスコミから出てくる。余り強度の大きい堤防を作ると、決壊はしないが、逆に越流が生じて、被害が拡大する事もある(今回の豪雨でも、上流で破堤したから、下流の水位が一定以上、上がらなかったとも云える)。又、防災計画でも、仮に国内全部の河川を、100年確率で計画すると、直轄の一部の大河川を除けば、殆どの河川はOUTになる。従って、やれ河道を拡幅せよ、とか上流にダムをという話になる。喉元過ぎれば何とやらで、その内、環境主義者が巻き返しに出るので、何時まで立っても、埒が開かない。河川整備に、国論が一致しない現状では、こういうややこしい話には、誰も手を出さない。
 それはさておき、TVでニュースを見ていると、具体的にどの川か判らないのだが、破堤した位置が、何か地形的な特徴を持っているのではないか、という気がした。そこで、その点を検討してみたかったのだが、これだけのために、大阪から新潟に行くわけにも行かない。地形判読で最低必要な、1/25000地形図は、大阪では手に入らない。空中写真でも取り寄せるのに、2週間はかかる。これでは遅すぎる。そこでいささか手抜きであるが、つぎのような手順を採ってみた。
1)先ず、インターネットで国土地理院のホームページを開くと、1/25000地形図に被災状況を記入したものが見つかった(新潟県のみ)。これから破堤位置が確定出来る。
2)ところが、この地図は線や字がぼやけていて、肝心の細かい部分が読みとれない。おまけに、冠水地域等の色が塗ってあるから余計である。つまり、地形の変遷を読みとるには不便。
3)そこで(1)で判った破堤地点を、yaphoo地図情報にプロットする。この地図情報では、あまり細かいことは判らないが、少なくとも川の形ぐらいは判る。とりあえずは、その程度で良いだろう。
というわけで、とりあえず新潟県での、破堤位置の地形を調べる事にした。新潟県内の破堤位置は、国土地理院情報では5箇所、新潟県土木部調査では11箇所になっているが、これは、調査精度云々の問題ではなく、調査のタイミングや、調査対象地域の差であろう。新潟県土木部のhpでは、地図がラフ過ぎて破堤位置を特定出来ないので、今回は地理院情報のみを取り上げる。5箇所の破堤位置の内、河道の付け替えに関連すると見られたのは、次の3箇所だった。

 注;破堤地点は位置図中赤丸クロス位置

場所 位置図
三条市曲淵
五十嵐川左岸
五十嵐川が左に大きく曲流して、直線区間に入る切り替わり部分で破堤している。南には「諏訪新田」という地名があるので、もともと荒れ地(しばしば洪水に見舞われる)で、比較的最近に、河川改修が行われて、農地化されたのだろう。
 下流に「曲淵」というモノスゴイ地名があるので、この付近もかつては、もっと激しく曲流していたと考えられる。破堤地点下流の直線区間も、河川改修の結果と思われる。
 なお、上下流に神社が2箇所あるが、これの祭神が何かは、興味はある。水神或いは竜神社であれば、この地域はかつて何度も洪水があったことを、伺わせる証拠になる。
中之島町
刈谷田川左岸
 この地域は、地区界(2点鎖線)と河道が、複雑に入り組んでいることが特徴である。通常、平地では、河川を地区界にすることが多い。すると、地区界線がかつての旧刈谷田川で、現刈谷田川は、その河道を改修したものと考えられる。
 破堤地点を見てみる。右から曲流してきた河川が、ここから直線に変化する。しかし、旧河道はこの下流で右に曲流していたようである(地区界が湾曲している)。下流の直線区間は、旧刈谷田川を付け替えたものと推定される。
見付市宮之原町
刈谷田川左岸
山間の沖積平野である。上から曲流してきた刈谷田川の河道が、ここから直線に変化する。併走する道路の方向から見て、この直線区間は、圃場整備に合わせて、河道を付け替えたことは明か。


 以上、3例であるが破堤地点が、上流の曲線区間から、下流の直線区間に遷移する地点にあたり、いずれも河川改修の結果であることが判った。通常、自然河川は蛇行するものである。だから、直線への河道改修は”自然の摂理に反するモノである!”などと、一部の環境主義者なら云いだしそうだが、そうはならない。自然河川は、平時では静かに蛇行し、その周囲には、自然堤防が形成されるが、一旦洪水時では、上流の曲流部で破堤し、越流は下流の曲線区間を直線的にショートカットし、下流河道に繋がる。その間の曲線部は三日月湖として取り残される。ということは、曲線区間の直線への改修は、洪水時の越流路を人工的に作るのだから、河道を安定させる方向に働く筈である。では何故、曲線から直線への遷移部で破堤が起こったのか!
 上記3地域とも、平地の河川であり、河川断面が短距離で大きく変化することは考え難い。従って、考えられる理由は、(1)提体盛土の土質・構造、(2)基礎地盤の欠陥が挙げられる。
(1)提体盛土の土質・構造
 @破堤箇所に、特に透水性の良い材料を使用していた。
 A樋門等の構造物があり、裏込めが不十分で空隙が生じていた。
 B施工に手抜きがあり、盛土の締め固めが不十分だった。
 しかし、このようなことは何処でもあり、上記例に共通する、曲直境界に限られる性質のものではない。
(2)基礎地盤
 河道が屈曲するとき、カーブの外側には、砂や礫のような粗い粒子が堆積する(粗粒層)。河川改修の際に、掘削を河道のみに留め、且つ提体のみを盛土したとすると、曲直遷移部の下には、粗粒層がそのまま残ることになる。そこに洪水がやってくると、水は提体下の粗粒層に浸透し、提体下に高い揚圧力が加わる。粗粒層中の流速が一定限界を超えると、粒子の流失が始まる(パイピング)。この結果、提体基礎地盤が崩壊し、次いで提体自身の流失が始まる。上記3例はいずれも、曲線の外側で破堤している。従って、破堤地点の基礎地盤が、パイピングを生じやすい性質であったため、急速な流速の増大に対抗出来なかった。
 筆者個人としては、(2)の可能性が高いと思っているが、この点は今後の調査の結果で明らかになるでしょう。但し、堤防の改築では、パイピングの検討は必須項目である。通常は止水矢板等の対策が行われる。新潟県だから、どの河川も一級河川だろう。河川改修には、本省協議が必要だから、このような基本的な検討を怠る筈はない。だから、この点も不審といえば不審なのである。

 では、仮に基礎地盤に問題があったとして、基礎地盤を全線に渡って改良して強化すれば、被害は免れたでしょうか。答えは否です。流量が大きい場合、堤防は潰れないが、越流が生じて下流の被害は、更に拡大するケースが考えられます。
 笠掘ダムの緊急放水が被害をもたらした、という声が大きいが、これはどうでしょう。同ダムの調整曲線(新潟県土木部hp)では、8:00〜9:40頃に放流を開始し、12:10頃にピークに達している。通常は放流開始数10分前には、下流地域に通告が行く筈なので、10:00前後に三条市がダムの放流を知らない筈がない。しかし、新聞報道によれば、三条市が地元に避難勧告を出したのが、10:10〜11:40、実際地元に勧告が伝わったのは16:30頃とされる。やはり、行政の対応に問題があった、と云わざるを得ない。なお、ダムの水位は8:00頃から急上昇を始め、11:30頃にサーチャージに達している。放流しなければ、越流が始まる。最悪の場合、被害は更に拡大する。ダムが無ければどうなったか。ダムの調整量は約754万t。これが一気に来るわけではないが、河川水位上昇は、もっと早くなる。ダムは無いよりは、あった方が良いのだ。
 


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