石器捏造と地学


                                                     技術士  横井和夫

 数年前に、考古学会だけではなく日本の話題になったものに「石器捏造事件」があります。ことの顛末はマスコミに詳しく述べられているので説明は省略します。

 筆者がマスコミ報道(その中にはこの件に関するシンポジウムの解説も含まれます)を読んで感じたことは、要するに、事を起こした藤村氏だけではなく、考古学者やマスコミ・市民も含め関係者があまりにも地学、特に地形学・地質学に対し無知であったということです。藤村氏の発掘論拠は大きく次の2点に絞られます。
1)ある地層から発見された遺物の年代は地層の年代で決定される。
2)古代人は(太陽をあがめているので)台地の東端に住もうとするから、そういう箇所を発掘すると必ず遺跡に当たる。

1)について
 これは東北大学名誉教授芹沢長介博士による、「層位は形態に優先する」という学理に基づいていると云われます。私の記憶に誤りがなければ、これは同博士のオリジナルではなく、考古学の祖といわれるオスカー・モンテリウス(
19世紀初頭のスウェーデン人)の思想と思います。当時のヨーロッパでは古代遺品の贋造が流行ったのでしょう。
 この学理は基本的に正しく、今回の捏造事件でも全く問題にはなりません。問題は層位とは何かという点の認識が不足していただけのことです。 層位とはある地層又は物質(化石・鉱物等)が、全体の地層層序の中でどの位置にあるかを示す地質学用語です。例えば洪水が起こって土砂が堆積した。幸いこの土砂の層が浸食されずに表面に固定され、更にその上に新しい地層が堆積したとすると、前の土砂の層は一つの層位を作ります。地層の上面が層位面です。層位面の年代が決定されれば、地層の中の物質の年代は決定されます。層位の決定は基本的にはライエルの「地層累重の法則」によります。

 上高森で考えて見ましょう。発掘された面はある時代の層位面を表します。石器はこの下から発見されているから、石器の年代は層位面の年代に相当するというのが藤村氏のやり方です。しかし、そうでしょうか。下の図はこの様子を模式的に表したものです。

(A)は何らかの層位面(過去の生活面)を表していると考えられます。一方掘削面(B)は現代に作られていますから、これは現代をあらわします。地層累重の法則により新しい層位面の上位にある物質(この場合は石器及び埋め戻し土砂)は周囲の地層よりは新しい。又、その上には何もないから、これは現代の物質ということになります。

 つまり、「層位は形態に優先する」という学理は崩れてはいません。藤村氏はこの点を考えないで自分勝手に層位を乱したのです。
なお、層位の決定は非常に難しく専門的な教育を受けた地質家でも相当の熟練が必要です。考古学をやりたい人はやはり一旦は地質学の訓練を受けるべきでしょう。

2)の問題
 これも地質学のトレーニングが必要になるという例です。彼の最大の誤りは、数10万年前の日本の地形が今と変わらないと錯覚したことにあります。中国やアフリカのような大陸では、数10万年経過しても基本的な地形は大きく変わらないかもしれませんが、日本のような変動帯では、数10万年も経てば相当に地形は変わります。現代日本に於ける生活地域の地形の基本が形成されたのは、せいぜい12万年前のことに過ぎません。
 数 10万年の間には、河川の浸食(特に2万年前のウルム氷期の影響が大きい)や地震(数10万年の間には少なくとも数100回以上の大地震を経験している)といった様々な変動に見まわれます。遺跡が仮に数10万年前に台地の端にあったとすれば、そのような変動にみまわれれば、台地の端から順番に崩壊が進んでいく・・・これは例えば斜面突出部に対しFEM解析を行えば顕かです・・・ので、現代にも台地端部がそのまま残っていることはあり得ないのです。更に遺跡のあった面が河岸段丘面であれば、その面は数10万年前には大きな川原か平野の真ん中なので、端そのものが存在していたはずはあり得ません。

 藤村氏は古代人の心になりきる前に、古代の地形を考える訓練を積んでいた方が良かったと思います。


最近、高槻市の図書館で「立花隆石器ねつ造事件を歩く」という小冊子を見付けました。立花隆が、この問題に関し、考古学や人類学の専門家と対談したり、自分の石器製作体験を語るというものです。この中で筆者の興味を引いたのは次の2点です。
   1)石器ねつ造犯人である、藤村副理事長と、東北大学考古学教室、考古学主流との関係。
   2)日本の考古学と他の学問領域(特に自然科学)との関係

 これらの問題は、日本の地質学と共通するテーマが少なからずあるからです。

1)藤村副理事長のおかれた立場
 彼は、大学で考古学の専門教育を受けたプロではない、アマチュアの石器マニアで、若い頃から東北大学考古学教室に出入りしていた。遺跡の発見、遺物の発掘に関しては独特の勘を有し、下手な大学研究者では足下にも及ばなかったらしい。その内、東北大学から旧石器遺跡の発掘調査を任されるようになり、遂に東北旧石器研究所副理事長という名前を与えられるようになったのである。しかしながら、問題は彼に対する東北大学の扱いである。旧石器遺跡に関する論文でも、彼の名前や発掘業績が引用されることは無かったと云われる。つまり、東北大学にとって、藤村は共同研究者でも研究協力者でもない、便利な「掘りや」だったのである。これが、彼の心の中に鬱屈したものを作っていたのではないか、と云うのが対談者の一人の説である。この理由でデータねつ造を行ったのなら、彼は深層心理の中で、研究者にたいする復讐心が芽生えていたことになる。
 しかし、一方で研究補助者が、研究者の意図を先取りして、データをねつ造するケースもある。その典型は、この間NHK-BSで放映された、シェーン事件である。これはアメリカのベル研究所に、実験補助員として勤務していたドイツ人シェーンによる、高温超伝導に関する実験データのねつ造である。この場合は、シェーンは主任研究員の意図を読みとり、それに合わせた実験データをねつ造していた。しかし、論文の殆どは共著の形で発表されている。シェーンはむしろ、名誉欲に駆られたと考えられる。
 実際に起こる、学問スキャンダルは上で挙げたパターンに留まらない。両者が混在していたり、更に学者間嫉妬や政治的意図といったややこしい原因によるものも少なくない。
 しかし、上で挙げた例で決定的に違うのはなんなのか?論文に名前が引用されているか、どうかです。これは、日米の差というよりも、学問成果に関する文科系と理科系の違いが大きいように思える。
2)他領域との関係
 ある対談者の曰く、日本の考古学者は、直ぐに「これは信じられるんですか」という。例えば、C14年代についても「これは信じられるんですか」となる。理科系の人間にとっての判断基準は、その理論が物理法則に照らして間違いが無いかどうかだけである。ところが、日本の考古学者にとっての関心事は、その方法が理論的にまともかどうかではなく、信じられるかどうかなのである。”信じる”という行為の最も典型的な例は宗教である。例えば、こういう話が紹介されていた。東北大学考古学教室に行くと、旧石器の標本が保存されているのだが、その中にはまとも見ると、とても石器とは云えないものがある。若手の研究者曰く、「あれはセリチョウ石器だよ」。ここで、明らかなのは、日本のある大学の考古学教室を支配するものは、科学ではなく宗教、だということだ。
 では、これをもって日本の考古学は遅れていると笑えるだろうか?地質学の世界でも、ほんの数10年前までは、似たようなことが行われていたのだ。
 


Newsへ