対中国ODAは是か非か


 そもそも、ODAとは外交手段ではなく、国内問題、それも自民党内問題なのです。それを理解しないで、ODAのあり方を議論するから、話がややこしくなる。

 元々、筆者は対中国ODAには批判的だった。石原シンタローや西村慎吾ほど感情的反中派ではないし、コイズミ的日米同盟(要するに日本のアメリカ属国化)よりは、日中同盟がアジアの安定にとって望ましい、と考える立場なのである。どちらかといえば、かつての石原完爾の後を追っているのかも知れない。
 さて、先日TVの某報道バラエテイー番組を見た。その番組は、対中国ODAに関するビデオを見せ、それについてパネリストが議論し、最後に各パネリストが評価を下すというものであった。各パネリストの下した結論は、概略以下の通りであった。
(1)外交評論家A氏・・・・自分自身がかつて官僚時代に、対中国ODAにかかわったことがあり、個人的な思いはある。それは別にしても、現在の中国人の平均年収は約1000ドルで、国 連の最貧国(援助対象)規準の年1500ドルを下回っている。従って、援助は継続すべきである。
(2)経済学者B氏・・・・・今、豊かなのは沿岸地帯だけで、内陸部はまだまだ貧困である。この格差を是正するためにも、内陸部への援助は継続すべきである。
(3)環境NPO代表C女史・・・・中国の、特に内陸部の環境問題は深刻である。これは、越境酸性雨のように我が国にとっても無関係ではない。環境対策に限って援助を継続すべきであ る。
(4)市民団体代表D氏・・・日本の援助を頼りにして、親日活動をしている人達がいる。その人達のためにも援助を継続すべきである。
 何となく、皆、我田引水の感がする。これを聞いてやっぱり対中国ODAは見直した方が良いと云う気になったのである。以下、各意見について、その問題点を検討する。

(1)の意見
 この議論はドル建てベースの話である。現在、問題になっているのは、人民元がドルにヘッジし、且つ不当に安く設定されていることである。元が自由化されれば、対ドルレートは、2倍ぐらいになるかもしれない、というのが普通の観測。だったら、中国人の平均年収は、楽に国連規準をクリアーする。むしろ、現在の元レートは、援助を得るために、中国政府が人為的に操作しているものと云える。そんなことをする国が、WTOに参加する資格があるだろうか、というのが正直な感想だ。                   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・×
(2の意見
 これは、中国の内政問題であり、沿岸/内陸の経済格差こそが、現在中国の経済発展の原動力なのである。又、内陸へ日本が援助したところで、地方政府のヤクザに横領されて、闇経済に消えるだけ。百害あって一利なし。
 判りやすいように、風呂を沸かすことを考えてみよう。火に近い部分は暖まり、上昇する。逆に冷たい部分が低下し、底で暖められて上昇する。対流の始まりである。対流が継続すると、風呂桶の中の水温は均一化する。これが現代中国政治の指導理論である、橙小平の「先富論」のモデルである。無論、これが、理論どおり行く保障はない。対流速度が予定より遅かったり、せっかく獲得した熱が途中で系の外に流出したりすると、冷たい水(内陸の貧困層)は、逆に系全体の温度を低下させる方向に動くかもしれない。最近、内陸で暴動に近い騒乱事件が頻発している。主に地方政府や、官憲の腐敗に対する批判が基になっているが、その根底には、上に挙げた経済対流の停滞があるのかもしれない。
 ところで、中国の歴史を見ると、このような小さな騒動が、積もり積もって、天下を揺るがす大騒乱に発展し、遂に王朝が交替する大事件に発達するケースが少なくない。中国という国は、常にこのような深い底流があるので、表面の現象だけで判断してはならない。まして、内陸の経済発展が遅れているからといって、日本がそれに援助しても、中国全体のシステムには、何の影響もない。返って、中国の発展を阻害する要因になりかねない。むしろ、内陸への援助をうち切った方が、地方闇経済をあぶり出させるので、中国の近代化のためには、その方が良いかもしれない。                                                                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・×
(3)の意見
 これは、最早ビジネスで割り切るべきではないか。日本企業が中国の炭素排出権を買い取り、その見返りに環境対策技術を輸出する、といったシステムを導入すべきである。これまで日本のODAは、環境対策分野にも行われてきていたはずである。それにもかかわらず、環境対策が進んでいないなら、一方的な援助ではなく、リスクを双方で負担する、ビジネスで割り切った方がよい。但し、炭素ビジネスを展開する上で、当面日本企業への資金援助が必要なら、すればよいだろう。それがODAなら構わない ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・△
(4)の意見
 具体的な例が示されていないので、どう判断してよいか判らない。しかし、一般に外国から資金援助を受け、外国のために働く人間は、当事国から信頼されるだろうか?かつての中国にも、そういう人達はいた。彼らは、清朝末や国民政府時代には買弁と呼ばれ、共産党時代(特に文革時代)には帝国主義者のスパイと呼ばれ、投獄・追放又は処刑の対象となったのである。無論、善意で日本の歴史や文化・芸術・科学技術を中国に紹介しようとする人達もいる。D氏が挙げたのは、そういう人達のことだろうと思う。しかし、そうするなら、やはり民間のNPOベースでやった方が効果はあるし、安くつく。援助するなら、そういうことをやっているNPOに、所管官庁から補助金を出せばよいので、なにもODAに含める必要はない。ただ、予算科目の篩い分けで、ODAに含まれてしまうのなら、それでも構わないだろう                                   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・×に近い△ 
 
 というわけで、4人のパネリストの意見は何れも、我田引水的で、説得性に欠けることが判りました。これは各パネリストの責任ではありません。現代日本の、ODAに対する認識が、如何にバラバラで統一性が無いか、を物語っているだけです。その理由は、ODAの起源にあります。ODAの前身は、戦後の賠償です。これを食い物にした最初が、岸信介(安部晋三の祖父。デビ・スカルノも賠償受注の担保或いは貢ぎ物とされる)、それを真似したのが、弟の佐藤栄作、弟子の田中角栄、更にそれは中曽根、竹下と受け継がれ、自民党主流派閥の資金源になってきたのです。この場合、ODAの対象は、名目さえつけば、何だって構わないわけだから、始めから節操などあるはずがない。しかし、さすがに社会の批判が強くなって、従来の重厚長大型ODAはやりにくくなった。そこで考え出されたのが、広く薄い援助。これに眼を付けたのが、鈴木ムネオというわけ。これは、最初は上手くいったのだが、ある事件がきっかけになって、これも見直しの対象になってしまった。つまり、徹頭徹尾、無節操・無責任がODAなのです。だから、石原シンタローとか、西村シンゴのような、感情的ODA反対論を生むことになる。
 そもそも、ODAに哲学・思想が無いのだから、四人のパネリストのように、バラバラの意見が出てきても不思議ではないのです。ではどうすれば良いのでしょう。問題が、あまりに複雑になってしまって、直ぐにこれだ、という案は出てきません。道に迷ったとき、原点に戻るというのは、通常よくとられる方法です。ODAもこれと同じで、少なくとも対中国ODAは、一旦停止し(永久とは云わない、5年程度に限っても良い)、どういうやり方が双方にとって、最も有益であるか、を両国間で協議することがベターと思います。そうすれば、上で述べたように、中国闇経済に打撃を与える事が出来るので、日中双方にとって有益でしょう。(04/11/27)


 この度、UFJ銀行の元幹部が銀行検査妨害の疑いで逮捕されました。何故、彼らが法律を侵してまで、資産実態の公開に抵抗したかというと、いわゆるBIS規制で、海外業務から撤退させられるのを防ぐためだった、と云われる。何故、海外業務からの撤退をおそれるのか?その中に、日本のODA受注の問題が隠されていない、と考える方がおかしいでしょう。UFJが融資している企業が、海外でODAプロジェクトを受注すれば、資金調達や運用で莫大な利益が転がり込むはずです。宝の山を見過ごす手はありません。金融庁と喧嘩してでも、という気になってもおかしくない。更に、議員のセンセーを抱き込めば、あとは何とでもなる。ところが、そのセンセーが皆、小泉改革のせいで皆おかしくなっちゃた。なお、この種のセンセーは皆橋本派です。そう思えば、今回のUFJ事件も、結構きな臭い感じですね。(04/12/09)


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