横井調査設計 温泉と土木、建築工事

ある朝、東京のとあるTVドキュメンタリー製作会社から電話があって、何事かと聞くと、今、草津温泉のホテルか何かで、基礎工事で杭を施工したところ、温泉に影響が出たので、そのドキュメンタリー番組を作ることになった。そこで、参考資料を探していると、たまたま御社のホームページで、「吉良温泉」に関する投稿記事を読んだので、電話をしたのだという。当にインターネット時代を象徴する話です。
 現代は温泉ブームと云われますが、相も変わらず、温泉の何かを知らないままに工事を行って、他人に迷惑を掛けている事例があとを絶たないようです。ここでは、既設温泉の近くで土木、建築工事を行った場合、どういうコトが起こるか、それを避けるにはどうすれば良いかを解説します。


 温泉が「枯れる」現象の原因の例は、「吉良温泉の問題」の項に紹介しています。ここではこれらの内、「周辺地下水環境の変化」について具体的にどのような現象が起こるか、その対策としてどのようなものがあるか、を紹介します。
 温泉に影響を与える「周辺地下水環境」の変化として、最も眼を引きやすいものは土木・建築工事でしょう。地面を掘り返したり、コンクリートを流し込んだりするのですから、誰だってこんなことをすれば、温泉に影響を与えると考えます。その結果、まず(1)温泉に何か影響が出たときは、あの工事が怪しい、と疑われる。逆に(2)何か工事をしようとすると、温泉に影響が無いか、追求される。いずれにしても、温泉から逃れることは出来ません。もし、何か影響が出たとき、解決には大変な努力が必要になります。最悪、訴訟騒ぎになることもあるのです。これを避けるためには、事前に温泉の性格を良く調べておき、それに対する適切な対応策を講じておくことが重要なのです。以下、具体的に問題点を紹介していきましょう。

問題になる温泉とならない温泉

 どんな温泉でも問題になるわけではありません。一般の土木、建築工事は土被りの大きいトンネルを除けば、地表面を掘削したり、整地するのが大部分で、地下に与える影響は、せいぜい地表面から数10mの範囲です。バブル期以降に掘削された、いわゆる「新温泉」の深さは通常1000〜1000数100mです。又、これらの温泉は、水中ポンプで強制揚水を行っているので、20mや30mをいじったところで、殆ど何の問題もありません。それが証拠に、最近東京や大阪で掘削されている温泉の側で、建築工事を行っても、何の問題にもなっていません。
 逆に、泉源の浅い温泉は、地表面の改変の影響を受けやすいと云えます。つまり、問題になるのは、泉源の浅い温泉、特に自噴泉です。自噴泉は歴史も古く、地域の文化的価値も高いために、工事の際に問題視されるケースが多いのです。

トラブル、対策の事例

 温泉の近傍で土木、建築工事を行ってどういう問題が生じたか、どういう対策を行ったかの事例は、残念ながらそう多くは公表されておりません。そこで、私がかつて経験した事例を紹介する事にします。

有馬「杉生谷」の例

 昭和60年頃、有馬温泉「杉生谷」で、ホテル敷地造成のための地盤調査の一環として、全部で20数箇所、1箇所当たり深さ40〜70mのボーリングが行われました。当初は問題は無かったのですが、ある時期・・・低気圧通過時・・・を境に、既に掘削し終わったボーリング孔や、新たに掘削を行ったボーリング孔で、深さ約40m付近から、ガス(CO2、H2S)が噴出するようになりました。用地は有馬温泉地帯南西部の斜面で、断層が錯綜する極めて地質構造の複雑な地域です。そうこうする内に、現場lから100mほど離れた位置にある、天神泉という神戸市所有の間歇自噴泉の湧出量が低下している、というクレームが寄せられるようになりました。
 学識経験者を含めた検討の結果、考えられたメカニズムは次の通りです。
(1)ボーリングにより、ガスの通気孔が出来、地下のガス圧が低下する。
(2)その結果、地下水の重炭酸イオンの溶解度が低下する。
(3)地下水から遊離した重炭酸は、揚湯管内にスケールとして沈着するが、沈着の間隔が従来より早くなっている(従来は2〜3カ月で揚湯管を取り替えていたのが、2週間ぐらいの間隔で取り替えなければならなくなった。)
 要するに、温泉が枯渇したわけではありません。従来より取り出しにくくなっただけなのです。
無論、これは全ボーリング孔を閉塞する事によって、原状に回復しています。

有馬汚水幹線付設工事

 「杉生谷」調査の約1年後、神戸市下水道局により、有馬温泉地帯の真ん中に、下水道トンネル布設工事が計画されました。施工基面の標高は「杉生谷」より、約40m低い(丁度杉生谷でガスが突出し出した標高)、ため、ガス突出の危険性「大」と判断し、万全の体制で望むことを施工業者及び神戸市当局に提言し、地質調査の計画を行いました。
 この計画に基づいて、トンネル布設区間だけではなく、有馬温泉全体にわたる地質調査が実施され、トンネル布設区間の地質、地下水、ガス、地熱環境があきらかになりました。これを踏まえて、施工計画が練り直されました。トンネルは当初から泥水加圧式岩盤シールドが予定されていましたが、それでも完全密閉型にするか、否かで意見が分かれていました。調査の結果、完全密閉型が採用され、更に施工に平行して坑内及び周辺の地下水、ガス、地熱に対する計測管理を行った結果、トンネルは無事予定通り完成しました。

兵庫県猪名川町石道温泉

 この温泉は兵庫県東南部を流れる、猪名川上流の温泉付き旅館です。周辺の地質は、ジュラ系丹波層群の砂岩・泥岩が主で、地熱に関係しそうな火山岩や花崗岩の類は分布していません。今から40年程前、当温泉から約2qほど離れた山地に、阪神水道企業団により、送水トンネルが施工されました。すると温泉が止まったとクレームが付いて、ゼネコンが多額の補償金を取られたそうです。但し、トンネルの覆工が終わると、元に戻ったとも云われます。但し、一旦払った補償金は戻ってきません。
 温泉は深さ200m程の深井戸で、間歇自噴をさせていたらしい。湧水が減ったのは、自噴間隔が従来より永くなった、ということです。自噴機構は不明ですが、おそらく有馬と同様、CO2ガス圧を利用したものと思われます。当時のトンネル工法は、今と違って、掘削もダイナマイトのような破壊力の大きい爆薬を使うので、地山の緩みも大きい。また掘削から覆工までの期間が長かったので、坑壁が暴露されている期間が長い。そのため、周辺地下のCO2ガスが坑内に漏出し、ガス圧が低下して近隣の温泉に影響を与えたと考えられます。この事例の貴重な点は、泉源からqの単位で離れていても、影響は起こりうる、ということを示している点です。

考えられる問題点と対策

 以上、非火山性の温泉での土木・建築工事が遭遇した、トラブルと対策の事例を幾つか紹介しました。ここで、共通しているのは、いずれも水が無くなったわけではなく、地下にトンネルやボーリング孔のような岩盤を暴露する面を作ったため、そこからガスが湧出し、地下のガス圧と地下水とのバランスが崩れて、従来どおりの湧水量が確保出来なくなった、ということです。この機構は基本的には火山性温泉にも適用できます。 
 温泉地帯に土木・建築工事を行って、何らかのトラブルが発生すると、それが温泉脈を切断したためだ、と言った説明がなされることが、往々にしてあります。又、逆に何らかの工事をやろうとすると、温泉脈を斬るおそれがある、などというクレームもあります。これらが如何に、いい加減な非科学的議論であるか、まず非火山性温泉から説明しましょう。非火山性温泉の湧出機構は先に述べたように、断層のような地殻の割れ目に関係しています。温泉脈とはこのような地殻内の割れ目を意味するのでしょう。これらの割れ目は、方向性を持つ一つの割れ目帯を形成しますが、概ね幅は数10mから、大きいものでは数100m、長さは数〜10数q。深さは不明ですが、これらの割れ目帯は地震によって形成されるので、概ね数〜10qといったところでしょう。又、火山性の場合、地熱地帯は通常直径数q〜数10qに及びます。一方、人工的構造物は、トンネルを例に採ると、第2東名クラスで直径20m程度、一般国道では12m程度です。イメージとしては、幅の広い帯に、細い針が刺さった程度で、これでは全体の地下水(ガス)構造に影響を与えることはありません。周囲のガスと地下水のバランスが僅かに狂うだけです。しかし、それでも温泉を巡るトラブルは発生するのです。何故なら、我々が見ている温泉は、地殻に保存されている水のほんの一かけら、一滴の上澄みに過ぎないのです。だから、僅かなバランスの変化が、見かけ上大きなトラブルに発展するのです。ガスや蒸気は、間に壁が無いかぎり、何処でも繋がっています。従って、温泉地帯で何らかの工事を行った場合、影響が0ということはあり得ません。問題はそれが目に見えるようなレベルになるかどうかです。従って、温泉対策の要点は、工事による影響を、容易に感知できないレベルに極小化することです。これに対する技術的対応法としては、次のようなものが挙げられます。
(1)温泉やガスを賦存している地山が,工事によって暴露される面積を出来るだけ小さくすること。それが可能な工法を選定すること。
(2)矢無を得ず暴露部分が生じた場合は、早期に吹き付けを行って、地山の暴露時間を短くする。同上
(3)工事で湧水が予想された場合、出来るだけ地下水排除工法は避け、止水工法か薬液注入で対応すること。
(4)致死性のCO2や火山性ガスは空気より比重が大きいので、通気性の悪い凹地(ピットなど)に滞留しやすい。労働災害を防ぐため換気が重要。通常の換気設備で十分。
(5)何よりも大事なことは、当事者が当該温泉の性格、機構を十分理解し、工事現場の状況(地質、地下水状況と温泉との関係)を綿密に調査し、問題点を明確化しておくこと。そして施工中の計測管理にそれを反映させること。
 冒頭に挙げた、草津温泉の杭工事では、どのような工法が採用されたか、筆者は知りませんが、筆者なら次のような対応を採ると思います。
(1)まずは、現場と泉源とがどんな関係にあるかを、調べておかなくてはなりません。現地調査、資料調査などから、温泉の現況をまずイメージします。そして、考えられる問題点を具体化します。この過程が最も重要です。
(2)その次に、イメージを具体化するために物理探査を行います。探査の方法は幾つか考えられますが、問題の性質から、放射能探査は欠かすことは出来ないでしょう(現在ではγ線を使います)。
(3)その次にボーリング等の詳細な地盤調査を実施して、その結果から杭工法を選定します。
(4)火山地帯だから、地質は火山泥流のような変化が激しく、中に転石のような掘削困難な要素が、含まれると想定されます。従って、杭の施工法は、強力で地質の変化への適応性の高い工法から選びます。
(5)地質への適応性から、現場造成グイが挙げられます。しかし、オープンタイプの深礎工法(火山地帯だから、この可能性はある)やアースドリル工法では、ガス漏出の危険が大きいのでパス。
(6)既製グイとしても、プレボーリングタイプであれば、削孔してからグラウト完了までの間に、地山と杭との間に隙間が出来る。火山地帯だから、地山の孔隙が大きく、グラウト材が漏出して、グラウト効果が十分発揮出来ないおそれがある。これもパス。
(7)オールケーシングタイプのCD工法かベノト工法であれば、事態はかなりましになると考えられるので、これを軸に詳細を検討する。但し底面からのガス漏出が懸念される場合は、底盤薬液注入を併用する。ただし、薬液注入工法設計のために、現場透水試験、水質試験とガス圧測定は欠かせない。
(8)どのような工法でも、短期間での一斉着手は禁物。ガスをコントロール出来ない。
(9)現場と既設泉源の間に観測井を設け、水位、水質、水温をモニターし、工事着手前後のデータをを採っておく。これは住民説明会資料になる。最悪、裁判になったとき、何かの役に立つだろう。
 参考までに、「有馬汚水幹線付設工事地質調査」で実施した、地質調査の内容を下に示しておきます。
                                  
       (事前調査)
1)地表踏査(広域)
2)放射能探査(広域)
3)弾性波(表面波)探査(ルート上)
4)ボーリング調査(ルート上)
5)電気検層(温度検層、比抵抗検層・・ボーリング孔)
6)現場透水試験、湧水圧測定(ボーリング孔)
7)孔内載荷試験)(ボーリング孔)
8)岩石試験(強度、X線分析・・・ボーリングコア)
9)水質試験
10)地下水位、微圧力測定装置設置   
       (施工中計測)
1)地下水位、微圧力測定
2)水質試験
3)既設泉源(モニター)湧水量測定

蛇 足

 我々が温泉地帯で、何らかの工事にタッチしようとすると。必ず、その温泉に住み着く、ヌシのような人達が現れます。これは地元の住人であったり、地付きの学者であったりします。彼らはしばしば、「我々はずっと昔からこの温泉を見守っている。余所者は手出しするでない」と、のたまいます。今も鳥取県当たりに生息していると思いますが。こういう人達はいわば、絶対保守、原理主義的環境主義者で、しばしば新たな建築や、新規掘削は絶対に認めない、という立場をとります。タリバンのようなものです。
 実はこういう気持ち、というか考えは、理解出来ない訳ではない。おそらく古代から中世にかけては、温泉は信仰の対象で、温泉地帯は一種の宗教的聖域であったと考えられます。古い温泉には大抵、温泉神社や温泉寺といった、宗教施設が付随しています。和歌山県本宮大社では、温泉の湧出状況で吉兆を占った、とも伝えられます。古代人にとって、地下から沸き出す湯は極めて不思議なものであり、更にそれに薬効があるとすれば、温泉を大地神の息吹と考えたり、背景に神や仏を見ても不思議ではないのです。こういう考えの延長では、温泉地帯は神聖不可侵で、余所者は一切手を下してはならない、という考えは当然とも云えます。
 しかし、こういった温泉を神聖視する考えは、江戸時代の半ばには殆ど廃れてしまいます。今も宗教色を濃厚に残しているのは、下北恐山ぐらいです。立山は終戦までは宗教色を残していましたが、戦後、立山・黒部アルペンルートができてからすっかり、通俗化してしまいました。大部分の温泉は、江戸時代半ばには、観光地になってしまったのです。こうなると、通用するのは資本主義の論理です。温泉は観光産業のための、観光資源になってしまいました。産業である以上、産業を成立させるためのインフラ整備や、宿泊施設その他のシステムの充実は、避けることが出来ません。そのための土木、建築工事が発生することも、矢無を得ません。ところが、この産業の特徴はその規模が、資源である温泉の供給量で決まってしまう、という宿命を持っているのです。産業を充実させるための工事が、産業の根幹である資源を破壊したのでは何にもなりません。しかもこの資源は変動が大きく、デリケートで、再生がきかない、という厄介な性質を持っています。「再生がきかない」というのは湧出量が低下したときに、横に同じような穴を掘っても、元通りになる保障がないという意味です。だから、温泉地帯での土木、建築工事は、温泉とよく相談しながら進める必要があるのです。そして、現在では温泉に影響を与えずに、工事をコントロールする技術が進歩していますから、過度の心配は不用とも云えるのです。ただし、これを実現するには、当該温泉の実態を詳しく調査して、適切な対応をとることが条件になります。

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