民意の嘘・・・・・民主主義の落とし穴

人に好かれようと思う人は与党政治家になってはいけない(W.チャーチル)。民意で政治が出来るなら、政治家はサルでもなれる。リンカーン曰く、人間は40を越えると、自分の顔に責任を持たねばならない。


 前回、復活した封建農村文化として3点を挙げた。後でよく考えてみると、もう一つ重要なポイントを見逃していた。それはC”祭りへの強制参加”である。祭りとは一般に、収穫時期とかの節目に神への感謝への祝祭と捉えられることが多い。感謝の印も色々あって、歌や踊り、競技だけではない。最も重要な秘儀が「生贄」である。
 古代の祭りでは、クライマックスに達すると、羊や牛、魚など様々な供物が神にささげられ、人々はそれを神と共食することによって、贖罪し新たな年を迎えた。ギリシアやローマなどの地中海地方、ケルト人の間では、生きた人間を殺して生贄とした。このような血なまぐさい行為が正気で出来るわけがない。多くは、麻薬、酒、単調な太鼓のリズムと同調する踊りから、一種のトランス状態に入り集団催眠状態になることが原因と考えられる。真子・小室夫妻は、封建農村社会の現代への延長であるネット社会の祭り=ネット饗宴の生贄になったのである。
 日本でも盆踊りなどはその典型で、たとえば大阪府南部などでは、河内音頭の単調なリズムに合わせて踊っている内にトランス状態に入る。これは単調な響きの連続から、脳内にドーパミンが分泌されるからである。そしてこれを拡大・拡散するのが、所謂、ノリ、空気である。農村ではこの祭りへの参加が強制される。参加しないものは村八分だ。そこで発生するのが同調圧力。
 この祭りへの強制参加は現代でも形を変えて行われている。例えば会社での社員旅行、忘年会、呑み会、あるいは議員政治資金パーテイーへの参加だ。現代では従来型盆踊りは次第に衰退しているが、逆に勢力を伸ばしているのがSNSにおける書き込みである。その典型が真子・小室騒動。これを拡大したのが、当にノリ、空気。これは何も日本人だけでなく、世界史上ではどんな国にもある。空気を拡大するのは民衆の意識だけではない。河内地方の盆踊りでは、音頭だけではなく、太夫と呼ばれるボーカルが重要。河内音頭の歌詞には中身は何にもないが、太夫の引張が全体の踊りを活気づける。太夫次第で、一座の雰囲気はガラッと変わる。
 太夫の天才はあのアドルフヒトラー。今の日本では誰か?大したのはいない。今度の衆院選で、大阪では維新が大躍進したが、これを支えたのが当にノリ、空気。吉村を立役者とする向きもあるが、それは彼が今の空気に載っただけ。元々中身は何にもないのだから、盆踊りと同じで「面白うて、やがて寂しき祭りかな」になるだろう。
(21/11/01)

 26日の婚姻届け提出で真子・小室問題はとりあえず終わったはずだが、そうなるでしょうか?事の発端は17年の婚約発表後、ある週刊誌が小室母の借金問題を報じたこと。これが只の民事問題の枠を超えて、皇室のあり方・伝統といった政治まで含めた問題に発展したことが混乱の実態である。
1、誰が問題を引き起こしたのか?;これはどうも小室母の元婚約者が某週刊誌記者に話を持っていき、その記者が週刊誌(週刊女性)に持ち込んだのが始まりらしい。本来なら本人に直接請求するべきだが、それを拒否されたので弁護士に相談したところ相手にされなかった。そこでマスコミへ、てなところではあるまいか。
2、さて、この元婚約者とは一体何者か、小室母については様々憶測も含め報道されているが、マスコミは元婚約者については一切報道していない。又重要なのは中間に立った週刊誌記者という人物。所属も何も明らかにされていない。根拠なき憶測と云われるのを承知で敢えて述べると、所謂事件屋と呼ばれる職業ではあるまいか?悪く言うと、火のないところに煙を立てたり、小さい火を大きく見せかけて、それを大手出版社に売り込む手合いである。皇籍離脱の直前に某ジャーナリストが小室母を7詐欺罪で刑事告発したと報じられたが、同一人物だろう。そしてその尻馬に乗ったのが「週刊女性」であり、「週刊新潮」であり、「週刊文春」だ。
3、ところがこの・・・筆者に云わせれば只の事件屋、マスコミごろつき・・・記者の言い分がネット上でいつの間にか、”国民の声”になってしまった。それどころか真子・小室結婚反対デモまでやるアホ集団まで出てきてしまった。こういうアホのやることはまともな論理では理解できない。
4、こういう論理はどこから出てくるのか?一見右翼的あるいは保守的思想に基づくように見えるが、そうではない。根本的には、明治維新の過ちだろう。明治維新は日本の近代化の一大エポックのように見られている。しかしそれは政治的には権力の中心の一部階層、地理的には江戸ー東京を中心とした一部地域にとどまり、日本全体としては江戸時代の農村社会がそのまま、着物を着替えただけの偽革命だったのである。
 その中で、西欧文明を最も正しく受け入れたのが、皇室だった。西欧文化の受け入れとは古い封建的農村文化の否定である。封建的農村文化とは何か?
@自分の畑・水は自分で守れ、という自己責任論
A村のしきたりを守らん奴は追放、という排他主義・・・この極端が村八分
B長いものには巻かれろ、という忖度主義
 この農村文化は、日本人の集合無意識を形成し、明治維新後の欧化政策、第二次大戦後の民主化政策下では一旦地下に潜るが、ほとぼりが冷めるとまた目を覚ます。これに抵抗し改革しようとしたのが、美智子上皇后であり、今回の真子元内親王だったのである。
 今回の真子・小室結婚騒動で明らかになったのは、戦後民主化で消えたはずの封建農村意識が、またまた目を覚まし、かつての大物主のようにヤマトの世を闊歩し、古い災いを復活させようとしているかのようだ。これもまた明治維新という革命の失敗作の所為だ。
(21/10/29)

 上皇、天皇らにも挨拶を済ませ、いよいよ本日は真子内親王が皇籍を離れる記念すべき日である。同時に日本とオサラバする前ぶれのような日でもある。さて筆者はこの件について個人的には殆ど興味はなかったが、一つ感銘を受けたのは、文春・新潮ら三流週刊誌、テレビニュースショーに見られる愚劣テレビメデイア、更に屑の塊保守系ネット民の罵詈雑言にも拘らず、三年間互いの信頼関係を守り耐え抜いた二人、中でも真子内親王の内面の強さである。
 歴史をたどると、皇室あるいはそれに連なる貴族女性の精神的強さに触れることが結構ある。むしろ従来日本の歴史学はその部分を無視してきたのではないか?例えば平安末期、保元の乱以来京都は常に不安定状態に置かれた。その中で武家の干渉を一切受け付けず、家族や頼ってきた人を見捨てなかった八条院宮。以仁王もその一人だ。
 あるいは幕末、公武合体の象徴として将軍家に降嫁した和宮。彼女も降嫁後、江戸城内外でアホな江戸っ子*や無責任な大奥女中による誹謗中傷に見舞われた。しかし薩長軍が江戸を包囲し一触即発の状態下で、和宮は江戸城を退去せず、かつての婚約者である征討都督有栖川宮に慶喜助命嘆願書を書いている。その結果江戸は薩長による全面報復の目に合わず、アホの彰義隊による花火だけに終わった。真子内親王は本当は非常に精神力が強いのだ。それはある意味、皇室の伝統でもあり、血でもある。それこそ「舐めたらあかんぜよ」だ。
 それにしてもいまだに二人に対する批判をやめないマスコミがいる。この件で明らかになったのは、新自由主義と言論自由に名を借りたメデイア・言論の堕落である。卑しく意地汚いの一言に尽きる。そしてその背後に、ある人物の存在が疑われる。それはアベ晋三である。そして更に彼の背後にいるのが、統一教会。両者を繋ぐのが、アッキーもはまっているスピリチュアリズム。真鍋先生が日本を離れたように、小室夫婦も日本を離れたほうが良い。何故なら将来日本列島の日本人が滅亡・・・今評判の「日本沈没」・・・しても、小室夫婦により、日本人並びに日本皇室の遺伝子は維持できるのだから。
*今の無責任マスコミの始まり
(21/10/26)

 小室圭氏帰国で空港には170人ものマスコミ関係者が殺到。その警備のために警察官が多数出動。さて、テレビではこの費用におおよそ1000万円かかる、と報道。その経費は一体誰が払うんだ、小室家が払えと言わんばかり。当たり前ですが原因者責任の原則でいえば、警備費用はマスコミがそろって負担すべきである。特に騒ぎをあおった週刊新潮・文春2誌への負担は重くすべきである。
 小室が帰国したのは真子内親王との婚姻手続きのため。マスコミに対する記者会見が目的ではない。記者会見を要求したのはマスコミである。そのための費用は要求したマスコミが負担するのが当然。
(21/09/28)

 小室圭氏帰国で今一番慌てているのはメデイア関係者ではあるまいか?一昨年に彼が渡米したころ、日本の週刊誌やテレビメデイアは彼のことをどう伝えていたか?やれ語学力に不安があるとか、卒業できるかどうかも分からないとか、卒業できても司法試験が待っているとか、彼と真子の足を引っ張ることばかり。ところが今はっきりしたのは、彼はロースクールの試験をクリアーしNYの大手法律事務所に就職が決まったこと、年収はほぼ20万ドルが得られることである。それでもまだ足を引っ張りたいアホは多い。例えば二人が過ごす住居だが、NYではこんな間取りでも月ン10万円掛かり1000万かそこらの収入ではやっていけない、なんてことをテレビでやっている。ところがそこはマンハッタンの中心部に近い超一等地。ペーペーの新入社員が住む場所ではない。郊外に行けば格安物件はいくらでもあるのだ。マスコミが他人の懐具合を心配する必要はない。
 あるいは就職は決まっても弁護士登録は未だだ、などというのもある。つまり弁護士登録をしていないから給料はもらえないだろうというのだ。ところがアメリカでは、日本と違ってロースクールを出て所定の単位を取ってさえいれば、自動的に弁護士資格が取れる。
 あるいは、NYの法律事務所が小室を採用したのは、真子を伝手に皇室に近づこうという算段ではあるまいか、などというタワケタことを言うアホ評論家まで現れた(09/27 昼のテレ朝)。イギリスには王室ビジネスというのはあるが、日本に皇室ビジネスというものはない。例えば日本の皇室が誰かを訴えたいと思っても、皇室が直接民間の法律事務所を代理人に立てることはできない。必ず日本政府が日本国内の法律事務所を代理人にたてる。NYの大手法律事務所がそんなことを知らないわけはない。それとアメリカの法律ビジネス業界は、個人的なコネがものをいうような甘い世界ではない。
 このようなマスコミによる小室叩きの背後に見られるのは、日本人特有の「妬みの論理」である。この「妬み」こそがいじめの原点である。日本マスコミにとって小室圭こそ「妬み+いじめ」の格好のターゲットになったのだ。この「妬み」は一般に破格の成功者に対して向けられる。
 もう一つ大事なことは、日本のマスコミが、国際的な法律システムについて全く無知というかナイーブだということだ。小室が目指すのは当初から言われていた国際弁護士だろう。就職先の法律事務所も主に国際的な案件を取り扱っていると思われる。
 彼らの主な業務は国際的なM&Aとか、国際的ビッグプロジェクト・・・例えば石油開発とか国際インフラ整備・・・の法務サポートだ。国際プロジェクトの場合、発注者と受注者とのやり取りは全てレターで行われそれはそれぞれの弁護士に供託される。契約面での意義が生じたとき、交渉に当たるのはそれぞれの弁護士である。巨大プロジェクトでは、法務費用だけで数億ドルに上ることがある。日本のケチな弁護士事務所とは桁が違うのだ。
 この点が何でもかんでもうやむや口約束で済ます日本との大きな違いだ。この結果、日本の弁護士は日本国内だけでしか通用しない田舎弁護士になってしまった。例えばゴーン逃亡事件の場合、身元引受人である広中弁護士は、ゴーンの奪還計画に注意すべきだったし、それを防ぐための費用を予め請求すべきだった。要するに弁護士を含め日本の法務制度そのものが国際規格に対し、大幅に遅れているのは間違いない。小室と真子にその隙を突かれただけなのだ。
(21./09/27)

誰がどう言おうと止まらないのが、自民党総裁選と秋篠宮真子と小室との結婚。これが成立すれば真子は一般人となり、日本人としての権利行使が可能になる。例えば今は皇族だから全ての権利は政府が代行することになる。仮に真子に対すヘイトスピーチがネットで流れても、抗議できるのは政府だけ。今の政府にそんな気はない。つまり皇族は何を言われようと泣き寝入りしなくてはならないのだ。
 しかし皇族を離脱すればそんな縛りはない。おまけに亭主は国際弁護士だ。たちまち起こるのが真子・小室側からの文春・新潮とかこれにおもねる芸能評論家への訴訟の嵐。真子側はアメリカ流でやってくる。日本芸能界の田舎者に太刀打ち出来ますか?
(21/09/16)

 反科学主義とは何か?要するに「科学」と云うものは、訳の分からない呪いを操って国・民族・人類の文化伝統を破壊し、人民をたぶらかし搾取するものだから排除しなくてはならないという考えである。 古くは古代ローマではテオドシウス帝のキリスト教国教化によりアレキサンドリアの大図書館がキリスト教徒によって破壊され、ギリシアの哲学(=科学・数学)が弾圧された。ヨーロッパ中近世ではカトリック教会によって科学者が迫害された。ニュートンはプロテスタントのイギリスにいたから助かった。デカルトはヤバくなったので、これもプロテスタントのプロイセン王国に亡命した。しかしカトリックのイタリアに居たガリレオは異端審問にかけられ、同じくカトリックのポーランド人だったライプニッツは火あぶりになった。このように反科学主義はしばしば宗教の形をとって現れる。
 以上の例はいささか古すぎるのでピンとこない。そこで新しい現代の例を取り上げる。現代の反科学主義にはこれまでは左翼と右翼だったが、今陰謀論という全く新しい反科学主義が生れている。
 1960年代後半、ヨーロッパでは「若者の反乱」という反資本主義活動が産まれ、それは日本にも飛び火して折からの70年安保改定阻止運動と連結して大きな社会的混乱を招いた。この運動は保守派の巻き返しで挫折・収束したが、ヨーロッパでは新たな環境保護活動としてよみがえった。これが左の反科学主義である。
 現代社会の諸矛盾・・・貧困、格差、差別・・・を作っているものは資本主義である。資本主義の発展を支えているものは科学技術である。科学技術こそ人民の敵である!。これから始まったのが70年代の環境保護活動で、これを政治運動化したのが「緑の党」。「緑の党」は穏健過ぎて反動だ、といってこれから分離した極左派がグリーンピース。その典型が反捕鯨活動というわけである。
 日本でも70年代から盛んになった環境保護活動だけでなく、原発反対運動や脱ダム運動にも影響を与えている。只彼らは単に反対するだけでなく・・・いささか偏りはあるが・・・勉強もしている。昔茨木に住んでいた頃、市役所に用事があって街まで出てきた。市役所の前に広場があって何やらイベントをやっている。そこで覗いてみると、丁度その頃大阪府がやっていた安威川ダム反対グループのブースがあった。それを見ると建設省によるダムの岩盤判定基準を持ち出し、安威川ダムの岩盤はダム基礎岩盤として不適である、と主張している。基準の解釈に問題はあるが、とにかく世の中にこういうものがある、ということだけは勉強している。
 右の反科学主義と云うのは、反資本主義という点では左と同じだが、そこに民族主義・国家主義が混じってくる点が異なる。これは人種差別主義に結びつき、最近話題の反LGBT運動にも関連する。反科学主義を反(独占)資本主義と捉えると、近代日本に於ける反科学主義運動は戦前の5.15事件や2.26事件が挙げられる。しかしこれらを起こした過激派・皇道派はその後、陸軍統制派によって壊滅させられた。
 ではこの統制派が合理的、科学的集団だったかというととんでもない。皇道派以上の反科学主義者だった。その提灯を持ったのが翼賛政治連盟とか「国体明徴運動」とかの御用右翼。科学も何もあったものじゃない。資本家におもねり利権をむさぼる堕落集団だった。そして彼らがよりどころとしたのが空虚な精神主義、科学技術の都合の良い部分だけパクって作った根拠なき楽観論。実はこれ、ヒトラーのナチスにそっくりだったのである。
 ではこの反科学主義は敗戦で消滅しただろうか?戦後の復興それに続く高度成長を作ったのは、敗戦に学んだ反・反科学主義だった。しかしその陰で反科学主義はゆっくりと目を覚まし続けた。世界的に見て反科学主義が表に出だしたのは90年代、ソ連東欧崩壊以後。この時代に流行りだしたのが新自由主義経済である。筆者はこの新自由主義経済学者・信奉者こそが新たな反科学主義の始まりと考えている。
(続く)
21/06/07)

今朝朝刊を取って中折広告を見ると、「週間事実報道」というパンフレットが入っていて、それを見ると「コロナワクチンは全く効果はなく、かえって死者や感染者を増やす」とか、何やら怪しげな記事が満載。果たしてこれは何者か?反科学主義カルトと云うのは間違いない。発行元は「事実塾」という団体らしいが、そんな団体聞いたことはない。
 そしてネットを見てみると「最近日本でも増えている陰謀論」と云うのがあってJアノンというらしい。要するに日本版トランプ主義者だ。今朝入っていた怪しいパンフレットも其の類だろう。
 では発行元は何者か?大概は文面や紙面の広告を見ればおおよそ見当がつくが、これに限っては反中・判韓・反共的文面もなく只ワクチンは危ないというだけ。だから今のところ背景は分からない。単なる独立系反科学主義団体か?但し、怪しい陰謀論者=ジャパントランプ主義者がここ高槻にも現れていることは間違いない。
 では反科学主義とは何者か?
(21/06/03)

 大阪府の25年万博招致委員会最高顧問に、堀江貴文が就任することになった。橋したは確かその前に同じ地位についているはずである。これに村上世彰が加われば、平成マネー三悪勢ぞろいだ。これに松井を加えると、ガラクタ四悪になる。
 さて、この四人の共通点は何でしょうか?それは反知性主義*ということです。マネーと力を最大限に信じるという点ではトランプとも共通します。一方対するパリは、中世以来ヨーロッパの、近代以降は世界の知性の総本山。25年万博招致は、反知性主義vs知性主義の対決になりそうです。さて、万国博は19世紀に始まり、近代世界の文明のシンボルでした。それをリードしたのはヨーロッパ知性主義。近代オリンピックも19世紀の知性主義から始まったもの。ところがそれでは行き詰ってしまって、84年ロス大会から商業主義=反知性主義が前面に出てきた。今度の20年東京大会も世間(日本ではなく世界)では、金で買ったようなものだ、と揶揄されています。
 ということは、25年万博も、意外と大阪が勝つかもしれないのです。ただしそれまでトランプ主義が生きていればお話です。
*反知性主義については別項に移動します。
(16/12/24)

 反知性主義というのは、読んで字の通り、知性に歯向かいそれを否定する思想です。知性とは人類(ホモサピエンス)が2〜30万年前アフリカのサヴァンナを出て中東に定着し、更に年月を重ねて世界に散る過程で習得した、これまでの経験と知恵の集大成です。
 人間の脳内から分泌されるホルモンには、アドレナリン、ドーパミン、ソレトニン、オキシトシンの4種があるとされます。これらの内最も原始的なものがアドレナリンで、これは防御本能を司り、仲間や集団の結束を促します。これが本能と呼ばれるものになります。
 アドレナリンの分泌が過剰になると、逆に攻撃的になる。重症覚醒剤中毒患者が無差別殺人を犯すことがよくありますが、これは覚醒剤によって脳内ホルモン分泌バランスが崩れ、アドレナリン過剰状態になった結果です。アドレナリンがある集団・民族に共通するようになると、ユングの云う「集合無意識」という民族的本能が形成される。集合無意識が過剰になると集団・民族間の争いから戦争に発展します。これをほおっておくと、民族の絶滅に繋がりかねない。これを防ぐためには、集合無意識の拡大・・・アドレナリン過剰分泌・・・を防ぐしかない。
 アドレナリン抑制物質がソレトニンで、これを基に編み出されたのが、宗教・哲学・法律といった知性です。又ドーパミンから文学・芸術という文化、科学・技術といった文明、更にオキシトシンから友愛と云った人間の特性も生まれてきた。
 反知性主義とは、これら人間の特性を全否定し、原始的本能つまり集合無意識の発現・拡大を促進する思想又は運動です。こういう運動はヨーロッパでは何度も繰り返し発生した。ニーチェの有名な「神は死んだ」*という言葉もこの一つと思えばよく分かる。
 現代における最大の反知性主義運動は、いうまでもなくドイツにおけるナチズムです。これはドイツ=ゲルマン民族の原始的集合無意識に火をつけ、第二次世界大戦という災厄を招いた。ナチズム崩壊までの反知性主義運動が武器にしたのは、力と伝統です。ところが前大戦でこれらによる世界制覇は無理だと分かった。そして今彼らが手にしようとしているのが、一つは数の力、そしてマネー(お金)です。
*これは資本主義に対するアンチテーゼ
(16/12/24)

 フランス野党統一候補予備選挙は中道右派のフィヨンが圧勝した。フランス中道右派(ドゴール派)というのは、日本でいうと、かつての自民党主流派、アメリカの共和党主流派に相当する。ところが時代は変わり、両方とも極右勢力に乗っ取られつつある。
 日本自民党国会議員の2/3は、今や極右の日本会議やその影響下にある。アメリカ共和党も、トランプ支持者を無視できなくなり、あわや分裂の危機にある。フランスはぎりぎりの線で極右を抑え込んだところだが、予断は許さない。それはトランプのイスラム敵視政策が、ヨーロッパでのテロをますます増大させ、右派・・・つまり民族主義、内国主義、孤立主義勢力・・・を増強するからである。
(16/11/29)

 昨日は自民保守、特に右翼の巣窟「日本会議」にとってショックな出来事が二つありました。一つは沖縄県議選で翁長与党が勝利したこと。もう一つは川崎でのヘイトスピーチデモが反対派の圧力で解散に追い込まれたことです。
 沖縄知事選については年初来、辺野古埋め立て工事の維持延期とか、沖縄振興策とか、オバマの広島招待とか、いろいろ下手な”カブキ”をやっていたが、沖縄女性殺害事件がありおまけに投票前日に海兵隊員の酔っ払い運転事故のような共演者のチョンボが続いて何にもならなかった。
 川崎ヘイト行進事件では、結局ヘイト側は解散してしまった。昨今の世界全体の保守化傾向は、どの国でも民族主義・愛国主義を煽る。ヘイト側はこの潮流に載って勢力を伸ばしてきたが、思わぬところで躓いてしまった。
 一般にある勢力(これは宗教でも団体でも生物種でもなんでもよい)が成長を始めるときは、最初は極く小勢力で目立たないのだが、時間が経って外部環境が変化して、それに適応してくると、突然大勢力に拡大することがある。ところがそれがアクメに達すると、今度は逆にあっという間に絶滅してしまう。日本の歴史では平家や織田信長、豊臣政権などがこの例に当てはまる。
 古生物学的にもこういう現象はいくつも認められる。例えば古生代後期二畳紀に繁栄した紡錘虫という虫は、原生種は石炭紀中期に始まるが、殆どいるかどうか判らないような小さな虫だった。それが二畳紀に入ると急速に勢力を伸ばし、後期にはテチス海は紡錘虫の海といって良いぐらい繁殖した。個体の大きさも、元は顕微鏡で見なければ判らないぐらい小さかったのが、絶滅種では5円玉ぐらいになってしまった。それがあっという間に絶滅してしまった。その理由はいまだに謎である(P-T問題)。
 ということで、今を時めく保守民族派(これは「日本会議」だけではなく、アメリカのトランプ派やヨーロッパのネオナチ等)も、いずれ間もなく絶滅するでしょう。何故か?それは地球が丸いからです。丸いということは表面積に限度があるということ。従ってそこに蓄えられている資源にも、限度があるということです。つまりそんなにいくつもの孤立主義を支えられるほど、地球は大きくないのだ。この原理を理解しない、つまり地平線は無限に広がっていると錯覚している人間が結構多いのだ。
(16/06/06)

 明治38年9月、首都東京はかつてない緊張に包まれた。日露戦争終結に伴うポーツマス講和条約に反発する民衆が、大挙して交番を焼き討ちするなど騒乱状態を起こした。所謂日比谷焼き討ち事件である。日露戦争で日本は戦争に勝ったが、外交的には負けたと言って良い。樺太全島をと思っていたが半分に値切られ、満州の権益も遼東半島と満鉄線沿線に限られた。これでは満州の原野に散った10万の英霊は浮かばれない、と心ある民衆が立ち上がったのである。これが当時の「民意」だった。これを背後で煽ったのがマスコミ。ところが政府・軍部は民意を無視して、軍隊・警察を動員して「民意」を弾圧した。もし当時の政府が「民意」に同調して講和条約を拒否したらどうなるか?アメリカは調停の座から降りるから戦争は再開する。その内ロシアの逆襲もあるだろう。そうなれば僅かな権益どころか、満州に残った日本軍が壊滅する可能性もあったのである。
 明治の政府・軍は民意を無視した。しかし昭和の政府・軍は反対に「民意」を考慮し過ぎたと言うと、例えば大江健三郎のような・・・ノーベル賞しか取れない・・・不勉強な劣等生は、戦前・戦中の日本を軍部独裁体制で、国民は自分の意志を示すことが出来なかったと主張するが、本当でしょうか?確かに戦争反対で弾圧された人も居たが、それは一部の左翼系か反東条派人脈で、大部分の国民は戦争に協力していたのである。そしてそれを煽ったのもやはりマスコミ。昭和15年2月衆議院(第一次米内内閣)で斉藤隆夫が有名な「反軍演説」を行ったが、その主旨は大陸からの全面撤兵を試行する軍に対し「領地の一片も奪わず、償金の一つも得ないで撤兵するとは、これまで犠牲になった英霊に対し何と申し開きをするのか」と言うものだった。これが民意となり、この民意に押されて政府・軍は撤兵の機会を失い、戦争拡大の道を進まざるを得なくなったのである。昭和の政府・軍は明治のそれと違って、民意に対し大変気をつかっていたのだ。そしてこれは何も日本だけのことではない。
 目をヨーロッパに転じて見よう。1938年9月ドイツはチェコに対し、ズデーデンラントの割譲を要求した。チェコは当然反発するが、ドイツの圧倒的な軍事力には対抗すべくもない。そこで英仏に仲介を要請するが、両方の国民の多くは、戦争の再来を恐れチェコへの過剰介入に反対した。これが民意となり、民意を背景にした英首相チェンバレンは、ドイツの要求に屈する形で、ズデーデンの割譲に同意した。これがミュンヘン会談である。これに反対した政治家はイギリスのチャーチル一人。彼は当時の民意からは、浮いた存在だったのである。しかし、これに味を占めたヒトラーは、今度はポーランドにダンチヒ回廊の割譲を要求した。これに対しポーランドは断固拒否。遂に第二次世界大戦が始まった。これは政治が民意に従って失敗した典型例である。しかし、仮に民意を無視しても戦争になったのではないか、という見方もある。ではミュンヘンの時に英仏が民意を無視し、ドイツに軍事的圧力を加えたとしたらどうなっていたか?必ずしも戦争にはならず、逆にドイツ国防軍による反ナチクーデターの可能性もあったのである(ニュルンベルグにおけるハルダー*の証言;W.L.シャイラー「第三帝国の興亡」)。それをぶち壊したのが、英仏の「民意」だったのだ。チェンバレンは単にその生け贄になっただけだ。
 このように民意と言うモノは甚だ捉えにくく、又近視眼的で今のままを要求し、しばしば歴史の方向性をねじ曲げたり、後戻りさせるのである。政治家にとって必要な行動・資質は民意におもねることではなく、民意を正しい方向に導くことである。しかし、正しい方向とは何かは、お釈迦様やキリストでもない普通の人間には判らない。上に挙げた例から云えるのは、一つののコツは民意の反対をやることである。なかなK勇気のいることですが、これが出来れば歴史に名を残せる。
*フランツ ハルダー;元ドイツ国防軍陸軍参謀総長、上級大将。1937年ベックのあとをついで参謀総長に就任。ポーランド戦からバルバロッサ作戦までのドイツ陸軍作戦を主導。バルバロッサの失敗で解任。1944年反ヒトラー陰謀に加担。45年逮捕投獄されるが、処刑直前に脱出に成功。伝統的な歩兵中心主義者で、革新的機甲中心主義者のグデリアンやマンシュタインらとはそりが合わなかった。ロンメルが、主戦場の対ソ戦ではなく支作戦であるアフリカに追っ払われたのも、ハルダーに嫌われたため、という説もある。
(12/09/05)

81日西部論文。マニフェストデマ政治批判。しかし、よく考えると、ここ10年、日本国民はこの種のデマに曝され、なおかつデマを信じ、自らデマにヨイショしてきたのである。まず、コイズミカイカクというデマ、次ぎに政権交替というデマ、そして今は維新・脱原発再生エネルギー・国民生活第一というデマ。つまり、この国民は、過去にデマに騙されたにも拘わらず、相変わらずデマを追い求めている、と言えるのである。

 このようなデマは今の時代の特色か?いや戦前にもあった。一つは満州国というデマ、一つは昭和維新・国家革新というデマ、もう一つは八紘一宇・東亜解放というデマ。これらのデマの連続で、日本人はとうとう国を滅ぼした。と言うことは、冒頭に挙げたデマの連続により、今の日本人もやがて国を滅ぼす運命にあると考えられる。これはゆゆしきことである。そしてそれを煽るのが、今も昔もマスコミジャーナリズムなのである。

 では、このようなデマ時代は日本の歴史で普遍的か、というとそうでもない。明治維新から日露戦争、戦後から高度成長期にかけては、デマの少ない・・・デマが発生しにくい時代だった。ところがあることがきっかけで、日本人はいきなりデマに弱くなるのである。戦前は鈴木商店の倒産に始まるバブル崩壊。今度も日銀三重野の勘違いというか、妄想によるバブル崩壊。戦前と現代デマ環境を比べると、1)永続くデフレ、2)既成政党の無能・無策、これらが相まって作られた3)出口の見えない閉塞感が共通している。事態打開策として戦前、国民は既存政党でなく軍部に期待を寄せたのだが、これが口先と違って、やらせてみるとまるっきり無能。今の民主党みたいなものだ。今反民主勢力と称する烏合の衆も似たようなもので、政権を獲っても同じ轍を踏むだろう。それでもこの国民は、デマが振りまく、見かけ倒しの甘い夢にすがり続けるだろう。

 その前の雨宮ナントカという女の意見。脱原発デモのバカ騒ぎにココロを奪われ、直接民主主義の胎動が聞こえるなどと、訳の判らぬ妄言。この女、懐が貧困だけでなく頭の中も貧困らしい。どうも一般の日本人は、直接民主主義が理想的政治形態と錯覚しているようだ。これは中高校の誤った社会・歴史教育の所為と考えられる。過去、世界で直接民主主義が行われたのはアテネだけ。北方ユーラシアの遊牧騎馬民族から、アメリカ先住民も大部族集団は皆代議制である。しかもアテネはギリシアの中の一都市国家に過ぎない。スイスが直接民主主義国家と錯覚している人間も多いだろうが、実際は一部の州だけ。どちらも人口は、今の日本では地方の一中堅都市レベルだ。いわば完全同質社会。そんな社会で行われたシステムを、多様性を前提とする現代民主主義社会に適用出来るわけがない。しかも、直接民主制と言っても、だれでも参加出来るわけではない。極めて限定された階層にのみ適用されたシステムなのである。それに参加出来るのは、アテネでは一定の資産を有する自由民男性だけで、女性・子供・奴隷は適用外。今のスイス某州でも、有権者は税金を払っている男性だけ。今の日本で云えば、せいぜい所得税・住民税を払っている本人だけ、ということになる。つまり、税金を払っていない貧困村住民とか、公的年金をはらっていない芸人・タレントは、直接民主制適用外なのである。そういう直接民主制なら、私も大賛成だ。

 70年安保と直接民主制と絡めるアホもいる。あの当時、大学でも卒論や何やらで、民主的研究を試行したケースがあることは知っている。かくいう筆者も、昔ある業務で民主的なやり方を試行したことがあるが、結局は一回きりで止めた。何故なら、民主的やり方に参加する人間は、最期まで責任を持たないのである。都合が良いときはあれやこれやと騒ぐが、悪くなると途端に逃げ出すのが多い。結局は誰かの負担が増すだけ。それだけではなく、そういうやり方では人が育たない。企業は人なり、国家も人なり、だ。代議制民主主義はともかく、直接民主主義は人の育成を阻害するのである。

 直接民主主義の末路は、概ね次の3パターンに分けられる。

1)議論が分散して結論が得られず、いつの間にか雲散霧消      ・・・・・ベ平連型

2)内部がセクト化し、権力抗争・内ゲバの連続。その内世間から見放される・・・・・全共闘、三派全学連型

3)内部に強力なアジテーターが現れ、彼が権力を掌握し独裁体制を敷く・・・・・アテネの潜主制、松崎動労型、今の橋した維新もこのタイプ  

 つまり直接民主制というのも、一部の歴史学者や法学者がでっち上げたデマなのである。

(12/08/05)

【恥ずべき民意】
 先日某刑事裁判(裁判員裁判)で有罪判決が下された。被告はアスペルガー症候群で、これは裁判官も認めている。しかし、下った判決は驚くべきものだった。判決は被告が同症候群であることを認めたが、同症候群は完治する見込みはなく、出所後も再犯をおかす可能性が高く、出来るだけ長期間刑務所の拘置する事が望ましいとして、求刑を上回る懲役20年を言い渡した。 弁護側は即時控訴を決定。上級審では原判決は棄却・再審になるだろう。
 筆者が問題にするのは、本裁判は裁判員裁判であるから、この判決並びに判決理由は、”民意”を反映したものと解される、という点である。ずばり云えば、この裁判は人民裁判に他ならない。日本の裁判に人民裁判論が忍び寄っているのである。
 そこで問題になるのは、”民意”とは何か、である。民意とは、やり方によっては、その国民の民度・恥を国際的にまき散らすタネになりかねない、と言う点に注意。
(12/08/04)


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