樺美智子がもし生きていたら・・・・60年安保闘争への決別、その弁証法的推論

 今年は日米安保条約60周年ということで、特に反安保派、いわゆる60年世代への注目が集まっている。中でもその中心は、60年安保闘争の最中で死亡した「樺美智子」という女性にあるようだ。しかも今年は彼女を主人公にした「聖少女」なる文学作品も出版され、「樺美智子」はあたかも革命の闘士のように、或いは犠牲のジャンヌダルクのように思われ、謳われいる。無論そう思う人はそう思って構わないのだが、歴史に対しいささか無責任と思われる。ここでは樺美智子がもし生きていれば、どういう人生を辿ったろうか、という点をある視点から眺めてみる。
 筆者が持っている樺美智子に対する情報は、60年安保闘争以降の断片的なものに過ぎない。むしろ、それが客観性を保証する。何故なら、しばしば情報は細部に行けば行くほど、採取者や情報提供者の主観に左右される傾向があるからである。
 樺美智子が死んだのは、60年安保闘争の最中、国会請願デモの最中、国会突入を企図する全学連と、それを阻止する機動隊に挟まれて圧死したものである。機動隊の暴行を主張する向きもあったが、実態は後方からのデモ隊の圧力によるもので、むしろデモ隊指揮側に業務上過失致死の責任がある。更に、この請願デモは社会党国会議員団の扇動によるもので、社会党にも大きな責任がある。樺美智子は東大入学後直ちに共産党入党。日共東大細胞の一員として、ブント(共産主義者同盟)結成に関わった。筋金入りの左翼活動家である。父親は神戸大学教官から、私大教員に転職しており、本人の左翼傾向は父親の感化が大きかったものと見られる。
 さて、60年闘争の挫折により、共産党は主流派と反主流派に分裂。後者の中心になったのがブントである。もし、60年に死ななかったら、彼女の人生には大きく次の二つの可能性が挙げられる。

1)相変わらず左翼路線を突っ走った場合
 一番考えられるのは重信房子のような国際テロリストへの道である。60年安保後、ブントを始めとする反日共系左翼集団は独自に反体制活動を始めるが、66年頃彼等は表面上の合同を果たし、所謂「新左翼」を結成した。70年安保を日本体制変革のメルクマークにするためである。もし、樺美智子が生きておれば、その間ブント書記局の一員として他セクトとの連絡・オルグ活動に従事していただろう。折からのベトナム反戦運動の高まりは、彼女の生き方の追い風になったはずである。
 しかし、世の中はそううまくは行かない。筆者の考えでは、70年安保闘争は68年10.21国際反戦デー・・・東京では新宿争乱事件、大阪では御堂筋デモ・・・で事実上終焉を迎えた。その後ブントは分裂し、三派全学連や赤軍派、日本赤軍などの過激セクトが生まれ、日本左翼は過激化、先鋭化の道を進む。また、社学同主導の学生運動も、プロ活動家の地下潜入に伴いノンポリ主体の全共闘運動に取って代わられる。伝統左翼の解体・消滅である。ここで、いわば伝統左翼の申し子のような樺美智子は、どういう選択を採るだろうか?大きく次の三つが考えられる。
@日本左翼の現状に見切りを付けて海外に活動拠点を設け、反米反帝反スタ活動を続ける。これが冒頭に挙げた重信房子流のやりかたである。これにも種々あって、淀号ハイジャック犯と組んで北朝鮮亡命を図るのも一つのパターンである。樺は東大卒のエリート。重信のような草の根出身ではないから、パレスチナのような過酷な環境でのテロ活動は難しいとは思うが、場所を変えれば・・・例えばニューヨークとかロンドンなど・・・使い物になるケースもある。
A国内で過激派活動を継続する。但し、対立セクトのテロに倒れるケースもある。
B何かの事件に関与し、公安にパクラれて入所。出所後カタギになってフツーの市民運動家・環境活動家に変身。今の地球温暖化問題やクジラ騒ぎは当に追い風。何処かで「クジラを護れー!」と叫んでいるかもしれない。又、昨年からの沖縄普天間問題も浮上チャンス。かつての反安保闘士として、テレビ出演に大忙しというケースもある。

2)闘争後保守に転向するケース
 闘争終了後、昔のことはすっかり忘、今度は体制派に転向するケースである。例えば官僚になるとか、学者になるとか。父親が何処かの大学教授だから、そのコネを使えば何処かの大学に就職出来る可能性は高い。今と違って、当時の学界は結構コネが効いたのである。官僚になっておれば、今頃社会保険庁長官から何処かの関連団体に天下っているかもしれない。60年でも70年でも騒動が終わると、こういうのが結構いた(特に東大卒には)。学者になっていると、一見反体制派のように見えて、その実自民党のブレーンだったりするタイプか。例えば西部遷のように。

 では、どのケースが一番可能性が高いでしょうか?ワタクシが思うに、2)のケースが可能性として一番高いのではあるまいか。何故かというと、70年頃からの左翼活動家の学歴は、大部分が地方国公立大学か私学出身。せいぜい京大止まりで、東大卒など一人もいない。東大卒は闘争の始めにはワーワー騒ぐが、山を越えると逃亡を始め、終わったらチャッカリどこかの官僚になったり、大企業の管理職に納まっているケースが多い。樺美智子がその例外であるとは考えがたい。幾ら若い時にピーチクパーチク云ったところで、東大のDNAには勝てないのである。
 いささか意地悪な見方だが、私感を抑えればこういう結論になってしまう。これが弁証法というものだ。
(10/07/07)


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