愚かな選択と集中

 トヨタが北米事業拡大を進めたのが、02年頃。丁度竹中ーコイズミ改革路線に沿ってのことだ。当時のトヨタは、会長が奥田碩、社長が張不二夫。その頃からビジネス界に流行りだした言葉が「選択と集中」。その内、どの会社も意味も判らずに、みんな「選択と集中」々とやりだした。この言葉の意味するところは、持っている経営資源(人的資源、財的資源)を、最も効果的なフィールドに集中する事によって、コストとリスクの分散を防ぎ、最大効果を挙げようとするものだろう。この言葉通りに事が進めば問題はないが、他の会社も同じフィールドに資源を集中してくれば、当然過当競争が発生する。競争に勝とうとすれば、価格を下げるため、更なる資源と資本の投下が必要になるから、少しもコストダウンにはならない。その内値崩れを起こして共倒れだ。即ち、これは早い者勝ちの論理で、後追いしても意味はない、ことを意味する。
 二昔ほど前にキーパーソンという言葉が流行った。役所や企業の中に、誰からも一目置かれ、あらゆる情報が集中する人物がいる。そういう人間がキーパーソンである。何かを交渉しようと思えば、まず彼をターゲットにしなければならない。というわけで、アホな会社はキーパーソンとやらに入れあげた。これも一つの「選択と集中」である。しかし、これは非常にヤバイ橋である。そういう人物には必ずライバルがいる。まず第一にキーパーソンが何時までもいるとは限らない。役人とかサラリーマンには転勤がある。政治家には選挙がある。特にマスコミから注目されるような大物役人・政治家(これぐらいでないと、キーパーソンとは云えない)には、警察の監視が付いていると思った方がよい。何かの拍子に、彼が今のポストを去り、そこにライバルが座れば、後は目も当てられないことになる。当時日本のキーパーソンと言われたのが、竹下登や野中広務である。彼等のその後を見れば、下手な「選択と集中」はやらない方がマシだということが判る。
 そもそも、この言葉は軍事用語である。近世以後での、「選択と集中」の天才はナポレオンだった。彼はこの戦術により、短期間で全ヨーロッパを征服した。ナポレオンに対抗するため、クラウゼヴィッツらプロイセン軍参謀が採った戦法が「分散と機動」である。1813年、ドレスデンの戦い。ナポレオン率いるフランス軍は要衝ドレスデンに陣取り、三方から迫る欧州同盟軍に、睨みを利かせる陣形をとった。戦線をコンパクトにまとめ、敵の動きに応じて縦横に対応出来る陣形である。このため、戦線は一時降着状態に陥った。この時、同盟軍はスウェーデン皇太子ベルナドットの進言により、一方から攻めて、ナポレオンが出てくれば退き、他方面から出撃する。その方面にナポレオンが出撃してくれば、やはり退いて多方面から仕掛ける。これを繰り返すことによって、ナポレオンとフランス軍を奔命に疲れさせ、その時を狙って一気に反撃に出る、という作戦を採った。作戦は功を奏して、ナポレオンは遂にフランスに退却した。これが「分散と機動」である。しかし、ナポレオンの成功は深くヨーロッパ軍人の感性に染みつき、その後も「選択と集中」は永く戦法の基本として受け継がれたのである。これを否定したのが20世紀半ば、毛沢東の人民戦争理論である。これは、人民の海の中に戦線を作り、人民の海に乗って敵を包囲殲滅するというものである。人民は常に流動的だから、戦線も一定しない。一定しない戦線に沿って動くのが機動である。これによって敵勢力を分散させ、敵に弱点を作ってそこに集中攻撃を加えるというものである。これは1946年からの国共内戦、更に後のベトナム戦争で実践された。現在のイラク、アフガン戦争も見かけで言えば、毛沢東人民戦争の延長、即ち「分散と機動」戦法と、欧米流「選択と集中」戦法の戦いと云えなくもない。
 さて「選択と集中」戦法は、未だにナポレオンの名声が衰えないことが示すように、華やかな勝利をもたらす。しかし、失敗による破綻も又大きいのである。逆に「分散と機動」戦法は、そもそも負ける戦はやらない、敵が強いと逃げる、小さい勝利を積み重ね、最期にドカンとやる戦法だから華やかさがない。但し、大勝はないが、負けない戦法である。ナポレオンは誰でも知っているが、ドレスデンで彼を破った将軍達の名前を知っているのは極希である。と言うわけで常にマイナーな存在だった。
 筆者が「選択と集中」よりは「分散と機動」が有利と考えたのは、昭和50年始め、丁度仙台支店に転勤し、地方から中央を眺めていた時期。地方業者も力を付けてきているので、大手だからといって油断は出来ない。むしろ中央大手こそ地方に力を入れなければならないと考えた。更にベトナム戦争が終わり、一つの区切りを迎えた時期にも重なる。その頃の経済状勢は、第二次オイルショックによる深刻な不況が到来していた。これを日本は「分散と機動」型経済で乗り切ったのである。それから25年後、日本経済はかつての「分散と機動」という知恵を忘れ、「選択と集中」という愚かな導きに我を忘れてしまった。その結果が今回のトヨタリコールである。
 最近に於ける「選択と集中」の最大の失敗例は、神戸である。神戸という街は、六甲山と大阪湾の間の狭い土地に、あらゆる資本と資源、人口を集中して出来た街である。平成7年、この街を突然地震(大した地震ではない)が襲い、その後数ヶ月に渡って殆ど都市機能が麻痺してしまった。これを回復するための投資により、神戸市の財政は殆ど破綻寸前である。都市機能を分散しておけば、神戸市の負債はもっと少なくて済んだ筈である。但し、神戸空港は地震とは全く別で、如何に神戸の人間がアホかという象徴。
 「選択と集中」には別の一面もある。これまで述べてきた例は、固定された閉鎖環境で、自分がアグレッシブに出来るフィールドの話しである。一方、昨今のグローバリズム環境下では、別の「選択と集中」が現れた。それはアウトソーシングと称する下請け生産の「選択と集中」である。昔は各元売り企業毎に下請け企業が異なり、仕様毎に下請けもバラバラにに存在していた。これでは少量発注になるから下請け単価も高くなるし、納期や品質もバラバラになる。そこで特定分野は特定企業に集約した方が、コストダウンになると言う発想が出てくる。実際、下請け企業も大量発注であれば、単価を下げても利益は確保出来る。そこでみんなこれに飛びついたのだろう。更にこれはグローバリズムの名の下に、世界的規模で拡大した。しかし、ここにとんでもない落とし穴がひそんでいた。三年前の新潟中越沖地震で、富山にあったスピンドル工場が被害を受け、操業が停止してしまった。この工場はトヨタを始め、日本の主要自動車メーカーのエンジン部品を、殆ど一手に生産していたのである。このお陰で日本国内自動車生産は、数ヶ月に渉ってストップしたのである。
 そして、今回のトヨタリコール騒動である。問題はアクセルペダルの不具合であるが、これの生産をトヨタはアメリカのCTSという会社に一括発注していた。対象が北米向け限定ならまだしも、その後ロシア・中国・ヨーロッパでの生産車にも使用していたことが判って、空前のリコールに発展したのである。上で挙げたスピンドルの例と合わせると、うっかりした「選択と集中」はとんでもないマイナスの拡大再生産を産むというお話。現実の生産や流通現場を知らない、愚かな経済学者や経営コンサルタント(こういう連中は本質的に愚かなのである)の言うことを真に受けると、とんでもない被害に逢うという教訓でもある。
(10/02/01)


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