敦賀原発の活断層
 

紙屑はゴミ箱へ・・・・・政府の原子力規制委員会、敦賀原発活断層報告書。そもそもこの規制委員会設置法に違憲の疑いがある。最早カルト教団か中世異端審問官と化した原子力規制委員会、田中・嶋崎を地獄へ送ろう。地獄は放射能で一杯だ。なお中世魔女裁判で、多くの人々を処刑した魔女裁判官も、多くは自らが魔女裁判にかかり処刑された。


この記事は、先日テレビ朝日から「浦底断層なんか地形を一目見れば判る、とある記事に書いていましたが、どうすれば判るんですか」という電話があって、今から地形図を買いに行くのも面倒だから、グーグルアースで見て、それを当方のHPにアップしておくからそれを見て下さい」と返事をした。只同じHPにアップするなら、断層の位置だけでは面白くないので、例の「破砕帯」についても、解説と所見を加えておきました。


 原子力規制委員会が活断層の再調査を行うと発表。今年5月には「敦賀原発の断層は活断層として報告する」と云ったはずだ。それが何故今頃になって再調査になったのか?活断層となれば、敦賀原発は廃炉に追い込まれる。日本原電はそうなれば、訴訟も辞さずと警告している。これに驚いたのではあるまいか?現在の原子力規制法では、電力事業者は活断層でないことを証明する義務があるが、国側には活断層であることを証明する義務はない。これは著しい片務性で、憲法違反の疑いもある。又裁判となれば話しは別だ。告訴人(原電)がこれを捉えて、国側に活断層であることの証明を求めれば、裁判所だって無視は出来ない。国に立証を求めるだろう。国が立証出来なければ、国の敗訴になってしまう。当然原電は国側にこれまで懸かった費用弁償を求めることになる。それが嫌だから再調査し、活断層でないことを認めて和解ということでウヤムヤにするつもりだろう。
 そもそも敦賀原発1、2号機というのは、運転開始から40年以上経過している老朽炉である。そういう意味では廃止してもおかしくないし、今後は廃炉に向けて検討してかなくてはならない施設だ。ただし、それと活断層があるかどうかとは別問題である。
(13/12/18)

【力学が判らない地震屋・地質屋】
 敦賀原発活断層問題について、規制委員会はあのただの割れ目を活断層として報告することになった。とんだ日本地質学の恥さらしである。それはともかく、筆者は規制委員会報告を批判しない。それどころかその気にもなれない。当たり前だが、何の中身もない報告書を批判出来るわけがない。大の大人が幼稚園児の落書きをあれこれ批評できますか?
 その中で一つ気になったのは、副委員長の嶋崎が「これまでなんにも無かったのが不思議だ」と言う言葉(05/13毎日新聞)。一体これがどういう意味なのか、始めはよく判らなかったが、その内段々と意味が判ってきた。従来活断層には、地震時にのみ変位する「地震断層」と、経常的に変位する「クリープ断層」の2種類があるとされた。後者の発想が拡大して、活断層に沿う地形には地震のあるなしに拘わらず、必ず変状が発生する、従って人工構造物には必ず、なにか異常が発生する筈だ、という迷信を産んだ。現在でもこの迷信を信じている地震屋・地質屋、土木屋・建築屋は、数多くいます。筆者はこれをサンアンドレアス断層症候群と呼びます。
 浦底断層は数千年前の活動証拠があるとされるが(これもどれだけの証拠か疑わしいが)、再活動サイクルは不明である。又、敦賀原発は完成後40年ぐらいにしかならない。この間、浦底断層を起震源とする地震は発生していない。従って、地震を原因とする損傷など発生する訳がない。ところが、嶋崎はD-1破砕帯は活断層であると信じている。従って、彼の頭には「D-1は活断層だ。だから何か在ったはずだ。何にも無かったのが不思議だ」という論理展開になるのです。
 サンアンドレアス断層とはアメリカ西海岸、カリフォルニアからロサンゼルス近郊までを走る活断層です。筆者がこの断層を習ったのは学部の三回生、今からざっと半世紀近く前。その時、驚いたのが断層沿いの経常変動。断層の左右の土塊がズルズル動く現象である。これはクリープ断層と呼ばれ、サンアンドレアス断層の一つの特徴とされた。そしてその後、これがそっくり日本の活断層研究に持ち込まれ、擁壁や橋梁などの人工構造物に損傷が見られると、活断層との関連で説明されることが、ある時期流行となった。
 筆者は大学卒業後、主に土木地質の分野で地質調査を行ってきた。その中には当然活断層近傍も含まれる。地質調査の過程では、既存構造物の損傷状況に注意を払う事は非常に重要である。その経験で云うと、既設構造物の損傷で活断層由来と認定出来る者は全くない、ということである。構造物損傷の原因は、(1)設計段階での間違い、(2)施工の瑕疵、(3)構造物周りの応力不均衡である。(3)には地盤が関係する事もあるが、それが活断層に関係することは全くない。盛土や河川堆積物等の軟弱地盤、地すべり・崩壊・盤膨れ等の移動・膨張地盤が原因である。
 では50〜60年代、サンアンドレアス断層で見られた経常変動は一体何だったのでしょうか?それはアフタースリップを、経常変動と錯覚した所為と思われます。アフタースリップとは、大きな地震が生じたとき、その後長期間に渉って変位が継続する現象です。これは地震後数年〜10数年に渉って続く事があるので、経常変動と錯覚しても不思議ではない。しかし、これは日本国内では確認されたことはなく、浦底断層やD-1破砕帯のようなマイナー構造で発生するはずがない。
 活断層と言っても、しそれは地殻表面での物理的実態に過ぎません。その挙動はその周辺での物理的条件で決定される。しかし、この迷信下では、しばしばないことが在るように受け止められてしまう。更にそれをアホな地質屋や地震屋、もっとアホなマスコミが大きく取り上げるから、さらに迷信が拡大再生産され、更に現在の反原発運動のような北朝鮮支援活動に利用されてしまうのです。バーバラタックマンの「八月の砲声」によると、ドイツの騎兵斥候は「見えないものも見てしまう」特技の持ち主だったそうだ。この結果ドイツ参謀本部は状況判断を誤り、結局敗戦の原因を作ってしまった。嶋崎や原子力規制委員会はこのドイツ斥候と同レベルである。
 なお政府はこの紙屑報告書を受け入れる可能性がある。それは7月参院選睨みで、科学・技術のレベルではない。もし政府がこのデタラメ報告書を是とした判断をしたなら、日本原電は当然行政訴訟に訴えるべきであり、更に原子力規制委員会に法外な権力を付与した設置法そのものの違憲性を訴えるべきである。筆者は現在の原子力規制委員会の速やかな解体と、人心一新を必要と考える。日本の将来を知能指数50以下のアホ(田中と嶋崎)に委ねるべきではない。
(13/05/22)

 これが原子力規制委員会が活断層の証拠として挙げているD-1破砕帯の写真です。これから判断する限り、D-1破砕帯は活断層なんかではなく、しかも断層ですらありません。

図-1 図-2

 図-1で矢印で示した細い筋が「D-1破砕帯」と云われるものです。破砕帯の規模には制限はなく、元々の岩石・鉱物が二次的に潰れて、それがゾーンで連なっておれば、それが顕微鏡でしか見えなくても破砕帯になってしまう*。しかしそれは岩石学的認識であって、構造地質学ではもっと大きなオーダーで認識する。その基準はマッパブルであるかどうかである。マッパブルとは地質図上に表現し得るかどうか、という意味である。地質図は地形図を用いて作られる。従って使う地形図によって、表現出来る断層規模が異なる。活断層調査の場合、2.5〜5万分の1オーダーの地形図が一般に用いられる。図-1を見てみよう。図の矢印で示した、画面中央右上から左下に伸びる肌色の筋がD-1破砕帯である。横の梯子の大きさから推定すると、この破砕帯の幅はせいぜい5〜10p、とてもマッパブルと云える代物ではない。又この破砕帯は一見直線状に伸びているように見えるが、よく見ると、スパッと綺麗に切れているのではなく、側部が微妙に波打っている。図-2はトレンチ側壁部を拡大したものである。筋の延長をD-1破砕帯とすると、これはトレンチ斜め左上方向に70゜位の角度で傾斜していることが判る。しかし底面と異なり、破砕帯は不規則に乱れており、一部は別方向に枝分かれしている。こういうことは断層では絶対に起こらない。そして明確な剪断面のようなものは見られない。以上の点から、この破砕帯は断層というより、岩盤の割れ目を充填する二次生成物で、おそらく割れ目が出来たと同時に浸透してきた熱水が固結したものと考えられる。これを破砕帯と呼ぶのには、筆者は大変抵抗があります。従って以下単にD-1と呼びます
 掘削面には他の方向の割れ目(剪断節理)が発達する。ネット写真のため不鮮明だが、D-1はこれらの割れ目系に対し変位を与えていないのではないか、と思われる。もし与えていなければ、D-1は断層でも何でもない、と言うことになる。又、断層というものは岩盤の剪断破壊によって生じるものだから、その周囲には、ガウジ・カタクラサイト等の破砕岩やシュードタキライトのような溶融岩による独特の断層構造が発生する。D-1周辺にそのような要素を認めるのは難しい。なおこれらの要素は第四紀断層の場合、誰が見ても直ぐにそうと気が付かねばならない性格のものである。

 一般に活断層調査は次のステップを踏む。
 1)認められた構造(リニアメントであれ、物理探査の異常帯であれ)が断層であるか否かの認定。
 2)断層と認定された場合、それが活断層であるか否かの認定。
 原子力規制委員会は1)のステップを省略して、いきなり結論に奔ったきらいがある。これは経験不足の研究者・技術者によく見られる現象である。最近の地質屋にも結構多い。

 ではどうすれば良いか?筆者は原点に帰り、1)のステップから始めるのを推奨する。これは単なる学問的興味のためではなく、今後の訴訟を維持する手段です。
1)D-1の脇の岩盤を剥がし、側面を観察し、ストリエーション(断層条痕)があるかどうかを調べる。これも単なる目視観察では説得力に欠けるので、レーザースキャナーとか、斜めから光りを当てて凹凸を強調するとか、コンピューターによる画像強調処理をやるなどの工夫が必要。
2)かなり高度なテクニックを要するが、D-1に直交するセクション(薄片)を作り、X-線スキャナーでD-1内部及び周辺岩盤の内部構造を観察する。これに平行して、特定の元素に着目して、その濃度分布を調べる方法も考えられるが、さてどういう元素を用いるべきか、それは今後の検討を要す。Fe 、U、Thなどが考えられるがどうでしょう。
3)周辺岩盤の岩石学分析を行い熱履歴を調べる。
4)D-1充填物質の生成年代を調べる。方法としてはFT法やESR(電子スピン共鳴)法が挙げられる。但し上手く調べられる石英などが見つかるかどうかは判らない。後者についてはダイヤコンサルタントに問い合わせること。
5)上記4項目に対する第三者鑑定人を容易すること。
 
 上記5項目の中で一番難しいのが5)です。今の世の中、わざわざ電力会社の肩を持って、敢えて火中の栗を拾おうという根性のある学者なんかいない。現に地質学会会長まで逃げ腰だ。クワバラクワバラ。それは別として、これまでの原電(実態はダイヤコンサルだろうが)の地質調査や追加計画調査計画を見ると、疑問の点が幾つかある。
1、何故弾性波探査をやっていなかったのか?この様な面開発では、弾性波探査は単に地質構造調査だけでなく、工事費積算等地山評価の根拠資料になる。又耐震設計の境界条件を決める資料にも使える。
2、断面図にも平面図にも地山分類が記入されていない。だから地山の硬軟や工学的性質がイメージされない。通常電力施設なら電研式岩盤分類をやるはずだが、何故やらなかったのだろう?地調に嫌がらせをされたのか?地調と電研は中が悪いからねえ。
3、これまで提出された追加調査計画では、相変わらずボーリング中心だ。別にボーリングをやるな、とは云わないが、こんなこと何時までやっていても埒は明かない。裁判に勝とうと思えば、別の発想が必要だ。

*地質現象の見方には大きくマクロスコピック(地質図オーダー)、メソスコピック(露頭オーダー)、マイクロスコピック(顕微鏡オーダー)がある。最近ではテクノロジーの発達によりメガスコピック(衛星写真オーダー)、ナノスコピック(電子顕微鏡オーダー)が付け加わってきた。活断層問題は対象が人間の社会生活への影響だから、基本的にはマクロスコピック〜メソスコピックオーダーを基本にすべきであり、徒に僅かな現象に拘るべきではない。 
(13/04/01)

無知の極み、冤罪の巣窟ー原子力規制庁
 そもそも、筆者は委員会なるものを信用していない。委員会は完全に客観的状況から産まれるものではない。委託者がまずいて、その委託に基づいて委員会が出来るのである。と言うことは、委員会そのものが発足当初から委託者の影響を受けていることになる。「いやそんなことはない、我々はあくまで独自の判断に基づいてやっているのだ!」と反論するでしょうが、ワタクシの眼では、「そんなことはない」ことこそがないのである。委員会も組織である。トップに委員長があり、サイドに委員会事務局とかなんとかという現実主義者が陣取る。委員長も事務局も実は委託者の息が懸かった実務屋である。そういう構造の中で行われる、一見第三者的且つ客観的パフォーマンスが委員会なのである。しかもこれを公開の場でやれば、委託者の意図が更に強化されることになる。
 敦賀原発の件についてあちこちサイトを見ていたら、「上載地層法」なる言葉が出てきた。原子力規制委員会はこれを使って破砕帯(D-1)の年代を検討せよというお達し。さて「上載地層法」とはどのようなものか?筆者は永年活断層に関する問題を扱ってきたが、こういう言葉は初めてだ。世の中には、ワタクシが知らない調査法があるのだ。そこでこれをネットで検索してみると出てきました。一つは(株)ダイヤコンサルタント、それと日本原電による規制委員会への解答書と調査計画書(といっても、実態はダイヤがこしらえたものだろうが)。なお、ここで引用している図面は全て日本原電HPで公開されているものなので、興味のある方はそれを参照して下さい。
1、上載地層法について
 ダイヤコンサルのHPによると、これは何も特別なものではなく、活断層調査では日常的に行われているものである(ナアーンダ馬鹿らしい)。これの原理は次のようなものである。まず地層が地表から順にA、B、C、・・・・と重なっているとする。それぞれの形成年代をTA、TB、TC、・・・・(TA<TB<TC<・・・・・)とする。ここに断層が入ってきて、断層がB、C層は切断しているが、A層に覆われているとする。このとき断層の形成年代TFはTA<TF<TBとなる。地層の区分と地層年代精度を高めれば、断層形成年代の精度も高くなる。ただそれだけの話しである。この方法は何も活断層だけでなく、古くから岩脈やマグマ等火成岩の形成年代決定に使われてきた(地層を岩石と呼び変えれば良い)方法で、上載地層法はそれを活断層に応用したに過ぎない。何故こんな地質学の世界では古典的且つ自明的な方法を、わざわざ難しい言葉で呼ぶのでしょうか?そのセンスが判らない。
 但しこの方法は簡単なようで難しい。その第一の理由は、層準の認定である。地層はただの土の塊ではない。地層は(1)共通の属性を持つ物質の集合体が(2)地殻表層に固定されたものである。地層が形成される時間は堆積環境や物質によって千差万別で、例えば1mの地層を作るのに、あっという間で済むのもあれば、数万年懸かることもある。更に出来てから今までの間に、様々な変動を受け、変形する。又、堆積環境によっては地層形成過程で既に傾斜が加わっていることもある。現在我々が住んでいる社会では、ある場所の高さを客観的に示す指標として海水準を用いる。これは海水面の高さからの相対高さである。一方地層の中では、地層中のある一点と別の一点との海水準が同一であっても、先に述べた理由から、それらが同一時期に形成されたとは云えない。そこで、地層の中の特定の部分を基準に、相対的な地層形成順序を決める方法が採られる。この特定部分が「層準」である。では「層準」とは何で決められるか、と言うというと、一般には極めて短期間に広域的に形成される地層が基準層(鍵層ーキーベッド)として用いられる。「層準」「鍵層」はローカルには、調査者が任意に決めても構わない。筆者など実際の調査では、適当に「これをキーに使おう」として調査の基準面を作るのである(基準面を作らないと地質調査など出来ない)。これは私的な話しだが、広域的には火山灰(テフラ)や特定の化石帯、或いはイベント指標層(例えば白亜紀末のイリジウム濃集層)が用いられる。

2、上載地層法で何が判ったか?
 上で述べたように、この方法が使えるのは堆積岩、それも活断層調査に限定すれば、第四紀最新世以降に形成された堆積岩に限られる。処で敦賀サイトの地質は白亜紀後期に併入した花崗岩であって層理というものを持たない。こんな処に上載層法など使えない。日本原電の解答書を見ると、敷地の北西隅に崖錘斜面があり、そこでやれ、ということだったのだ(誰がやれと言ったのか知らないが・・・・議事録が公開されていないので・・・多分規制委員会の誰かだろう)。
 下図は委員会の指示に基づいて原電が行ったテフラの分析結果である。ここで層準決定に寄与出来るのはK-At(鬼海アカホヤタフ・・・・6.3Ka)のみである。

 もしテフラが特定の層準を形成するなら、それは極狭い領域に分布するはずである。しかし上図ではそのような現象はなく、地上から0.1〜0.2mの間にやや濃集部があるのみで概ね満遍なくばらついている。つまり塊なのである。この図から云えるのは、かつて6.3Ka前に鬼海が島カルデラの噴出があり、その倣出物の一部がこの地域にも降下した。その後地表面の浸食崩壊により崩積土が斜面に堆積した。この崩壊堆積は一度ではなく数次に渉り継続する。その結果、図のようなテフラの分布は特定層準に偏らず、図のような分散型になった。この図から云えるのはこの斜面堆積物はK-Atの倣出後に形成された。これは活断層の形成とは何の関係もない。つまり、この地点では上載地層法は活断層認定の手段になり得ない。それだけである。

3、その他の問題について
 ここでは、原電の反論について気が付いた点をいくつか述べておく。
3・1破砕帯の形成時期
 日本原電(実体はダイヤコンサルか?)は、問題のD-1破砕帯の形成年代を岩脈を使って検討している。下図は敷地北方の3、4号機の掘削面での地質平面図だが、北方海岸沿いにドレライト脈を記載し、且つこの年代を中新世(21my以前)としている。ドレライトとは一般には変輝緑岩と呼ばれる塩基性半深成岩(通常岩脈として産出する)であるが、中新世に山陰地方では塩基性火成活動はない。近畿〜中国地方では白亜紀末〜古第三紀にかけて始まった花崗岩活動の末期にヒン岩の貫入がよく見られる。多分これはその一つと思われる。つまり、ここで云うドレライトとは他地域でのヒン岩脈と考えられる。の年代を21myとしているのは放射年代根拠があるのだろう。そうすれば、これは白亜紀以降近畿地方北部の火成活動史と矛盾はない。

 原電はこの図から岩脈を変位させている破砕帯(赤色の線)はなく、従って、破砕帯形成時期は岩脈貫入以前と主張している。だとすれば、これら破砕帯は中新世の21my以前に形成され、近畿北部ではそれ以後の地殻変動はなかったことになる。
 そんなことはない。近畿地方ではむしろその後の第四紀の方が地殻変動は活発になっているのである(所謂六甲変動)。全体の破砕帯の方向から見れば、破砕帯の大部分は第四紀に形成されたと見るべきである。何故岩脈で変位が認められなかったか?それは筆者も現地を見ていないので明確には云えないが、花崗岩とヒン岩との物性の差が大きいように思われる。問題は掘削面に現れた破砕帯をどう評価するかである。一つの破砕帯でもその破砕状況は一様ではなく、場所により様々に変化する。例えば見かけ上軟らかい粘土が充填している破砕帯でも、少し離れれば角礫の集合体に変化することは、ある程度断層調査を経験した人間なら誰でも気づくことである。
上図はその変化を考慮せず、破砕帯を一律に表現している。これが誤解を産む素にになっている。この図は単に原発セット面に於ける状況を示したに過ぎず、地下深部ではそうはならないことに注意すべきである。

3・2破砕帯は何処まで続くか?
 下図は原電が出したサイト直下の地質推定断面図の一例である。この図は現在はやりのコンピューター地質図学の悪しき典型を表しているように思われる。

 この図では地表面(掘削面)で確認された破砕帯(図中赤線・・・この言葉には今も筆者は違和感を憶えるが仕方がない)の走向傾斜を、地下にそのまま延長しているだけである。これを見ると如何にも破砕帯が地下深部まで続いているように見える。これはコンピューターを使って作図するからそうなるので、現実にはあり得ない。地表面で明瞭に現れている割れ目が、地下深部では見えなくなってしまうことはしばしばある、というより殆どそうなのである。この点については誤解・・・特に工学系の人達に・・・も多い。見かけだけで云うと、「地表付近で断層に見える割れ目も地下深部に行くと消えてしまう」。実際は地下深部では見えないような(密着した)割れ目(と言うより単なる鉱物のズレ)が、地表近くになると次第に開いてきて、断層のように見えてしまうのが実態なのである。この原因は、応力解放や構成鉱物の熱膨張率の差(これは花崗岩などの完晶質の岩石で顕著になる)が挙げられる。一旦こういう原因で割れ目が開くとそこに雨水が浸透し、凍結・融解などおの機械的原因、或いは硫酸塩鉱物の膨張などで割れ目が更に開き、あたかも断層のような様相を呈する事になる。我々工学の縁があるものはそれらの内、施工にとって問題を生じそうなもの、或いは資源(地下水や温泉)開発に影響を与えそうなものを選んで”断層”と呼んでいるわけで、所謂「活断層」とは概念が全く異なる。原電の地質図は工学的判断に基づくものである・・・多分そうと思う。但しそうならもっと図の描き方に工夫があっても良さそうだ。そういう意味で工夫が足りない。又、規制委員会はその両方をゴッチャにしているようだ。

3・3D-1破砕帯とは
 そこで問題なのはD-1破砕帯の実態。D-1破砕帯とはどういうものかを調べてみたが、よく判らない。処が灯台もと暗しで原電資料に下図のような資料がありました。

露頭写真 露頭スケッチ

 上の左が原子力規制委員会(要するに国)が、活断層の疑いが消えないと主張するD-1破砕帯の現状です。さてみなさん!この写真で何処が断層か判りますか?写真のほぼ中央に窪みがあるが、この付近の岩盤強度が低下しているので、この辺りと見当を付けて掘り込んだだけではなかろうか?断層にも色々あって、例えば先白亜紀テレーンの境界断層のような古い断層の認定は非常に難しいが、ネオテク断層(活断層は無論ネオテク断層の一つ)のような新しい断層は、構造が殆どそのまま保存されるので・・・・筆者が他の記事で紹介しているように・・・誰でも見ただけで判る。まして活断層なら露頭をわざわざ掘削整形しなくても、そのまま現れるているのが普通。その普通じゃないところが、この破砕帯=活断層の異常なところ。右の図は断層露頭のスケッチだが、ここで破砕帯と認定しているのはたったの0.3m。確かに第四系の段丘礫を斬っている断層には幅2pぐらいのもあるが、あれは地表地震断層と言って、地下深部の断層で出来た割れ目が地表に現れたものに過ぎない。深部の基盤岩ではもっと幅が広いものだ。敦賀半島は立派な基盤岩地帯。活断層なら幅は少なくとも数mのオーダーはあり、明瞭な断層面、横ズレストリエーション、緑色ガウジ(モンモリロナイトとかクロライトなどの粘土鉱物が出来る)等の断層イベント物質を伴うはずである。それがない、と言うことはこのD-1破砕帯は活断層どころか断層ですらないとしか考えようがない。、

(13/03/16)

 

活断層の定義が又変わるそうです。活動時期が、何年か前までは5万年ぐらいだったはずが、去年17万年に変更になり、今度40万年まで遡ろうという話し。云っているのが、東大地震研の島崎というインチキ野郎。これまで地震研が一度でも地震予測を的中させたことがあったでしょうか?それどころか失敗ばっかり。イギリスからの留学生からも無能呼ばわりされているのだ。
 そもそも学問研究のベースになる定義がこんなにコロコロ変わるようでは、日本の活断層研究は学問の躰をなしていない、一部の業界や官僚・学者によって弄ばれてきたということだ。国際的大恥である。これまでの活断層研究者は頭を丸めて引退すべきだ。「活断層研究会」は速やかに解散し、地形屋を追放した上で応用地質学会に統合すべきである。
(13/01/18)

あんなものが断層か!

 敦賀原発問題で昨年最大のペテンがこれ。12月10日に原子力規制委員会が、いきなりこれまでの議論をうち切り、問題の「破砕帯」を活断層にしてしまった。根拠はなにも判らないまま、現地調査団のメンバーが活断層ではないとは云えないなどと、粗雑且つ非科学的メンタル言い訳で逃げたからである。これに対し、ある人物(古賀という元経産官僚で、今や大阪維新のブレーンとなっている怪しい人物)が、あんなもの始めから決まっていた、などと怪しい発言をしている。日本の原子力行政を担っているのは、云うまでもなく経済産業省である。この省の内部機構は結構細分化されていてややこしいのだが、70年代オイルショックを受けて、資源エネルギー庁を創設し、基本的なエネルギー政策を外局であるこれに移管した。この庁の政策方針が、日本の資源エネルギー確保の点で一貫しておれば問題は無い。しかし、日本の官僚機構は・・・iPS細胞顔負けの・・・ある方向に自己増殖するという本能を持っている。
 資源エネルギー庁で原子力政策を担ってきたのが電力・ガス事業部。これに対し太陽光や風力・地熱を担当するのが省エネルギー・新エネルギー部。かつては圧倒的に原子力部門の力が強く、所謂「原子力ムラ」を作ってきたのは周知の事実である。しかし3.11福島第一原発事故以来、両者の力関係が変わってきた。新エネ部が強くなってきたのである。具体的に云うと、予算の配分が新エネ部門に有利な状況になってきたということだ。彼等にとって、ここで原子力ムラを潰しておかなくては自分達の天下は長続きしない。そのためには何処かの原発を血祭りに上げなくてはならない。どうすれば血祭りに上げられるか?それは活断層を活用することである。活断層だろうがなんだろうが、どっちでも構わない。アホなマスコミなど直ぐにこっちの術中にはまる。その罠にはまったのが、関電大飯と原電敦賀というわけだ。この新エネ官僚の描いた筋書きに、すっぽりはまってくれたのが、東洋大の渡辺とか、産総研の杉山といったマヌケ、或いは島崎のようなノーテンパー達。彼等は果たしてただのアホかそれとも確信犯か?元経産の古賀の云うところを敷衍すると、大体こんなところだ。そしてそのバックにいるのが、ソフトバンクとか楽天とかの、新興IT企業連だったらどうする。
 それはともかく、この問題については前々から疑問に思っていることがある。
1)規制委員会は電力会社に対しては、活断層ではないことを証明せよ、というが、自分は一向に活断層である、という証拠を示さない。ただ単に「疑いを消せない」とアホの百万弁を繰り返すのみである。
2)活断層以前に、これが断層だ、という決定的証拠写真を出さない。出さないのではなく、出せないのではないか?(大飯原発では何枚か写真は出たが、敦賀ではNHKがほんの数秒流しただけで、他のメデイアはダンマリである。そのNHKの映像も、筆者が見た限りでは花崗岩の中にうっすらと筋が入っているだけで、とても断層と云えたものではない。ただの熱水変質帯である。規制委員会現地調査団は破砕帯と変質帯の区別も出来ないのだ。)
3)電力会社の抗議に対しても無視するのみで、真剣に答えようとしない。答えないのではなく、答えられないのだろう。

 原発再稼働とかいう前に、活断層か否かという学問的判断を、現在の現地調査団などという、シロートに毛が生えた様な幼稚集団に任せたのが問題の素なのである。

 なお、原子力規制委員会や現地調査団には原発停止・再開を決める権限はない。出来るのは経済産業大臣だけである。もし、大臣がこれまでのようないい加減な調査結果を是認すれば・・・・これはイタリアの地震学者有罪判決に匹敵する誤判断として記録されるだろう・・・・、事業者側としては」行政不服審査」に訴える事が出来る。つまり行政訴訟だ。そして裁判をやっている間中、原発を運転する事もできる。裁判の場で決着を付けた方がよいだろう。
(13/01/03)

【若狭湾の津波と気比神社】
 本年夏に、敦賀市東方の「中池見湿地」で、津波痕跡確認のためのボーリングが行われた。電力会社側はボーリングコアに津波堆積物の痕跡は見あたらなかった、と報告した。ところがある委員が「そんなはずはない、Xー線スキャナーもやっていない、わざと津波のなかったところを選んだろう」と大変なご立腹。しかし、津波堆積物など、Xー線で見なきゃ判らないものでしょうか?あんなもの見れば直ぐ判るはずです。Xー線で見なくては判らないようでは、よっぽど岩相判定能力が無いということ。目玉は有っても、頭の中はカラッポということか。こんな能力不足の人間に、判断を委ねて良いのでしょうか?調査を行った中池見湿地は、筆者も何度か横を通ったことがあるので大体判るが、周辺を砂丘で囲まれ、外部からの影響・攪乱が無いということで、これ以上の場所は敦賀市近辺では見つからない。後は三方五湖とか他を調べなくてはならない。調べても無駄でしょう。もともとないのだから。
 さて、敦賀には気比神社という神社がある。これは大変古い神社で、もし有史時代に津波があったとすれば、この神社の社伝を調べればわかるだろう。又この神社は波打ち際にあり、過去に津波被害に遭えば、更に高地に社殿を移しているはずである。例えば、大阪の住吉大社は元々は下の住之江公園の辺りににあったのを、神宮皇后が現位置に移したと云われる。その理由は定かではないが、南海地震に伴う津波の影響とも考えられるのである。なお、この神社は実は現在の皇室起源とも関係がある。
 気比神社の祭神は「気比の大神、亦の名イサザワケノ神」。古事記では1)神宮皇后*の頃、皇子(後のホムダワケノミコト、応神天皇)が禊ぎのため武内宿禰に連れられてここ越前敦賀にやってきた。2)その夜、宿禰の夢枕に気比の大神が現れて、「我が名をもって皇子の御名に易へんと欲ふ」と宣う。それに対し宿禰が「かしこし、命のまにまに易えたてまつらん」と答えると神は消えた。3)翌日浜に出てみると、浦一面に「鼻に傷ついたイルカ」が集まっていた。という話しである。
 まず疑問1)だが、皇子が禊ぎにやってきた理由は、敵軍に追われ葬船に乗って逃れたので、穢れを払うため敦賀にやってきたと云われるが、禊ぎだけなら住吉浜でも出来るし、木津川でも出来る。何故わざわざ遠い越前敦賀まで来なければなかったのか?2)の名前交換の話しだが、これには諸説があって未だ決着を見ないようだ。ここで筆者は新たな考えを提示するが、それは後に述べる。最期に3)イルカの件である。イルカとは何者か?
*神名はオキナガタラシヒメノミコト、オキナガ氏とは琵琶湖東部の水運を支配していた水族である。
 3)のイルカ出現エピソードは、彼等がイルカ捕獲=捕鯨を生業とする漁業民であることを意味する。イルカは哺乳類クジラ科の生物で所謂魚とは異なる。その違いは解体してみれば一目瞭然。魚と異なり、クジラ科生物は人間と同じ生殖器を持つ。更に魚は胎内に卵を持つが、クジラ科生物は卵は持たず、場合によっては胎児をもつことがある。この点から、日本人は魚と鯨・イルカとは異なる生物と認識していたはずなのである。クジラ科生物の捕獲は一般魚類とは異なる技術が必要である。彼等を仮にケヒ族と呼ぼう。即ち、気比大神とは、彼等捕鯨漁業民のシンボル・神であると考えられる。浜に現れたイルカはケヒ族戦士団ではないだろうか?鼻に傷があることの意味はよく判らないが、この場合の鼻とは身体器官の鼻ではなくハナ、即ち先端を意味するハナと解釈すると、彼等はみな歴戦の勇士という意味に取れる。
 次ぎに2)の問題である。大神の要請によって名を交換したのだが、さてどういう名になったのか、そもそも元々どういう名前だったのかも、記紀には何も記されていないので、さっぱり判らない。そのためこの点については、古来から様々な解釈が行われているが、どれも説得力はない。中には名は魚(ナ)の意味で、名と魚を交換したのだ、というのもある。しかし、何で皇子とも有ろう者が名と魚を交換しなければならないのか?魚など朝に市に行けば幾らでも売っている。ここで重要な事は、名をどういう意味と解するかである。現代では名とは、個人を識別する単なる戸籍謄本上の記号に過ぎないが、かつて封建時代では、個人の実体そのものを表すシンボルであった。三波春夫の俵星玄蕃「命惜しむな名をこそ惜しめ」のように、名とは武士の地位・身分だけでなく自分の生き様を示すものであった。つまり、人々は「名」によって個人を評価した。古代・中世ではどうか。平安末期には既に大名・小名という区別が出てくる。つまりここでは、領主が属する集団・部族の、土地・財産・住民・軍事力全てを包含した財力を表すものと考えられる。このエピソードから考えられることは、気比大神(=ケヒ族の長)が武内宿禰に、自分の持っている力(武力)をあなた方に貸そう、その替わりあなた方も私たちに「名」を与えてくれ、という意味であろう。
 ではこの「名」の交換取引は何のために行われたのか?これは疑問1)に立ち返って考えなくてはならない。まず当時の大和の状勢がどのようであったか?を考える必要がある。先年、先帝仲哀がみまかった。1年の服喪の後、皇后オキナガタラシヒメノミコト(=神宮皇后)は三韓征伐の途についた。このとき既に皇后は長男(=ホムダワケノミコト=応神天皇)を身ごもっていた。その後、皇子を出産するのであるが、これでは数字が合わない。皇子は実は先帝の子ではないのではないかという疑問が現れる。実際鎌倉時代に、ある禅僧が、応神は仲哀の子ではなく、タラシヒメと武内宿禰との不倫の子だろうと喝破している。皇子の出自に疑念が出されれば、国家は安定しない。各地に反乱の火の手が上がった。これを避けるために、皇后が皇子を禊ぎに名を借りて敦賀に避難させたのが実態だろう。
 では何故敦賀なのか?それは敦賀という土地の、地政学的位置付けに関係する。敦賀は、北陸道と近畿を結ぶ交易上・軍事上の要衝である。敦賀から北陸道を南に下り、木の芽峠を越えれば近江の国。更に下れば今津港。ここから船に乗り、長浜、大津浜を連ねる琵琶湖湖岸ルート(このルートは時計回りの湾流によるもの。コリオリ力により支配される)。琵琶湖北胡は、古代からの重要交易ルート。そして琵琶湖東部の水運を支配していたのが、神宮皇后の実家であるオキナガ氏。地理的親近性から見て、オキナガ氏と敦賀のケヒ族が協同・同盟関係にあり、或いは縁戚関係にあったと考えて不思議ではない。大和が騒乱状態になった時、皇后が我が子を最も信頼出来るオキナガ=ケヒ族に委ねたのは不思議ではない。
 その後、タラシヒコは天皇に即位し、後に応神天皇と呼ばれるようになった。これが「名」の交換の実態である。ケヒ族=気比の大神は軍事力を皇子に与え、逆に皇子が即位した後は、若狭湾の漁業権とか、社領の増大・社格の向上という「名」を得たのである。ではケヒ族ーオキナガ氏が実力を貯えたのは何か?北陸から近畿に入る物資には、米・水産物の他鉄製品やヒスイなどの宝玉品が挙げられるが、中でも重要なものは塩である。日本で塩の生産が瀬戸内、東海地方に移るのはズーット後の話し。古代では山陰ー北陸地方が塩生産の中心地だったのである。大和では塩を生産出来ない。塩の交易ルートを抑えられればお陀仏だ。皇子が大和を制圧出来たのは、敦賀を経由するケヒ族ーオキナガ氏の軍事力、経済力がバックにあったのである。
 そこで話しはメデタシメデタシで終わるのだが、そうはいかない。応神帝より10代、武烈帝は大変猜疑心が強く、皇位継承権者をみんな殺してしまった。その結果彼が死んだ後、皇位をつぐものがいなくなった。天皇がいなくなれば国は荒れる。卑弥呼時代の混乱に戻るfだけだ。これはイカンと思っているところに、越前敦賀に応神の縁戚に連なるオホドノオオキミなる者がいることが判った。応神に連なる者は彼一人である。だから彼を大王の座に、と言っても大和諸王はあれやこれやとイチャモンを付けてなかなか決まらない。決められない政治は今に始まったことではないのだ。そのため、オホドは16年も待ちぼうけを喰わされた。何処で待っていたかと云うと摂津三嶋郡。結局物部氏がオホド支持に廻って無事即位。後の継体天皇である。ここで出てきたのが三嶋郡と物部氏、それと北陸ー琵琶湖ルートとの関係。三嶋郡の王である三嶋氏と物部氏とは、オオモノヌシノオオカミ(出雲=須恵器製造)を介して協同・同盟関係にあった。何故物部氏はオホド支持に廻ったのか?物部氏はその名の通り、朝廷のモノ(物資)を調達する役割を担っていた。この時代のモノとはズバリ武器=刀剣である。北陸、湖東地域は当時出雲と並んで鉄器生産の中心地だった。その生産・流通を抑えていたのがケヒ族ーオキナガ氏だった。物部氏としてはオホドノオオキミは北陸・琵琶湖ルートを抑える最善のカードだったのである。
 そして継体天皇こそが、現在の皇室の直系祖先。つまり、万世一系はここ敦賀に始まるのである。しかし世の中は皮肉なもので、後世仏教が伝わり蘇我氏が強大化すると物部氏は滅亡し、三嶋氏も次第に没落し、奈良朝期には所領の殆どを藤原氏に奪われ、歴史から消え去った。 

(12/11/30)

 
若狭湾の活断層
 もう夏です。大飯原発再稼働は目前。しかしなお、これについて反対とか慎重論を唱えるアホがいる。彼等の慎重論の根拠は何か、というと実は判らない。住民の漠然とした不安感(ソレトニン効果)か?政治家の場合は、それと選挙の関係が複雑に絡み合う。反対派の反対論根拠の一つに、地震と津波がある。若狭湾周辺の活断層は、全て直下型なので津波には無関係。従って、問題は地震だけ。つまり今後活断層に伴って、地震がどの程度の確率で発生するのか?という話しである。産業総合研究所のHP(活断層データベース)には、全国98活断層について主パラメーターが公表されています。それから、若狭湾周辺9活断層の、今後30年間の「再活動確率」を拾い出してみました。

断層名 再活動確率(BPT分布モデル) 再活動確率( ポアソン過程モデル) 備考
柳が瀬起震断層 約0% 約1% 福井県、滋賀県
浦底ー柳が瀬起震断層 0.1 福井県
敦賀起震断層 0 0.9
野坂起震断層 0 0.4
耳川起震断層 0.3
三方起震断層 0 0.5
熊川起震断層 0.6
琵琶湖西岸起震断層 10 2 滋賀県
花折起震断層 0 0.6 京都府、滋賀県

 上表の内、若狭湾に直結するのは、表上の7断層で、それらの30年再活動確率は、皆1%未満である。上の表で1%を越えるのは、滋賀県下を走る琵琶湖西岸起震断層のみで、これは若狭湾には直結しない。今の日本の大都市で、最も地震発生の危険が高いのは東京・大阪である。東京直下型地震では30年内の80%という数字も出ている(数字の算出根拠はともかく、オーダーとしてはそんなものだろう)。大阪直下型の上町断層地震は同じく70%超。又、海溝型地震である南海/東南海地震のそれも70%超。いずれも、何時起こってもおかしくない状況である。
 若狭湾地方は地震発生に関しては、東京・大阪に比べ遙かに安全なのである。しかしながら、危険な東京・大阪住民は、一向に逃げ出そうとせず、自分達よりはるかに安全な若狭地方の地震をアブナイアブナイと心配する。これは矛盾ではないか?東京に至っては、2020年にオリンピック招致だの、大阪も10大名物だの愚にも付かないお祭りを考えておる。オリンピック開催時に直下型地震が東京を襲う確率、大阪城西の丸でモトクロスをやっている*最中に上町断層地震が大阪城を遅う確率、道頓堀をプールにして泳いでいる最中に津波が襲う確率。これらに比べれば、若狭湾の原発を直下型地震が襲う確率の方が遙かに小さい。つまり、東京・大阪にいて、地震が心配な人は若狭地方に避難した方がよい。
 東京も大阪もついでに、若狭湾原発再稼働反対の滋賀県や京都府知事は、となりの福井県のことより、自分の足下を心配した方がよいだろう。
*上町断層は東落ち逆断層である。これが再活動したとき、今の断層崖(上町台地の西斜面)の反対側に引っ張り亀裂(地割れ)が発生する可能性がある。モトクロスをやっている時に地震が発生し、地割れが出来てバイクが落っこちた。バイクに乗っていたのが橋したで、そのまま生き埋めになってしまえばメデタシメデタシ。
(12/06/08)

 浦底断層について活断層に詳しいとされる東洋大の渡辺という教授が「活断層の破砕帯は古くなると固結するが、報告書では”硬い”という表現がない」と発言(本日毎日新聞)。遂に断層は科学から文学になりました。東洋大学に地質学科があったかどうかしらないし、こういう名前の活断層研究者の存在も知らない。そもそもこの教授、断層というものを見たことがあるのでしょうか?断層の活動年代と破砕帯の固結度の間には、関係があるようで実はない。新しい断層でも破砕帯が固結している場合もあれば、その逆もある。

1)活断層が動いて地震が発生すると、断層周辺には高熱が発生する。この結果溶融岩という新しい岩石が出来る。断層周辺の岩石は、地震により破砕され一旦溶けてしまうが、その後再固結する。原岩の構造は無くしているが、溶融ー再固結の過程で新しい構造を獲得している。これは新しい断層でも十分”硬い”ケースである。
2)断層運動により、断層周辺や破砕帯内部には、ガウジやカタクラサイトといった破砕岩が出来る。ガウジは所謂断層粘土で軟らかい。カタクラサイトは岩石が破断し、角礫化、細粒化したものである。いずれも出来た当初は軟らかく、時間とともに硬くなるのは当然だが、その後地表近くに現れ、浸食で応力が減少したり、風化が進むと急激に強度が減少する。同じ断層でも、地下深部では硬いが、地表近くでは軟弱化するのは一般的現象である。
 また、断層運動に伴って熱水の浸透があり、この結果モンモリロナイトやカオリナイトのような粘土鉱物が出来る。これも乾いておればカチカチになるが、地表近では風化や雨水の浸透で著しい軟弱化を示すことがある。

 つまり、同じ断層でも目に見える状態は様々であり、我々地質屋はその違いを判断しつつ調査を進めるのである。この教授はそういう実地訓練を受けておらず、単に自分の勝手な思いこみで語っているにに過ぎない。結論で云えば、この程度の「破砕帯」は六甲山地では掃いて捨てるほどある、只の割れ目である。
(12/05/15)


 原電敦賀原発で、浦底断層に派生する”破砕帯”なるのものが、1号機の真下に通っていることが判って、「浦底断層の活動に伴ってこれも動くのではないか」、と保安院の人間が云った(か、マスコミの誘導尋問に引っかかって、云わされたかよく判らない)ため、橋したが、敦賀は廃炉だ、などと越権行為も甚だしい問題発言。それはともかく、浦底断層とは何者かを少し詳しく見てみましょう。

 これがグーグルアースで見た、浦底断層の位置です(図中破線)。敦賀半島の先端に浦底湾を挟んで細長い半島が延びています。この湾側の地形は直線状で、だれが見ても断層と判定するでしょう。一方その反対側は、平地との境界地形がややギザギザ気味で、これも断層とするには、衛星写真だけでは難しい。
敦賀原発付近での浦底断層の位置です。
 これが保安院が発表した浦底断層と、”破砕帯”、1号機との関係図です。破砕帯という言葉の使い方は間違っている*し、昔の大学地質学科でこんな使い方をすれば下手すれば落第だ。 それはともかく、上の図を見てみよう。これは敦賀原発敷地内の小断層分布であるが、これを見るとN-S又はNNE-SSW方向の割れ目が卓越していることが判る。これらは、この付近の地殻に圧縮応力が作用した時に出来る共役剪断面と考えられる。問題の”破砕帯”はその内の一つであって、特別な存在ではない。一方浦底断層はNW-SE方向で、小断層群を切ている。これは浦底断層が、他の小断層群形成時期より後に出来たことを意味する。さて問題は、新しい浦底断層が活動した時、果たして古い小断層群も同時に動くか、という問題である。この問題については、現在明確な答えがあるわけではない。

*破砕帯とは;岩盤に破壊強度以上の力が加わると破壊する。破壊された面が断層である。面を平面に投影すると線になる。ユークリッドの定義に依れば、線は長さのみで幅を持たないことになっている。しかし、自然はユークリッドが作ったものではないから、その定義は当てはまらない。一つの断層でも、ある幅を持っており、その中の岩石は小岩塊から細粉まで様々な形に変化する。この部分を破砕帯(Crashd Zone)と呼ぶ。従って、破砕帯は基本的には断層の付属物である。しかし、断層にも大中小と色々種類がある。要はその断層の性格を如何に正しく認識するか、である。決して民意におもねってはならない。

 問題を1)断層の変位、2)地震時の振動の二つに分けて考えてみよう。

1)断層の変位
 通常、大きな横ズレ断層(主断層)が活動すると、その周辺にリーデルシアーと呼ばれる派生断層が発生する。これには主断層に斜交する枝断層と、主断層にほぼ直交する引っ張り亀裂性断層の2種類がある。主断層が活動したとき、これら周辺派生断層がどういう動きを示すか?この問題は筆者随分昔から考えていたのだが、現在の見解は以下のとおりである。
 上の図を見る限り、問題の”破砕帯”は主断層活動に伴う派生断層では無さそうだ。だから、問題は純粋に力学的問題に帰結出来ると考えられる。重要な点は、浦底断層と、”破砕帯”との連結である。これを考えるには構造力学の初歩的知識が必要である。断層を梁と考えると、その連結様式には、ピン・ローラー・ヒンジ・フィクス(固定)の4種がある。ローラーを除けば、どの条件でも、一方の梁が動けば、他方の梁もそれに釣られて動く。つまり浦底断層と”破砕帯”がこれらの条件で繋がっていたとすると、浦底断層が変位すれば、”破砕帯”もそれに釣られ変位する(つまり動く)。一方、浦底断層と”破砕帯”との結合部が完全に破壊され、塑性化(断層破砕帯の細粒化粘土化が進む)しておれば、状況は全く異なる。この場合、連結はスライダーとなって力は伝達されない。従って、主断層が仮に変位したところで、その変位は周辺派生断層には伝達されず、主断層・・・正確には主断層を挟んで両方のブロックが・・・ズルズル動くだけだ、という結論になる。つまり、浦底断層が仮に変位したところで、”破砕帯”にはその影響は基本的には及ばないか、部分的である。更に上の図をよく見ると、この”破砕帯”と浦底断層は実は繋がっていないのである。従って浦底断層が動くことによって、破砕帯も連動して動くという保安院の見解は、現実の小断層分布からも、力学的に見てもかなり疑問符が付く。
 そもそも、この”破砕帯”は断層と云えるレベルのものか?単に岩盤等級が周囲より1〜2ランク低下しているだけのものではないか?という疑問も沸く。断層ガウジを伴うような本格的なものなら、敢えて”破砕帯”などという中途半端な言葉は使わず、”断層”とすべきである。岩盤等級がCL級であれば、まず殆ど問題はないだろう。

無論これに対する反論もある。主断層が動いた時に発生する、地震波の取り扱いである。

2)地震時の振動 
 主断層が活動して地震が発生する。この影響で派生断層にも地震が発生する。これは当たり前といえば当たり前である。しかし、この種の地震は余震であって、大きな地震には付き物である。浦底断層が活動するとして、どのような地震動が予測できるか?これを断層延長から松田の経験式で求めてみる。
            M=(logL+2.9)/0.6
 但しこの式は過大値を与えるので、近年はあまり使われていないが、考えようによっては安全側の値を与える。浦底断層の延長は、当初25qから35qに修正された。これによると
  L=25qでM=7.2
  L=35qでM=7.4
 となる。
 ところでこの値は、阪神淡路大震災をもたらした「平成7年兵庫県南部地震」とオーダーとして変わらない。この地震は淡路島西端を走る「野島断層」を起震断層とし、更に六甲東縁活断層帯と連動し、淡路・神戸・阪神間に多大の被害を与えたものである。これだけ見れば、浦底断層に”破砕帯”が連動するのではないか、と思う人もいるだろうが、六甲東縁活断層帯はれっきとした、活断層の集合体であって、”破砕帯”などという、いかがわしいものとはレベルが異なる。無論、浦底断層が活動すれば、その周辺にも余震域が発生する。「平成7年兵庫県南部地震」でも、六甲山東部の既知の活断層群の周囲に、幅広い余震域が発生した。しかし、この余震で活動を再開した派生断層や、被害を受けた例は報告されていない。
 
 一方”破砕帯”の剛性率は、周辺に比べ低下しているはずだ。そうであれば、地震時振幅は大きくなるので、原子炉に対するダメージも大きくなる。理屈の上では、確かにその通りである。しかし、その影響の程度は、周囲岩盤との比較で決まってくる。これは@主断層の活動による地震マグニチュード、A”破砕帯”の剛性率等動力学的特性、B派生断層との結合部に於ける動力学的特性によって、構造的に解決されるのである。おそらくこれも”破砕帯”の岩盤等級がCL級なら、まず問題にならないだろう。

 以上述べたように、筆者は敦賀原発の”破砕帯”を過大に危険視するのは、羮にこりてなますを吹く類であって、とても学問的態度とは思えない。殆ど学問というより、オカルトの世界である。おまけにあの斑目が、”破砕帯”の安全性が確認出来なければ再稼働を認められないなどと、たわけたことを云う。本人自身、福島は大丈夫だ大丈夫だといってきたではないか?風が変わると途端に態度を変えるのが、東大学者の特徴である。さて国民のミナサン、この期に及んで、あの斑目の云うことを信用出来るでしょうか?要するに、斑目など、さっさとあの世に行けということだ。理由は無能だからである。

 以上の疑問を解決するには、浦底断層と”破砕帯”及び両者の結合部での、地山の力学的特性を明らかにすることが重要である。又、最近は非線形大変形問題の解析プログラムが発達しているので、それの活用も重要なテーマになるだろう。

 従って、浦底断層の活動に伴う”破砕帯”挙動の予測・判断には、この”破砕帯”の岩盤状況、岩盤強度等力学的特性に関する情報公開が必要である。
(12/04/25)

 その後、あるテレビニュースを見ていると、保安院の杉山が、この破砕帯は活断層の疑いがある・・・本人がそういったのか、彼の片言隻句をマスコミが大げさに採り上げたものなのかは判らないが・・・として現地を調査している映像が映っていた。もし活断層なら、そんなことをする前に、地形の判断をしなければならない。この「破砕帯」の延長は発電所背後の山地に連続するはずである。しかし、この山地には
   1)直線谷
   2)対頂谷、ケルンコル、ケルンバット
   3)三角末端面
   4)オフセットストリーム
   5)分離小丘
   6)低断層崖
 等の活断層判定根拠となる地形要素が何一つ見られない。特に1)が見られないのは致命的である。このように根拠もなく活断層を云々するのは、従来の活断層研究理論を否定するものである。

 結論を云えば、この「破砕帯」は活断層でもなんでもなく、只の割れ目である。今の騒ぎは杉山というボンクラの独り合点、一人相撲にすぎない。それとも原発停止で保安院の予算が減らされたから、何処かで花火を打ち上げて予算を獲得しようという陰謀か。こういうのをマッチポンプという。
(12/05/07)

温泉
 主断層に伴って派生断層が存在することは悪いことばかりではない。その結合部周辺には割れ目が発達する。これは地下水の貯留層になる。そもそも若狭湾周辺は地熱が高い。それを利用すれば温泉開発が有望になる。結合部近傍で掘削すれば、数100mオーダーでかなりの高温泉を開発することが可能だろう。
(12/04/25) 、
関連記事 若狭湾の活断層
志賀原発と活断層

RETURN     一覧へ  TOP へ