原子力村と反原発部落

馬鹿の塊、原子力規制委員会を解体・廃止し、委員長の田中と副委員長の嶋崎を逆さ磔に。政権交替確実だから、これも満更非現実ではない。

横井技術士事務所
技術士(応用理学)横井和夫


 反原発団体へ200数10万本ものSPM。誰が出したのか?「原発推進で世界平和を」なんて文言があったらしいから、原発推進派か?とすると電力事業会とか、電力会社、原発関連メーカーになるが、これらはみんな経団連系列。あの殿様団体にこんな際どいことが出来るでしょうか?そこから金を貰った誰かなら判らないまでもないが。
 右翼か?そもそも右翼の立場は敬神崇霊愛国である。原発こそ、神や祖霊をも恐れず国土を汚す魔物のすみかである。従って、右翼こそ反原発でなければならない。
 逆に神を否定し、人類の力の解放を主張する左翼こそ、原発推進でなければならない。何故なら、原子力を利用出来ることによって、始めて人類は神と肩を並べることが出来たのである。ラジウムを発見したキュリー夫人は、これで人類は神の領域に達したと思っただろう(但しこの神は人類に対し、ある時は手厚い恵みをもたらすが、ある時は恐ろしい鉄槌を下すことがある)
。神の束縛からの人類解放の象徴が原発なのだ。
 さて皆さん、この論理おかしいでしょうか?
(13/11/12)

 福島汚染水問題に関して、韓国政府が東北8県からの水産物輸入禁止を発表した。別に日本人が水揚げした水産物をチョンコに食って貰おうとは思わないが、その中に群馬・栃木が入っていたのが笑わせる。この両県は海に接していないから水揚げなど生じない。韓国政府は世界に対し自分の無知をさらけ出しただけだ。恥かき韓国は今に始まったことではないが。
(13/09/06)

 本日は68回目の広島原爆記念日。数年前の毎日新聞の記事。
 中国人被爆者「・・・このところ身体の調子が悪い。原爆の所為か?年はと見ると104才。100年も生きていれば、何処か調子は悪くなる。筆者など未だ60年そこそこだが、もうガタガタだ。
 広島の被爆者「・・・何時癌になるかと思うとそれが怖い」年はと見ると94才。この年になると癌の方から逃げていく。増殖出来るだけのエネルギーが細胞に残っていないからだ。仮に細胞が癌化していても、発症する前に、老衰であの世へ行ける。
 こういう馬鹿げたタワゴトを、云う方も云う方だが、それを真面目に取り上げる新聞も新聞だ。
 要するに反原発部落に属する記者もデスクも、常識を全く勉強していないのである。
(13/08/06)

 昨日各党代表者討論があって、「原発」問題について誰かが、「全原発が止まっても問題ないことが証明された」と発言。誰かと思うと、社民党の幹事長代理。これに共産党や元民主党の一部も賛同している。これと同じ表現は、昨年夏の毎日新聞にもあった。「原発無くてもやっていけるやんか」という見出し。「問題ない」、「やっていける」とはどういうことか?単に電気が止まらなかったということだ。これは、表面さえ良ければ、中身はどうでも良い、という発想である。電気を止めなかったためにどういうことが起こったか?大幅な貿易赤字増と、電力会社の赤字決算である。貿易赤字が広がると、長期金利が上昇し、アベノミクスの円安効果もあって、円売りインフレになる。又、電力会社が赤字になれば、税金が無くなるから、政府も自治体も大幅な税収減になる。その結果発生したのが、電気料金の値上げ。これは家計だけでなく、東京・大阪の中小企業に打撃を与え、基礎技術の海外(中国・韓国)流出を促進することになる。中身を真剣に見れば、「問題ない」、「やっていける」どころではないのだ。
 この様な無責任放任主義は、筆者の経験では役所のOBに多い。役人は自分で金を稼ぐことをしない。それは生え抜き社員の仕事である。だからとんでもない赤字仕事を持ち込んできても平然である。その結果は赤字の累積。責任を取らされるのは、常に生え抜き社員である。そして彼等OBから出てくるセリフが、「やれ技術が無い」、「やれ管理がなってない」だけでなく「こういう赤字仕事も必要だ」という責任逃れ。そして、あの現場ではこれで出来たのだから、これでも出来るだろう、という現場の状況を無視した画一的押しつけ。更に酔っぱらうと出てくるのが、自分の自慢話と、気合いと根性でやるんだ、という精神論。これ、かつての帝国陸海軍軍人とそっくりである。又、反原発主義者は原発の代替として、太陽光始めあらゆる手法を駆使そて・・・原発に代替する、と主張する。処がその根拠が極めて不明。かつての松根油や風船爆弾、竹槍戦法と同じ、ガラクタの寄せ集めである。今の反原発主義者は、かつての軍部や東条内閣と同じ右翼・精神主義に陥っているのである。
 筆者が社民党や毎日新聞ら反原発部落住民に感じるのは、これら役人OBと共通する、ある種の傲慢さである。この傲慢さは、かつての東条内閣や、日本軍部の傲慢さにも通じる。表面だけを見て中身を見ないやり方は、技術の進歩や外部の変化に追随出来ず、周囲からの批判に対し思考停止状態となり、究極の超保守状態となる。そしてそれは、ついには奴隷労働や、体罰主義にも繋がるのである。
(13/06/30)

 大阪地裁で関電大飯原発運転差し止め訴訟で、原告敗訴の一審判決。この種の裁判では従来、原告資格とか国の行政権の範囲という形式論が多かったが、今判決で注目されるのは、原告主張根拠の一つである活断層問題まで踏み込んだことである。原告側証人が活断層説を十分立証出来ず、裁判官を納得させる説明が為されなかったためだろう。
 そもそも原子力規制委員会の田中・嶋崎らが主張する、活断層否定の事業者立証責任は、古代暗黒時代や中世宗教裁判、近世革命裁判に匹敵する、粗野で野蛮な制度である。とても近代法治国家では受け入れられない。これらの野蛮制度では、異端告発者もその後異端告発を受け、火あぶりになったのだ。そうなったのはフランス革命のダントン・ロベスピエールだけでなく、中国文化大革命の江青ら四人組まで枚挙に暇がない。嶋崎は現代のロベスピエールとならんか?その歯止めになっただけでも有意義な判決である。
(追記)
 原告側は即時抗告と主張するが、控訴となれば一審判決を覆せるだけの新証拠を揃えなくてはならない。それも一年も二年も待ってくれない。せいぜい4ヶ月か半年だ。控訴のポイントは@敷地内断層が活断層か否か、A政府の定めた安全対策が妥当かどうかの2点になるだろう。原判決では@は否定し、Aは合理性有りと判断している。筆者も国の基準や裁判の判決が絶対正しいなどとは思っていない。世の中にはおかしな判決が一杯溢れている。しかし判決は判決だ。法治国家だから、法律が定めたルールで戦うしかないのである。原告が提訴に踏み切った根拠には、国の原子力規制委員会現地調査団中、一部の研究者の見解が大きなウエイトを占めていると思われる。一方事業者はこの調査団の要求に従って、これまで地質調査を行い、その結果を根拠に反論してきているわけだ。従って原告が今更新たな物的証拠を得るために、ボーリングやトレンチを要求しても、それを・・・・よっぽどの必要性がない限り・・・・裁判所が採り上げるかどうか疑問である。むしろ自己矛盾に陥るだけだろう。だから出来るのは、原判決の事実認定や、事業者側主張の矛盾を客観的に証明する以外に方法はない。さてそれを誰がするか、だ。今世の中に繁殖する骨なし学者など、全く役にたたない。
(13/04/17)

 年末に一発、アベが原発容認を示唆。これは経団連が当初反対していたアベノミックス(つまり際限なき国債増発)を容認させるための、自民/経団連闇取引結果。さて、これに対しソフトバンクや楽天など、経団連的既得権に反発する再生エネルギーやIT中心の新経連はどうでるか?この団体にはアベの取り巻きが多い。
 その他、対韓対ロ特使など、何しに行くのかよく判らないのが多い。特使とは闇取引の代理人です。
 要するに今年は闇取引で始まる一年になりそうです。
(12/12/31)


 大阪で焼却した岩手県産瓦礫(新資源)からセシウムは発見されず、放射能値も天然状態のまま。こんなことはやる前から判っていた。これに猛反対した山本太郎や他の反原発部落民は何を考えていたのでしょう?岩手県も東北地方、福島県も東北地方。だから岩手県=福島県。おそらく福島県と岩手県の違いが判っていないのでしょう。地図など見たことが無いのではないでしょうか?数学が出来ない人間は地図が読めない。要するに頭が悪い、つまりアホということ。
 なお、昨年京都五山送り火で岩手県産木材からセシウムが発見された。しかし、岩手・宮城両県からセシウム検出の報道はない。と言うことは、五山木材セシウム汚染は輸送途中のものと考えられる。
(12/12/06)


 面白い世論調査結果が出ました。それは本日発表の毎日新聞調査です。政府が挙げた2030年代原発ゼロ方針に対し、実現可能と答えたのが16%、実現不可能と答えたのが71%。これまで連日反原発キャンペーンを張っていた毎日新聞としては、思いもかけなかった結果だろう。これだと国民の殆どが30年代原発ゼロなど信用していないと云うことだ。無論、世論調査の結果は調査機関によって、プラスマイナス10ポイントぐらいの差が出るのが当たり前。朝日だともっと実現可能が多くなる結果が出た可能性もあるが、逆に読売・サンケイ調査では不可能がもっとふえるだろう。しかし、毎日は東京新聞と並んで、最も強硬に脱原発を主張してきた新聞である。それでこれだから、国民のもっと多くが30年代原発ゼロを実現不可能と思っているのだ。しかしだ、政府・民主党がこの方針を決めた根拠は、例の討論型世論調査である。これによると70%以上が、30年代原発ゼロを支持することになっていた。正反対の結果が出てきた。どちらかが間違っているのである。間違っているのは、云うまでもなくあの討論型世論調査である。あれは討論型というより、実態は世論誘導型討論に過ぎない。それに世論調査というオブラートを被せているだけである。あれは古川とかいう国家戦略担当相だったチンピラの思いつきに過ぎない。アメリカの何処かの田舎でやったことに飛びついただけのお粗末で、今後二度と行われることはないだろう。
 なお、毎日新聞はこういう結果が出たのを経済界が反発したためで・・・という馬鹿解説をやっていたが、そんなものが世論調査に反映されるはずがない。
(12/10/01)

 政府の30年代原発ゼロ政策に対し、早速経団連が国家戦略会議から委員を引き上げた。理由はエネルギー・環境会議が政治家・官僚主導で財界を無視したこと。その結果が30年代原発ゼロが閣議決定出来ず、ウヤムヤになった。そもそも、民主党が30年代原発ゼロを政府に要求した根拠は、法的根拠のない討論型世論調査である。この方法のいい加減さは、既にあらゆる処から批判されているのだが、民主党の一部のアホ・・・・例えば鳩山とか、辻元キヨミとか・・・がその結果に脅えて、これでは選挙に勝てないと、何にも考えずに原発ゼロを言い出したのである。と言っても今は10年代、30年代は10年あるから、原発ゼロと言ってもその間30年はある。おまけに次の総選挙で消えてなくなるような政府や政党の云うことだから、大して気にしなくても構わないと言えば構わないと云える。しかし、一旦公にブチ挙げた政策を、財界の反対だけで取り下げるなど、政権与党としては大恥さらしである。誰がこのような政策を主導したのか、と言うとそれは国家戦略担当相という役職にある古山というチンピラである。国家戦略担当相が、お膝元の国家戦略会議で造反を受けるようでは話しにならない。日本はいい加減にチンピラ政治を脱却しなくてはならない。
(12/09/20)

 今一番駄目な世代は、40代後半から50代にかけてだろう。少しはシッカリしろ、バカ。もっと駄目なのは60〜70代の、昔少し左翼の空気を吸ったことがある連中。自分は少しも左翼運動をせず、ノンポリと称する安全地帯に身を置いて、口先だけはやれ体制打倒だとか、民衆の解放だなどとアホなことを喚く腰抜け連中。そのくせ大勢集まると、途端に声が大きくなり、傍若無人に振る舞う。その典型が脱原発デモのバカ集団である。こういう偽善者の父や息子が今、教師や校長・教育長をやっているのである。こんなことでは学校イジメがなくなるはずがない。
(12/08/08)


 野田が脱原発デモ代表者と直接会う、と発言した。しかし総理官邸前脱原発デモは、そもそも指導者や組織などなく、一般市民が自発的に集まったものだ、とマスコミでは伝えられてきた。ところが彼等の誰かが野田との直接会見を要求した。誰が要求したのか?野田が会うと云った相手は、そもそも誰なのか?代表者とはそもそも何者で、どういう経緯根拠で代表者に選ばれたのか?そういう点がさっぱり明らかになっていない。そんなわけの判らない”代表”に総理大臣が直接会って、何を話しするのか?そんなのにうっかり会って、ウッカリしたことを喋って、それが政策に影響するようなことがあれば、日本は最早法治国家ではなく、国際的には無政府国家のそしりを受ける。その結果は、日本が国際的信用を失い、長期金利の上昇に繋がりかねない。野田はそんなことを判って、発言したのか?単に次の総選挙目当てに、目先のイシコロを取り除こうとしただけなら、最早政治家の器ではない。松下政経塾というのは、どんな教育をしてきたのか、という話しだ。
 しかし、「会談は持つ。但し代表者を選んだ手順をキチンと示し、その結果を公表せよ。会談はその上でだ」と相手に要求し、相手の分断を誘う手もある。何故なら、このデモの背後には必ず旧過激派セクトが介在している。彼等は絶対に表に出ない(出れば直ちに検挙だ)。ノンポリだが自分の影響下にある人物(公安がノーマーク)を出してくる。それをあぶり出せば、彼等と一般市民との間に必ず溝が出来る。そこをこじ開ければ、あんなデモ直ぐにぶっ潰せる。野田はこれが出来れば、一人前の政治家だ。駄目だろねえ。
(12/08/07)

 新任の田中原子力規制委員長に、民主党若手の馬鹿が早速クレーム。理由は反原発ではないからだ。実は筆者もこの委員長に疑問を持っている。理由は、専門が情報工学で原子力ではないからだ。原子力が判らない人物が、原発が適正かどうか判定出来るのでしょうか?仮に親分が全くのシロウトなら、これの動きは部下の官僚の思い通り。操り人形だよ。
 筆者はその点を就任記者会見で見抜いた。彼は根拠もなく、「40年以上経った原子炉は廃炉」、「直下に活断層が見つかった原子炉は廃炉」と口走っている。根拠は原子力安全・保安院作成の古くさい「原子力発電所に拘わる耐震設計の概要」の域を超えていない。30年前の話しだ。この人物、根本的な問題を何も勉強せず廻りの空気で、あれこれ口走る鳩山由起夫的人物ではあるまいか?40年間の技術進歩や、知見の蓄積は無視しても構わない姿勢の疑いがある。要するに、政府与党にとって使いやすい人物なのだ。こんなアホが下手にこれが活断層などと口走ると、日本の科学、地質学は壊滅的状態になるだろう。
(12/08/02)

 昨日脱原発デモに鳩山が飛び入り参加。しかし、彼は政権奪取後CO225%削減を叫び、原発を現行38基から54基に増やそうとした張本人(脱原発派はそのことを知っていたのでしょうか?鳩山が現れると、パチパチ拍手していたアホがいた)。チャキチャキの原発推進派と思っていたが、風が変わると直ぐ変わる。まあ、あのドバト(煮ても焼いても食えないという意味)に節操を期待しても無駄だが。民主党からだけでなく、日本国民からも除名(籍)したいぐらいだ。いや除染と云った方が良いだろう。

(12/07/21)

 マスコミ報道では総理官邸前の脱原発デモは、次第に大規模化しているらしい。左翼系ゴマスリ新聞は、それを国民的運動と誘導したいようだ。しかし、大阪ではそんな動きは全く見られず、何より原発立地地域はまるっきり静穏。ということは、今回の脱原発デモは国民的運動でも何でもなく、国民の一部、特に左翼反原発主義者の扇動によるものは顕かである。デモ指導者は総理への直接請求を要求しているらしいが、野田は断固拒否。当たり前だ。日本は法治国家であり、議会制民主主義国家である。国家政策に異議があれば、憲法が定める手続きに沿って申し立てるべきである。衆を頼んだ脅迫によって国策が曲げられてはならない。このデモの背景に中国・北朝鮮の策動を感じざるを得ない。
 かつて60年安保当時、国会デモが連続し、社会は不穏な状態になった。野党・マスコミは「政府は国民の声を聞け」と主張した。それに対し、岸は「声なき声に耳を傾ける」と応じた。何となくその当時に似ているような気がする。違うのは、60年の総理は保守の元凶岸信介だったのに対し、今度は当時の野党の衣鉢を継ぐ民主の野田ということだ。そして、「国民の声を聞け」などとマヌケなことを流すマスコミのアホさ加減は、今も昔も変わらない。70年代以降の教育の問題、特に共通一次試験の弊害だろう。
(12/07/14)

 6.29脱原発デモをアラブの春になぞらえて、誰にも組織されず、みんながファーッと集まって一つの意志を作っていく運動、これから何かが変わるだろう、と宣うアホ哲学者がいる。あんなデモ、昔のベ平連デモの焼き直し、新しくも何ともない。ベ平連から何か産まれましたか?結局は団塊体制べったり世代を作っただけ。アラブと日本とではまるで違う。アラブには政治・表現の自由が全くなかった。今の日本にはそれが腐るほどある。アラブと日本を同列に論ずることこそ論外。
 民衆のデモで何かが変わったら、議会制民主主義も憲法も何も必要ではなくなる。世の中は動物園の檻の中と同じだ。この哲学者は民主主義社会より動物園の方がマシと思っているようだ。確かに、日本だけでなく、世界全体が動物園化しているが。橋したなど動物園のマントヒヒみたいなものだろう。
(12/07/12)


 10万とも20万とも(主催者発表)、1万7千とも(警察発表)云われる6.29脱原発デモ。何となく、昔の60年安保国会請願デモとか、68年10.29国際反戦デーを思い出しました。ということは、このデモの背景に中核・カクマルなどの過激派がいると云うこと。昨年世田谷反原発デモ映像のバックに中核の旗があった。つまり、過激派のDNAは消えておらず、単に眠っているだけで、条件が整えば息をふきかえすということです。バクテリアと同じです。 これはオウムも同じ。
 それより官邸前に20万人も入れる空間があるのでしょうか?ラッシュの地下鉄じゃないから、参加者はある程度間隔を開ける。そうしないと何かの拍子に将棋倒しのような大事故に繋がるからだ(明石歩道橋事故を見よ)。その場合、大体0.75m間隔に一人ぐらいが最低必要である。一人の占有面積を0.75m四方とすると、20万人収容するには、おおよそ100、000u=10ha≒300×300mの面積が必要である。ちょっとしたニュータウンだ。総理官邸前にそんな広いスペースがあるのでしょうか?「抗議に20万人」と大タイトルをつけた毎日新聞の空中写真では、どう見ても100×100m=1haぐらい。収容出来る人数は20万×(1/10)でざっと2万人。警察発表のほうがより現実的と云える。
(12/07/10) 

 管の脱原発宣言以来、いよいよ高まってきたのが原子力村対反原発部落の抗争。今は部落側が圧倒的に優勢。しかし、何年か経つと形勢が逆転する事も無いではない。さて、原子力村の住民がどんな人間かは、既にマスコミで散々報道されているので、敢えて説明する事もないでしょう。では反原発部落住民とはどんな人達でしょうか?
 ズバリ、70年安保当時の新左翼・全共闘の残党です。彼等のルーツは更に60年安保までさかのぼれるが、それはさておき、何故彼等が反原発運動にのめり込むようになったのでしょうか?70年安保闘争は実質的には、68/10/21国際反戦デーで終わってしまった。これを主導したのはブント(共産主義者同盟)だが、このあと新左翼は四分五裂。そして彼等は生き残りを計る。一つは大学に潜り込んでの全共闘活動、一つは連合赤軍などの左翼過激派活動、更には労働組合を乗っ取ての国鉄反合理化闘争。彼等も又抑え込まれてしまった。押さえ込まれた活動家が目を付けたのが、反公害・環境保護活動だったのである。特に水俣病訴訟は彼等にとって追い風だった。また、この三項目は表向き誰も反対出来ない。つまり、新左翼時代と異なり、彼等の活動は法律の保護を受けることになる。こんな有り難い話しはない。
 この運動は日本オリジナルではなく、ヨーロッパ特に西ドイツが発祥で、日本側はそれを真似ただけ。彼等の活動の根底にあるのは、根強い反科学主義。何故このような思想が出来てきたかと云うと、当時アメリカでベトナム反戦運動で有名になったマクルーハンの反資本主義理論。それに次いでソ連・中国・北朝鮮からの反資本主義プロパガンダが影響をおよぼした。特にゲバラの行動・著作の影響は大きい。世界人民を搾取しているのは欧米独占資本主義(これは今でも変わらないが、最近の米欧金融不安でこれも大したことがないことが判った)、資本主義の拡大を助けているのは科学・技術である。独占資本主義拡大を防ぐには科学・技術の発展を阻止しなければならない。このような粗雑な発想から、あの当時(70年代)全世界的に反科学・技術主義が蔓延したのである。これらのグループの特徴は、マルクス・エンゲルス以来の正統派左翼理論を学ばず、無論資本主義のなんたるかも学ばず、現代社会がどういうプロセスで形成されたかも考えず、金は何処かから勝手に沸いてくると錯覚し、単純な企業性悪説と反米主義を振りかざし、やたら解放とか連帯等内容空疎なフレーズを連発し、世間に反体制ムード(空気)を創り出すことである。そして彼等は自身を新左翼と称し、世間は左翼過激派と呼ぶ。
 ところが、上で述べたように70年に押さえ込まれてしまった。そしてかれらの一部が眼を付けたのが反公害・環境保護活動。その一環に反原発運動がある。そして、このような反科学主義者と環境保護活動家が結合したのが「反原発部落」。更にこの部落に忍び込んだのが、同和解放同盟とか朝鮮総連などの反日団体。それを後押ししたのが、旧社会党左派(現在の社民党)や公明党など旧ソ連共産党や中国共産党・北朝鮮労働党の影響が強い政党。当たり前だが、日本の科学技術が劣化して、最も利益を得るのがこれら三国だからだ。つまり、反原発部落民の構成も結構複雑で、それぞれ背景に国内や国際政治のシガラミを背負っているのだ。これが彼等がセクト化する原因になっている。無論重要な役割を果たすのがマスコミ。朝日はどうか知らないが、毎日は従来原発問題には中立だった。それがある日突然、脱原発に舵をきる。今やあの新聞は脱原発一遍道だ。しかし、あの新聞の変節はこれが始めてではない。戦前、国家総動員法が成立するやいなや、たちまち戦争支持に豹変。朝日と並んで戦争拡大路線を支持し続けたのである。それが、終戦と同時に一変。戦争否定民主主義賛美に衣替え。あの新聞の云うことなど信用してはならない。更にこれにワルノリして、自分を一見進歩的インテリを見せかけたい三流芸人(名前は誰とは云わないが、例えば本多勝一)とか、正真正銘のマスコミ芸人(これも名前は云わないが、例えば鳥越俊太郎とか、佐高信)が加わって、ろくでもない雑音を流すから、余計ややこしくなる。これらの混沌の中から泡の様に沸き出して、政治という表舞台に現れたのが管直人という稀代のオポチュニスト。彼自身東工大全共闘初代委員長。従って、正統派左翼理論は勉強していない。それどころか、オポチュニストとは、決して自分で責任は採らず、失敗すれば誰かの責任に、上手くいけば自分の手柄に、という人種である。
 それはともかく、現状原子力関係社会での村と部落の対立では、部落が圧倒的に優位である。何故なら今のところ、彼等は大手マスコミと、芸人(イコール部落民)を握っているからである。古来、朝廷や幕府のような権力者でも、部落民を無視出来なかった。それどころか、部落民に操られていたのでは無いかと疑われることもある(具体的には謎)。その仲介にあったのが芸能者社会である。今回の事件で、村は芸能者を抱き込むのに失敗した。お粗末としか云いようがない。この結果が九電ヤラセメール事件である。
 ところで、かつて村は土地を支配し分限者も産む豊かな地域であった。一方部落は貧民巣窟。暮らし・文化そのものが違った。しかし、今ではどうか?長年の自民党疑似社会主義政策、更にコイズミ改革によって村の所得は以前と比べものにならない程低下した。逆に部落は自民党バラマキ政策によって大いに所得を延ばした。今や、村より部落が豊になっているのである。今の反原発部落民はどうか?彼等の思いは、ひたすら今の暮らしを維持するのみ。つまり絶対保守である。と言うことは彼等は既に守るべき資産をもっているのだ。その点で、彼等は最早プロレタリアートでも疎外者でもない。では何か?現在でもマスコミに登場する反原発部落民は、進歩的を装おう(しかし実態は絶対自分本位保守)タレントとかジャーナリストとか学者とか、結構高額所得階層なのである。そして、彼等の高額所得を保障したのが、実は原発だったのだ。何故なら彼等が主に利用する空間はメデイア、特にテレビメデイア。テレビこそ電気を使いまくる最大電気消費者なのである。テレビ無くては反原発部落広報も出来ない。そのテレビが原発に依存しているのだ。この矛盾をどう解決するのか?
(11/08/12)


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