復興から復旧へ


 08年リーマンショックの後、中国政府は莫大な予算を投じて景気対策を行った。その主要部分は不動産投資で、各地に巨大ニュータウンや高層マンションが立ち並んだ。それから5年、これらの新都市やマンションは殆ど空家だ。人はこれを「鬼城」と言う。東北太平洋沖地震災害から既に5年。既に突っ込んだ予算は19兆円。今後更に7兆円が必要という。それにも拘わらず、被災地の復興は遅々として進まない。それどころか、人が戻ってこない。
 阪神淡路大震災のとき、兵庫県・神戸市は、公共インフラ部分では国庫補助を受けているが、他は援助なしで三年で復興をなしとげている。西と東とでは大違いだ。この違いはなんでしょうか?
 それは復旧と復興の違いです。神戸の場合、震災後数ヵ月後に神戸市は復興プランを出し、国の認可を得て復興事業に着手した。しかしこの時の国の援助対象は復旧だったのである。都市計画法では4年毎に再開発計画の修正が出来る、としている。別にしなくても良いが、神戸市は常に都市開発構想案を作っていた。これを少々手直しした形で、復興プランとして出したのである。これに携わったのは主に土木・建築系の理系人間。それも神戸大学土木が中心だ。
 一方東北はどうか?中心になる行政機関も大学も無かった。まして都市計画プランなどやったこともない自治体が殆ど。競馬で言えば、神戸がレースの3/4からバックストレッチに入り鞭を入れているのに、東北は未だパドックでウロウロしている間にゲートが開いたようなものだ。神戸に比べ三周遅れている。そこに復興という言葉をいれたものだから、みんなそこに群がった。だれが群がったというというと、列島先住民の神、つまり地主神・・・つまり土建屋・・・だ。特に東北ではこの神の力が強い。嘘と思うなら柳田国男の遠野物語を読むがよい。これには高天原の天津神は太刀打ちできない。かくて東北復興罷業はとてつもなく膨らんでいくのである。それと神戸は国の方針では復旧で行ったから、逆に国の余計な干渉を受けずに済んだ。それと神戸には東北のような強い地主神が居なかったからかもしれない。
 ところが東北は復興で行ったため、復興構想会議のような余計な役立たず機関が出来た。これが問題をゴチャゴチャにし、解決を混乱させてしまった。犯人は五百旗部とか梅原猛のような、常識知らずの文系人間である。彼らが描いた妄想*のため、東北復興事業は際限なく膨らみ、未だに復帰出来ない避難者を大勢作っているのである。かくて日本東北に作られているのが、日本版「鬼城」である。
 こういう状態を作った原因はなにか?第一は上に挙げた復興構想会議の無知・無能・無定見、次にそれに従う官僚の「無責任、更に東北人特有の中央おねだり気質**が事業を拡大させた。結果として出来たのが復興も復旧も達成できない無駄の積み重ねである。この結果発生するのが冒頭に挙げた「鬼城」である。何か施設は出来た。それで満足するのは役人ばかり。肝心の住民は何処かへ行ってかえってこない。
 震災後5年を経て見えてくるのは、日本人という民族の欠点ばかり。とにかく何かを解決しなくてはならない時に、出てくるのは既得権に縛られたウヤムヤだらけ。東北は一旦精算し、彼らに任せるようにしたほうが良い。奥州分離独立も視野に入れてだ。
*理系特に工学系は始めから問題の終着点を見つける教育を受けるか、文系人間は問題を発散させるだけで後は知らない。
**筆者も40年程前に仙台に勤務したことがあるが、そこで気がついたのが、東北無責任気質である。要するに、何があっても最期は本社・・お上・・・が面倒見てくれるだろうという甘えである。その結果は業界談合となって司直の摘発を受けるのだが、彼らは向も気付いてる風情もない。
(16/03/11)

 愛知製鋼の爆発事故で、トヨタが国内全生産をストップする騒ぎ。似たようなことは12年前の中越地震で起こっている。この地震で日本スピンドルの工場が被災し、エンジンシャフトの供給がストップして、日本の主要自動車メーカーの生産がストップしてしまった。このとき以来生産拠点の分散が進められたはずだが、現実には相変わらずの選択と集中路線が続いていたのだろう。懲りない面々だ。
 一方、三陸の震災復興事業。莫大な国費を”費消”しながらも、効果は未だ見えてこない。本日毎日新聞朝刊では、高所移転地は高齢化率80%で限界集落化と報道。要するに若者が戻ってこないのである。元々三陸地区は過疎化地帯。それに地震・津波と言う災厄が加われば、人々は出て行くのが当たり前。人が少なくなる地域に復興事業と称して無理やり予算をつぎ込んでも、効果は上がらず残るのは借金だけ。それよりは身の丈にあった復旧事業で臨むべきだ。こんなことは筆者は震災直後から云っていた。
 これも誤った選択と集中主義の表れ。理由は当初の復興構想会議に八百旗部とか梅原猛のような法文系人間をいれたこと。彼らは実務とは迂遠で雲の上を歩いているような存在。彼らが対策構想を主導したから。このような人物は論理の完成性を重要視するから、結論はどうしても「選択と集中」になってしまう。その結果が限界集落という現実だ。
 筆者の意見は復興ではなく、復旧だ。但し従来の災害復旧のような頑なさではなく、もっと地元の意見を取り入れた柔軟なものにすればよいだけである。
(16/02/01)

1、始めに
 東北復興計画が一向に前に進まない。管直人はお盆前には全員を仮設住宅へ、と約束したが、未だに数千の被災者が避難所生活。又、仮設住宅から本設への移行も全くメドが立っていない。それは被災地の復興計画が全く出来ていないから地域行政が動くに動けなくなっているからだ。この理由は、復興計画そのものに具体性・実現性がなく、地元に受け入れがたい部分があるからである。それというのも、管が震災直後に思いつきで「復旧ではなく復興」だと口走ったからである。ところがこれに、マスコミも政党も財界もみんな乗っかってしまった。私のような皮肉屋でも、直後はそう思ってしまったのである。しかし、それから半年、地に足付いた復興計画は出来ず、作っても財務省が足を引っ張る。肝心の地元3県も足並みが揃っているとはいえない。そもそも国と地元の間に共通認識がない。こんなことで本当に「復興」が可能なのか?誰だって疑問に感じる。
 何故みんな「復興」という言葉に乗っかってしまったのか?一つは、東北復興を関東大震災後の復興に重ね合わせてしまったこと、二つ目は国民それぞれが、それぞれの立場で復興事業による経済拡大効果を期待してしまったたことである。これには、復興特需を期待する建設業界等復興関連業界、それによる利権の拡大を狙う政治家・官僚の思惑が反映する。国交省などたちまち予算が増えるから反対するわけはない。だから、みんな目に見えない「復興」という名の幻に幻惑されたのである。そして、みんな思惑はバラバラ。これでは復興事業が進むわけがない。

2、「復興」、「復旧」とは
 筆者は現在、東北復興に関しては「復興」というデマゴギーより「復旧」という現実的選択にシフトすべきと考えている。大災害の後始末事業には「復興」と「復旧」の2種類がある。「復興」事業とは、災害で破壊された地域を一旦リセットし、全く新しい国土を創造することである。そもそも幻のようなもので、誰かが大きなプランを作らなくてはならない。しかも、その実現に一体幾ら金と時間が懸かるか判らない。それを実現する原動力は、必要条件としてそれを実現すべき論理的必然性と、強力な政治指導力である。更に十分条件として復興事業を通しての経済成長が将来期待されることがなくてはならない。そして重要なことは、これまでに無いことをやるのだから、それを進めるための新規立法が必要だということだ。
 明治以後の大規模復興事業としては、関東大震災後の「帝都復興事業」と、大戦後の「戦災復興事業」がある。前者の場合。日本は第一次大戦の戦勝国として世界の一等国。それに引き替え、東京のインフラ(道路等都市計画)は欧米先進国に比べ、お粗末そのもの。これを一気に解決しようとしたのが「帝都復興事業」である。これによって、東京が近代化すれば、東京に投資する企業も現れる。現に当時の経済力は、大阪が東京を遙かに上回っていた。資本が集まれば、それによる経済効果で、復興事業コストは吸収出来るのである。帝都の復興は、近代日本の完成に必要不可欠だったのだ。
 戦後の「戦災復興事業」も似た様なものだ。終戦で、日本国内の人口は急増してしまった。これへの食糧供給が日米双方の緊急の課題である。空襲で日本の主要インフラは概ね破壊されてしまった。食糧確保・供給にはこれを復旧することが不可欠。そして、インフラを復旧することにより、生産力は回復する。次第に資本が蓄積し、更にこれが再投資に繋がり、次の高度成長を実現するのである。そのシンボルが東海道新幹線であり、高速道路だったのだ。
 この2例が示しているのは、復興が成功するのは、事業による資本の再投資効果が確実に期待されていることである。これが曖昧であれば、その効果はどうなるか判らない。
 これに対し「復旧」は極めて現実的である。要するにインフラを元に戻すだけだから、目標がはっきりしている。しかも、我が国では復旧に関する予算要求手続きが完成しているので、新規立法は必要ない。と言うことは復旧に要する予算の確定も執行も、ルール通りにすればよいということだ。これは所管官庁も関連業界の熟知のことだから、あれこれ揉めることもない。

3、東北のケースについて考えてみよう
1)復興の場合
 復興が成功するには、復興事業によって景気が自律的に回復する条件が整うことが条件である。これには経済回復が必要だが、そのためにはヒト・モノ・金が東北に循環する構造、そのための魅力が必須である。果たしてそれが東北に存在しているか、特に後者の地域魅力があるか、がポイントである。
 三陸を例に挙げよう。復興会議はその提言として、TPPに対応した農水産業の集約化、民間資本の導入、住宅地の高所移転を挙げた。しかし、それに対する地元の反応は冷淡としか云いようがない。水産業の集約化は反対、住むところは今のままが良い。つまり過去への固執しかない。復興とは過去の経緯を断ち切ることから始まる。それを地元自らが拒否しているのだから、何をか云わんや。復興など都会に居る人間が勝手に描いたマンガにすぎない。更に、東北特に三陸地域はこれまでも過疎化地帯で、地震が無くても人口減は継続する。つまり、企業としては投資魅力が全くない。こんなところに莫大な復興資金を投入したところで、砂漠に水をまくようなもの。全ては過去のシガラミに吸収されて終わり。何の意味があるのか?それどころか、東北復興という名に東北3県がのってくるから、限界が無くなってしまう。地震とは無関係なとんでもない事業にも、「復興」という錦の御旗が使われ、経費が無限に広がる危険性がある。既に発表された復興予算20数兆円。ある民主党議員は、これは天井ではないと放言。この数字は、「復興」という名の下の官僚による水増しである。こんないい加減な数字にころりと騙される民主党政権など、小学生レベル。但し小沢一郎だけ高笑いか。始めからデタラメが仕組まれているのだ。全く百害あって一利なしとしか云いようがない。
2)復旧の場合
 既に新幹線や高速道路は原旧に戻っている。一般道や在来線には一部不通区間もあるが、全体として大した影響はない。又、自動車始め主要産業の生産力も回復している。。とにかく、仙台市始め内陸都市部の住宅被害が殆どなかったのは幸いである。公共材の復旧については、被災地域には既に激甚指定がされているから、9割は国持ちだ。つまりこのシステムを使えば、大体5年・・・最大10年・・・で復旧が可能である。
 この方式は既存のシステムを使うから、復興構想会議やなんとか本部、復興庁などの余計な組織・役所・新たな法律は必要ない。その分コストが安くなる(復興庁など無駄官庁の典型だ)。勿論復興増税など必要なく、資金は通常予算かせいぜい復興債(60年償還の建設国債)で賄える。つまりおかしな族議員や談合企業が入ってくる余地は少なくなってくる(ゼロではないが、談合しても予算の頭を抑えられているから儲けは少ない)。

 震災後、あるチンピラ評論家が、神戸淡路大震災の時は「復興」ではなく、「復旧」にしたのが失敗だった。復旧にしたため、事業規模が小さくなり、その結果韓国にハブ港湾の地位を奪われてしまった。だから「復興」で行くべきだ。一見その通りに見えるが、ここには大きな誤謬がある。阪神地区は何と云っても日本のGDPの3割は叩き出せる底力を持っている。更に、当時経済成長著しいアジアに近い、という地理的優位性もある。これを考えたとき、「復旧」ではなく「復興」で行くというのは正論だし、説得力を持っている。しかし、東北に阪神地区と同じ経済貢献度を期待するのはナンセンスである。元もと大きな経済力のない地域に、過度な投資を行えばどうなるか。たちまちバブルが発生し、一時的には好景気に沸く。しかしバブルは所詮バブルである。何時かは潰れる。その後に残るのは大変な負債だ。それは東北だけで賄えるレベルではないだろう。皆さん、そんなことを考えているのでしょうか?

4、結論
 以上から、東北の今後は次のように考えるべきと考える。
1、復旧をベースとして、地域インフラ回復・整備を第一目標とする。但しこれにも条件がある。従来、災害復旧予算を一手に握っていたのは国交省河川局だが、これの対応に改善を要する。従来であれば、既存施設の移動・改良を、全く認めていなかった頑な態度を改めさせること。例えば、道路線形の改良だとか、公共建造物の安全な地区への移設を認めるなど、柔軟な予算査定を認めること。これは政治家の役割である。
2、今後10年間に渉って、被災地域の所得税・住民税・法人税・消費税の50%減免を行うこと。そうすれば、逃げ出したヒトや企業も戻ってくる。この人達をベースに次の復興を目指すべきである。
3、ヒト、モノ、企業が戻ってくれば、それは新たな地域魅力を作ることが出来る。そうなれば、外部資本が進出を考えるかもしれない。それを利用することによって、新たなステップを踏み出すことが出来る。但し、それが出来るかどうかどうかは、東北人の能力如何に懸かってくる。決して中央政府を当てにしてはならない。

(追記)
1、瓦礫処理について
 復興事業の最初に立ちはだかったのが瓦礫処理である。震災(と言うより津波)で発生した瓦礫の処理に、数兆円の費用が必要と試算されている。本当かね?とつい疑ってしまうのである。問題点は1)瓦礫の回収、処分を全て公共でやろうとしていること、2)瓦礫を邪魔者として二次利用を考えていないこと、3)瓦礫処理の単価が示されていないこと、である。環境業界と環境省の(癒着)による、相当の水増しが行われているのではないか。筆者の経験では、霞ヶ関の積算は実勢価格の3〜4倍である。
 瓦礫はゴミか?これは考えようによっては商品になる。例えばコンクリート塊や鉄製品は魚礁として最適である。どうすれば良いか、というと、ブルで瓦礫をかき集め、クラムシェルで掴んでバージに乗せ、、沖合数qで海中に投棄する。アホな環境主義者は海洋汚染ではないかと抗議するだろう。確かに一時的にはそう見られる現象もある。しかし、その後は海中の微生物や魚が綺麗に浄化してくれる。この例は南洋の日本沈没船に多く見られる。そして、瓦礫の山は豊富な魚の生息地に替わり、沿岸漁業が再生するきっかけにもなる。無論、水質劣化で破綻に瀕している中国漁業界に有料販売することも可能である。小さいコンクリート片や木片は水質浄化材として利用できる。
2、液状化被害は国庫で救済すべきか?
 震災後、政府の対応が遅いと批判されると管は千葉県浦安の液状化被害地を視察し、液状化も新たな都市災害などとトボケアホ発言。液状化などとっくの昔から判っている。これを見てもかつての団塊全共闘が如何に不勉強で無知無能であるかが判るのである、。その後ろにいたのが、辻本清美。東京・埼玉・千葉。神奈川など、首都圏での液状化マップはとっくの昔に出来ている。何故それが公表されなかったのか?理由は不動産業界の反対とそれに汚染された行政の無責任である。特にコイズミ政権下での景気浮揚策が、大きく影響したのは疑いない。こんな物の後始末を、一般納税者に転嫁するセンスが理解出来ない。阪神淡路震災では液状化に対する国庫補助などなかった。何故、浦安が対象になるのか?浦安に過激派組織でもあったのか?
(11/09/06)
 


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