タワケ佐々淳行の妄言色々

 先日、当社hpに、ある読者(ウェブネームさすらい丸)から、佐々淳行という人物評価について筆者の見解に対する批判投稿がありました。要旨は次のとおりです。
1、佐々淳行は最近得難い人物である。
2、冬山遭難者に対する佐々の対応は正しく、遭難者は税金泥棒である。
 これに関する筆者の反論は掲示板に掲載したが、これは一時的なものなので、ここであらためて論点を整理して筆者の主張を述べておく。筆者の主張は佐々淳行発言の殆どは、根拠のない妄説に過ぎないということである。まずこの点を以下の諸点に照らして論証する。
1、冬山遭難者は税金泥棒だったか?
2、自衛隊派遣で2000人が救えたか?
3、イラク特措法関連発言

1、冬山遭難者は税金泥棒だったか?
 これは既に下に述べてあるが、投稿者はこの説明では納得出来ないようなので(筆者も、今では余り上手いやり方ではなかったと思っている)、改めて別の視点から論証を試みる。この事件はある年(佐々が富山県警本部長だったとき)、剣岳方面で遭難が発生し、富山県警山岳救助隊が出動したことが発端です。遭難者は無事救助されたのでしょう。その時佐々本部長が遭難者に対し救助費用を請求するよう指示を出したというものです。この点につき、佐々はもとよりさすらい丸氏も重大な点を見過ごしている。佐々は登山者が「雪よ山よ・・・」と遊びがてら入ったと思っているかもしれないが、立山・剣は夏と冬とでは様相が全く異なる。厳冬期の北アルプスへは山岳救助保険(掛け捨て)に加入していないと入山は認められない。立山・剣岳方面は富山県警の管轄。剣岳の厳冬期登山口は、夏と違って立山町芦クロ寺に限られる(早月尾根ルートが一般で、ここ以外のルートはアプローチが長く危険なので誰も使わない)。冬季中ここには立山署の出先が設けられ、入山者を厳しくチェックしている。厳冬期に剣に入る登山者がこのようなことを知らないはずがないし、そのような人間の厳冬期入山を富山県警が認めるはずがない。従って、遭難が発生したときの救助費用は保険から支払われることになる。但し実際は、通常警察が行うべき救助活動とそれ以上の救助活動(例えば民間救助隊の費用など)は別で、前者は税金から、後者が保険からになる。前者は通常予算であって年度頭初に予算化されている。遭難があろうがなかろうが必要な経費(例えば日常の山岳パトロールなど)である。つまり救助費用は保険と警察の通常予算によってカバーされるから、遭難が発生したからと云って、予算を越える支出は発生しないのである。これを越えての請求は保険部分については二重請求になり、通常予算部分については地方自治法違反になる(裏金の温床)。仮に遭難者が費用を支払いましょうか、と言ったとき富山県はどういう対応を取るのでしょうか?受け入れる窓口がないのです。払えと云われて支払って、あとで裁判になると富山県が負けてしまう。実際、富山県でも新潟県でもそんな費用請求は聞いたことはないし、富山県でも佐々の前後で聞いたことはない。佐々の主張は法的に無理だ、ということだ。
 保険による費用弁償システムは昭和30年代末から40年代前半にかけて、全国的に整備された、富山県はむしろこのシステムの先駆者で、佐々が本部長に着任(昭和50年前後か?)する以前には出来上がっていたのである。それにも拘わらず、遭難者に費用請求せよ、などというアナクロ発言をしたのは、佐々自身がこのシステムを全く勉強してこなかったことに他ならない。しかし、大阪府や神奈川県ならいざ知らず、富山県警なら山岳救助が警察任務の中でも重要な位置を占めていることぐらい判りそうなものだ。この一件からだけでも、佐々淳行という人間が如何に勉強嫌いの怠け者であるかが判るのである。
 なお、山岳遭難が発生したとき、県警本部長たるべきものの役割は、救助費用を遭難者に請求するというようなセコイことではなく、遭難者が無事救助されたかどうか、救助作業が円滑に行われたかどうか、救助システムに欠陥がなかったどうかを確認し、もし不備があればそれを補強し、システムを整備し、後顧の憂い、将来の禍根を絶つことである。
 以上から云えることは、遭難者は税金泥棒でも何でもなく、富山県警本部長佐々淳行は、只の早とちりのアホだということだけだ。

2、自衛隊派遣で2000人が救えたか?
 都知事選後の記者会見か何かで、石原慎太郎が「兵庫県南部地震で、直ぐに兵庫県が自衛隊の出動を要請しておけば、2000人の人命が助かった」という意味の発言をした。これに対し兵庫県知事が「全く根拠の無い話しである。地震直後の死者2000人は建物圧壊によるもので、救助の遅れとは無関係である」と猛抗議すると、慎太郎は「あの話しは佐々淳行の受け売りだ。詳しいことは佐々に聞いてくれ」と逃げまくり。もし、2000人発言が本当なら、この件は馬鹿(石原慎太郎)とタワケ(佐々淳行)の二人連れだ。
 これ以後、石原や佐々からこの件に関する弁明を聞いたことがない。しないと云うことは、佐々自身が2000人云々が嘘っぱちであることを認めたのか?佐々は今や内閣顧問として政権中枢にある公人である。従ってその発言は単なる個人発言とは見なされない。一刻も早く公人としての説明を果たすべきだろう。

3、イラク特措法関連発言
 イラク戦争開始前、アメリカは有志連合を組織し日本にも圧力をかけてきた。このとき、自民党の一部や狂信的保守系言論人がアメリカの提灯をもって、各種メデイアを通じて有志連合参加を主張し続けました。この時彼らの先鋒として、「世界の大勢はアメリカにあり、この機会に有志連合に参加しなければ日本は国際的に孤立する。『バスに乗り遅れるな』」と各地に説いて廻ったのがタワケの佐々淳行。彼を後ろで操っていたのが、岡崎久彦、中西輝正、森本ナントカ等現在の安部政権外交安保顧問団メンバーのタワケ達。何も考えずに尻馬に乗ったのが田原総一郎。この時、佐々が「バスに乗り遅れるな」運動の一環として行った講演が、筆者が佐々淳行批判のきっかけとなった、ヨーロッパ人(騎馬民族)vs日本人(農耕民族)説である。この説の荒唐無稽さは既に論証してある
 さて、大事なことは、実は戦前これとそっくり同じことが起こったということである。1939年ナチスドイツはポーランドに侵攻し、よく1940年フランスを屈服させ、東はメーメル川から西はピレネーまで、ヨーロッパの80%を支配下においた。ヨーロッパ新秩序の到来である。最初にバスに乗ったのはイタリア。日本は一部に未だ抵抗はあったものの、ナチの勢いに押された軍部(陸軍の一部)と、キチガイ右翼(例えば蓑田胸喜、安岡正篤、戦後は三島由紀夫とか石原慎太郎がその後継者)による妄動と脅迫、無能政治家の日和見主義により、40年10月三国同盟に調印する。ではこのバスの行方はどうなったか?バスは最初こそ調子よく走っていたが、その内、ガス欠、エンジン不調、車体故障が頻発し、とうとう横転爆破。乗員乗客ともに壊滅という悲惨な結果に終わった。もっとも。イタリアは途中でさっさと途中下車してしまったが、日本は最期までしがみついていたのです。
 かつて佐々や岡崎が乗車を奨めた「有志連合」というバスは、今どうなっているでしょう?当初いた乗客の殆どは、みんななんだかんだと理屈をつけては途中下車してしまった。バス自体もパンク寸前。運転手も目的地が判らなくなって、ただウロウロと同じところを廻るだけ。ガソリンも足りなくなって何時エンストするか判らない。しかし日本は性懲りもなく、このオンボロバスにガソリン補給を行っている。但し、来年は間違いなくこのバスの運転手もオーナーも交替する。日本のことなど忘れてしもとるよ。

 以上挙げた3点から佐々淳行とは如何に口先だけで中身の無い、狂信的でいい加減な人物であるか、がよく判ります。実はこの手の人物が過去にもいた。それはノモンハン事変当時の関東軍参謀辻正信である。彼は根拠のない対ソ脅威論と、いい加減な敵情判断で突出的作戦を行い大敗北を喫した。理由は根拠の無い予断・独断でそれらしいストーリーを作り、それによって世論(この場合は関東軍司令部)をその方向に誘導し、結局は第23師団の壊滅という破局を導いたのである。又、この時彼は、連隊長の一人を罷戦の疑いあるとしてこれをマスコミに売り、更にソ連軍に捕虜になった将校(ヨーロッパでは捕虜になることは名誉である)に自決を強要した。先に述べた佐々の冬山遭難者やイラク人質に対する救助費用請求などは、辻正信的狂信冷血振りと共通している・・・要するに「人でなし」ということだ。

 元大日本帝国陸軍軍人にして、冷血殺人鬼・凶悪犯、戦後の日本国参議院議員(自民党所属)辻正信は、ベトナム戦争末期の1967年前後、ベトナム或いはラオスに潜入すると言い残して、行方不明になった。その最期は不明であるが、ラオスに潜入しようとして中国(当時日本とは国交がなかった)に潜入し、林彪麾下の人民解放軍に逮捕処刑された、というのがどうも一番信用出きる情報らしい。しかし奇異なのは現職の国会議員が行方不明になったにも拘わらず、国会も自民党も、辻の捜索に乗り出した事実がないことである。あんな奴どうでも良いというのが本音だろう。

 昭和17年。マレー作戦時、第25軍司令官山下奉文中将は参謀辻中佐を評して曰く「・・・辻中佐、第一線より帰り、私見を述べ、色々の言ありしという。この男、やはり我意強く、小才に長じ、いわゆるこすき男にして、国家の大事をなすに足らざる小人なり。使用上注意すべき男也」。これは筆者の佐々淳行に対する評価と全く同じなのだ。

 以上のことから佐々淳行という人物は
1、何ら根拠の無い風説を流布し、世論を誤誘導する傾向がある。彼の判断はお粗末で迷惑至極である。
2、彼(と彼のシンパ。即ち岡崎久彦、中西輝正、森本ナントカ、更には「新しい教科書を作る会」のメンバー)の目指すところは、民主主義を否定し、国民を強権で統治する官僚統制国家の再構築である。従って、彼は民主主義社会にとって極めて危険な存在である。
3、確かに彼は「さすらい丸」氏の云うとおり、「最近得難い人物」であるというのは間違いなさそうである。但しそれは、最近得難い超アナクロ、ノーナシ、薄ら馬鹿という点でです。

 筆者が懸念するところは、このようないい加減な人物が現在内閣顧問として政権中枢にあるため、このアホおやじが馬鹿なことを言い出して、偏差値30のテイノー道楽息子安部晋三がそれを真に受けることになったら、日本は大変なことになってしまう、ということである。必要なことは一刻も早く、このアホを誅殺し、この世から追放することである。更に筆者が抱いているのは、例の松岡自殺事件の深い部分で、佐々が何らかの関わりを持っているのではないかという疑いです。
(07/06/02)

 


 04/04に発生したイラク人質事件に関する彼の妄言を二つ取り上げます。

1、妄言その1(地の果てまで犯人を追いかける)
 人質事件発生後の、04/04/11サンデープロジェクト。「・・・地の果てまで犯人を追いかけて、裁判にかけるべきだ」。そうですか、彼は「地球が丸い」ということを判っていない。丸い地球に、「地の果て」など存在しない。「地球が丸い」ということは、どういうことか、というと、敵と味方が知らない間に、入れ替わってしまうことである。まず、犯人を追いかけるのだから、犯人は自分の前にいるはず。逆に自分の後ろにいるのは、味方ということになる。では丸い地球上を、どんどん犯人を追いかけていったとしよう。犯人の逃げ足が早いと、犯人は知らないうちに、自分の後ろにやってくる。つまり、犯人(敵)はいつの間にか、自分の味方になっているのである。この種の例は、歴史上掃いて捨てるほどある。
 60年安保闘争は、日本を反米・親米の2極に分けた大騒動だった。事実上の米ソ代理戦争だったのである。当時の総理、岸信介はこういったと云われる。「なーに地球は丸い。左へ左へ進んでいくと、いずれ右にやってくる」。その例が、現在保守論客第一人者である、西部遷である。彼は60年当時の日共東大細胞の責任者、今じゃ自民党の走狗である。卑怯者は何時の時代にもいる。今のイラク情勢をこの視点で考えてみよう。あの政府代弁者にしか過ぎない拓殖大の森本ですら、最近はアメリカのミスマネージメントを認めている。これは、今のイラクを、責任持って統治出来る権威は存在しない、ということである。イラク国民もバラバラ、暫定統治評議会もバラバラ。肝心のアメリカですら一枚岩かどうか疑わしい。このような状態で、佐々のような単直線指向で行ったらどうなるのか。今判っている事実は、人質誘拐犯は、必ずしもテロリスト(アルカイダのようなプロ)ではなく、地元の人間だと言うことだ。要するに、ノンポリが、誰かから煽られて、武装し、過激行動に奔っただけのことである。なおかつ重要なことは、これらノンポリが「草の根」パワーを握っているのである。イラクの今後の予測は難しいが、少なくともアメリカ一遍道の統治評議会が、実権を持つケースは考え難く、ノンポリ「草の根」パワーが、底辺で実力を握るケースが一番可能性が高い。相手が混乱し、どれが敵で、どれが味方か判らないときは、とりあえず両方に合図を送り、保険をかけておくべきである。佐々のやり方で行けば、いずれ彼らを敵にまわすことになり、将来の日本の国益を著しく損なうものである。

なお、佐々淳行のようなやり方は、とても民間企業では採用出来ない。民間企業が、官庁業務を受注しようとする場合、相手を一つに絞ることはしない。本命の役人には、必ずライバルもいる。こっちとしては、ライバルにも手を回す。そうでなければ、本命が人事異動でどっかへ行ったり、交通事故であの世へ行ったりしたら、どうするんだ。佐々のやり方では、下手をすると会社を潰してしまう。官庁OBとして採用不可。


2、妄言その2(人質のおかげで政府は大変な迷惑を蒙った。金返せ!)
 これこそ、日本の保守層に特有の、鎖国思想の現れである。これが、今回の人質事件で、これほど露骨に露呈されたことはない。鎖国主義こそが、木っ端役人の自己防衛本能の現れである。彼は富山県警本部長の時に、冬山遭難事故救出対策費を家族に請求したことを、いかにも自慢げに話していたが、こんなもの、自慢にも何にもならない。自分の無知と狭量さを、TVを通じて公開していただけである。筆者は彼の妄言を聞いて、軽蔑の念を禁じ得なかった。まず、富山県の冬山が、日本にとってどういう意味を持っているかを理解していない。富山県を代表する高峰は、立山・剣岳であるが、特に厳冬期剣岳の難度は、ヒマラヤに匹敵するもので、ヒマラヤ遠征のトレーニングによく使われる。これが、佐々の云うように遭難費用が全額家族持ちになったら、登山者は富山県を避けるようになる。つまり、富山県の観光収入が減少する。それだけではなく、貧乏人のクライマー(というか、日本人で世界に通用するクライマーは殆ど貧乏人出身。今井通子はブルジョワだが、彼女は正しい意味でプロクライマーとは云えない)は富山県を避けるので、日本のクライミング技術の低下につながり、かつてのようなヒマラヤでの栄光が、夢物語になる。ここで、俗物ほど「そんなものはどうでも良い」というだろう。しかし、外国人、特に欧米人は、勇気にこそ敬意を払うのである。ヒマラヤ8000mを最初に登ったアジア人、チョモランマに最初に登ったアジア人、南極に最初に行ったアジア人、いずれも日本人である。それが当時のアジア人に、どれだけ誇りを持って迎えられたか、佐々のような俗物には理解出来ないだろう。佐々の妄言を受け入れれば、日本人は早晩、アジアのリーダーの地位を捨てなくてはならない。もうかなり奪われているが。幾ら金持ちになっても、勇気の無い国民が得られるものは、冷たい軽蔑だけである。
 彼は、今回の人質事件に際し、どれだけの経費が懸かったか、週末の休みを取り上げられて迷惑を蒙ったなどと、次元の低い木っ端役人的発想で、人質を非難していたが、当に役人・公務員というものは、そのためにこそ存在するのである。「百年兵を養うは、当にこの時にあり」と言う言葉をしらないのか。「週末の休みを取り上げられた」、などという発言を聞いて、腹がたつのを通り越して、情けなくなった。官僚の堕落はここまできたのか、という思いである。そもそも、役人というものは、こういう場面に備えて、税金で飯を食わせているのだ。これが嫌なら、さっさと役人を辞めるべきだ。佐々は、「元官僚の端くれとして、今後もお国のために役立たせて頂きます」などと、ぬけぬけとほざいておったが、こんな文句の多い意気地なし・・・・何処の会社にも、普段は威勢のいいことを云うが、いざとなると、やれ部下が少ないとか、予算が足りないとか、ぶつぶつ文句を言う手合いは居る。週末の家族団らんを邪魔されたなどという、ノーテンキなことを云う奴はその典型・・・は迷惑千番。こんなノー無し、役に立つ訳がない。筆者は29才で管理職になったが、管理職たるもの常在戦場・24時間勤務,、事に当たれば徹夜・残業は当たり前。それに対して残業手当をくれ、とか文句を言ったことはない。但し、部下と上司・経営者のノー無し・無責任に頭にきたことはあるが。
 先ず、人員が誘拐されて、人質になったことよりも、人質が解放された経緯についての吟味の方が重要である。何故なら、人員が誘拐される可能性は、当時・当地では幾らでもあったので、日本人だから、NPOだから、というのは全く理由にならない。むしろ、解放理由の方が重要なのである。当初の日本人人質3人、次の2人は、NPOで対米協力者ではないことが判って釈放された。一方アメリカ企業のガードマンを請け負ったイタリア人は殺された。もし、日本人人質5人がNPOではなく、政府職員、或いは対米協力企業エージェントだったりしたら、殺されている可能性は極めて高いのである。そうなれば確実に政局に発展し、内閣総辞職という事態に発展しかねない。彼らは辛うじて、内閣の破綻を救ったのである。それを僅か数10万の金で、自己責任だ、弁済だという、このセンスが木っ端役人なのである。
 更に重要なことは、この種の事件が海外で、どう評価されるか、である。外国、特に欧米諸国は、結果は何であれ、その動機、そして何よりも勇気があるかどうか、に注目する。その視点から見ると、人質3人+2人は、欧米から評価されても、軽蔑されることはない。むしろ、彼らの行動に対し、金を払えなど低次元の対応しかできない、日本政府や保守系政治家の方が、軽蔑を買うのである。幾ら金持ちになっても、勇気を持てない人間が得られるものは「軽蔑」のみである。
 彼の一連の発言を聞いて、佐々淳行と言う人物を評価すると、何処の会社にも居る、小心で口うるさい経理係長といったところである。会社の隅々まで眼を光らせ、一寸でも上層部批判をする奴がおれば、幹部に御注進・御注進と云って言いつける。みんなからは嫌われることはあっても、決して尊敬されず、買うのは軽蔑のみ。こういう人物は何よりも、通常の業務の流れが変わることを嫌う。昨日から今日、今日から明日へと、何事もなく移っていくことが彼の理想、飼い慣らされた羊の群が理想の会社なのである。群の中で暴れたり、群から離れようとする羊を、彼は許すことが出来ない。何故、羊がそういう行動をとるのか、ということを直ぐには理解出来ない。そこで、彼は羊がそのような行動をとる理由を考える。その一つに外のオオカミからの誘惑がある。そこで、羊飼いは羊を放し飼いにするよりは、小屋の中に囲い込み、オオカミの声が聞こえないようにする。こうすれば、羊飼いは安心して居眠りが出来る。これが鎖国主義なのである。では、その小屋に誰かが火を付けたり、国王がやって来て「羊を寄越せ」といった時、彼はどうするだろうか。何もせずに羊を無駄死にさせるか、国王に引き渡すだろう。ナチの手先は、みんな彼と同様の真面目で、無思想の木っ端役人だったのである。
 会社というものは、どんな場面でも、何らかのリスクを背負っているものである。この程度のリスクで会社が迷惑したとか、余計な金がかかった、などと文句を云うような会社は存在価値がない。結局、永年の自民党と官僚支配の中で、日本もここまで堕落したということなのだ。


 今では、北朝鮮帰国拉致被害者は、それこそ英雄扱いだが、拉致当時の日本国(政府、自民党、警察、マスコミ)の扱いはどうだったろうか。イラク人質の三人と同様、犯罪者扱いされていたんだよ。そして、最もその強硬派が、今や拉致問題を取り仕切っている、自民党なのだ。佐々淳行は、その当時どういう態度をとっていたのか。彼は当時、現役の警察官僚だ。さぞかし拉致被害者を、迷惑がっていたと思うよ。
                                       



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