侵略と慰安婦

【昭和の戦争と憲法】

【慰安婦ー娼婦について】


 今の日本政治のキーワードが「侵略」と「慰安婦」という二つの言葉。これについて、自民の高市早苗と維新橋したが、昨年末総選挙の結果、調子に載っていい加減なことをテレビで喋りまくったものだから、中韓敵対国家だけでなく国内マスコミ・人権団体・野党、果ては与党やアメリカからまでもブーイングの嵐。お陰で官房長官の菅や副総理の高村は釈明におわれっぱなし。さて、この発言の元を糺せば、アベの放言にある。例えば高市の村山談話見直しも、元はアベがいいだしたこと。ところが当のアベは発言の問題を全部当人達に押しつけて、自分は涼しい顔で外遊。当人達は頭に来るでしょう。維新はこれでも自民党に協力するのかね?
 それは別にしても、直接責任者として、マスコミや野党に叩かれている高市・橋した発言は、やはりお粗末なのである。何故お粗末かというと、やはり歴史認識が足りないのである。但し筆者が云う歴史認識は、中国・韓国のような知的未熟児が云う底の浅いものではなく、こういうものがどういう過程で形成されてきたか、という認識である。この点での国内マスコミや人権団体・アメリカなどの認識のお粗末さは、中韓と同レベルである。
 さてここでは、「侵略」「慰安婦」という二つのキーワードについて、高市・橋した(両者が被る場合も多々あるが)発言を元に検討してみましょう。但しいずれもかなり長文になるので、少しずつ書き足していくことになります。


【昭和の戦争と憲法】
 最近街の書店を見ていると、目に付くのが、零戦もの、戦艦大和もの、そして「永遠の0」の様な駄作映画に触発されたのか、特攻ものである。筆者が云いたいのは、これらの作者達が本当に、かつての戦争を学んでいるのか、である。彼等が常に云うのは「これは戦争否定、反戦思想の作品です」。果たしてどうか?反戦セリフは巻末にちょっと言い訳程度に出るだけで、後は英雄礼賛・お涙頂戴ついでにお金も頂戴路線。つまりこれらの作品の底に通じるのは、太平洋戦争肯定論と戦争利用営利主義なのである。太平洋戦争とは何か?これは後で述べるように、昭和の戦争の最終ステージに過ぎない。しかしこれによって大日本帝国は滅びた。我々が知らなければならないのは、昭和の戦争の本質である。

 そもそもの発端はアベがサンフランシスコ平和条約60周年に合わせ
1、侵略には国際法上の定義はない。
2、極東裁判は報復裁判である。
3、大東亜戦争は自存自衛の戦争である。
4、朝鮮人慰安婦強制連行は軍の記録にはない。
 てなことをあちこちで喋った。これに煽られたのかどうかは知らないが、橋したが1や4について、高市早苗が2と3について支持発言。これが後でマスコミに叩かれる事になったのだが、肝心のアベは涼しい顔で外遊。上記はこれらは、アベ晋三の従来からの自論であり、今更驚く事もない。しかるに、アメリカは橋したばっかり叩いて、アベには何も云わないのは面妖である。又、マスコミのバッシングも橋したに集中し、高市は無視されたようだ。これはマスコミ露出度の差か?
 それはともかく、ここでは日本が何故大陸・南方への”侵略”を行ったのか?その原因についての吟味を行う。”侵略”について国際法上の定義が無いのはその通りだろう。もしそんなものを作れば、英米仏露など過去の侵略国家が皆断罪されるからである。しかし一般的な感覚では、今回国連安保理事会の定義、即ち「他国の領土を、その国家・人民の同意無く、実力で占有する事」に従った方が良い。何故なら、これは現在の中国領土拡張政策を牽制する手段になるからである。
 高市早苗がアベ発言を捕捉して云わんとするところは
@日本はABCD包囲網によって経済封鎖を受けた。
Aこれを放置していると日本は欧米列強の植民地となった。
B大東亜戦争はそれを防ぐ自存自衛戦争である。
 というところであるが、これは極東軍事裁判で被告側が展開した論理である。しかし、この論理は、日本が昭和期に行った戦争の極く一部を説明しているに過ぎない。

1、昭和の戦争の特徴
日本は昭和に入って、その始めの15年を殆ど戦争で過ごした。俗に言う日中15年戦争である。この戦争をよく吟味すると、その性格から幾つかのステージに分かれる。これらの内太平洋戦争は、その最終ステージに過ぎない。いわば虎の尻尾なのである。太平洋戦争肯定論者は、虎の尻尾だけを見て、虎はああだこうだと云っているに過ぎない。虎には胴もあれば頭もある。その全体を見なければ、虎をイメージする事は出来ない。

 昭和の戦争は、大きく次の3ステージに別れる。
1)昭和6年  満州事変前後
2)昭和12年(廬溝橋事件)〜昭和16年(真珠湾攻撃)
3)昭和16年(真珠湾攻撃)〜昭和20年(ポツダム宣言受諾)
 
 これらの中で、虎の頭になるのが「満州事変」だということは誰でも判る。しかし頭も、いきなり産まれる訳がない。頭が発生するには「胚」が必要である。「胚」が細胞分裂を繰り返し、生体器官となって機能を獲得するのである。では「胚」に相当するものはなにか?それが「満蒙問題」なのです。では満蒙問題とは、一体何なのか?実は、これが日中戦争が侵略戦争かどうかを判定するキーになる。しかし、先に挙げた最近書店に並ぶ昭和史ものには、殆どこれについて触れたものはない。あの田原総一郎でも、偉そうなことは云っているが、この問題は避けて通っている。ところが、古い昭和史ものでは、必ず出てくるキーワードである。「満蒙問題」は言葉だけから見ると、満州族とモンゴル族との抗争・民族問題の様に見える。とんでもない。これは純粋に日本の問題なのである。
 昭和3年蒋介石による第二次北伐によって「斉南事変」が発生した。このとき、陸軍特に関東軍は「これを契機に一気に満蒙問題解決を」を主張した。その数ヶ月後、張作霖爆殺事件が発生した。張作霖満州帰還による満州治安悪化を恐れた関東軍の謀略に依るものである。このときも陸軍及び関東軍は「満蒙問題解決」を主張した。又も満蒙問題が出てきた。
 児島壌「日中戦争vol1」に依ると、事件実行犯の東宮鉄男大尉の主張は次のようなものであったと云われる。「年々100万ノ増加民族ノ死活ノ決スル処ハ」は満蒙であるとし、「此ノ機会ニ東三省ニ政変ヲ起コシ、之ヲ利用シテ帝国移民ノ端を開クコト最大要ケツナリ。・・・・」。つまり、満蒙問題とは、現地に住む満州族やモンゴル族の問題ではなく、日本の国内問題だったのである。この問題は、実は明治維新まで遡らざるを得ない問題である。明治維新は成功革命か失敗革命か、である。
 又東宮大尉の主張・・・これは当時の多くの日本人、政治家、軍人。マスコミのコンセンサスだったと考えられる。そしてこの思想は19世紀後半での、欧米列強に於ける帝国主義・植民地主義となんら変わらない事が判る。つまり、昭和になってからの日本の大陸進出は、19世紀的欧米列強、領土拡大主義と何も変わらないことが判るのだ。これが判らない人間の頭の中身をみてみたい。しかし冒頭に挙げた国連定義によれば、「満蒙問題解決」は侵略に明確に当てはまるのである。問題はこの侵略を防ぐ手段があったのか無かったのか、の判定である。

*高市早苗の主張は上のステージの内、3)のみを取り上げた偏狭な視点にすぎず、とても国会議員が論ずる内容とは云えない。レベルが低すぎる。
(13/06/12)

2、明治維新と農本主義・米本位制
 農本主義・米本位制は土地と労働力の流動化を阻害する。上に挙げた東宮大尉の主張をざっくばらんに云えば、今の日本の土地・産業規模では、年々100万人づつ増え続ける人口(これはとりもなおさず過剰労働力=農村失業者)を吸収する事は出来ない。従って海外に土地を求め、そこに日本の過剰人口を移動させるべきである、ということである。これは19世紀欧英帝国主義国家の植民地拡大理論と瓜二つである。この理論が東宮大尉個人の主張なら別に構わない。しかし、たかが現地軍の一将校が独自でこういう理論を作り上げるとは考えられない。既に日本国内にこの理論があり*1、大尉がそれに影響されていたと考える方が自然である。又、大尉がこれを実行しようとした*2のには、背景にそれを促す空気があったからに他ならない。又、事件発覚後、昭和天皇の激怒にも拘わらず、真相解明がウヤムヤになった・・・東宮大尉他実行犯は不問、河本大佐のみ退役・・・のは、関東軍や陸軍上層部、更には政治家やマスコミにも、大尉と同じ考えというか空気が充満していたことに他ならない。この空気が三年後に満州事変を、8年後に2.26事件を引き起こしたのである。この人口移動を実力で行うことが「侵略」と言うなら、昭和初期の日本には既に侵略的空気が充満していたと云わざるを得ない。
 我が国では、明治維新により日本は近代工業国家に生まれ変わった、という都市伝説がまかり通っている。本当でしょうか?維新前の日本の社会制度が農本主義、経済システムが米本位制だったのは間違いない事実である。これはどういうことかと云うと、政府の政策の根本は農村・農民社会の維持にあり、経済規模は米の取れ高で決定される、というシステムである。維新時の日本の人口は、ほぼ5500万人。その内7〜8割は農村人口。昭和初期では、日本国内人口はおおよそ6500〜7000万人。全人口は朝鮮・台湾人を含めても8〜9000万人程度。そして農村人口はやっぱり7〜8割を占める。つまり殆ど何も変わっていないのである。かつての武士や町人の一部が、サラリーマンと称する賃金労働者に変わっただけにすぎない。人口比率において農業人口の占める割合が変わらないと言うことは、GDPに於ける農業生産比率も変わらないということだ。即ち社会システムも封建幕藩体制を引き継ぎ、農本主義・米本位制のまま*3。それどころか天皇制の導入によって、より強化されたと云って良いだろう。
 封建幕藩体制の時は、土地・農民は領主に直結している。だから、領主の判断で土地・農民の移動や用途変更は自由に出来た。処が明治維新で、農民(=土地)が天皇に直結する事になってしまった。第一次大戦で日本は戦勝国となり、戦後ヨーロッパの復興特需で日本景気は大いに沸いた。しかしそんなものは10年と続かない。ドイツ他ヨーロッパ諸国の復興に反比例して、日本の景気は下降。これが昭和デフレの始まりである。更に昭和初期の寒冷化が米生産量減少を誘い、それに輪を掛けたのが1929年のアメリカ大恐慌。これに対する各国の対策は概ね内需拡大である。アメリカはニューデイール、ドイツはアウトバーンを始めとする内需拡大。ソ連は第一次五カ年計画。英仏は従来植民地の奴隷労働・収奪強化を諮る。これは宗主国にとっては、手も靴も汚さない内需拡大である。この時代、海外に領土拡大を求めたのは、日本とイタリアだけだった。
 日本はこのとき、列島改造をやれば良かったのである。列島改造をやれば、改造事業そのものに余剰労働力を吸収出来る。改造されて新たに出来た土地に、新たな産業を誘致出来る。それが新たな需要を産む。当に戦後の高度成長のパターンである。これが上手く回転すれば、何も満州に移民を誘う必要もなく、中国との摩擦も避けられ、むしろ中国やアメリカからの日本への投資を誘えただろう。処がそれが出来なかった。その原因の一つが、農本主義と米本位制である。明治維新により農民(=土地)は天皇に直結する事になった。その結果、天皇制の根拠がない土地開発は全て不可となった。産業育成のための土地改変も、財閥優遇だあー、ここは神国だあーっと農民や右翼に騒がれるから、政府も及び腰となり、近代工業国家への脱皮などとんでもない。現実は農村国家に毛が生えたようなものだったのだ。だから東宮大尉の云うように、外へ出て行かざるを得なくなったのである。
 
1;大正期には宇都宮太郎の大陸進出論が始まり、更に酒井勝軍のような国粋主義者が登場している。
2;厳密に云えば、実行犯グループは現役将校が主だが、実行に当たっては工兵や兵営にあった爆薬を使用しているから、天皇の軍隊を私的に使用しており、統帥権干犯の疑いがある。この場合軍法会議に掛かれば、実行犯は皆銃殺である。
*3;東宮大尉だけでなく当時の日本は、上から下まで農本主義と米本位制にどっぷりと浸かり、それから脱皮しようとする動きなど全く無かった。あったとしても、国粋主義者(=右の社会主義者)とアホなマスコミによってみんな潰された。

3、侵略の経済学
 侵略は儲かるか?そして日本の20年戦争は経済学的合理性を有していたか?ここでは19世紀後半、主にヨーロッパ列強によって行われた、帝国主義的領土拡大を侵略と呼ぶ事にする。侵略は儲かる。当たり前だが、軍事的にも経済的にも段違いに劣っている国を脅して、その領土を乗っ取り、労働力・資源を頂くのだから、儲からないはずがない。但しこれは始めだけ。領土を拡大していくと、必ず反体制勢力や賄賂を要求する連中が現れて、結構管理コストが掛かってくる。それだけでなく、ある国がこれでボロ儲けすれば、オレだってという国が現れ、競争が始まる。そして両者の距離が一定限度を超えると始まるのが、国境紛争である。これにも馬鹿にならないコストが掛かる。19世紀後半、イギリスは第一次・二次アフガン戦争(これはロシアとの衝突)、ボーア戦争(独仏との代理戦争)、スーダン戦争(仏との代理戦争)、中国とのアヘン戦争と、戦争に次ぐ戦争を重ねていた。これをやっている間は、武器製造業者を始めGDPは増大するので、一見景気は上昇するように見える。しかし、戦費調達がこの景気上昇内に収まっておれば良いが、これを越えると戦時国債を発行しなくてはならなくなる。これは結構高利である。国債発行額が国内GDPを超えると、国内にはインフレが発生する。インフレは社会不安を発生させる。丁度戦後第一次インドシナ〜アルジェリア戦争時のフランスがそうで、猛烈なインフレが発生した。この結果が第四共和制の崩壊、ドゴール体制を産んだのである。
 拡大領土維持コストが、領土内で産む利益を越えない限度が侵略限界である。つまり、何処かを侵略しようと思えば、侵略限界を超えないレベルで抑えておかなければ、侵略は逆に負債としてのしかかる。列強各国がこの限度を抑えきれなかった矛盾が現れたのが第一次世界大戦だった。このとき日本は未だ侵略限界を超えていなかったので、戦勝国の地位を手に入れることが出来た。侵略にもそれなりの理念が必要なのである。そこで重要なのが「満州事変」である。

4、満州事変と満州国
 さて昭和の20年戦争で、上記の基準に照らして侵略と言えるのは、満州事変だけである。満州事変はタイミングの狙い・進出点の限界をセオリー通りに行っており、列強の介入を許さなかった。さすが石原完爾というべきである。では以後の大陸進出は侵略と云えるか?筆者に云わせれば、侵略にも値しないただ感情にまかせた、なぐり込みの連続に過ぎない。理念も何もないのである。だから中国側の誘いに乗って、徒に戦線を広げ、ついには国をほろぼした。
 満州事変は昭和6年9月、奉天郊外柳条溝の満鉄線爆破を契機に起こった日満衝突事件である。首謀者は関東軍作戦参謀の石原完爾中佐と、その部下の花谷正少佐。彼等が何故この事変を企てたのか?ここにも「満蒙問題の解決」というキーワードが見られる。これに当時の陸軍中央は・・・昭和天皇の危惧にも拘わらず・・・全面的支援を与え、とうとう満州全土を占領してしまった。問題は実はここから始まるのである。「満蒙問題の解決」については、実は首謀者の石原中佐と、関東軍や陸軍中央との間には見解の相違があった。 石原の頭にあったのは、彼独特の終末論思想から、来るべき世界最終戦(日米決戦)に備え、満州を日本のヒンターラントとして確保しておくこと。そのためには、日本人による満州支配を避け、現地人との協和を旨とすることで、満州の日本領土化や、ましてその周辺の中国領土の占領など問題外だった。処が、たなぼた的に落ちてきた満州という果実に飛びついた陸軍中央がやった行動は、三年前の東宮大尉と同レベルの、農本主義・米本位制発想・・・つまり日本人優位主義・・・の延長でしかなかったのである。これが在来の満州人の不満を誘うことになった。
 これを更に増幅したのが、事変後に作られた「満州国」という欺瞞。満州国を実質的に支配したのが、東条英機・岸信介・鮎川義介ら、俗にニキサンスケと呼ばれる官僚・俗物達。この中にアベのジジイがいる。これでは中国は日本はともかく、アベ政権とまともに付き合う気は無くなるだろう。結局、彼等官僚・俗物が現地人を無視し、自らの支配権を確立・拡大していった。その結果、日本はアジア大衆の支持を得られなくなり、国際的に孤立し、破滅の道を歩まざるを得なくなった。これは一重に永田や東条・岸らの責である。
 満州事変の果実を石原が考えていた限度内に収めておれば、満州は日本に対し利益を与えただろう(但しそう長続きはしない)。ところが、当時の陸軍中央や官僚・政治家・上記財閥達がこれを踏み外す要求をしたために、逆に負債が増加し、日本破滅の原因を造ったのである。その素になったのは、天皇と直結した農本主義と米本位制であり、それを担保したのが旧憲法なのである。

5、南進論と北進論
 事変以後、陸軍中央にはこれの果実をどう生かすかで深刻な対立が始まった。一つは事変当時参謀本部作戦課長だった小畑敏四郎の北進論である。これは満州を起点・補給基地とし、当時軍備充実が進んでいたソ連に対する予防戦争を行おうとするものである。もう一つは陸軍省軍事課長だった永田鉄山による南進論である。これは満州を起点として、中国北部に日本権益範囲を拡大しようとするものである。何のために広げるのか?折角作った満州国は、未だ基盤が脆弱である。隣接する中国北部には、未だ反日武装勢力が勢力をもっており、民衆の反日・反満意識も強い。このままでは満州国は潰れてしまうおそれがる。それを防ぐために、満州と中国本土の中間地域を日本支配下に置いておく必要がある。これが永田鉄山、次いで東条英機に受け継がれた南進論の本質である。しかし、あんまり広げると、上で挙げた侵略限界を踏み外してしまう。そこのところがよく判らない。その点が、筆者が満州事変以後の日本の行動を侵略にも値しないと酷評する理由である。
 それはともかくこの論争は永田の勝利・・・と言うより、陸軍中央や政党・財閥が、始めから南進論を支持していたと考えた方がよい・・・に終わり、関東軍は昭和天皇の危惧・懸念を無視して、満州外縁から中国本土への侵攻を開始した(山海関事件、熱河・長城作戦、関内作戦等)。この段階になると、当初の目的だった満蒙問題の解決は何処かへ行って、当事者も何のために戦っているのか判らなくなっている。例えば、関内作戦で日本軍が北京に迫ったとき、昭和天皇の詰問を受けて、参謀本部が関東軍に進出停止を指示する。しかし、現地軍は「北京へ、北京へ」という将兵の声を無視しては、士気に拘わるとして、中国側の挑発に載る形で北京攻略に兵を進めた。そして、この進出は果たして現地軍だけの責任だろうか?
 それでも関内作戦等の軍事行動は、表向き現地軍の交渉で落ち着いた。しかし蒋介石(国民党)はこんなことで収める気はない。彼は表向きは日本協調体制、しかし裏では中国民衆の反日活動を扇動する二重作戦を採った。この裏には共産党の策謀があったと考えられるが、それに引っ掛かるのも引っ掛かる方だ。何故引っ掛かかってしまったのかも問題の一つである。
 中国民衆が反日活動を行った理由には、第一に中国本土内での日本人居留民と日本軍の存在が素因としてある。第二の理由として、中国国粋主義者・民族主義者、更には共産党による反日扇動が誘因としてある。ところで日本の中国本土内での居留権・駐兵権は、1901年天津条約で、英米仏露伊とともに認められた国際権利である。処が中国は、他の5カ国に対しては甘いが、日本に対しては強硬態度で接した。これが当時の日本人にとって人種差別に映ったのである。
 
何故中国は日本だけを目の敵にしたのか?日本を除く欧米五カ国の居留民は、みんなビジネスでやってきており、社会的ステータスも高い。又、数も少ない。駐兵数もせいぜい中隊か大隊のオーダー。一方日本人居留民の多数は、内地の失業者や、財産を処分して中国に渡ってきた一旗組。中国を追われれば行き場が無くなってしまう。中華思想の中国人の目には、それこそ乞食か蟻の集団にしか映らなかったろう。又、駐兵兵力も連隊〜旅団規模。欧米に比べればダントツで目立つのである。これが中国人に過剰な反日感情を植え付ける。一方、作用反作用の法則により日本人側にも、反中感情が発生する。これが次第に増幅して、遂に廬溝橋事件に発展するのである。
 彼等が何故中国に渡ってきたのか?そこにある根本問題は、日本の農本主義なのである。第一次大戦後の景気拡大で、日本の都市人口は急増した。しかしその後の金融収縮で、景気は一気下落。都市には失業者が溢れた。それを吸収するには内需拡大が不可欠だが、それには土地が必要である。これが農本主義に基づく農民と、それを票田とする政党政治家の反対により、不可能となり、結果として大陸進出を国策とせざるを得なくなったのである。

6、侵略か否か

 又、上に挙げたステージを見ると時代を経るに連れて・・・まるで永田鉄山の亡霊を導かれるかのように・・・日本の進出線が、南下していることがわかります。と言うことは、昭和に於ける日本の戦争の原点は、時代的には昭和初期、空間的には中国大陸北部にあったことが判ります。ここで何が行われていたのか?その原因はなにか?それを明らかにしないと、昭和の日本の行動、そしてその意味を理解することは出来ない。だから何時までも侵略かどうかという、意味のない議論が続くことになります。
 先に述べたように、昭和に於ける日本の大陸進出が、19世紀に於ける欧米列強の植民地拡大と、全く同じだと云うことが判る。と言うことは、これが侵略ではないと言う根拠が無いということだ。
 これに対する反論と言うのが、冒頭に挙げた高市早苗が云う、@〜Bの列強による日本包囲網説である。これは開戦当初、東条内閣が国民に対して説明した言い訳に過ぎない。現在ではABCD包囲網など、実質には無かった、というのが定説である。資源供給をストップされれば日本は終わりだ、という主張もあったが、石原完爾は「石油が無くなって戦争する馬鹿がいるか!そんなもの両手をついて謝ればそれで済む」と東条を批判している。
 「両手を付く」とはどういうことか!それは中国本土からの全面撤兵である。廬溝橋事件の収束に失敗して日中は全面戦争に突入するのだが、このとき中国駐在アメリカ武官スチルウェル中佐が、日本が採るべき方法を3案挙げ、その内最良とした策が、日本軍の中国本土全面撤兵である。何故なら、日本軍に対する中国軍は、国民党軍と共産軍の連合であり、両者はもともと敵対関係にある。国民党軍も一応蒋介石を統一司令官としているが、現実は軍閥の寄せ集めである。互いに利害が衝突し、いさと言うときの統率は執れない。彼等が団結しているのは日本軍という共通の敵がいるからである。もし日本軍がいなくなれば、彼等は団結を失い互いに争うだろう。日本はそれを外から見ているだけでよい。そして最後に勝ち残った勢力と交渉すれば良い。
 実はこれと全く同じ考えを持っていた日本人が一人いた。それは当時陸軍参謀本部第一部長だった石原完爾少将である。これが中国全面撤兵論である。しかし、これは陸軍強硬派の受け入れるところではなく、彼は昭和12年満州に転属になる。その結果、日中全面戦争は容易に収束せず拡大の一方を続けた。それが極限に達したとき、英米の干渉を招いたのである。
   
7、戦後経済成長と新憲法
 戦後経済成長について、世間では軽武装経済重視主義が原動力と云われるが、これはか又は錯覚に過ぎない。最も重要な点は憲法改正である。憲法改正論者はよく、ドイツやイタリアは独自の憲法を作ったと主張するが、これも嘘である。


  

【慰安婦ー娼婦について】
慰安婦という言葉はあまりにも偽善に過ぎるので、何事も本音をモットーとする本サイトでは「娼婦」という言葉を使います。

 朝鮮慰安婦問題。みんな朝日が世界中にまきちらしたように言うが、世界中に撒き散らしたのはサムスン系韓国マスコミと韓国政府。その事実を無視して朝日だけを攻撃する自民保守派は、実は先祖は朝鮮系ではないか?アベなんて顔つきから見てまるっきりチョーセン、長州など朝鮮そのものだ。


 メリケルが日本に来て、日本は歴史と向き合うべきだと説教がましいことを云ったが、ドイツは歴史と真剣に向き合ったでしょうか?前にも言ったが、この程ギリシアが5年間の軍事占領に対し、ドイツに戦時賠償を求めたが、ドイツはたった97億円で解決済みと言い張る。
 ドイツはロシアやウクライナ・ポーランドなど旧ソ連圏国には、賠償金を鐚一文払っていない。ドイツ占領下でドイツ軍徴用による慰安婦は一杯いた。主にロシア人ウクライナ人ポーランド人でユダヤ人もいた。ギリシア人だって例外ではないはずだ。ドイツ人はその事実を誤魔化しているだけだ。
 メリケルは韓国や朝日新聞が捏造した従軍慰安婦を信じているきらいがある。彼女は物理学を勉強したといわれるが、本当か?と云いたい。物理学者なら、データとデータが得られた環境・条件・根拠に敏感になるべきだ。そうすれば中国・韓国が繰り広げている、南京30万人、韓国慰安婦20万人虐殺がいかに物理的にナンセンスかわかるはずだ。そのセンスがなかったから、学問を続けていけず、再就職のネタに政治を選んだだけだろう。学問に比べれば政治は楽だ。サッチャーやアベでも出来るのだから。
 歴史と向き合わなければならないのはドイツ人の方だ。何故ヨーロッパ人はドイツ軍慰安婦を取り上げないのか?みんな同じことをやってきたからだ。イギリス人もフランス人もイタリア人もだ。日本の慰安婦問題だけを取り上げるのはなぜか?日本人がヨーロッパ人ではないからだ。ヨーロッパ人で許されることでも、日本人には許されないということだろう。
(15/0311)

 あの馬鹿げた従軍慰安婦騒ぎがここ高槻までやってきました。今日何気なく郵便ポストを見ると、西宮で「従軍慰安婦問題展」のビラ。差出人は山田憲司という聞いたことがない二流の衆院議員。ずばり言えば朝日糾弾集会のようなもの。ビラは直ちに破り捨てゴミ箱へ。
 現在の従軍慰安婦問題の肯定派も否定派も、どっちも共通しているのは、かつての朝日新聞記事を根拠にしていることである。朝日新聞は一商業新聞に過ぎない。それがそんなに権威があるのでしょうか?私は朝日は読まないし、同じように読売もサンケイも読まない。
 この記事が最初に出たのは80年代。バブル絶世期で、70年安保も成田闘争も終わり、日本は政治的には一番安定していた時期だった。これは朝日的には面白くない。そこである記者が「従軍慰安婦」というネタを仕込んだ。これをさもあったように書きたてたのである。問題が大きくなったのは村山連立政権時代。韓国では金泳三左派政権時代。筆者の記憶では、この記者はその時点で死亡と聞いたが、そうではなかったらしい。
 実はこの問題、朝日以外に大手マスコミで大きく取り上られることはなかった。大きく取り上げたのはアンチ朝日で凝り固まっていたサンケイや週刊文春や週刊新潮。要するに、この問題は日本国内でもマスコミ同士のつばぜり合い、売り上げ競争から始まっていたのである。
 つまりこの問題は朝日の、大して大物でもない二流記者が功を焦って作った三流ネタが、いつの間にか一人歩きして、ゴジラのような怪物に成長してしまったのである。
 では誰が怪物を作ったのか?種を作ったのが朝日であることは間違いないが、それを大きく育てたのは、上に上げた反朝日マスコミとそれに悪乗りした保守系政治家、それと自らの失政で生じた国内問題を反日運動に摩り替えた、韓国政治家とその看板もちをやった韓国メデイアである。
(14/09/06)


 朝日新聞の封軍慰安婦報道が根拠に乏しい捏造報道だったことをやっと朝日が認めました。自民党はこれを鬼のクビを獲ったかのように大はしゃぎだ。しかしこれはズーット昔から、みんな知っていたことなのだ。
 この話しが朝日紙面に出たのは90年代始め。筆者は朝日は読まないし、ついでに読売・サンケイも読まないので、詳しいことは判らないが、当時冷戦も終わり朝日的にはこれはというテーマが無かった。そこに従軍慰安婦ネタが飛び込んできた。そこに元記者が飛びついたのだろう(この記者は既に死亡と伝えられてたが、そうでは無かったらしい)。この話が何故朝日記事になり、それから30年も継承し続けてきたか、というと筆者朝日内部の権力闘争が絡んでいたのではないか、と考える。
 これを採り上げた元記者は、年齢から見て70年安保世代。しかしテーマから見て共産党系ではなく、部落解放同盟系と思われる。解同と総連とはメンバーが重なる部分があり、組織的にも関連がある。元々は総連の指図で動いてきたのだろうが、ある時期から韓国が割り込んできた。そのタイミングはどうもノムヒョン左翼政権下の90年代韓国不況に一致するようだ。それが更にエスカレートしたのがイーミョンバク政権だ。彼はノムヒョン政権の反日政策を改め、日韓関係改善を表明した。ところがある時期から反日政策に転じた。その背景には、彼の政権後半での支持率低下がある。この低下した支持率を回復するために彼が獲った手段が竹島問題と慰安婦問題だ。
 続く朴クネ政権は元々強い政権ではなかった。大統領選での得票率はやっと50%を上回る程度。これを回復するために慰安婦問題とジャパンデイスカウントを狙う告げ口外交。
 総連と朝日が仕掛けた反自民運動がいつの間にか、韓国反日政策に横取りされてしまったのだ。これはイカンと言うわけで、朝日内部での反韓・反解同勢力*が巻き返しを図ったのが、今回の記事の見直しに繋がったのではないか、と筆者は考える。
*朝日の中の反解同勢力。これは例の週刊朝日の橋した批判記事が象徴的である。この記事は部落勢力内の右派勢力や、アホな解同系左翼に潰されてしまったが、未だまともな連中は生き残ってるのだ。
(14/08/07) 

 アベが就任早々「戦場慰安婦問題」は解決済みと発言した者だから、韓国から猛ブーイング。これに対し大阪の橋したが、「戦場売春は何処の国でもやっていた、戦場という特殊環境ではそういうことを必要とするのは当然だ」、と無神経なことを放言したものだから、この騒ぎに火に油を注いでしまった。お陰で橋したや維新の支持率はがた落ち。アベや橋下の認識の最大の過ちは、戦場と言うものに対する理解が欠けることである。結論から云うと、激変する戦場は必ずしも娼婦を必要としない。退屈した戦場が必要性を作るのである。従って、戦争をさっさとやめれば、戦場娼婦は発生せず、その後の問題も生じない。そしてかつての大日本帝国だけでなく、どこの国の軍隊もこのセオリーに失敗している。失敗を当然と思ってはならない、という原則は子供でも分かる。

 売春という行為は、歴史学的・民俗学的には、結構複雑なテーマである。筆者自身は文明発生以前、神殿に於ける子孫繁栄・豊壌を祈る儀式まで遡るのではないか、と考えている。例えば古代ギリシア、デルフォイのアポロン神殿の巫女達。エジプトのテーベやローマは当時の国際都市で、各地からの商人や訴人の往来が絶えなかった。彼等には出身地域毎に神があるから、それぞれの神殿が建てられる。そこにも巫女が存在する。彼女たちは信者達の願いにより・・・有料で・・・神託を授ける。神託を与える儀式、これが今で云う有料不規則異性交遊、つまり売春にあたるのである。神託の授受は有料が当然と思うが、それでもダメかね。おそらく神託が授受されるその瞬間、何らかの霊的交換が行われると考えたのだろう。彼女らを神殿娼婦と呼んでも良い。彼女達は日本では白拍子とか太夫とか呼ばれる高級娼婦となった。西洋でも宮廷に使える高級娼婦・・・例えば歌劇「椿姫」のマルグリットなど・・・が大勢いた。こういうのは、現代でも幾らでもいる。例えばプロヒューモ事件の・クリステン・キーラーとか、ロシアのアンナ・チャップマン*とか、韓国サムスンガールズとか、六本木ヒルズ森タワー最上階ガールズ達である。フレーザーに依れば、古代東地中海世界では未婚の女性は、婚姻前に複数の男性と関係を持つことを要求されたという。これは売春が、子孫繁栄・穀物豊壌の儀式と考えられていたことを意味する。実際、未婚女性を権力者に差し出して、暴利を得た企業・・・何処のどの会社とは云わないが、M物産とかM商事など・・・があったことは、売春が今なお五穀豊穣の儀式であることを意味する。この風習はキプロスでは、3世紀ローマに依って禁止されるまで続いていたという。最近パキスタンで少女が母親から売春を強要され、それを拒否したところ、母親にクビを切られて死んだという事件があった。これも古代社会の風習が、南アジアで息を吹き返した例と考えられる。どうして生き返ったのか?それはイスラム原理主義と称する、過激復古主義の所為である。
 世の中には娼婦イコール奴隷と考える人達がいる。所謂人権派である。実態は娼婦と奴隷は全く関係はない。無論奴隷が娼婦に落とされた例は多数あるが、そうはならなかった例の方が遙かに多いのである。彼等は奴隷ー娼婦の関係をゴッチャにしているのである。
 *アンナはスパイで娼婦ではないと思うアホもおるだろうが、あれは典型的政治娼婦だ。大方、プーチンの愛人の地位を手に入れたのだろう。

1、戦場と娼婦
 橋したは戦場娼婦の必要性を、戦場の極度な緊張感を解消するために、戦場娼婦が必要だとした。一方人権派は、戦場娼婦はそのための道具に過ぎず、これは奴隷労働であると主張する。どちらも間違っている。橋したは戦場心理を理解していないし、人権派は橋したの言い分をそのままに受け入れているのである。
 戦争というものは、大体が男が始める。だから戦場には男が集まってくる。従って、男目当てに娼婦が集まるのは当然。これはトロヤ戦争の昔から変わらない。まさかトロヤ戦争に従軍娼婦はいなかった、などという馬鹿はいないでしょうねえ。そういうアホはさっさとこのサイトから立ち去って下さい。
 「モロッコ」というゲーリークーパー、マレーネデイートリッヒ主演の戦前の映画がある。このラストシーン。クーパー属する外人部隊の一部隊が、移動を命ぜられて砂漠を行進する。それを一群の女達が追いかける。デイートリッヒ演ずるヒロインも、婚約者を捨てて裸足になって彼等を追いかける。この女達が・・・映画では家族と甘く誤魔化しているが・・・従軍娼婦なのである。彼女達は何処に暮らしていたか?駐屯地内か、その周りの安全地帯。これは重要なポイント。

 日本では太平記に次のような話しがある。隠岐から伯耆への後醍醐天皇の還幸に呼応して、楠木正成が河内金剛山で挙兵した。幕府はここに100万の大軍(これは幾ら何でも多すぎる。せいぜい数万から10数万程度。それでも当時としては空前の大軍)を集結し、楠木勢を包囲した。ところが楠木の奇略に翻弄されて滞陣が長引いた。そこへ「江口の君」なるものが現れて、滞陣のつれづれを慰めたとある。「江口」とは今の地名には残っていないが、おそらく大阪市淀川区淡路の辺り。この地域は昔より人の往来が多く、そのためそういう職業集団が発生する。これを「江口の君」と呼ぶ。実に奥ゆかしいヤマト言葉である。河内に関東から大勢の兵(ツワモノ)が集まってきた。これは飯の種、つまりイイ鴨である。近畿でも男達が動員されて、滅法寂しくなった。これを逃してはならぬ、ここで一稼ぎと摂津から河内に出張営業したのである。

2、軍隊と戦場娼婦
 ここから云える事は
1)戦場娼婦は決して前線のような、やばいところにはいかない。つまり後方の安全地帯でのみ営業する。
2)と言うことは、これは義務ではなく、商売だ、ということだ。
3)商売には強制は伴わない
 と言うことだ。

 ここで軍隊が戦場売春を管理しているか、と言うと実はYESなのである。何故軍隊が戦場売春を管理するかというと、兵士の脱走防止とスパイ防止が必要だからである。兵士が娼婦と懇ろになり、脱走をはかれば軍隊規律が崩壊する。つまり、いざというとき、軍隊がもぬけの殻になっていることもあり得るのである。より怖いのは娼婦が実はスパイだった場合である。このときは、兵士の口から部隊配備や行動予定が、娼婦=スパイを通して敵方に筒抜けになってしまう。これでは勝負にならないから、軍隊が娼婦管理を強化したいと云う理由は分かる。しかしこれも必ずしも成功したとは云えない。1945年から始まったベトナム独立戦争では、ベトナム軍側は最初はフランス軍、次はアメリカ軍の情報を、殆ど100%把握していたと云われる。1963年以後の米越戦争では、ズバリ中国共産党が仕掛けたハニートラップがものを云っているのだ。

3、日中戦争と戦場娼婦
 昭和12年7月、北京郊外濾溝橋で日中両軍が衝突し、ここに日中全面戦争が始まった。翌13年、日本軍は除州方面で中国野戦軍主力を撃破すべく、北から北支派遣軍(第1軍、第2軍基幹)、南から中支派遣軍(第11軍、上海派遣軍基幹)により、南北から攻勢を強めたが、中国軍主力の捕捉に失敗した。中国軍は遙か内陸の四川方面に撤退し、対日持久戦争に持ち込んだ。日本軍は武漢まで攻め込んだが、補給線続かずここに永年に渉る中国滞陣が始まるのである。
 戦後一時期を騒がせた、田中隆吉手記「大悪を討つ」という本がある。これは極東裁判のおり、連合軍側証拠として提出されたものである。筆者はこれを文庫本で読んで(引っ越しのドサクサで、本は何処へ行ったか分からなくなったが)、当時の日本陸軍の内情の幾つかを知ることが出来た*1。その中に戦時慰安婦設置の理由とされる部分があった。
 昭和15年、田中少将は第一軍参謀長として北支にいたが、中国軍主力は内陸に逃避し、する事と云えばたまに匪賊化した中国兵を討伐することぐらい。その結果何が起こったかというと、日本兵による略奪・強姦・暴行などの、所謂不祥事である。つまり、退屈が不祥事を引き起こすのである。これはイカン、これを放って置くと中国民衆の反感を買い、対支工作に支障を来す。要するに長期滞陣の最大副作用である。少将はその後陸軍省に戻り、省内に兵務局を作り、自ら局長となって軍紀回復に努めるのだが、田中局長が考えたのが戦時慰安所の開設である。当時の陸軍次官は東条英機。
*1 面白いのは、東条英機が恐妻家で、夫人の勝子(大日本婦人会会長)が、亭主を尻に敷くどころか、陸軍人事にも口を出す、という顛末。雌鳥鳴くとき国は滅ぶ、というのは昔からのセオリー。それを東条家がやっていたわけだ。これじゃ日本が戦争に負けるのは当たり前。アッキーが口出しすれば、今の日本にもヤバイ話しだ。

 この戦時慰安所が現在に於ける「慰安婦問題」の始まりと考えられる。しかし当初の兵務局案では、1)娼婦は任意であり、強制はしない、2)経営・募集は民間業者に任せる、というものだった。これは日中戦争は中国北部、且つ戦局が陸軍に限定されていた時期のものだった。おそらくこれは本当で、現地軍もこれを踏襲していたと考えられる。処が昭和16年以降、戦局は東南アジア全域に拡大した。この中には中国戦線には無関係だった海軍も参加する。要するに需要が急拡大したのである。しかしその当時、供給が十分機能していたとは云えない。なおかつ重要な点は、昭和14年に成立した、「国家総動員法」である。この法律下、あらゆる産業は国の統制下に入った。これはその年度の生産目標を国が設定し、企業は採算不採算に無関係に、これを達成するための生産を行うものである。生産に必要な資源・労働力は国が担保することになった。企業の自主性は失われ、企業の関心はひたすら、この先国の生産目標がどの辺にあるかにのみに集中する*2。慰安婦産業もこの例外ではない。平時なら完全に民間風俗業だった慰安婦産業が、いきなり国家統制の枠をはめられ、公共事業になってしまったのである。この場合でも、始めは慰安婦募集は任意だったが、軍隊規模が爆発的に膨張した昭和16〜7年頃からは、公募では間に合わなくなった。つまり需要と供給のバランスが崩れたのである。前線からは何とかしろという要求がやってくる。そこが日本人の長所でもあり弱点でもあるのだが、上から目標を決められると、それを達成するのに努力してしまうのである。その結果何らかの強制が働いた可能性は否定出来ない。
*2 トロツキー曰く「統制経済は独占資本主義の最も堕落した形態である。ここでは企業経営者の関心は大衆の方を向かず、国家の方ばかりを見る」。

 更に重要な点は、昭和17年に施行された内鮮一体化政策である。これまでは朝鮮半島は日本の植民地だった。この場合、植民地人である朝鮮人は、権利も制限されるが、義務も免除される。この政策の結果、権利は内地人と同様となるが、労働・軍役・納税などは同じ義務を負うことになる。上で挙げた戦時慰安所開設当時の慰安婦は、原則日本人だった。しかしこの時期から朝鮮人慰安婦が採用されるようになった。これは他の業種でも同じで、その解決を曖昧にしたまま、現在に至ったため、強制徴用など対韓問題が息を吹き返すのである。

4、慰安の対価
 慰安行為には当然対価が必要である。この場合対価が当時の世間相場に比べどうだったか、十分支払われていたかどうかなどが係争案件として争われる。兵隊と慰安婦との対価交換は相対でやった筈なので、そこに疑問を挟む余地はない。問題はそこから先である。この問題が大きくなった90年代のある時期、週刊新潮だかサンケイだかに、元慰安婦の郵便貯金通帳のコピーが公開された。新潮らはこれを根拠に彼女たちは任意であり、十分な報酬を得ていたと主張する。しかしこれはあまりにも甘い見方である。まず彼女たちが郵便貯金をやっていたことである。本当の自由営業なら、郵便貯金ではなく、自分で貯め込んでいたはずである。当時戦地には臨時郵便局が設置されていた。当時の状況から見ると、彼女達が強制貯金させられていた可能性は高いのである。強制貯金の場合は、娼舘経営者が貯金通帳を預かって、貯金・引き出しを管理する。管理された貯金は当然国庫に入り軍費に転用されるのである。資本主義経済下での資産・財産とは、所有者の意志によって形成されなけれならない。つまり、収入の出入りは所有者の一元管理でなければならないのである。この形成過程に第三者(国家も含む)が介入すれば、その財産形成は本人の自由意志に基づく物とは見なされない。
 従って、新潮やサンケイが主張するような、自由意志に基づく自由営業であったとは、到底思えない。少なくとも国家はそれを担保していないのである。