オウム真理教とは

 


 読売によれば、法相の上川は死刑執行命令を出した後は、表情は暗かったらしい。本当でしょうか?5日の夜の赤坂自民亭では結構盛り上がって、はしゃいでいたはずだったが。3週間前に7人を処刑したかと思うと、今日残り6人を処刑。驚くべきハイペース。これを、近来にない名法務大臣とたたえる、大澤という辞め検弁護士。無論執行命令を出すのは法務大臣の上川だが、これも内閣の一員。オウム死刑囚の処刑には、ボスのアベ晋三の意向が強く働いたと考えて不思議ではない。
 なお、昼のワイドショーでは、どの局も、一切この件に触れていない。は。アベと其の官邸の思惑を忖度したのか?
(17/07/26
)

 オウム幹部7人の刑が執行されると、メデイアはオウム一色。テレビも大雨情報を除けば、オウム関連報道だらけ。その中で某テレビが夕方のニュースで、オウム後継団体であるアレフの中の映像を流していた。それを見ると、中央祭壇に飾られているのは、仏像ではない。
 一瞬の映像だったから詳しくは分からなかったが、あれはおそらく「踊るシバ神」。24年前麻原が逮捕されたとき、上九一色村オウム施設第4サチアンに飾られていたのも、確かシバ神像。筆者には、何故オウムがシバ神を尊崇するのか、よく分からないが、多分伝統仏教とは異なる方向を目指したのだろう。
 明確な証拠は無いが、オウムはおそらく後期密教の影響を受けたのではないかと思われる。密教はAD4世紀頃、北西インドでルージュヤナ(竜樹菩薩)によって創始された新思想である。空海はこれを初期密教(所作タントラ)、中期密教(行タントラ)、後期密教(ヨーガタントラ及び無上ヨーガタントラ)に分け、初期密教を雑密、中期密教を純密とし、これを最高経典として、日本に持ち帰った。また、後期密教は邪教として日本への持ち込みを禁止した。但しどの世界にも闇ルートと云うものはあって、平安中期には日本に持ち込まれ、武蔵国立川村の真言寺院で盛んに行われたので、これを「真言立川流」と呼ぶ。
 それぞれの違いをざっくり言えば、初期密教は個人のこころの病、つまり現世の悩み苦しみを救い安心を得ること、中期密教は前世の罪障を消し去り、純粋な存在になってを得ること。そのどれも人間は前世の罪障で定められた運命から逃れられないことになる。この運命の縛りから逃れる方法が密教の説く「現世利益」「即身成仏」である。
 一方後期密教は、それから更に進んで、運命を自在に操る方を説く。身近な例でいえば後期密教の呪文をとなえれば、競馬で万馬券をとるのも自由自在ということである。これは冗談だが、これが一番よく用いられたのが、「怨敵調伏」である。これを使って政敵を呪い殺したり、戦争を起こしたりするのも自由自在となる。
 しかしこれはあくまで調和を説く釈迦の路線とは異なるものである。従って後期密教は仏教とは全く異なる宗教体系とする考えもある。「オウム」とは後期密教経典の詩鈔の冒頭に据えられる呪文のようなものである。事件後、ダライ・ラマは「オウム」と云う言葉はタントリズムでは使うが、仏教では持ちない、と解説している。
 シバ神を尊崇し「オウム」と唱え、更に様々な奇跡を行えるとすることは、伝統仏教を否定する後期密教の影響下にあると考えられる。あるいは、全く異なる体系を作ろうとしたのか?その点は、オウム裁判でも全く明らかになっていない。
(18/07/07)