硫化水素と非火山性温泉・・・・三重県多志田川鉱泉

 三重県員弁市西部の鈴鹿山地東麓に多志田川という川があり、その下流に「多志田川不動尊」という宗教施設がある。そこではかつて硫化水素泉が湧出していたと云われる。硫化水素泉は活火山に伴う火山性温泉では珍しくはないが、当地域の様な非火山性地域では珍しい。兵庫県では北神戸から三田盆地にかけて幾つか見られるが、成因・湧出メカニズムは不詳である。ここでは本地域の地質的特性に着目して、硫化水素泉形成メカニズム…仮説であるが…を考えてみる。・・・・・・・・・技術士  横井和夫

1)多志田川鉱泉は、三重県北西部、鈴鹿山地北東山麓を、員弁平野に向かって流下する多志田川という渓流河川沿いに生じた冷鉱泉である(現在では冷泉という言葉はなく、特定成分が一定量含まれておれば、温度に拘わらず温泉になるが、ここでは従来の呼び名に基づく)。鈴鹿山地東北部の地質は大きく、(1)南部に広がる白亜紀花崗岩類(鈴鹿花崗岩、領家変成岩等)と、(2)その北部に分布する美濃丹波帯を構成ジュラ紀付加帯からなる(図ー1参照)。鈴鹿山地北部ではこれを霊仙山層と呼び、その内石灰岩を除く部分を緑色岩相と呼ぶ(地域地質研究「御在所山」;地質調査所)。

図ー1鈴鹿山地北部地質図(地質調査所「1/20万名古屋」)

 多志田川鉱泉は霊仙山層緑色岩相のなかにある。この図を見るとおり、周辺に火山活動の痕跡はない。

2)下図は多志田川鉱泉周辺の地質図である(横井作成)。図の左(多志田川の上流)より、石灰岩、チャート、輝緑岩、チャートがそれぞれ南北に配列する。これらは付加帯メンバー中のオフイオライト主要構成要素である。

図ー2 多志田川上流域地質図(横井)

 「多志田川鉱泉」周辺の地質は緻密堅硬なチャートである。これ自身は硫化水素泉だけでなく、そもそも温泉の起源には成り得ない。

図ー3 多志田川鉱泉付近の岩盤状況

 では、何故こんなところに温泉それも硫化水素泉が出来るのでしょうか?
3) 地質調査所1/5万地質図幅「御在所山」によれば、藤原岳周辺特に霊仙山層の緑色岩相中に…現在は休廃鉱になっているが…硫化鉄や硫化銅鉱山が多数見られる。硫化鉄や硫化銅の起源はかつての海底火山活動であり、マントルから供給されたものである。従って、これは緑色岩相には普遍的に存在するものと考えて良い。鉱床の性状はチャートなどの岩石の間隙を充填するものや、断層で破砕された部分に浸透したタイプのものが多い。
4) 徐らは、仮説として地震のような衝撃的環境下で次のようなラジカル反応が起き、その結果電子の交換が行われ鉱物間化学反応が可能と考えた(文献2)。
  H2O=H+e-+OH
  OH+OH=H2O2
  2H2O2=2H2O+O2
  2H+2e-=H2
 この反応が起きると、硫化金属化合物は亜硫酸イオンSO42-と金属イオンに分離する。反応には次のようなタイプがあるとされる。硫化鉄(パイライト)を例にする。
  FeS2+14Fe3++8H2O=14Fe2++2SO42-+16H+    …………(1)
  2FeS2+15H2O2=2Fe2+4SO42-+14H2O+2H+      …………(2)
   FeS2+12Fe3++O2+9H2O=FeO3↓+11Fe2++2SO42-+18H+     …………(3)
具体的に地下深部でどのような反応が行われたかは判らないが、どのプロセスでも亜硫酸イオンが形成される。
 また、上記(1)〜(3)反応プロセスは酸性環境下で加熱が必要とされる(昔の金属鉱山では、鉱石の加熱精錬で、副産物として亜硫酸ガスが大量に発生していた)。
 では当該地でこのようなラジカル反応や高温環境が期待出来たか、というと実は十分期待出来るのである。
4)藤原鉱山を含む鈴鹿山地の東縁部は、「鈴鹿山地東縁活断層帯」と呼ばれる活発な地震帯である。特に当地域に近接して「一志断層系」が南北に延びている。
図ー4 多志田川鉱泉付近の断層系


最近の地震学の研究によって、地震に伴って地下深部では相当高温状態になることが実証されてきた。地質学的には、大規模構造線の周辺でしばしば見られるウルトラマイロナイトやシュードタキライトのような溶融岩の存在で示される。
 さて、鈴鹿山地東縁部で大規模な地震活動があったとすると、地下深部でラジカル反応が生じ、同時に相当高温状態になるのも十分予想される。その結果、上記(1)〜(3)のプロセスで、亜硫酸が形成される。又、周辺の地下水は硫酸酸性環境になり、次のようなプロセスで硫化水素が形成される。
          SO42-+H2O+Fe2++2H+=H2S+Fe2O3+H2O2   
 このようにして、硫化鉱物の存在と地震活動が組み合わさると硫化水素が形成されることが説明出来る。但し、この反応は幾つかの偶然が重なり合って出来るもので、いつでも何処でもというわけではない。又、このような反応が生じるのは、前提となるラジカル反応の必要環境から見て地下数qといった深部である。このような深部で形成された硫化水素が、何故地表に湧出したか、更に近年何故枯渇したのかが疑問である。これには次のような仮説があり得る。
(1) 仮説1…硫化水素ガスによる被圧
 硫化水素は水溶性であるが、過飽和になると水から分離して、地下水面の上にガスとして貯留する。上部に被圧層があればガス圧が高くなり、その圧力で地下水を押し上げる。これが岩盤の割れ目を通して地表に湧出すると硫化水素泉となる。地下での硫化水素の生産が低下したり、硫化水素が別経路から漏出すると、ガス圧が低下するので地下水位は低下し、湧出は停止する。
(2) 仮説2…炭酸ガスによる被圧
 メカニズムは前者と同じだが、被圧ガスが炭酸ガスになるケースである。活断層近傍の花崗岩には、しばしば炭酸泉が湧出する。代表的なものは兵庫県宝塚温泉である。その理由は不詳であるが、そういう場所で炭酸ガスが生産されているのも事実である。鈴鹿山地の南約2/3は花崗岩類からなっており、本地域の地下深部にも花崗岩類が存在していて不思議ではない。つまり本地域でも地下深部で炭酸ガスの生産が行われ、それが硫化水素を含む地下水を被圧して泉源とした、というモデルである。これも何らかの理由で地下の炭酸ガス圧が低下すると湧出は停止する。
(3) 仮説3…地震前兆現象
 地震前後で温泉が異常活動することは古くから知られた現象である。岩石を非排水状態で剪断すると、ダイレタンシーにより剪断時に体積が変化する。ダイレタンシーには正と負があり、正のダイレタンシーを持つ物質では、剪断時には体積は膨張し、物体内間隙水圧は低下する。負の場合は当然その逆である。正のダイレタンシーを持つ物質は、砂や礫、粒状組織を持つ岩盤、負のダイレタンシー物質は粘土や泥岩などである。
 本地域地下深部に存在すると予想される花崗岩類は結晶質でダイレタンシーは正と考えられる。又、本地域周辺には後に述べるように活断層が発達する。つまり、地殻応力の集中帯でもある。応力レベルがある一定限度を超えると、ダイレタンシーにより地殻内間隙水圧が低下し、結果として温泉湧出が低下する。但しこの仮説は周辺での微小地震の増加や地盤の隆起など、周辺データの裏付けが必要である。
 以上3ケースの内、(3)地震前兆現象は周辺データの裏付けが無ければ可能性は低いので、考えられるのは(1)又は(2)のケースであろう。

文献2、徐他 ;「1999年台湾集集地震を引き起こしたチェルンプ断層の深部掘削の成果概要―明らかになってきた断層岩の物質科学今後の課題」;地質学雑誌VOL 115 NO9、2009



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