菅義偉のマキャベリズム・・・実態は段ボール

技術士(応用理学)  横井和夫


 ホリエモンこと堀江貴文という実業家がいる。筆者は元々この人物は大したことのない二流人物とおもっていたが、彼が先日アップしたブログで、こいつはマジアホだということが分かった。それは「今までで一番感心した政治家」というタイトルで、挙げたのが菅義偉。理由は菅が官房長官の時代、堀江が宇宙ロケット打ち上げ会社設立のため、菅を尋ねたところ、菅が即決で認可を進めてくれたこと。菅は堀江の話を聞くと、直ちに担当部長に電話をし、話を進めるよう指示したというのである。これに対し堀江は「彼は仕事をホールドしない、無駄なことはしない、結果として仕事が早い」と評価する。こんなことで喜んでいるから、筆者は堀江を只のアホと評するのである。
1、民間の中小企業の親父・・・例えば秋田のリンゴ農家・・・ならこれで構わないが、国家の将来を決める事業でこれでは問題がある。例えばロケット打ち上げ事業は、発射基地の整備から宇宙空間の利用まで様々な規制がある。例えば日本では発射空域について、日米安保条約に基づく空域規制まである。何処でも誰でもというわけではないのだ。
 そのために許認可について定められた手順がある。堀江はその手順を飛び越えて、いきなりゴールに行こうとしたのである。こういういわば脱法行為に手を貸す菅も菅だ。所詮、秋田の禿ネズミの頭だ。もし他に同様の企画を持っている企業がこれをみたらどう思うか。俺だって、ということになってしまい、この業界は政治家にコネを持つ奴が勝つという、無法地帯になりかねない。
2、何故菅がいきなり担当部局に電話をしたか。それは菅が堀江を利用できる人間と踏んだからだ。無論同じ新自由主義経済論者であるし、又誰かを介して旧知の間柄だったこともある。その誰かとは橋下、松井・吉村といった維新・吉本興業人脈である。彼らとの関係を使えばアベ政権の裾野は更に広がる、と読んだのだろう。
 同じことを誰でも、例えば自分の反対者に対してやったら、確かに菅は・・・田中角栄に匹敵する・・・大人物といえる。しかし彼の官房長官時代の記者会見に「おける、政権批判メデイアに対する露骨な態度からは、到底それは期待できない。今もし菅が政権中枢にいて、統一教会二世が会見を申し込んだところで、彼は合うだろうか?二世達は、けんもほろろに、追い返されるのが関の山。彼は「ボスのアベ晋三「と同じ、山縣有朋似で、「自分にちかいもの支持者には親切で面倒見はよいが、遠いもの批判者には冷淡」なのである。
 つまり菅が正規ルートを飛び越えて、堀江に会って直接担当部局に電話したのは、事業の重要性とかなんとかじゃなくて、単に堀江がアベー菅ー維新ネポテイズムの一員だからであって、仕事が早いとか云う次元ではない。
 筆者が現役サラリーマンだったころ、よく他の部課から「ちょっとこの点の所見を教えてもらいたい」とか、役所からいきなり「直ぐに資料を作ってくれ」という依頼が飛び込んでくる。直ぐに答えを出してやると相手は満足。これは仕事が早いとかそういうことではなく、そんなものに何時までも関わっていると、本来の仕事に差しさわりが出るからである。要するに面倒だからさっさと片づけるのだ。菅が堀江の要望を直ぐに聞いたのも、要するに面倒だからだ。
 堀江ももう50だ。50にもなってそんなこともわからないようでは、知能レベルは中学生並みだ。所詮三年も浪人して、東大文学部しか入れなかっただけのことはある。おそらく小中学校以来、受験参考書ばっかり読んできていて、まともな本を読んだことがないんだろう。
(22/11/08)

 菅政権下で鳴り物入りで登場したのが「デジタル庁」という役所。現在各省庁でばらばらでやっているデジタル情報管理を一元化しようというもの。この情報システム一元化案は旧民主党政権下で検討はされたものの、各省庁や自民党の反対で潰れてしまった。あの頃は今ほどIT化は進んでおらず、誰もその重要性に気づかなかった。何せ政府は3億円の調査費を予算に計上しようとしたにもかかわらず、自民党や世間はそれでも高い高いと叫んでいたのである。筆者はこれでも一桁少ないと思っていたが。
 それから10年、やっと一元化が始まったかに見えたが、今度のコロナ騒ぎで馬脚が現れた。そして慌てて出てきたのが「デジタル庁」。さてこれはどんな官庁でしょうか?この役所発足時からケチがついている。初代長官の平井が「NECを脅せ」などのパワハラ発言で世間の顰蹙・・・さてこの字、アベ、や麻生は読めるでしょうか・・・を買ったかと思うと、今度はNO2が経産省在職中に民間企業の接待を受けたことがばれてクビ。発足早々こんなもめ事が多い役所など聞いたことがない。
 ズバリデジタル庁とは、菅利権に絡む利権官庁。政権と利権の関係といえばかつては田中、竹下派がらみの利権が多く、みんなこの派閥特有と思っているかもしれない。とんでもない。アベ晋三の父祖である岸家一族の利権好きも捨てたものじゃない。あるいは田中・竹下以上かもしれない。
(21/09/25)

 「バカは死ななきゃ治らない」というのは、菅義偉のための言葉だろう。それは本日ネットに流れた文春インタビュー。彼は反省点として評判が悪かった記者会見を上げ、自分の意志がうまく伝わらなかった、これは反省点であると。そして理由として自分は能弁ではなく、弁舌より結果という考えでやってきた。それが理解されなかった、と下手な言い訳。
 問題は活舌が良いとか悪いとか、そういうテクニカルな問題ではないのだ。彼の記者会見の評判の悪さの原因は、官房長官時代以来、政権にとって都合の悪い質問には答えない、無視する、はぐらかす。気に入らない記者は初めからスルーだ。こういう他人(国民)を馬鹿にした態度が支持を失う原因になったのである。
 ブッシュは英語は下手だったし、ジョンソンの英語は下品だ。しかし質問にはしっかり答えている。それに引き換え日本のここ2名の総理はどうか?アベは活舌は滑らかだが、ごはん論法で論点をごまかす。菅は答えない(答えられない)。彼らぐらい日本の議会と国民と日本語を馬鹿にした政治家はいない。敵に対しまともに向き合えられない将軍を支持する者はいない。国会こそは戦場だ。アベも末期は国会を開かなかった。菅は三月通常国会は予算を通さなけりゃいけないからしぶしぶ開いたが、あとは知らんふり。在任中、これだけ国会(戦場)から逃げまくった総理(将軍)は菅とアベを除いて見たことも聞いたこともない。
(21/09/11)

 このところ東京では三日続けて新規コロナ感染者が1000人割れ。東京オリ・パラが終わったら途端に感染が減った。やっぱり7~8月オリ・パラの所為か?なんて思ってしまうのである。菅政権の末路を見ると、彼は戦術的勝利が戦略的勝利につながると確信していたように思える。しかしそれはただの錯覚、古い19世紀的戦術論の焼き直しであった。19世紀のナポレオン戦争以来のヨーロッパ戦争論では、戦争は広域的な戦域とそれを構成する戦場とで行われ、戦場での勝利(戦術的勝利)の積み重ねが戦域的勝利(戦略的勝利)に繋がると考えられてきた。極めて単純な小学校レベルの算数である。
 この理論が通用しないことが証明されたのが第一次大戦である。この戦争でドイツは殆どあらゆる戦場で勝利を収めた(戦術的勝利)。しかし結果的には1918年春季攻勢が失敗に終わり、ドイツは連合国に休戦を提案したが受け入れられず、ついに無条件降伏に追い込まれた。何故か?
1、戦術目標にこだわって戦略目標を無視した。実際ドイツ軍はあらゆる戦場で勝利しているが、どれも決定的な勝利を得ていない。なんとなくどれも中途半端なのである。一つは歩兵の突進が早すぎ、補給がそれに追いついていかない。そのため却って連合軍の逆襲にあってしまう。戦場での勝利が戦域での勝利に結びついていないのである。
2、政府の宣伝と現実との乖離。ドイツ政府は国民に対し勝った勝ったと宣伝していた。実際1917年、ドイツはロシアを屈服させ、ウクライナから大量の食料が輸入されたはずだ。しかしその小麦は何処にいったのか?ところが同じ17年にロシア革命が起こり、ロシアは小麦どころではなくなったのである。
 しかしドイツ軍部特にルーデンドルフはそれにも拘わらず、18年春季攻勢を発動した。しかしこの頃になってイギリスの海洋封鎖効果が表れ、いよいよ食糧不足は深刻化してきた。これは国内より前線で顕著になり、前線兵士が戦線を離脱つまり脱走するケースが続出。果ては兵士のストライキまで発生した。これは更に拡大しキール軍港での水兵の反乱に始まるドイツ革命に発展。このためルーデンドルフは遂に作戦中止、連合軍との休戦、更に講和から無条件降伏に追い込まれた。
 そして起こったのが、兵士の軍幹部への、国民の政府への不信感。それがピークに達して遂に革命がおこり継戦不能となり、内閣は総辞職し皇帝は退位した。
3、敵(英仏軍)への侮り。14年開戦よりドイツ運は連戦連勝でフランス北部を蹂躙。事前の作戦計画ではドイツ軍右翼集団(第1~3軍)はパリ北方を西に大きく迂回し、南方に旋回して、パリを包囲するはずだった。
 それを当初の勝利に酔った右翼集団の将軍達は参謀本部の指示を無視し、パリ北方で南に向きを変え一気にパリを陥落させようとした。ところが正面のマルヌ川でのフランス軍・民の抵抗は粘り強く、ドイツ軍はこれを突破できなかった。南方展開の結果ドイツ軍右翼側面はがら空きになった。そこへ南部から急遽輸送されてきたフランス軍が突っ込んできたから、ドイツ軍右翼は崩壊。
 その結果ドイツ軍は一斉退却に移り、ベルギー国境に防御線を敷いて持久戦に移った。そして足掛け4年にわたる長期戦が始まった。その間、ドイツ軍は何の展望もなく、その場しのぎの場当たり的戦闘を繰り返さざるを得なくなったのである。
 どうもコロナからオリンピックそして退陣までの菅政権の足取りを見ると、これとそっくりなのである。昨年発足した菅政権が目指す最大の目的は、コロナ鎮圧と東京オリンピック開催、そして21年秋には必ずくる衆院選に勝利して長期政権を確立することだった。ではそのために何をしたかが問題なのである。
1、まず東京オリンピック。当初の懸念はこれを起点とする感染爆発だった。これに対し、政府、JOC、IOCは無観客とバブル方式で対応した。その結果オリンピック関係者の感染は数100人にとどまった。また、日本の獲得メダル数も当初の腹積もりには届かなかったが、史上最高NO3の地位を確保した。これだけ見ると確かに勝利であるが、この勝利はバブルの中の勝利、つまり局地的な戦術的勝利に過ぎない。バブルの外の戦略的戦場を見逃していた。重要なことはその結果生じる戦略的影響である。
 オリンピック前は数100人台に過ぎなかった東京の新規感染者種はオリンピックが近づくとともに増加し、始まると連日うなぎ上りに増加。遂には4~5000人台、全国レベルでは1万人に達した。これとともに内閣支持率は低下し、9月には30%を切る始末。この結果が横浜市長選敗北、突然の総裁選不出馬声明となったことは疑いようがない。つまり、菅は戦術的勝利はおさめたが、戦略的には敗れたのである。
2、昨年の第一波は5月頃概ね終息したかのように見えた。これに安心して政府は7月にGoToを一か月前倒しで始めた。これなど当に14年のドイツ軍右翼集団将軍達の早合点にそっくり。彼らはもう勝ったと思ったのである。その後のGoToはマルヌの会戦である。そして始まったのが第二波。これに慌てて二回目の緊急事態宣言。更にそれに続く第三波、第四波とそれに対する緊急事態宣言など、大戦中ドイツ軍の場当たり作戦そっくりである。
3、大戦中、ドイツ政府は前線の実情を無視して「勝った、勝った」とはやし立て、その結果ドイツ国民に気のゆるみが生じ、結局継戦能力を失い、敗北した、というのは戦後のヒトラーの見解である。但し本人自身、第二所大戦末期では同じことをやっていたのだからシャレにならない。
 今回のコロナ騒ぎではまず昨年の第一波では5月連休明けには新規感染者が一桁台になると安心してしまい、アベは「日本型モデルの成功」と自賛、麻生は民度の差などと根拠不明の非科学的メッセージ。
 日本型モデルとは何か?結局政府、官僚は何もせずに指をくわえて見てるだけ、リスクはすべて医師と国民と飲食業者に丸投げ、緊急事態宣言とその解除の繰り返し。その都度これが最後と楽観的見通しを発表するが、その通りになったためしはない。
 オリンピックでも連日新規感染者が4000人を超える状態で、菅は「安全・安心」を繰り返すだけ。バッハや丸川、橋本など日本側関係者も、バブルからのコロナ名感染は無かった、という幼稚園児並みの言い訳。それに追従するのが読売、サンケイ、日経などの菅御用マスコミとそのお仲間評論家たち。
 ワクチン接種は日本型でもなんで見ない。先進国はとっくにやっているのを、やっと4カ月遅れて始めただけ。それが三カ月で曲がりなりにも何とかなったのは、それこそ国民の協力以外の何者でもない。菅や田村・西村の手柄でも何でもない。みんな揃って「安全・安心」を宣伝するから、世間はゆるんでしまって誰も言うことを聞かない。そして一番緩んでいるのが、政府。
 8月末、菅は記者会見で、いきなり「今大きな光が見えてきた」と発言。これに国民はみなびっくり。更に麻生は8月末のデータで「概ね収束しつつある」と発言。政府2首脳の楽観見通しが常に事態を混乱させてきた。これを裏返せば政府への不信の再生産。第一次大戦末期のドイツ社会にそっくりなのである。
 菅はある時「目先の問題を解決することが政府の責任だ」と述べた。これが菅政権の本質であり限界である。要するに局所的戦術的勝利さえ獲られれば最終勝利を獲られると確信していたのだ。戦術的勝利と戦略的勝利は全く別物である。多分彼はそれも分かっていないだろう。
 戦争終結への道筋を失った政府への不信感は、やがて戦後のナチスの台頭を許し、今度は徹底的な敗北を喫した。日本もそうなるか?
(21/09/10)

菅の退陣は過去8年近く続いた「悪夢のような」アベー菅政権の終息を意味する、はずだ。果たしてそうなるのか?菅退陣で笑う人もあれば泣く人もある。笑う人の代表は朝日、毎日、東京などの反アベー菅派メデイア、佐高信や山口二郎などのリベラル系評論家や経済学者。彼らは当分言いたい放題。野党では共産党は笑うが、立民、国民は微妙。たたく相手がいなくなったから拍子抜けだ。
 逆に泣くのは、サンケイ、読売、日経などの保守系メデイア。田崎史郎のような保守系評論家や高橋洋一、竹中平蔵、ホリエモンのような新自由主義系経済学者、投資家。政界ではなんといっても維新特に大阪維新の会の松井、吉村。公明も微妙。
 永田町のドブネズミ田崎史郎のアベー菅寄りは昔からだったが、特にコロナ騒ぎが始まってからは、殆ど毎日テレビに出ずっぱりで、政権養護発言を繰り返す。殆どマスコミ菅応援団長だ。そしてその中にちょろちょろと永田町ネタを混ぜる。いかにも自分は情報通であるかのようにだ。
1)田崎史郎;彼の特徴は時の政権に徹底的に媚びることである。特にアベ政権末期から菅政権にかけての政権に対するペコペコ媚びへつらいは異常。確かに情報通だが、そのネタはどこから来るのか?彼のマスコミ露出度から見て、そんなに頻繁に取材できるとは思えない。官邸のどこか、多分官房長官の近くから。
 これは田崎が官邸の奥深くパイプを持っていて、それをマスコミにリークすることによりマスコミを通じて世間の反応を見る、同時に世論を政権有利にリードする。田崎はその役割を担わされていた。しかもそれは彼にとってもありがたい話だった。しかし今回の政変で媚びへつらう相手が分からなくなった。岸田政権が田崎を重視するとは思えない。高市、河野ならある程度使うだろうが、そのうちポイだ。彼の運命やいかに。
2)高橋洋一ほかの新自由経済派;彼らもアベー菅路線へのペコペコへつらい路線で、この8年近くを我が物顔にマスコミ界を歩んできた。岸田は宏池会の伝統で、現在の新自由主義路線の修正をほのめかしている。高橋らにとって頼みの綱は新総裁(=新政権)が河野、高市らアベー菅路線になること。そのためにはアベや麻生を担いで遮二無二突っ走るだろう。
3)維新、公明;まず公明から。公明党はあれこれあっても第二次アベ政権以来、ズーッと連立を維持してきた。それを支えてきたのは、公明代表の山口と自民二階との太いパイプ。しかし支持母体の創価学会では自民批判がたかまり、溝は深まるばかり。その結果が7月の都議選自民敗北、8月の横浜市長選での小此木敗北につながった。公明支持者末端が自民を見限ったのである。山口更迭もありうる。
 今話題に上っている自民総裁候補者の中に、公明と個人的にパイプを持っているものはいない。つまり誰が次期総裁になろうと、自公の関係は薄く細くならざるを得ない。自民だけでなく公明も人心一新を図らざるを得なくなるだろう。
 もっと哀れなのは大阪(日本)維新の会である。維新とアベー菅政権のズブズブ癒着は有名で、これまで維新の松井・吉村はほぼ月1ペースで官邸を訪れていたと言われる。目的は25年大阪万博とIR誘致への支援要請。ところが横浜市長選では、菅自身がIR反対候補を支援した。IRでは勝てないと踏んだのだろう。この風は全国に流れる。大阪だって全府民がIRを支持しているわけではない。吉本興業とそれに乗った読売TVと関テレだけが、吉本芸人を使って宣伝しているだけである。
 維新が関西で勢力を伸ばしてきたのは、実は自民分断という手法である。それに引かかったのが自民中央。事の始まりは07年大阪府知事選。この時自民大阪府連は候補者を立てられず、マスコミ人事で浮かび上がったのが橋下通る。提灯を持ったのは読売TV。この時何者かが東京の首相官邸を深夜訪れた。訪れたのは堺屋太一。待っていたのは福田康夫。この密談で自民党中央の橋下支持が確定した。
 これに猛反発したのが自民党大阪府連。しかしマスコミの影響力はすさまじく、大阪自民党自身分裂し橋下圧勝に終わった。その後維新はこの手を使い、改憲や規制緩和を餌に自民中央に食い込み、地方の自民を分断し勢力を拡大してきた。これが地方の自民党組織の反発を招かないはずがない。
 これまで維新と太いパイプをつなげてきたのは菅。アベはそれを利用しただけで、維新に興味があったとも思われない。その菅がいなくなり、今のところ候補に上がっているメンバーにも、維新と深いつながりがあると思えるのはいない。つまり維新はこれまで中央との深い繋がり、太いパイプを武器に地元経済界を抑えてきたが、それがなくなるとどうなるのか?まあどうでもいいですが、おもしろいですねえ。
(21/09/06)

 本日、菅は突然入院。連日の勤務のため疲労が蓄積したため、らしい。ひょっとしてこのまま引退もありうる。ポイントは来月衆院選。これについて自民党神奈川県連は菅不支持を明言。無論ハマのドンこと藤木が菅支持に回ることはない。今回の横浜市長選でも菅の地盤である神奈川10区では小此木が敗れている。
 これを衆院選に当てはめると、現職の首相が選挙区で敗れるか、よくても比例復活だ。これでは党内での立場がない。そこまで考えると、衆院選立候補辞退もありうる。さてどうするか?頭を冷やして考えよう、というのが今回の入院の本音ではあるまいか?
 菅がここまで落ちぶれた最大の原因は、やっぱり周辺にまともな人がいなかった、というより自ら人物を排除してきた祟りだろう。
(21/09/04)

 今日(21/09/03)の朝11時に、ひょっとして三番目の「マサか」として、菅総裁選不出馬というサプライズを書いたら、1時間後に本当にそうなった。何故私が菅不出馬を思いついたのか?理由はわからない。なんとなくそんな気がしたからだ。脳内グレナ細胞が急に活性化したからか?

 まだマサかはある。それは総裁選直前での内閣総辞職という超裏技。それは現在閣僚であるため総裁選に立候補できない河野太郎や小泉新次郎らに立候補機会を与えられるからである。これによって彼らを取り込み、将来捲土重来を期す。ばくち打ち菅の性根の表れ。

 故人曰く、「人生三つの坂がある。上り坂、下り坂、マサか」。そのまさかが最近立て続けに起こりました一つは。今回の横浜市長選。もう一つがアフガニスタンのカブール陥落。どちらも相手の力を見くびって、自分の力を過信していたからです。これは現在も混乱している日本政府の対コロナ政策にも共通しています。
 横浜市長選で小此木(菅)陣営が敗れた原因として保守系評論家は「自民党が分裂したからだ。小此木と林の獲得票数を足せば51万票となり、山候補の50万票を上回る。というもの。これぐらい自分勝手な理屈はない。自民党だけ合わせるなら反IR派の田中16万票を足さなければならない。そうなると山中派得票数は66万票となり、差は更に広がる。最大の原因はコロナ禍にもかかわらず、50%近い投票率である。つまり最大の勢力である無党派層が一斉に山中候補を支持したからである。多分、菅ー小此木陣営はコロナによって投票率は下がる見込んだのだろうが、事実は全く逆だった。これは次の衆院選にも当然影響する。
 もう一つまずありえないと思われるのが、自民党総裁選直前の菅立候補辞退。もう辞めた。というわけだ。これこそ「マサか」である。
(21/09/03)

 進次郎に続いて石破が菅擁護発言。理由はこういう時期だから自民党員は一致しなくてはならん、看板を挿げ替えて選挙を戦う姿勢は容認できない、というもの。従って次の総裁選は国会議員のみで行ない、出来れば無投票再選が望ましい。これは高市や下村等の総裁選出馬声明を意識し、牽制するもの。
 しかし言い換えれば、自民党はこの期に及んで、看板の架け替えもできないほど人材が払底してしまったのか、ということにもなる。或いはこの際菅に全部を押し付けて、熟柿が落ちるのを待つ高等戦略か?まさか。
 石破の欠点はいざと云う時、法律や規則の細かい点に拘って妥協を拒否し、みすみすチャンスを逃すことである。昨日BS某討論番組、ゲストスピーカーは石破と立民の福山。福山曰く「太平洋沖地震の際自民党に大連立を持ちかけたのは事実。しかし実現に至らなかった」。これに対し石破は「連立を持ちかけられたが、そのためには様々な点で政策の一致が必要である。政策が一致しない連立は意味がない、と回答したが、その後民主党からの返事はなかった」と。
 これは石破が間違っている。民主党が持ちかけたのは地震と福島原発対策をスムーズに行なうための政策協調であって、全ての政策を一致させるためではない。全ての政策が一致しなければ駄目なら、それは連立ではなく合併である。石破のやりかたは殆どヤクザの縄張り争い。相手の弱みに付け込んで要求を拡大する。これでは民主党が飲めるわけがない。
 世の中には基本政策は一致しなくても連立を組んだ例は幾らでもある。例えば第二次世界大戦中、イギリスでは与野党が連立を組んで、一致してドイツに立ち向かった。これは連立の目標を対ドイツ戦に限定したから出来たのである。その証拠に戦争が終わるとたちまち連立は解消。45年総選挙で保守党は敗北し、チャーチルは引退した。
 今でもイスラエルやドイツは、基本政策は違っても連立を組んでいる。石破の様に、憲法に規定がないからそれは出来ないとか、党の規約上無理だからと云って、わざわざ不人気な総裁を押す、なんてことをやっていては、何時まで経っても埒は開かない。この点が石破の欠点で、・・・つまり政策決定に当たっての幅がない・・・人間としては真面目で善人だが、一方で法律偏重の原理主義者。それが祟って人が集まらない、ひいては政権が獲れない原因だろう。
(21/08/21)

 政府と云うより菅官邸が唐突に出した、コロナ中等症以下原則自宅療養という方針転換は、マスコミ世論から袋叩きにあっただけでなく、与党の公明はおろか菅の盟友大阪維新の会や自民内からも猛反発を受け、到頭中等症は原則入院ということで一件落着しそうだ。事実上の方針撤回である。しかし菅本人は方針撤回ではないといいはる。
 似たようなことは先月にもあった。経産省の西村が、いきなり都内飲食店に対し、休業要請に従わない飲食店に対しては金融機関から融資停止等の圧力をかけてもらうと行ったところ、マスコミ始め世論の猛反発、中小飲食店を支持母体とする公明党や自民党保守派の批判を受けて、方針撤回に至った。
 これは勇み足で肩を着けられたかもしれないが、今回の中等症騒ぎは菅直々の方針だから簡単には引き下がれない。引き下がれば与党内での地位下落は必至。しかし引き下がらなければ支持下落に歯止めが止まらなくなる。最早オリンピックも終盤だ。今更オリンピックムードで支持率上昇は期待できない。
 7月の件と云い今回と云い、最も不思議なのはこんな方針決定に与党への根回しを怠ったということだ。そんなことしなくても大丈夫、やっていけると踏んだとすれば、大変な思い上がりだ。やりたくてもやるためのパイプがなかったとすれば、努力不足である。菅はアベ政権下の8年近く、官房長官として役人を呼びつけて怒鳴り散らし、記者会見では木で鼻括った答弁で誤魔化し続けた。何故こういうことが出来たかと云うと、みんな菅の背後にボスのアベの陰を見ていたからである。
 その間与党への根回しはほおっておいてもアベ側近がやってくれた。特にアベー二階ラインがあったから菅も8年間務められてきたのである。しかし今やそうはいかない。二階は明らかに菅と距離を置きだしている。最近の国政選挙を見ればあきらかである。
 もう一つの可能性は菅自身が党内根回しを嫌った可能性である。根回しとは、要するに党内派閥領袖に頭を下げて回るということだ。それは結構精神的なストレスになる。西村や田村は年齢やキャリアーから見て、そんなストレスに耐えられるとは思えない。その場合こそボスの菅がストレスを受け止めなくてはならない。
 しかし彼のキャリアー、つまり高度成長期に好景気に沸く東京にやってきて、大学に通って代議士秘書になる。代議士秘書の仕事は支持者の陳情を聞くことで、周りに頭を下げることではない。その後も横浜市議を経て国会議員。頭を下げずにやってこれたのである。しかもこの8年間、総理の代理人として官邸・官庁の上に君臨してきた。そんな人間が党内根回しなどと云う裏芸が出来るとも思えない。精神的に鍛えられていないのである。
 更に自前の派閥をもたない菅は、今のような危機的状態では党の力を有機的に使えない。この結果党内世論と乖離した政策を打ち出さざるを得ず、更に党内孤立を深めることになる。このとき頼みの綱はアベだけだが、あの実利的な長州人のアベが、敢えて火中の栗を拾うだろうか?菅はアベにも見殺しにされるのではないか?
(21/08/06)

 いきなり政府が中等症以下は自宅療養が原則、と発表。つまりコロナ感染者は重症者以外は入院出来ないということだ。たちまち起こるのは現場の混乱。昨日BS-TBS某番組では早速「絵にかいた餅」とい批判が飛び出した。東京オリンピックはコロナに打ち勝った証しどころか、事実上の敗北宣言。
 筆者の感覚では太平洋戦争時に大本営による、「退却」を「転進」と言い換える誤魔化しに匹敵する誤魔化しである。要は如何に政府の責任を逃れるか、という姑息な算段だ。
 そもそも日本陸軍には「退却」という言葉がなかった。うっかりこんな言葉を使うと、東条内閣支持の大政翼賛会や在郷軍人会などの翼賛団体や右翼団体、保守系大衆から猛反発を食らう。何よりも大衆支持を重視する東条にとってそれは避けなければならない。そこで「転進」という言葉で誤魔化したのである。
 今回も同じで、現状では新型コロナウイス性肺炎は法律上感染症Ⅱ類に分類されているから、感染者は行政の責任で入院・隔離しなければならない。ところがこのところの新規感染者数の急増で、現状の病床数ではとても対応できない。特に東京がそうだ。
 第4波では大阪で初・中等症患者が入院出来ず自宅で死亡する事例が相次いだ。これが首都圏で発生すれば大問題。当たり前だが対の衆院選に大影響。とはいっても病床を急増することもできない。そこで思いついたのが、自宅療養と云う禁じ手。これを原則とすれば、仮に自宅療養中で死亡しても政府は責任を負わず、家族や地域の医者に責任を転嫁出来る。グッド!
 これかつての戦争で南方で起こった現象とそっくりなのである。南方の前線では、大本営から見放され、補給は途絶するから自給自足を強制され、米軍が迫っても援護は期待せず只自滅・・・玉砕・・・を待つのみ。かくて歴史は繰り返される。
(21/08/03)

 元々オリンピックがあろうがなかろうが、7月下旬には新規感染者は2000人台に上るだろうという予測はあった。しかしこれは未だワクチンが十分供給されていない6月時点での予測。7月に入るとワクチン接種率は急速に上がったが、それにもかかわらず感染者数が簡単に3000人を越えるのは、別に何か原因があったのだろう。この原因に菅義偉の性格を重ねるのはいささか堅強付会だが、マンザラでもない気もする。
 筆者は菅の性格分析を詳しくしたことはないが、テレビその他報道で見る限り、三つの要素が強いように思える。
1、強情で他人の忠告に耳を貸さない。永田町のドブネズミこと評論家の田崎史郎は、菅は人のいうことに耳を傾けてその上で決断を下す、らしい。人のいうことに耳を傾けることとそれを理解すること、その後の判断が忠告を踏まえたものかどうかは別問題である。話を聞いているふりをしているだけかもしれないし、自分の気に入る話をする人間しか寄せ付けないかもしれない。
 強情と頑固は別物である。頑固とは自分の信念は曲げないが、対応には柔軟性を持たせる。或いは自分の反対者に対しては何らかの方法で説得を試みる。強情とは自分が言い張った事に執念を燃やし、一切の批判をはねつける。子供の第一反抗期がそれである。第二反抗期になるとすこし様子が変わってきて、一旦反抗しても自省心が芽生え、行動様式に修正が加わる。ところが菅にはこの変化が見当たらない。
 その典型が官房長官時代の「ご指摘には当たらない」「なんら問題はない」の紋きり答弁の繰り返し。今でも国会や記者会見で質問されると「安全、安心」「ワクチン」の繰り返し。それ以外の言葉が出てこない。つまり強情なのである。
2、バクチ好き。彼がバクチ好きかどうかは筆者は知らないが、ある筋ではそういう評価があるらしい。バクチ好きと云ってもパチンコや競輪にはまるのではなく、ここぞというときに常識外の行動に出るという事だろう。その第一は横浜市議選に出馬したとき、誰もが無理だとおもっていたが、ライバルの公明と熾烈な争いを演じた挙句、これを制した。この結果、浜のドンこと藤木の目に留まり、おまけに公明との間にパイプも出来た。次が最初の衆院選。無派閥で立候補したがこれでも成功した。この結果、菅には寝業師、政界ギャンブラーの評価が定まった。
 さてギャンブル好きと、ギャンブルに強いかどうかは別問題である。ギャンブルに弱いものほどギャンブルにはまる。それは偶々やったレースで大儲けし、その成功体験が忘れられなくなったため、ギャンブルを止められなくなる。しかし大概は大穴狙い一点買いで墓穴を掘る。菅はアベが12年総裁選で復活したのも、8年近くの長期政権を維持できたのも自分のお陰と思っているはずだ。これは彼の最大の成功体験である。そして過去の成功体験が忘れられなくて、今や東京オリンピックまっしぐら。こうなると誰のいうことも耳に入らなくなる。
3、インテリ嫌い。これは前任のアベ晋三や副総理の麻生太郎にも共通する傾向である。既存の価値観を否定し、新しい秩序の建設を指向する。そのための手段は択ばない。これは昭和初期の革新将校団、彼らの後に日本を支配した東条ら統制派に共通するテーゼでもある。これが突き進むと、トランプ流の陰謀論に合流しかねない。
 このインテリ嫌いが昂ずると、本を読まなくなり、ボキャブラリーは不足し、ものごとを論理ではなく感覚で判断することになる。アベの御飯論法や菅のロボット繰り返し答弁などはこの結果である。
 本人達は取りあえずはそれで済んだと思っているかもしれないが、世の中はそうはいかない。世界の指導者は常に他国指導者の言行をチェックし評価を下している。この人物信頼に足るかどうかだ。その基準はアベや麻生、菅やそれに近い官邸官僚が作るのではなく、古くからヨーロッパ外交で蓄積された知識つまりインテリジェンスである。東条内閣が何故破綻したか、と云うとこういう欧米インテリジェンスを無視或いは敵視したからである。
 昨日のTBS-BS某番組で、ゲストの一人がマスコミ界で代表的アベー菅ファンの田崎史郎。今のコロナ禍で国民特に若者に政府の危機感が伝わらない理由について「菅総理はこの点について深く反省し、大きく考えているが、それを伝える言葉が見つからないんです」と。聞いていてアホ臭くなった。
 要するに元々不勉強だったからだけなのだ。言葉が見つからないのは、知識つまりインテリジェンスが足りないか、論理を構成する能力がないかのどちらかである。多分アベも菅も、自分で演説原稿を書いたことがなく、秘書か官僚が書いた文章をもむだけだったのだろう。これでは文章力どころか論理力も養えない。数学で重要なことは言語力である。言語が脳の左前頭葉を刺激して、論理力を養うのである。アベも菅もそのプロセスをさぼっていたのである。
(21/07/31)

 筆者は菅の性格分析を詳しくしたことはないが、テレビその他報道で見る限り、三つの要素が強いように思える。
1、強情で他人の忠告に耳を貸さない。永田町のドブネズミこと評論家の田崎史郎は、菅は人のいうことに耳を傾けてその上で決断を下す、らしい。人のいうことに耳を傾けることとそれを理解すること、その後の判断が忠告を踏まえたものかどうかは別問題である。話を聞いているふりをしているだけかもしれないし、自分の気に入る話をする人間しか寄せ付けないかもしれない。
 強情と頑固は別物である。頑固とは自分の信念は曲げないが、対応には柔軟性を持たせる。或いは自分の反対者に対しては何らかの方法で説得を試みる。強情とは自分が言い張った事に執念を燃やし、一切の批判をはねつける。子供の第一反抗期がそれである。第二反抗期になるとすこし様子が変わってきて、一旦反抗しても自省心が芽生え、行動様式に修正が加わる。ところが菅にはこの変化が見当たらない。
 その典型が官房長官時代の「ご指摘には当たらない」「なんら問題はない」の紋きり答弁の繰り返し。今でも国会や記者会見で質問されると「安全、安心」「ワクチン」の繰り返し。それ以外の言葉が出てこない。つまり強情なのである。
2、バクチ好き。彼がバクチ好きかどうかは筆者は知らないが、ある筋ではそういう評価があるらしい。バクチ好きと云ってもパチンコや競輪にはまるのではなく、ここぞというときに常識外の行動に出るという事だろう。その第一は横浜市議選に出馬したとき、誰もが無理だとおもっていたが、ライバルの公明と熾烈な争いを演じた挙句、これを制した。この結果、浜のドンこと藤木の目に留まり、おまけに公明との間にパイプも出来た。次が最初の衆院選。無派閥で立候補したがこれでも成功した。この結果、菅には寝業師、政界ギャンブラーの評価が定まった。これが最初の成功体験である。
 さてギャンブル好きと、ギャンブルに強いかどうかは別問題である。ギャンブルに弱いものほどギャンブルにはまる。それは偶々やったギャンブルで大儲けし、その成功体験が忘れられなくなったため、ギャンブルを止められなくなることが原因である。しかし大概は大穴狙い一点買いで墓穴を掘る。菅はアベが12年総裁選で復活したのも、8年近くの長期政権を維持できたのも自分のお陰と思っているはずだ。これは彼の最大の成功体験である。そして過去の成功体験が忘れられなくて、今や東京オリンピックまっしぐら。こうなると誰のいうことも耳に入らなくなる。
3、インテリ嫌い。これは前任のアベ晋三や副総理の麻生太郎にも共通する傾向である。既存の価値観を否定し、新しい秩序の建設を指向する。そのための手段は択ばない。これは昭和初期の革新将校団、彼らの後に日本を支配した東条ら統制派に共通するテーゼでもある。この原因はエリート層に対するコンプレックスである。これが突き進むと、トランプ流の陰謀論に合流しかねない。
 このインテリ嫌いが昂ずると、本を読まなくなり、ボキャブラリーは不足し、ものごとを論理ではなく感覚で判断することになる。アベの御飯論法や菅のロボット繰り返し答弁などはこの結果である。
 本人達は取りあえずはそれで済んだと思っているかもしれないが、世の中はそうはいかない。世界の指導者は常に他国指導者の言行をチェックし評価を下している。この人物信頼に足るかどうかだ。その基準はアベや麻生、菅やそれに近い官邸官僚が作るのではなく、古くからヨーロッパ外交で蓄積された知識つまりインテリジェンスである。東条内閣が何故破綻したか、と云うとこういう欧米インテリジェンスを無視或いは敵視したからである。
 昨日のTBS-BS某番組で、ゲストの一人がマスコミ界で代表的アベー菅ファンの田崎史郎。今のコロナ禍で国民特に若者に政府の危機感が伝わらない理由について「菅総理はこの点について深く反省し、大きく考えているが、それを伝える言葉が見つからないんです」と。聞いていてアホ臭くなった。
 要するに元々不勉強だったからだけなのだ。言葉が見つからないのは、知識つまりインテリジェンスが足りないか、論理を構成する能力がないかのどちらかである。多分アベも菅も、自分で演説原稿を書いたことがなく、秘書か官僚が書いた文章を読むだけだったのだろう。これでは文章力どころか論理力も養えない。数学で重要なことは言語力である。言語が脳の左側頭葉を刺激して、論理力を養うのである。アベも菅もそのプロセスをさぼっていたのである。
(21/07/31)

 菅が、ウオールストリートジャーナル(WSJ)のインタビューで「(東京オリンピック)は中止するのは簡単だが、挑戦することが政府の責任」と語った。外国紙と思って、思わず本音が出たのかもしれない。さてこの人間、これまで何を勉強してきたのだろうか?アホとしか言いようがない。アホというより、若い頃字の書いた本を読んだことがないのではないか?
 彼の年齢から見ると、所謂全共闘世代。吉本隆明の「書を捨てよ、街に出よう」という扇動に乗った世代でもある。彼らは古い本を捨て何に飛びついたかと云うとマンガだ。70年東大紛争で、機動隊が東大安田講堂に突入したとき彼らが見たものは、火炎瓶ではなくマンガ週刊誌だった。アベ晋三や麻生太郎も似たようなマンガ世代なのである。
 さて問題は冒頭に上げた菅発言。これには二つの問題がある。一つは1)挑戦と中止とどちらが難しいか,、二つ目は2)挑戦は政府の責任だと云う設問だ。
1)挑戦と中止とどちらが難しいか?
 答えは挑戦より中止の方が遥かに難しいと云うことである。数年前北海道大雪山でツアー登山客の遭難事件があった。東京からの中高齢者登山客をツアー会社が案内するという企画である。当日天気予報では天候は不安定。さてツアーリーダーにはツアー中止か継続の決断を迫られる。最も安全な手法は中止だが、その場合ツアー客からの返金要求がある。そこでツアー続行となり遭難に至った。
 昭和19年インパール作戦。作戦発動から数カ月で日本軍は完全に行き詰ってしまった。現地軍も参謀次長も作戦中止を考えたが、軍司令官の牟田口と参謀総長の東条英機が作戦続行・・・つまり挑戦・・・を主張し、結局は日本軍の大敗北となった。
 1014年6月。4月に起こったサラエボ事件でオーストリアはサルビアに宣戦布告。セルビアに肩入れしているロシアも参戦。これを受けてドイツ参謀本部はかねての計画通り動員発動。対フランス戦準備に入る。この時カイゼルは何時もの強気と違って逡巡し、参謀総長のモルトケに引き返せないかと問うたところ、モルトケの返事は「一旦動きだした巨大機関車を止めることは出来ない」と拒絶。かくて4年間に及ぶ世界戦争の幕が切って落とされた。
 幾つか例を挙げたが、これら以外にも我々の身近には公共事業とか事業投資とか、一旦始めるとこれは駄目だと思っても止められないことは多い。例えば東芝のWH買収事業などである。
 これらの例から得られる教訓は、一旦始めた事業は中止するより、そのまま継続していく・・・菅流表現では挑戦・・・方が遥かに楽だということである。但しその先にはしばしば地獄が口を明けて待っている。今の東芝をみればよく分かる。
 では何故みんな中止を避けたがるのか?事業を中止せずリスクを抱えたままで””を続け、成功すればトップの手柄になる。失敗しても責任を関係者全員に分散できる。いざとなれば国民に丸投げだ。かつての戦争でも、戦争指導者は「一億総ざんげ」などと云って責任を有耶無耶にした。
 逆に事業を中止すると、関係者・・・つまりステークホルダー・・・達が騒ぎ出し、責任がトップに集中する。それが怖いから地獄の口へみんなを誘導するのである。
2)挑戦は政府の責任か?
 一般に民主主義国、資本主義国では政府の役割は、民間の挑戦をサポートすることで、それ以上のことに口出しはしないと云うのが常識である。逆に全体主義国、社会主義国では政府が挑戦をリードし、民間はそれに追随するというパターンを執る。どちらが優れていたかは、90年ソ連・東欧崩壊で答えは出ている。何故ならこのシステムでは誰も責任を取らない・・・取らなくてよい・・・からである。
 しかしこのシステムで成功した数少ない例がある。それが日本の戦後復興、そしてそのシンボルである64’東京オリンピック、70’大阪万博である。何故成功したかと云うと、敗戦で日本の社会資本は殆ど焼失した。
 日本をアジアに於ける共産主義拡大の防波堤にするため、アメリカは世界銀行を通じて日本に経済援助を行なった。この援助は日本企業が世銀から直接融資を受けられないので、政府保障で民間銀行を経由して行なわれた。従って何でもよいというものではない。政府が必要と判断した事業のみが融資対象になる。その中には新幹線や高速道路、佐久間ダムや黒四ダムそして原発なども含まれる。全て日本がこれまでやったことがないプロジェクトである。当に政府の挑戦である。それの完成形が東京オリンピックであり、大阪万博なのである。
 多分菅やアベ晋三の頭の中にはその成功体験が刻みつけられており、夢よもう一度になるのだ。しかし時代は変わり、日本を取り巻く環境も60年前とは大違い。同じ夢は繰り返さない。政府の役割も当然違ってくる。今の政府のやるべきことは、天候を読み違えてツアー客を遭難させることではなく、ツアー客を全員無事に帰還させることである。
 そもそも菅本人、ある時の記者会見で、オリンピックを中止するという選択肢はあるか、という質問に対し、中止の権限はICOにあるとし、責任の所在を曖昧にした。そして今回はWSJへの挑戦発言である。挑戦と云うのは基本的には自己責任で行なうものである。この人物、自分の都合が悪いときは責任を他人に擦り付け、都合の良いときは自分の手柄にしたがる。当に秋田の禿ネズミ。他人に寄生し、他人の餌を喰わなければ生きられないのだ。
(21/07/23)

 前経団連会長の中西宏明が旭日大綬章。果して彼が何をやったか、分かっている人は殆どいないでしょう。ワタシもその一人です。イメージとしては、アベ内閣の意を受けて官製春闘の提灯持ち。或いは円安を承認して、日本の中小企業潰しに貢献したことか。
 中西は元日立製作所社長で、人も知る財界アベ応援団の筆頭。永年のその功績に免じて、今回の叙勲になったのだろう。当にアベ=長州情実主義の典型だ。
 明治長州閥のドン、山縣有朋を誰かが評して「候は自分に近いもの、忠実な者には親切で面倒見もよいが、批判的なものには冷淡である」と。当にアベ晋三そのものである。これは長州とりわけ萩の係累に属するものの典型である。しかもそれを当然と思い反省もしない。これをやり過ぎると周辺に長州嫌いを作り、結果として孤立する。アベも同じで、年も年だからいい加減長州得意の人事いじりは止めた方が良い。しかしこれは病気みたいなもので、死ぬまで直らない。周辺にそういうことを忠告できる人物もいなくなったのだろう。
(21/07/21)

 到頭菅内閣支持率30%割れ(時事通信)。というよりこれまで30%台以上をキープしてきたのが不思議。アベー菅政権プロパガンダメデイアの代表であるFNNでも40%割れ。党内支持率ではどうだろうか?今自民党内で、本気で菅を支持している派閥はあるだろうか?唯一細田派だが、これはアベが菅が使いやすいからだけで、何らかのきっかけでアベが菅を見限った段階で、細田派はすがと絶縁。ポイントはやっぱりオリンピックだ。
 その所為か菅はやけにオリンピックに対し前向き。例えば7/16バッハとの会談で、バッハが「コロナが落ち着けば観客を入れろ」と要求すると菅も「有観客もあり得る」と応じる。それどころかオリパラ後の新GoToにも言及。これは二階派の取り込みか?
 つまり二人そろって最初に決めたルール(無観客)を骨抜きにしようとしているのである。これでは誰もルールを守らなくなる。この所為かどうか、既に五輪関係者による飲酒横行、それどころかウズベクスタン人関係者が会場係の女性に性的乱暴を働いて逮捕されるという騒ぎまで現れた。もしこれに組織委員会や政府が曖昧な態度を採れば、女性ボランテイアが大会運営を一斉拒否なんてことが起こりかねない。そうなればオリンピックはその時点でアウトだ。
 更に追い打ちを掛けるのは首都圏での新規感染者の増大。既に政府分科会のシミュレーションの内、最悪モデルを上回る勢いで増加している。この原因は東京都議選である*。昨年大阪市ではやらなくてもよい大阪府廃止住民投票をやった。その結果が第三波の流行である。この轍でいえば、兵庫県は早ければ今週末辺りから、阪神間を中心に新規感染者が増えるだろう。
 ということでコロナ問題でもオリンピック問題でも、菅政権の将来に明るい兆し与える要素は一つもない。それでも解散するなら、遅い方が良い。何故なら今の菅政権にとって頼みの綱は最早ワクチンではなく、日本人の健忘症だからだ。事実バッハは菅との会談で、「日本人は今は悲観的だが金メダルの二つか三つとればみんな忘れてしまう」と云っている。同じことはコーツやNBC CEOも云っている。何よりも菅が座右の書とする「君主論」でマキャベリが「・・・・民衆はその内みんな忘れてしまう」と云っているのだ。多分そうなるだろう。必要なことはみんなが忘れてしまうまでの時間稼ぎである。
*なんと自民党内で、これと同じ見解を持っている議員が現れているらしい(07/19 BSフジ「プライムニュース」での田崎発言)
(21/07/19)

 東京オリンピックに関する天皇拝察発言について、「フフフーン」と鼻でせせら笑った麻生太郎。近年こんな傲慢で下品な政治家は見たことがない。奴の祖父つまり吉田茂も傲慢で人から嫌われていたが、こと天皇に関してはこんなことはなかった。
 明治維新前夜、討幕を主張する薩長に対し、孝明天皇は中々ウンと言わない。この時薩摩の西郷が何と云ったか。「匕首一つでカタが付きモス」。この直後孝明天皇は急死し、15才の明治天皇が即位した。明治維新という近代日本史に於ける過ちの始まりである。
 その後の薩長政権は天皇を自分達の権力集中アイテムに利用し、明治維新という誤ったエポックを作った。今のアベー麻生連帯は、自分達がかつての明治権力の延長線上にあると信じているのだろう彼らの目標は明治維新の再現なのである。しかし維新世代の中で、まともに生涯を終えられた人物は殆どいない。
 そして昭和20年8月、明治権力体制は崩壊した。ということはそれまでの天皇システムも崩壊したということに他ならない。今の天皇家は、いわば明治維新を否定した戦後民主主義・・・実はアメリカデモクラシー・・・の上に再建されたのである。
 そんな天皇制を日本国民が支持するわけがない、と一部の人間は思い込んだ。しかし実態はそうなのである。たとえば三島由紀夫、或いは西部遷とか石原慎太郎は旧来の天皇制の復帰を夢見たが、現実はそうではない。アベや麻生・菅は彼らとは違う。彼らは三島らに比べ、遥かにプラグマテイックだ。彼らにとって、天皇は自分達の権力・利権を維持するためのアイテムに過ぎない。そうでなければ、頭から長官発言を否定したり、鼻で「フフフーン」とせせら笑えるはずがない。
(21/06/27)

 昨日宮内庁長官による、天皇の「コロナ下でのオリンピック開催が感染を拡大するのではないか」という懸念発言について、政府は「これは長官個人の発言」と矮小化にこれ務める。これにいち早く反応したのが共産党。共産党は天皇懸念を利用してオリンピック中止を迫る。しかし自公はダンマリ。立民、国民も曖昧。自民は背景に未だにオリンピック景気を頼る企業があり、立民、国民もやっぱりバックに労働組合という既得権益層を抱えているからだ。特に立民は中に共産党以上の左派集団を抱えているからややこしい。
 今の憲法下だけでなく、旧憲法下でも天皇が政治問題に直接意志を示す事はなかった。唯一例外は2.26事件での討伐命令だ。大概は和歌に託すか、侍従を通じて間接的に伝えるぐらいである。今やコロナー東京五輪と云うのは立派な政治マターである。
 今回の例を見ると、宮内庁長官という天皇関連官僚の最高位に位置する人物が、公式の記者会見で発表している。政府がいうように、これが長官個人の意見だとすると、長官が天皇を騙っていることになり、とんでもない話であり得ない。これは長官個人の意見ではなく、天皇の思いが相当レベルまで反映されていると見るべきである。
 多分政府、自民党は東京五輪を、かつての本土決戦と捉えて、しゃにむに突き進むだろう。しかしかつての本土決戦論を回避させたのは、今上天皇の祖父である。本土決戦とは何か?それは国体を護持するための闘争である。国体とは何かというと、日本列島とそれに住む祖霊が一体化したものとされる。ポツダム宣言受諾で、列島の規模は幾分小さくなったが、失った部分は明治以降に手に入れたもので祖霊とはあまり関係ない。祖霊に至っては、マッカーサーがやってくると、それこそ天皇を放り出してマッカーサー様様だ。何処に国体があるのか、と右翼のアホに聞いてみたい。
 いまやIOCがGHQでバッハがマッカーサー化している。それに対する抵抗が、今回の天皇の思いだろう。菅や麻生は天皇に対し恥ずかしいと思わないのか?さてこれに対し、政府、自民党や与党がどう反応するかが興味津々。無論現憲法下では、飽くまで政府の決定が優先され、天皇の意志は無視してかまわない。つまり戦前の「天皇機関説」の再現である。一方自民党の中では改憲論者を中心に天皇元首論がある。ある時は天皇を利用し、ある時は無視する。これが自民党なのである。その原因は昭和20年8月のポツダム宣言受諾を、自民党自身が未だに消化仕切りていない事である。
(21/06/25)

 そもそも災害対策で最も重要なことは初期対応である。火事でも初期消火が重要で、これに成功すれば大火は免れる。新型コロナ対策でも新期感染者の増加率が重要で、これが大きくなった時点で緊急事態などの対策を打たなければならない。日本・・・だけではなく経済性を重視する国は全て・・・はこれに失敗している。
 今回政府が発表したオリンピック期間中の緊急事態宣言発動基準を新規感染者数でなく、重症者数で判断するということは、新規感染者増加を火事の始めと考えると、ぼやの段階ではほっといて、火が全体に燃え移ってから・・・重症者数の増大・・・消防車を呼ぼうということに他ならない。もっと極端な言い方をすれば、北朝鮮のミサイルが我が国に向かって跳んでくるのが確実なのに、ミサイルが落下して被害が出てから北朝鮮に抗議するというようなもの。こんな政府に危機管理が任せられるでしょうか?
 筆者は現役時代、災害対策業務に関係したことはよくあるが、役人・・・建設省河川局・・・というのは、被害が出ないと何もしない、被害が出て始めて動く生物なのだなあ、ということはよく実感した。西村始め今の菅政権のやり方は、今から20年、30年前の役人の世界と何も変わっていない。それどころか更に徹底されている。これこそ菅の最大の功績だろう。
(21/06/23)

 やっと出てきたのがG7での菅のふるまい。会合が終わって日本を除く各国首脳が一塊になって歩む中、菅だけが仲間外れで一人トボトボ映像。これに対し、本人は元々外交は苦手で、とか、新しい仲間に入っていくのも不得手などといいわけし、周りも言語力の問題がどうのこうのと援護射撃。しかしこれは全て嘘です。最大の理由は各国首脳から菅には中身が何にもないから話して無駄、と見切られたからです。今回のG7サミットテーマは第一に対中国政策、次に環境、人権。東京オリンピックなど関心の話題にもなっていない。
 さてこの中で菅が何を発言したか。対中政策で台湾海峡問題まで行ったが、これはその前の日米共同声明の丸写し、環境問題では石炭火力についてはダンマリ。当たりまえだが、日本の石炭火力産業のバックにはアベ晋三がいる。人権についても、中国と日本の新中派のドン二階に遠慮して何も言わない。結局何を云ったかと云うと「東京オリンピックに選手団を派遣してください」というお願いだけ。レベルとしては二流以下の営業。一流の営業なら相手を丸め込んで自分のペースに持っていく。
 もし、菅が各国首脳を前に、堂堂と現下の世界情勢と問題点を指摘し、そこに日本の為すべき点、そこに己の思想・哲学を述べれば、各国首脳の見方は全く異なってくる。菅の演説は中身のない表層だけにとどまった、その点を各国首脳に見透かされたのである。彼の官房長官時代の記者会見や首相になってからの記者会見の、中身のない、木で鼻括った答弁をみていれば、誰だってこんなのとまともに話する価値も暇はない、と考える。各国大使館情報部は正しい情報を本国に送らなくてはならないからだ。例外は日本の外務省位ではないか。
 言語力は手段に過ぎない。しかし言葉は発する人の中身を表す。中身がなければ幾ら綺麗な言葉をちりばめても、発音が正確でも相手にされない。逆に中身があれば、言語力はどうであれ、人は周りから勝手に集まってくる。菅が確固たる哲学がある本当の政治家なら、自分が英語が出来なくても、各国首脳が日本語を学んでくる。
 かつて池田隼人がフランスを訪問したとき、ドゴールは池田を「トランジスターのセールスマン」と評した。今の菅は世界からどう思われているか?「オリンピック目当ての旅行代理店セールスマン」程度か?
(21/06/20)

 何故かみんなと外れて後ろからトボトボ歩く日本の菅首相。昨日のBS朝日某番組。ナレーションでは「初めてのサミットはほろ苦いデビューとなりました」だった。この光景が明日放映されるかどうか興味があったが、予想通り全てのメデイアは無視。ネットでも出て来ない。明らかに官邸からの報道管制が敷かれている。記念写真でも、他の首脳は拳を振り上げているが、菅だけは腕を下げて直立不動。彼は法政空手部出身なのだから、腕を前に出して突きを表すのは得意のはずだ。それとも菅をサポートする官僚のセンスが悪いのか?
 そして本日夕刊、案の定第一面には「各国首脳オリンピック開催を支持」と大本営発表。何時まで経っても懲りないのがマスコミだ。
(21/06/14)

 G7で各国首脳はこぞって東京オリンピック開催支持を表明したと、日本のメデイアで伝えられる。但しこれが全体のどの程度のウエイトを占めているのかは分からない。しかし日本では、菅ー官邸の要求により、メデイアではこれを第一面に掲げるだろう。なお当たり前だが、オリンピックを開催するかどうかの権限はIOCにあって、G7ではない。G7メンバーの誰もそんなことを云わない。皆さん何か勘違いしているのではないか。
 今回G7最大の目的新型コロナ感染症を抑え込むことと、対中国包囲網形成についてコンセンサスを得ること。東京オリンピック関連の声明は、日本側・・・というより菅・・の要求で追加されただけのもの。
 この要求に最も積極的に反応したのがフランスのマクロン。彼と菅の共通点は、コロナ対策がヘタクソで完全に失敗したこと。そのため、支持率低下に歯止めが懸からない。だからお互いオリンピック・・フランスは24年パリ五輪・・・で支持率回復を図らなくてはならない。次のフランス大統領選では、与党は確実に負けるだろう。危機管理が出来ていない点では似た者同士だ。
 人権問題に並んでG7で重視されたのが環境問題。今回石炭火力発電所への公的援助の禁止が決った。日本では20世紀までは石炭火力のウエイトはせいぜい数%で、それも北海道限定だった。それがいつの間にか20%近くまでになった。原因は幾つかあるが、最大は東電福島事故以来の原発停止。それなら石油天然ガスでもいいじゃないかとなるが、そうはいかないのが中東状勢。有りもしないホルムズ海峡問題を取り上げて、石油の足を引っ張った。そのためアナクロの石炭火力に奔った。もう一つがアベノミクス。石炭火力に力を入れているのが神戸製鋼。この会社アベとの関係が深い。神戸製鋼救済政策だろう。
(21/06/13)

 間もなく始まるのがG7サミット。菅としては初めての体験だ。今回はリモートではなく対面だから自分の言葉で喋らなくてはならない。「あのー私がサミットと云うものを見たのは、ええー」では済まないのであっる。海外メデイアは日本の腰抜けマスコミとは訳が違う。
 それはそうと、G7での主要議題になるのが、国際巨大企業への最低税率問題。これに関連してアメリカではバイデン政権が富裕層への課税強化を準備している。之に関しアメリカでは2超富裕層25人の資産・納税状況を調べ、彼らが殆ど税金を払っていない事が公表された。彼らの手口は賞与を株価オプションでもらい、更に納税場所を世界中に分散して、それぞれの納税時期の時間さを利用して、資産の圧縮を図り納税を避けると云うものである。
 日本でこの手の節税をやっているのは、あの国際金融泥棒竹中平蔵とその仲間、村上世彰とか堀江貴文らである。さてバイデンが富裕層課税を始めれば日本でもそういう流れになるし、第一アメリカに資産を逃避させていても意味がなくなる。となればどうなるか?
 おそらく世界の富裕層は、税金に取られる位ならと別の儲け先を探す。通常は株式だが、これはこれから監視が厳しくなる。今世界が注目しているのは半導体市場である。おそらく今後半導体とその関連産業へ富裕層の余剰資金がなだれ込むだろう。レアメタル、レアアース産業への投資である。既に此の種産業の株価は値上がりしている。
 これでも日本はお呼びではない。多分一番儲けるのは中国レアアース業界だ。確かに日本の加工・精練技術は世界一かもしれないが、資本主義の世界ではメジャーではない。サプライチェーンを支配する資本家から買いたたかれるだけだ。
 このほど自民党内に半導体議連が出来たが、メンバーを見るとAAAを始め、アベ晋三とその周辺が中心。狙いは半導体を呼び水に政府・民間資金を誘いこみ、上前を刎ねて甘い汁を吸おうという算段。かつての竹下派中国ODAと同じパターンだ。
(21/06/10)

 何時聞いても情けなくなるのが首相の菅の滑舌の悪さ。あれは性格と云うより、基本的なボキャブラリイの不足。如何に思春ー青年期に勉強してこなかったかの現れ。これは今の60代以下の政治家に共通する。共通一次試験の弊害だ。
(21/05/31)

「さざ波」と「屁」で有名になった・・・これでしか有名になれなかった・・・高橋洋一が内閣参与を首になりました。おそらく内閣調査室の調査で、こんなの官邸に置いておいては次の選挙に勝てないという判断に至ったのでしょう。杉田危機管理担当補佐官の判断か?
 先週土曜朝の関西ローカルテレビ番組。レギュラーコメンテーターの一人が高橋洋一。最初のテーマが昨年日本のGDPで、これが4.1%減。これに対して高橋が何を言い出すかと云うと、イギリスやアメリカのグラフを持ち出し、これらの国のGDP減は日本を上回っている。要するに、英米に比べ日本は未だ成功していると云いたいのだ。しかし中国や台湾は無視している。
 こういうことを「目くそ鼻くそを嗤う」という。つまり高橋洋一と云うのは、只の目くそ人間なのである。このように何か政府に都合が悪い事態が発生し、それを野党やマスコミに追及されそうになると、アチコチから都合の良い資料を引き出してその場を取り繕うのが霞が関、中でも財務省官僚の得意技。これが上手い・・・例えば高橋目くそ官僚のような、或いは瀬島龍三*のような・・・人間が出世する。
 しかしこれには大きな副作用が発生する。それは政治家が安心してしまい、政治に危機感がなくなることである。アベ晋三長期政権で生じた最大の問題は、政治家から危機感を奪ったことである。
 アメリカのペンタゴンやNASA は、同じように他国との比較をよくやるが、それは今の政策では、いずれアメリカは中国や日本に追い越されると警告することが目的である。無論背景には彼らの予算取りという思惑もあるが、ホワイトハウスに一定の緊張感・危機感を与える効果がある。だからアメリカは常にバージョンを更新出来る。
 それに比べ日本のやり方、つまり世論の行方を気にかけるトップの意向を忖度して、政権や世論に甘い情報だけを上げるやり方では、政権に危機感がなくなり、自己満足に陥る。そして官僚たちは互いに傷を舐めあう。こんなやり方ではいずれ、日本は三流国に没落するだろう。それを実践しているのが高橋洋一なのである。「目くそ屁を嗤う」例えだ。
*戦後、ある軍人の評価では、瀬島龍三は前線から送られてくる膨大な情報の中から、重要な・・・上司が気に入りそうな・・・部分を抜き取り、簡潔な報告書にまとめることが得意だった、と云われる。  ・・・(保坂正康「昭和の妖怪」)
(21/05/25)

 何の成果もなく、ただハンバーガーだけ食って帰ってきた菅訪米。ここで間違いなく日本が踏み込まなくなったのは”台湾”問題である。共同声明では”台湾海峡”の安定維持と婉曲表現だが、実態は中国が台湾に軍事侵攻したとき、アメリカは武力で対抗し、日本はそれに協力することを義務づけた文言。この時主要基地となるのは、日本国内では間違いなく沖縄。
 無論この背景にあるのは、ここ20年来の中国軍事力の強化拡大。この原因について、日本国内では特に保守系評論家を中心に、89年第二次天安門事件後の日本の対応を取り上げる向きがある・・・例えば良くテレビに登場する京大教授のアホの藤井聡など。彼らの主張は天安門事件後、欧米各国は対中経済制裁を行たが、日本だけは「中国を孤立させてはならない」と云って、対中ODA に踏み切った。これが中国軍事力拡大に繋がった、というものである。これは前半の対中ODAまでは正しいが、後半は嘘である。
 まず対中ODAの大部分はダムや道路などのインフラ整備に使われている。受注業者は日本のゼネコン。そしてその背景に、ある陰が見え隠れする。それは伊藤忠という商社である。当時伊藤忠の会長(後に相談役)として対中ODAを取り仕切っていたのは瀬島龍三。彼は中曽根康弘のブレーンであり、中曽根行革のあらゆる部分に影響力を及ぼしていた。
 対中ODAが伊藤忠を介して、自民党に還流していたと考えても不思議ではない。無論伊藤忠は中間で相当中抜きしていたはずだ。そして09年政権交代で民主党政権になったが、実権を握ったのは元経世会の小沢一郎。経世会は田中角栄以来、自民党内親中派。そしてそのもとで駐中国大使になったのが元伊藤忠会長の丹羽総一郎。全ては繋がっている。日本の対中ODAの目的は、ODA予算を使って経世会資金うを稼ぐことで、その資金がそのまま中国政府に吸い取られたわけではない。
 しかし欧米の対中経済制裁も長続きしていない。92年アメリカにクリントン政権が誕生すると、アメリカは中国を戦略的パートナーと見なし、なし崩しに経済制裁を解除した。これに負けてはならじと、EU各国も倣う。最大の投資国はドイツで特に自動車産業はダントツ。アメリカもアップル・マイクロソフト・グーグルなどのIT産業が続く。これらの国際企業の対中投資額に比べれば、日本のODAや対中投資など眼じゃない。だから中国は今更日本企業が中国を撤してもなんとも思っていない。
 対中国の軍事力膨張に最も貢献したのは、フォルクスワーゲンとアメリカのIT産業だ、ということをはっきり言うべきである。だからと云ってそれで中国がひるむわけではない。誰が愚か者かを測っているだけだ。
(21/04/22)

 菅訪米が終わりました。菅の訪米目的は何だったのでしょうか?外務省筋は菅ーバイデンの個人的関係を築くためと、随分目的を矮小化しています。これは結果が当てが外れた場合に備えて責任を問われないための予防線で、木っ端役人がよく使う手。しかしアメリカ側はそんなことは言っていない。明確に日米の責任分担の明確化を明言しています。
 もう一つが・・・これが菅の本音だろう・・・東京オリンピック開催へのアメリカの支援取付、中でもアメリカ選手団派遣へのバイデンの確約を取り付けること。ところが実態はバイデンは記者会見で「オリンピック開催に向けての日本政府の努力を支持する」という内容空疎、実態は何もしないという従来の見解を繰り返すのみ。これをグッドニュースとみるか、やっぱりダメかと見るかで知性の程度がはかり知れる。
 日米共同声明を見ると、東京オリンピックのことは一言も触れられてはおらず、ひたすら中国包囲網の強化を強調しただけ。つまり極東地域の安保体制強化、インド太平洋の安定化、台湾海峡の安定維持、半導体始めサプライチェーンの強化等々。これでは菅はアメリカとの交渉に行ったのではなく、余計な仕事を約束させられて来ただけだ。こういうのをノーなしというのである。
 昔、サラリーマンをやっていた頃、部下に発注者との打ち合わせに行かせた所、こっちの言い分も云えず相手から余計な仕事を引き受けてきたアホが随分いた。こういうのは丁度菅義偉と同世代のポスト団塊世代から増えてきた。あの世代の特徴は「内弁慶の外地蔵」。会社(つまり自分が生息する狭い世界)では自信満々奔暴に振る舞うが、一旦外の世界に出て自分より強いのに出会うと途端に自信消失、相手のいうがままに成り下がる。結局迷惑するのは周りの人間、特に管理職だった筆者などだ。
 共同記者会見で、ロイターの記者から「東京オリンピックでのコロナ感染状況と対策」について質問されると、何も答えずスルーしてしまった*。これは最悪の対応である。日本のNHKやフジサンケイ・読売などの根性なし芸者メデイアなら何も言わず堪忍してくれるかもしれないがアメリカはそうはいかない。この重要問題に対し「SUGAは何も答えなかった。日本はオリンピックでのコロナ感染について、何も対策を持っていないのだ」などと書き立てられる恐れがある。オリンピックに参加するかどうかは、政府の意志ではなく選手個人の判断に任される。選手がこの回答スルーをどう受け止めるか、又選手が正しい判断ができる情報を提示するのが日本政府の役割である。
*この点について日本のマスコミは、やはり露呈した咄嗟の即答力不足を批判する。都合の悪い質問をスルーするのは、過去8年間の官房長官時代で見についた悪い癖である。あるいは元々無かったのかもしれない。普通の人間ならその立場に付けば、その立場での振る舞い方を身に着けるものである。それが出来ないのは、所詮その程度の人間、いや秋田の禿ネズミだったということだ。
(21/04/18)

ワクチン導入と首都圏緊急宣言延長でナントカ支持率回復を果たしたかに見える菅政権。しかしここにきて再び暗雲が立ち込めてきた。それは東北新社接待に始まるNTT接待疑惑。連日国会で野党の追及を受けるが、行政に影響は与えていない、接待とは認識していない、記憶にございません、の連発。特に本日(21/03/16)の総務省部長の、東北新社側が接待の事実を認めているにもかかわらず、それを否定する答弁はひどい。何故ここまでして彼ら・・・総務省の中の旧郵政族・・・は接待を否定するのか?それはこの一連のNTT疑惑の背景に菅義偉がいるからだ。
 東北新社ーNTT接待問題での総務省(役人及び大臣)側の言い訳は概ね次のように分類出来るだろう。
1、会食はしたが接待とは受け取っていない。費用も支払った。
2、接待は受けたがそれが政策に反映されたことはない。
3、一切記憶が無い
 一方これらを擁護する論説もある・・・例えば三流弁護士の橋下徹。
1、について;これは野田聖子や高市早苗のような元総務大臣経験者に共通する主張である。会食はあくまで意見交換であって、それが政策に反映されることはない。谷脇他の総務省幹部も同様の主張を繰り返す。
 官民の意見交換については諸説あって「必要である」という違憲が多い。仮に官民意見交換が必要なら、その業界全体と意見交換しなければならない。ところが実態は東北新社とかNTTという特定企業との意見交換だけだ。他の何10何100という中小同業者の意見はどうなっているのか?これでは機会均等という近代資本主義の大原則が無視されてしまう。
 最大の問題は意見交換と云いながら、どういう意見が交換されたのか記録も何も残っていないことが問題である。公共事業を例にとれば、設計でも施工でも、官(発注者)民(受注者)で意見が異なれば、打ち合わせ協議と云う正式の場で意見を交換し、その過程・結果は全て打ち合わせ記録簿に残される。日本でこれだから、海外特に世銀プロジェクトはもっとシビアになる。これは業務上正式に認められているプロセスで、それ以外の意見交換は認められない。これまでの総務大臣や総務省役人、NTT他の接待業者はこの程度の基本もできていない。野田聖子や高市早苗の馬鹿ずらを見れば、あの連中がいかにアホというか無知であるかがよく分かる。
2、について;これでは接待した方も何のために接待したのか分からない。こいつら只酒呑みやがって、ということになる。一方接待側の会社も、折角経費使って影響もないとはなにごとだ!ということになる。接待したNTTや東北新社役員は、会社経費をネコババしただけなのだ。
 現在の東証上場市場では、おおよそ6割が外人株主である。その中には結構おっかない、所謂物言う株主も少なくない。彼らは一般株主から資金を集めファンドを作って投資し、利益を還元する。さてこれら外人株主にとって東北新社やNTTは結構魅力的な投資先なのだ。彼らにとって、今回のような無駄な投資は許されない。無駄どころか、スキャンダルで株価が下がれば大損だ。当然経営者を相手取った訴訟に発展するする。さあどうする、だ。
3、について;随分都合よく忘れられるものだ、と思う森友問題の時の佐川答弁もそうだったが、今回はそれを上回る強情さだ。誰かが後ろでネジを巻いているのに違いない。それが誰かは云わなくても分かるでしょう*。
 全体を見て今回のスキャンダル、やり方はお粗末と云えばお粗末なのだが、その狙いは簡単なものではない。日本の命運がかかる問題でもある。まずNTT、東北新社との接待会食があっても、それが行政を歪めたことはない、会食も規範内であって問題はない、というのが総務省側の主張である。仮にそうだとして、一体全体何のために会食したのか?会食しても互いの利益にならないのなら、それは誰か第三者が背中を後押ししたとしか考えられない。
 では一体誰が、何のために後押ししたのか?総務省やNTT、東北新社に影響力を及ぼせる人物は、通信族のドン菅義偉を置いて他にいない。そしてそれを煽ったのが、竹中平蔵ーワトキンソンー楽天三木谷といった菅サロンに集う新自由主義者たち。そして彼らが狙うのは日本の通信産業の再編である。
 現在の日本通信事業でガリバー的存在はNTTである。NTTの独占を排除して競争原理を導入する。ほんとうにそうなら悪いことではないが、それなら接待会食でなく、もっとオープンな場で議論すべきである。それが出来ず、アフターファイブの密室協議**で話を付けようとするなら、それは最早自由主義資本主義ではなく、統制資本主義である。かつて80年以上前、日本もドイツも統制資本主義に奔って国を滅ぼした。今又その轍を踏むのか?
*予算員会で鈴木部長が答弁にたつとき、総務相の武田が鈴木の後ろから「記憶が無いと云え」と喋ったのが録音に残っていて、到頭竹田も認めざるをえなkなった。しかし武田も誰かを忖度していたのだ。
**昔サラリーマンをしていた頃、会社ではよく会議があった。正式の会議では実はあまり何も言わない。ところが、それが済んでお開きになってさあ一杯となると、いきなり本音が飛び出す。それが済むと二次会になるが、私は大抵そこで返るが、その後で人事や色々肝心なことが決っているのだ。今頃こんなことをやっている日本の会社はないだろうが、一番遅れているのが自民党と霞が関の官庁街だろう。

(21/03/18)

 連日話題の総務省接待問題。今のところツッコミ処は接待され側の公務員倫理規則違反だけだが、接待側ではどうなるか。当たり前だが、一人当たり単価ン万円もの接待費を自腹で払うサラリーマンなんかいない。つまり全て社内経費となる。一方会社側にとってみれば、経費を支払う以上、それに見合う成果がなくてはならない。成果とは会社の経営にとってプラスとなる状況の形成である。
 今回の総務省接待で見てみよう。接待側は今のところ東北新社とNTTだけだが・・・今後の捜査でもっと出てくる可能性もある・・・、被接待側の官僚達はみんな、接待は受けたが結果として政策には影響していない、と主張する。もしこれが本当なら、接待は何の意味もなかったということになる。只の無駄使いだ。一体全体、菅の息子を始め、東北新社やNTT役員は何の為に接待したのか?つまりみんなで会社にたかっていたのだ。
 谷脇総務省審議官へのNTT接待では、三回で58万円、一回当たり20万円近い接待費を使っている。通常接待と云うものはせいぜい4、5人程度。とすると一人当たり4~5万円。決して安い金ではない。それでいて政策に影響しなかった・・・NTTに有利な状況を作り出せなかったとすれば、これは無能を通り越して犯罪、要するに泥棒と同じである。この結果、NTT株価は下落する。怒らなくてはならないのはNTT株主である。NTT株主は、こういう状況を作り出した無能役員・・・こういうのを社賊という・・・に対し、株主代表訴訟を起こすべきである。
(21/03/05)

 例の7万円接待の山田広報官が入院・辞任。どうせこんなことになるだろうとは思っていたが、意外に早かったなあという感じ。もっと粘ると思っていたが、意外に根性がなかった。世間では対山田接待費が7万円余となることが批判の的になっているが、接待された側が接待料金を分かるはずがない。又接待も山田が持ちかけたわけでもない。あくまで東北新社の思惑だ。但し、公務員倫理規定では、政策に利害関係を持つ個人・団体との接触は禁止されているので、それに乗っかった時点でアウト。
 なお、山田は例の7万円接待で菅の長男が同席していたかどうかという質問に対し、「大きな問題ではない」と回答。要するに菅の長男などどうでもいいというわけだ。菅も随分舐められたものだ。これにオヤジが怒って「あの女首にしろ」となったかもしれない。あり得ますねえ。
 公務員倫理既定は新しいものでも何でもなく、出来てから既に20年以上経過している。官僚で知らないものは誰もいないはずだが、相変わらず単純なチョンボが多い。何故か?それは官僚教育が出来ていないからである。
 官僚教育に責任を持つのは官僚トップである官房副長官。更にそれを確認していくのが官房長官の役割。今の官房副長官である杉田は、アベ内閣時代からだから、菅とのコンビは長い。要するにこの二人のボンクラが、今の役人を堕落させてしまった訳だ。能無しの下にはボンクラが集まる。
(21/03/02)

 今話題の真っ只中、衆院で答弁する7万円接待の山田真貴子内閣広報官。その斜め後ろにいる禿が、筆者が無能の極みと評する杉田和博官房副長官。このアホのやったことは、例の学術会議問題始め内閣支持率を下げたことだけ。なんでこんなアホが国会に出てこれるのか、それが不思議。それより問題は、こんな総務省接待すら掴めず、週刊誌にやりたい方だいやられた、今の日本公安警察の能力劣化の象徴。(21/02/25)

 橋下は公務員と業者との会食を禁止すべきだ、と主張。そういう法律を作れば接待行政は亡くなると思っているのだろう。この点が法律馬鹿の世間オンチ。公務員と業者との会食・接待を禁止する法律など、とっくの昔に出来ている。ところがこの法律、抜け穴だらけのザル法。だから誰も守らない。
 本当に禁止しようと思えば、監視と密告しかない。例えば内閣直属の公務員監視庁のような役所を作ってにらみを利かすのも一法だ。しかし彼らとて役人の片割れだからいずれ元の木阿弥。そこで考えられるのが密告。
 中國唐の時代、あの即天武后が権力を握った時、彼女は全国の人民に「役人の不正を密告すべし」という命令を出した。これを「告密」という。効果はどうだったか分からないが、武后の残虐性はみんな知っていたから、さぞかし大勢の不正役人が告発されただろう。無論中には権力抗争に巻き込まれた冤罪も多くはあっただろうが、武后はそんなものは気にもしない。
 中国史には似たような話が多い。文化大革命当時、毛沢東は「整風運動」というのをやった。これは公務員の腐敗と反党運動をあぶりだし退治するもの。いま、習政権がやっている「灰色の犀も」という反腐敗運動もこれの延長。ということは中國では如何に公務員の腐敗が多いかということの証しでもある。その後を真似しているのが日本だから、公務員腐敗撲滅運動も中國の真似をすればよい。
 例えば霞が関中央省庁をターゲットにすれば、場所は赤坂か銀座当たりの高級クラブか料亭。そこに毎日の来客記録を提出させる。もし偽りがあれば、一族営業停止とする。一族というのはチェーン店だけではない、近隣の同業者含めてみんな十パひとからげでやってしまう。そうすれば相互監視機能が働いて効果が大きい。いささか乱暴だが、中近世まではみんなそうしていたのだ。それぐらいできなけりゃ、何時まで経っても同じことの繰り返し。
(21/02/27)

 今の話題は新型コロナと並んで、総務省ー東北新社過剰接待問題。この中で際立っているのが山田真貴子という広報官への7万円接待。この件を衆院予算委員会で質問されると、菅は「その話は最近初めて聞いた」と他人事答弁。これから云えることは、この件の最大の問題は官房副長官で、これが無能だからこんな事件が起こったのだ。
 官房副長官というのは官僚のトップで、各省庁から上がってくる案件を整理して、どれを閣議に上げるかをけっていするポジション。それと同時に官僚に睨みを利かせ、不祥事を未然に防ぐ役割でもある。
 今の官房副長官は杉田和博、公安警察の出身。ということは公安からの情報は全て彼の下に集まるはずだ。その中には当然幹部官僚と業者との癒着も含まれる。その中に菅正剛とか山田真貴子という名前もあったはずだ。そうすれば彼はその情報をボスの加藤なり菅に伝え、官僚人事に反映させる努力をすべきだった。
 しかしご存知の通り、杉田がこの件で何か動いた形跡は伺えない。大手マスコミやテレビは抑えられたかもしれないが、それっきり。あとは週刊文春のやりたい放題。つまり今の日本公安警察の情報力というのは、週刊文春にも劣るということだ。
 そういえばアベの息の根をとめた「桜を見る会」事件も、始まりは共産党から。まともな公安なら、首相周辺を共産党が嗅ぎまわっている位の情報は獲れるはずだがそれもできていない。これと云うのも杉田というボンクラをトップに据えたからだ。
 江戸時代、幕府は大目付という役職を置いて、これで大名他の上級武士の不正取り締まりを行なった。下級武士に対しては目付である。例えは悪いが旧ソ連やかつてのナチス、今の中國等には同じような党や政府部への監視機関があった。
 今の日本にも行政監察機関がないわけではない。しかしそれらはみんな末端の吏員・職員に対してのみで、キャリア職員は対象外。キャリア職員へは警察や検察が監視任務を負うが、彼らだって幹部はキャリアだから同じ穴のムジナ。かくて役人の腐敗は限りなく進む。いまや最強の行政監察機関は文春砲となった。
 このような官僚ー企業接待問題は昔からあって、三木内閣当時に公務員倫理規定が出来、表向き亡くなった。また、官僚側も後藤田正晴が官房長官をやっていた時とか、民間側も土光敏夫のような大物経営者が経団連会長をやっていた当時はこんな不祥事は出なかった。民も官も自ずから身を律していた。
 それがバブル期を境に、財布のひもが緩むと同時にモラルも緩み、90年頃以来の財務省接待事件をはじめとする過剰接待が始まった。民主党政権時代は一時収まったが、アベ-菅政権で再び復活した。これがアベの言う”日本を取り戻す”の実態だ。取り戻されたのは、官僚と政権に近い政治家、それを取り巻く楽天始めの三流起業家の利権だけ。
(21/02/25)

 「右の頬を打たれれば左の頬を出せ」と云ったのはイエスキリストだ。今の菅は世論・マスコミからは叩かれる、与党からは圧力がかかる、田崎史郎や辛坊治郎などの応援団も頼りない。ヨイショだけでは世間の目は胡麻かせない。まるでかつてのイエスの様だが、実態はあっちむいてホイ、こっち向いてホイの首振り人形状態。
 何故こうなったかというと、かつて官房長官時代、記者会見で連発した「仮定の質問には答えない」という発言に、自縄自縛になっているからだろう。現在の新型コロナ問題で話題になっているキーワードとしては次のようなものが挙げられる。
1)秋から冬に懸けての第二波、第三波の襲来
2)それに伴う医療崩壊
3)若年層による感染拡大
4)ウイルスの変異
5)経済重視か感染拡大重視か
 実はこれらは全て、昨年二月から三月にかけて、メデイアなどで議論の対象に挙がっていて、今更始まった問題ではないのだ。あの岡田春恵女史など昨年二月ころ時から3)の可能性を指摘していた。だれも気付かなかったようだが。
 さて現在の政府官邸がこれらの内、何を重視していたでしょうか?どう見ても1)から4)は無視し、5)だけを考えていた。その結果が今のざまだ。
 今、総理大臣をやっている・・・というか総理の真似事をしている・・・菅は、初めから官房長官として対応策を取りしきらねばならない立場だった。だから今回のコロナ第三波騒動は全く想像できなかったはずはない。しかしその間彼は何をしていたか?中国当局は武漢で原因不明の肺炎が発生していることを20/021/03に送信しているとしている。これがどの程度正確なものか不確かだが、仮にそういう連絡があれば現地の領事館員を派遣して実情を調査させてもよかった。多分見逃していたか、問題視しなかったのだろう。
 事態が急変したのは20/01/20の武漢封鎖である。この時の邦人退避について、菅は「希望者のみ、8万円の航空運賃を頂く」とした。これにマスコミが噛みつくと、途端にへなへなになって運賃は政府負担にした。しかし強制退避はずっと遅れた。そして中国人入国規制についても浙江省周辺だけとし、なんと中国全土に拡大したのは三月も下旬になってからだ。これがボスのアベ晋三がIOCのバッハ来日と習近平国賓に拘ったためである。その間中国人は日本に自由に入国できた。これが菅がやった初期の危機管理である。
 4月になると新規感染者数は減少し、5月には収束の気配を見せたので緊急自他宣言は解除。そして経済対策に打ち込んで、出してきたのがGoToキャンペーン。もともとこれは確実に収束の目途がついた後で実施することが原則で目やすとしては、8月中旬とされた。ところがいきなり一か月前倒しで開始。この背景に観光・旅業界をバックに持つ二階の圧力があったのは間違いない。そして8月以降の第二波を招いてしまった。危機管理責任者は背後の圧力に弱いのである。
 その後の経緯はご存知の通り。11月から新期改選者が増えだし12月には第三波。既にGo Toの影響が指摘され専門家・・・政府分科会も含む・・・からもGo To見直しを要求されたが、菅はこれを頑なに拒否。漸く動いたのが11月末。また東京の感染者増について緊急事態宣言を都」から要求されるが、これも拒否。これはクリスマスを念頭に置いていたのは間違いない。そして正月での感染者急増を見て、ようやく正月明けに首都圏に緊急事態宣言となった。その間内閣支持率は下がりっぱなし。
 他にも変異種の発見で海外からの入国全面閉鎖を、、分科会から答申された時でも、」ビジネストラックは止めない、変異種が発見されるまでその国からの入国は差し止めない、てな発言を繰り返し、あくまで経済重視の姿勢を崩さない。ところが年明けの世論調査で軒並み支持率低下が示された。あのアベー菅応援団のはずの読売でさえ40%切れ。これに慌てて、たちまち前言撤回、全面入国禁止に転換。
 では何故彼はビジネストラックに拘ったのか?これは普通はビジネスエリートの来日と思う。しかし実態は技能実習生向けの対策なのだ。一見実習生に親切な政策に見えるがとんでもない。技能実習生ビジネス最大手は竹中平蔵がCEOを務めるパソナ。この会社、例のアベノマスクビジネスでも顔を出した。何処までも日本国民の骨をしゃぶろうとする会社なのである。こういうわけで菅ー二階がやる政策には、常に何処か利権が付いて回る。これはアベー麻生政権時代と何にも変わらない。
 前大戦での日本軍の失敗原因としてあげられるものは
1)敵戦力の過小評価
2)自己戦力の過大評価、過去の成功から来る慢心
3)情報力不足
4)作戦目標の矛盾、曖昧さ、一貫性の無さ
5)中央と前線との意見不一致、コミュニケーション欠如
6)全体を覆う非科学的な情緒主義、温情・融和主義
7)状況変化に対応できない硬直性
8)作戦に対する政治・経済の干渉
9)戦訓から何も学ばず、反省しない。
 などである。
1、昨年一月から三月までの日本政府の対応は当に上記1)から3)を絵に描いたようなものである。特に海外からの入国禁止を三月下旬まで遅らせたのは、IOCバッハ来日と習近平を睨んだ8)の例で、これによって感染を拡大さた。
2、昨年緊急事態宣言の前、俄かに高まったのが感染拡大防止と経済再建のどっちを優先させるべきかの議論。結局有耶無耶のままアベは巣ごもり(敵前逃亡)を企てた。その中で経済優先派が競り勝って、7月にGo Toトラベルを始めた。更に農水も悪乗りして9月にはGo Toイートを始めた。その挙句が10月からの第二襲来である。これなど「4)作戦目標の曖昧さ」の典型。その時から野党や世間からアクセルとブレーキを同時に押す愚かさとと批判されてきた。又この政策の裏にあったのは観光業を、バックにした二階の圧力でこれは8)の例。
3、12月に入って第三波が襲来。これに対し政府コロナ対策分科会や世間が、Go Toを止めろといっても菅はなかなかいうことを聞かない。12月始めに支持率低下報あると、途端にGo Toを止めたが、これはトラベルだけでイートは28日まで延期。これはクリスマスを当て込んでのことだろう。そして年末に際して感染拡大が爆発的になっても、菅は頑なに緊急事態宣言を拒否する。これなど1)敵戦力の過小評価と並んで、5)から7)の実例。特に彼の性格からかもしれないが、「7)状況変化に対応できない硬直性」が顕著に表れている。更にまわりから批判があっても当初は頑なに拒否するが、世論調査などで自分に都合が悪く状況になると、途端に態度を翻す。これなどは8)政治・経済の過度な干渉の例でもあるが、やっぱり4)作戦目標の曖昧さ、つまり始めに作戦目標を設定しておかなかった、ひいては想像力の欠如の現れなのである。
 更に昨年第一波の教訓を無視して、ほとぼりが冷めるとひたすら経済対策に突き進み、第二波、第三派を招き、挙句の果ては支持率低下を招いて政権内でも孤立化を深めているのは、当に9)の「戦訓の無視、反省の無さ」の典型である。
 以上述べたように、菅コロナ対策は前大戦で日本陸海軍がおかした失敗の殆どをなぞっているのである。こんなアホ内閣は見たことがない。理由は菅始め、彼の側近達が過去から何も学んでいなかった、学ぼうともしなかったことである。そしてこれはどうも日本人・・・の中でも権力志向の強い人物・・・に特有の現象かもしれない。
(21/01/25)

 菅義偉がマキャベリ「君主論」を座右の書として愛読していたというので筆者もよんでみた(河島英昭訳 2019岩波書店)。読んでみると中々難しい。ヨーロッパ古代・中世史、特にギリシア・ローマ史について、少なくとも平均以上の知識と理解は必要だ。詳細な脚注が付いているが、これも難しくて、本文並みの知識が必要。だから菅が本当にこの本をよんでいるのか、あるいは読んでも文章の背景まで理解しているのか、それが疑問なのである。
 それはともかくこの本は、1532年に、当時のフィレンツェ僭主のロレンツィオ・メデイチに対し送られたもので、その後幾つかの版を重ねて出版されている。要は君主たるもの如何に権力を保持するかの心構えを彼なりにまとめたものである。
 一読、というより数度読み返さないほどややこしい文章だが、ズバリ筆者なりに結論を言えば、真に君主たろうとすれば、マキャベリの云う通りをやれば確実に失脚する。この本の逆をやれば長生きできるだろう。つまりあくまでこれは反面教師として利用すべきであって、真に受けてはならない。
 この本からマキャベリという人物の性格・人物像を想像してみると、基本的には田舎の下級貴族・知識階層にぞくする。権威主義的で民衆を侮蔑している。つまり上にはペコペコへつらうが、自分より地位が低かったり弱い者には攻撃的で威張り散らす。役所のノンキャリ管理職に多いタイプだ。菅義偉とよく似ている。そういうマキャベリが君主が権力を維持するために守るべき要点を、幾つかの章に分けて論述している。
 曰く君主は民衆及び有力者の支持を受けなければならない。両方が望ましいが大抵それは無理なので、民衆の支持を執るべきだ。何故なら民衆は愚かで忘れやすいからだ。
 曰く、君主は何事にも慎重で用心深くなくてはならない。
 曰く君主は常に学習し、過去に学ばなくてはならない。但しここでマキャベリが云っている学習とは、勉学のことではない。過去の君主の破滅の原因とか、権力奪取の手練手管という意味である。
 曰く民衆や有力者を従わせるのは恐れさせるべきだ。但し憎まれてはならない。
 曰く陰謀は誰にも打ち明けてはならない。打ち明けた途端、利益は彼のものになる。
 曰く政策の助言者は最も優秀で忠実なただ一人に限るべきだ。但しそんな人間を得た君主はいない。もしいたとすれば、彼にとって代わられるからだ。等々。
 これらを過去の事例を引いて解説する。但しその解釈にも誤った点があるから要注意。
 しかしよく見ると、この程度のことは今の日本企業経営者なら誰でもやっている。それどころか東芝やニッサン、関電の様にむしろやり過ぎて・・・マキャベリに忠実過ぎて…身を滅ぼした例の方が多い。 
 マキャベリは若くしてフィレンツェ政庁の外交官になって各国との交渉に当たった。その当時のイタリアは中央のローマ教王領で南北に二分され、南は事実アンジュー公の出先と化したナポリ王国、北イタリアは神聖ローマ帝国とフランス王国の圧迫を受け、更に10幾つかの中小公国に分かれ、互いにいがみ合っていた。フィレンツェはその中の一共和国に過ぎない。
 マキャベリが外交交渉に当たった相手はこれら中小君主国の、そのまた役人に過ぎない。君主にしたところでオーストリア皇帝やフランス国王やローマ教王程度で碌なのはいない。マキャベリがある事件に巻き込まれ投獄されたとき、彼が解放されたきっかけを作り、マキャベリがしばしば賞賛するローマ教王レオ10世(ジュリアーニ・デ・メデイチ)は免罪府を販売してカトリック世界を分裂させた張本人である。このようなろくでなしとの交流から生まれた「君主論」の内容が、碌なものでないのは当然である。
 そこで筆者が疑問に感じるのは、この本がマキャベリの本心を表したものだろうか、ということだ。彼が活躍した人生の大部分は、メデイチ家が追放された後の共和制フィレンツェ政庁である。メデイチ家が復活してからも、彼はフィレンツェ政庁に復活することはなかった。彼自身、君主主義者というより、共和主義者だったのである。
 そんな人物がわざわざ今の君主に対し有益になる助言をするだろうか?そもそも君主は支持を得るためには嘘をついてもよいというような人物である。そんな人物の書いた本を、彼よりもっと”君主論”に長けた君主たちが真に受けるわけがない。実際その後のメデイチ家頭首たちも、マキャベリの助言を素直に受け入れたようには見えない。むしろそんなことは言われなくてもわかっている、おいぼれは黙っとれ、てなところではないか。つまりマキャベリの云わんとするところは既にメデイチ家のDNAに組み込まれているのである。彼の最大の過ちは、彼が助言しようとした君主の方が、彼が抱いていた君主像よりもっと思慮深く慎重で残酷で無責任だったことだ。
 マキャベリは君主の在り方について決定的な過ちを犯している。彼は君主が権力を維持するために必要なことは、冷酷と非情で、慈悲や温情、信義や正義、道徳心や宗教心ではないだとする。勝利とは言うまでもなくライバルとの権力闘争の結果である。必要なことは、冷酷と非情により勝利を続けることが重要である、と主張する。まして名誉や誇りなどは全く無視されている。
 その例としてチェザーレ・ボルジアとかハンニバル*を例に挙げている。しかし道徳心に基づかず恐怖と陰謀によって得られた政権は、当人が生きている間は続くが長続きしないのが歴史的事実でもある。唐の則天武后は恐怖政治によって王宮を支配し、遂に唐帝国を乗っ取った。しかしその死後クーデターが起こり、唐は復活し,武氏一族の痕跡は徹底的に排除され、武即天は希代の悪女と名を残すことになった。ソ連のスターリンは30年に渡って恐怖で党・政府・国家を支配した。彼の死後、後釜を狙ったべリアはフルシチョフらによって逮捕され、処刑された。その後フルシチョフらがやったことはスターリン批判、つまり君主の抹殺である。
 要するにマキャベリが例に挙げた君主たちは、所詮500年前の北イタリアとその周辺の田舎紳士に過ぎない。こんなの参考にしても何にもならないのである。そして結論はマキャベリ「君主論」という本は、あまり金を出してまで買って読む本ではない、ということだ。菅義偉・・・・となんとか君主、あるいはリーダーになりたい人・・・は「君主論」のようなくだらない本より、「失敗の本質」を読むべきだ。
*ハンニバルに対するマキャベリの過ち;マキャベリは第一次ポエニ戦争でのハンニバルのローマ遠征について、カルタゴ軍が傭兵の集まりだったにも拘わらず反乱がおきなかったのは、ハンニバルが冷酷非情だったからだとする。しかしこれは完全な間違いである。   15世紀のイタリアの傭兵なら、みんな個人で雇い主と契約を結ぶ。こんな連中が信用できないのは当たり前である。古代では部族単位で契約を結ぶ。ハンニバルが率いたカルタゴ軍が傭兵の集まりだったのは間違いないが、その傭兵は部族単位であって、そこには部族独自のおきてがある。日本でも昔のトンネルや鉱山、更に戦前のニシン漁や北海カニ漁などはムラ単位で請け負う。村の掟は会社の規則に優先する。掟を破るものは制裁を受ける。これがマキャベリの言う冷酷・非情である。
 傭兵と雇い主を結びつけるものは何か?誰でもそれは恩賞(戦利品)と答える。それ事態は当たり前だが、祖先からの伝統というのもある。今でもネパールのグルカ族はイギリスの傭兵となるが、これは150年以上続く伝統でもある。
 戦利品の分け方は古くからのルールがある。これは一般的なものもあれば部族独特のものもある。この時君主が守らなくてはならないのは、不平を残さずルールに口出ししないことである。つまり戦利品の分配は公平で、分配方法もクリーンでなくてはならない。過去のルールを無視した君主とその側近による独り占めは謀反の基になる。
 ある都市を攻略したとき、戦利品が思ったより少なく、傭兵たちに約束した額を支払えなくなることがある。この時、ハンニバルは自分の私財で不足分を補填した。これにより傭兵達はハンニバルを信頼し謀反をおこさなかったのである。マキャベリならどうしたか。自分が云ったとおり信義を守らず恐怖と冷酷非情で恩賞を値切れば、直ちにマキャベリの首と胴体は別々になるだろう。
 同じ補填でもアベ晋三の「さくら」前夜祭」経費の補填とはかなり様相は異なる。アベ「さくら」の場合は明白な買収である。誘われた山口県民は安い会費に誘われてホイホイとついていっただけ。誇りも名誉もない。
 一方ハンニバルの場合は傭兵達への正当な報酬の不足分である。古代の傭兵はなにも個人の金儲けだけで戦うわけではない。そこには個人だけでなく部族の名誉や誇り伝統も関わてくる。多分マキャベリはそういう形而上てき価値観が理解できなかったのだろう。
(21/01/05)

 「パーキンソンの第二法則」・・・と云ってもそんなもの知っている人は殆どいないだろう。まして菅義偉が知っているとは思われない・・・の中に「副社長の資格」というものがある。トップ(社長)は次の3タイプの内、どれを副社長に選ぶべきか?
1)常に正しい・・・社長の気に入る・・・答えを出す人物。
2)ある時は正しい答えを出し、ある時は間違った・・・社長が気に入らない・・・答えを出す人物。
3)常に間違った答えを出す人物。
 さて皆さんはどう思うでしょうか?パーキンソン博士の結論は3)常に間違った答えを出す人物を副社長にすべきである。
まず1)のタイプでは、部下は社長より先に副社長の意見を聞きに行く。結果として社長は副社長にその地位を乗っ取られるかもしれない。
2)のタイプでは、問題によって答えが正しかったり間違っていたりするから、社長はどう判断してよいか分からなくなる。結果として社長としての信頼性を失う。
3)のタイプでは、社長は常に彼の意見の反対のことを決定しておけばよい。一番楽だ。
 さて第二次アベ政権で副社長と云えば誰か?建前上副総理の麻生だろうが、あんなものはお飾り。実質上の副社長は官房長官の菅だ。では何故菅は8年間もの間官房長官を務められたのか?理由は彼が3)のタイプだからだ。というより、そもそも自分の思想や哲学、考えや言葉というものを持っていない。だから反発・抵抗することはない。ボスにとって一番安心出来使いやすいのである。
 ということでとりあえず後継者にしてみたものの、とんだ目論見違い。それは昨今のコロナ対策の混乱もさる事ながら、「桜」問題や農林「みかん、卵」事件を抑え込むのに失敗したからだ。「桜」はとりあえず秘書レベルでとどめたが政治的なダメージは大きい。「みかん、卵」は何処まで行くか分からない。次の衆院選に影響する。自民党はとりあえず現有勢力を保てても、細田派がどうなるか分からない。二階派が躍進すれば、自民党内乱・分裂の危機。
(20/12/20)

 感染が広がれば停止し、ある程度収まれば再開する。これが現在の菅のGoTo事業への対応らしい。誰が考えてもこんなことを繰り返しておれば、何時まで経ってもコロナ感染は収まらない。何故ならGoToが始まって以来、政府・与党が先頭を切ってウイルスをばらまいているのだから。つまり感染を根本的に収束させる気はない。従って菅義偉が総理でいる限りコロナ感染症はなくならないのである。
 多分自民党内では菅おろしの動きが出てきているだろう。何処が火種か分からないが、一番先に菅を担いだ本人がそうかもしれない。かといって菅だってプライドがある。何時までもあんたの言いなりになってはいられない、なんて啖呵をきれば菅vs二階で自民分裂だ。気が気でないのはアベ晋三ではないか?まさかアベ再々登板なんてことがあるかもしれない。一番可能性の高いのは菅休養、甘利首相代行、秋の衆院選後に臨時総裁選。
(20/12/17)

 11日には「GoToを止める判断には至っていない」と云いながら、13日には突然GoToを全面停止と発表。ところが14日に、菅自ら7人連れでステーキ会食。これが15日国会で追及されると「一律5人以上はダメと云っているわけではない」とか「単なる会食ではなくスポーツ界、芸能界の問題に関する懇談会」てな下手な言い訳。残念ながら客の杉良太郎が「あれは忘年会です」とばらしたから何にもならない。誰だってみのもんたや森田実が芸能界やマスコミ界を代表する人物とは思わない。
 そして本日の「ひるおび」で菅応援団長の田崎史郎*が、云わなけてもよいのに「あの会合は菅総理が呼んだのではなく、二階幹事長が呼んだもの。幹事長に呼ばれりゃ行かないわけにはいかないでしょう」と。そうでしょうか?普通誰でも幹事長より総裁の方が上と思っている。自民党の組織でもそうなっているはずだ。仮に二階が政治の世界で菅より先輩であっても、首相という立場上「お呼びは有難いが、昨今の状勢を鑑みれば、今回は遠慮させていただきます。人数も多いので出来れば今回の会食は取りやめていただきたい」と返事するのが総理としての対応。しかし田崎の頭では、自民党では幹事長が総裁の上にあるようだ。つまり二階皇帝菅宰相という関係に例えればよく分かる。
 そういえば今回政府が発表した緊急経済対策に関する第三次補正予算の中に15兆円の国土強靭化予算が組み込まれている。この予算は国交省所管だから、おそらくこの中に観光業界支援というバラマキが組み込まれているはずだ。GoTo全面停止という摩訶不思議な決定の背景には、全国に点在する観光業界救済とのバーターだろう。杉も王もみのも、その出汁に使われたわけだ。こんなことをするなら、15兆円の国土強靭化予算の1割1兆6千億を全国民に10万円現金給付したほうがマシだ。しかしそれは麻生が反対したのだろう。
 要するに今の自民党は幹事長の二階が全てを取り仕切り、その前では総裁と云えども頭が上がらない。こんなことが何時までも続けば、その内この党は割れてしまうだろう。
*しかしなんでTBSはこんな永田町のドブネズミ、昭和のポンコツをゲストに使うのだろう?
(20/12/16)

 先週までは「GoToとコロナ感染率とは因果関係はない」、「今Go Toを止める時ではないと判断している」、「地方ではGoTo継続を要望する声もある」と云っていたのに、今日になっていきなりGoTo停止、それも全国規模でだ。分科会も「大都市圏でのGo To停止は必要だが、全国までは必要ではない」、と云っていた(分科会提言)。菅はGo Toを止めないときの言い訳には分科会提言の後半を使い、止めるときには前半を使っている。こういうのを都合の良い時の食言というのである。
 昼のワイドショーで菅応援団長の田崎史郎は「これは勝負の三週間でも結果が出ないので思い切ったサプライズだ」と、苦しい言い訳。忘年会の余興じゃあるまいし、この期に及んでサプライズもないものだろうが、原因は12/13毎日新聞朝刊の内閣支持率報道だろう。菅はこれまで官房長官として、内閣調査室や自民党独自の世論調査を仕切っててきた。だから毎日新聞の調査だけを鵜呑みにするはずがない。おそらく他の調査機関の報告も似たようなものだったのだろう。毎日はその決定打だったのだ。それがサプライズの原因である。 
 そしていきなりサプライズに至った原因は、(1)対策(兵力)の小出し、(2)戦略目標の見通しの甘さ、そして最大の原因は(3)実力の無さ、である。
(20/12/15)

 菅政府が唱える「勝負の3週間」とはなにか?。「勝負とはなにか、政府は何もやってねえーじゃないか」とか、「3週間目だが何も変わってねーじゃないか」とか色々突っ込みがあります。筆者が思うに、これは政府は何もせずに国民に3週間我慢させて様子を見る、ということではないでしょうか?。相撲でも将棋でも、相手が手が出せなくなると何もしないでじっと我慢して、相手が手を出してくるのを待つ。それも勝負だ。
 それはともかく、旅館崩壊防止と医療崩壊防止のどっちが大事か、と問われれば大抵の人間は医療崩壊防止だと答える。又医療関係者からも強く医療崩壊防止策強化が訴えられる。しかし菅はそんな声は意に介さず、頑としてGoToは止めない、GoToと新型コロナ第三波拡大との間に因果関係はない、と言い張り経済重視・・・つまり旅館崩壊防止・・・の姿勢を崩さない。
 筆者はこんなことをしていたら、医療崩壊だけでなく政権支持率崩壊も起こると懸念していたが、本日遂に毎日新聞調査で内閣支持率が40%、不支持率が49%となった。元々朝日・毎日・東京3紙の世論調査は政権に厳しく、サンケイ・読売は甘く10%近く高く出る。今はサンケイは世論調査は出来ないので、政権よりは読売だけ。読売でどれだけの数字が出るかが興味津々だが、それほど甘くもないだろう。
 無論菅本人や周辺は、一々世論調査は気にしない、と突っ張るだろうが、自民党内には気が気でない議員もいるのだ。それは世襲議員の様な岩盤組織を持たない3~4回生。今年中はないが、来年中には間違いなく衆院選がある。これで浮足立ったものが倒閣運動にでも走れば自民党の崩壊である。令和改元時、よく言われたのは改元時内閣は短命。しかしよく見ると実はその次の内閣が短命なのである。
(20/12/13)

 新型コロナワクチンについて、アメリカではオバマ、ブッシュ、クリントンの前・元職大統領が率先して接種すると表明。これに対し現職のトランプは何も言わない。一方我が国ではというと、官房長官の加藤や担当の西村は態度を明らかにせず「順番が来れば・・・」などとあいまい作戦。首相の菅も無言。
 この差は何かというと、貴族意識と平民・・・つまり農民・・・意識の差である。19世紀までヨーロッパやイギリスでは、貴族階層の男子は軍役を義務付けられていた。無論士官・将校階級で一般の兵士と異なり優雅なものだったが、いざ戦場となると話が違う。陸では将校(貴族)は部隊の先頭に立って突撃しなければならない。そうしないと兵士は付いてこない。海ではやはり貴族階層の士官は最も危険な位置に占位し、退艦は下士官兵の後と定められていた。20年程前、高知空港に全日空機が不時着したとき、まず乗客乗員が退機したのち、機長が退機した。人民のために貴族・君主が犠牲になる、というのは多分古いケルト・ゲルマンの習慣だったのを、中世にキリスト教的に解釈しなおしたのだろう。
 一方儒教社会は逆で、ここで重視されるのは「忠」である。ここでは君主のために人民が犠牲になる、という論理になる。韓国では、かつてのセウオル号事件では船長が乗客・乗員をほったらか逃げ出したのがテレビに流出して大騒ぎしたが、これjは儒教社会ではあたりまえである。
 オバマら前アメリカ大統領に比べ我が国政治家の意識の低さは救いようがない。意識が低いというより、臆病で自分では何もできない飼い犬根性なのである。これは徳川三百年の「依らしめるべし、知らすべからず」政策の結果だろう。
(20/12/04)

 一昨日はGo To事業は止めないと国会で云っていたのに、昨日になると突然見直すと表明。それも国会ではなく非公式の声明。国会軽視もいい加減にしろと政党側は怒るべきだが、自公にはその気もないらしい。何故この期に及んで見直しに踏み切ったのか?多分支持率対策だろう。政権発足当初は70%前後という高支持率を誇ったがこのところ低下が著しい。読売などの政権系メデイアでは60%台という数字も出ているが、他は概ね50%台まで低下。このところのコロナ対策の混迷や河井問題、大阪都構想否定等、菅案件に逆風が吹く中もっと支持率が下がってもよいのだが、野党特に国民や社民の分裂で野党共闘が暗礁に乗り上げたのが支持率低下に歯止めをかけただけ。
 10月下旬あたりから東京・北海道を始め主要都市で新規感染者が増大しだし、今月中旬にはもはや第三波認定はまぬがれなくなり、メデイアからも政権批判記事が相次ぐようになった。アベと並んでメデイアに弱いのも菅政権の特徴。特に今年7月の政府支持率が27%まで低下したのがアベ退陣の引き金。これがトラウマとなって、こうなる前になんとかせねば、というのが本音だろう。
 そして少し感染者が少なくなるとブレーキを緩め、又アタフタとブレーキをかけなおさなくてはならない。こういうことを来年の夏まで繰り返していると、本当に”東京オリンピック中止”ということになりかねない。菅は官房長官の責務は危機管理だ、と云って幾つかの事件を手柄話にしているようだが、どれもその場しのぎの火消だけ。本当の危機管理の意味を分かっていない。
(20/11/22)

 過日何気なくネットニュースを見ていたら、未だにバイデン勝利を認めず「バイデン票には不正があった、息子のハンターには薬物疑惑がある」などとトランプの肩を持つのがいた。誰かと見ると、フジテレビ論説委員の平井文夫という人物。この男、以前テレビで学術会議会員には年間280万円の年金が出る、などというフェイクネタを流した極めつけの嘘つきなのである。世論調査の数字ねつ造といい,、福井県が何処にあるかも分からない論説委員といい、フジサンケイグループ論説委員には碌なのがいない。これは経営者がアホだからだろう。
 それはともかく、今回のアメリカ大統領選挙は、文明史的には”反知性主義・・・トランプ派とその周囲の共和党保守派”vs"反・反知性主義・・・バイデン支持派とリベラル派”の闘いのようだ。そしてここで興味あるのは、前者の背後に蠢く”陰謀論者”の存在である。
 アメリカの陰謀論はQーアノンと呼ばれる正体不明のグループが有名だが、本当はもっと根が深く、広く広がっている。ヨーロッパにおける陰謀論は中世テンプル騎士団事件がはしりだろう。その後近世に入って魔女伝説やバラ十字団事件などが産まれた。しかし現代に入ってからの最大の陰謀論は第一次大戦後のドイツ、そしてナチスによって拡散されたユダヤ人陰謀説が挙げられる。
 更にこれに伴い共産党世界征服陰謀説が世界各地で広まった。しかし共産党の世界計画は第二回コミンテルンで決定され公表されているから陰謀でも何でもない。しかしその後共産党内で世界同時革命を主張するトロツキーと一国革命を主張するスターリンの対立が激化し、遂にトロツキーの亡命暗殺という結果に終わる。なお戦後は毛沢東の中国共産党が世界解放を主張し、各地で左翼過激派テロ事件が発生したが、これも明らかになっている。
 日本に於ける共産党陰謀説としては、昭和20年の近衛上奏文がある。近衛はこの文書で「陸軍統制派は共産主義であり、日本を赤化しようと画策している」、それを防ぐために戦争を終結させるべきだ、と主張した。殆ど怪文書に近い内容で全く戦局に影響しなかったが、日本の支配階層に”共産化陰謀”というキーワードが刷り込まれていたことは間違いないだろう。
 この手の共産主義陰謀説は45/08/15を契機に概ね2年ぐらいで亡くなった。しかし、1950年代に突如復活した。それは朝鮮戦争の勃発と、アメリカ本土での赤狩りマッカーシズムである。この結果、日本でもレッドパージが行なわれ、旧l共産党幹部は地下に潜った。大学も例外ではなく、”赤”と睨まれた教員・研究者が旧帝大を中心に追放された。その結果、むしろ地方大学の研究力があがったのである。大阪市大でも新制移行後、東大や京大から若手の優秀な研究者が集まり、一時は日本の学問研究をリードするまでになった。
 何故こんなことを言い出すかというと、言うまでもなく今話題の「日本学術会議」騒動なのである。この問題、色々馬鹿げた脚色・・・例えばメンバーの多様化とか、利権とか、学閥とか・・・を付けるアホが多いが、原因は杉田和博という公安上がりのポンコツ元警察官が、反共陰謀論に惑わされて余計な口を挟んだのがきっかけだ。
 この手の陰謀論は元特高警察に連なる公安警検察に根強く残り、更に自民党保守派を始めとする保守的な一般市民にも広く浸透している。例えば「学術会議は共産党・反日の巣窟」というような愚劣な噂話を流す馬鹿があとをたたない。それも単なるネット民だけでなく、自民党保守派議員からも出てくる。これに付随して出てきたのが冒頭に上げた平井文夫のフェイクネタ。最悪は自民党保守派による「学術会議は中国科学者1000人計画と結びつく親中・反日団体とか、共産党の根城」などという陰謀論までが出てくる。その背景にあるのが「日本会議」という陰謀カルト。その名誉総裁はアベ晋三で、菅義偉や麻生も有力メンバー。この「日本会議」に連なるメンバーが左翼陰謀論をまき散らしている。つまり菅と杉田和博が結託して流した「学術会議」危険団体説も又この種の陰謀論に基づくものだ。
 この手の陰謀論が世間に流行Þりだしたのがいつごろかというと、一つは90年ソ連東欧崩壊で、陰謀論をかろうじて抑えてきたsh会主義理論が力をなくし、ユングの云う集合無意識が露骨に出てきたことと、ハルマゲドンに代表される終末思想が西欧、特にキリスト教世界に広まったことがあると考えられる。中でも最も宗教に鋭敏なアメリカ白人保守層がそれに影響された。それがネットを通じて世界中に流れ、日本のような宗教にナイーブな国民にも影響されるものが出てきたのである。結論的に言えば、今の陰謀論の流行はネットを媒介としたカルトによる洗脳のようなものだ。
(20/11/19)

 新首相の菅義偉は活舌が悪くボキャ貧(使える語彙が乏しいこと)ということはかねてからメデイアを通じて云われていたが、これほどひどいとは思わなかった。昨日テレビを回していたらニュースで国会所信表明演説の一部が見れた。その印象は、あれは演説ではなく、小学生の卒業式答辞のレベルだ。活舌が悪いこととボキャ貧は別個のものではなく、互いに連関して生じる。その原因は10代後半から20代にかけてのデイペート訓練と読書の不足である。大概の人間は人前では言葉が出なくなる。つまり活舌が悪くなる。しかしこれは少々の訓練で修正できる。それは見知らぬ人の前で喋ることに慣れることである。
 例えば大学に入ると、これまでの高校のような狭い世界とは異なる人物と接触せざるを得なくなる。その時は相手が自分より物凄く偉く見えて言葉が出なくなる。しかし心配はない。相手もそう思っているのだ。ここで思い切ってなにかを喋れば打ち解けて、コミュニケーションが取れるようになる。あとはそれを拡大していけばよい。
 社会に出ると社内会議や研修会などで人前で喋る機会が増える。しかしこれはデイペート訓練の役には立たない。何故なら周りがみんな同質の仲間同士、つまり八百長になるからだ。一番良いのは学会発表とか会計検査の説明。こういう容赦ない場面を経験すると度胸がついてデイペートに箔が付いてくる。そしてこういう経験を積むと嫌でもボキャブラリーは増えてくる。それから何時までも逃げていると菅のようなボキャ貧・活舌下手になる。
 菅の活舌の悪さの原因をそもそも秋田出身で方言が出るからだ、という説明もある。しかし秋田出身でも秋田弁をとっくに卒業した人は多い。菅は故郷を出て既に半世紀以上。その大部分を東京首都圏で過ごしている。とっくに秋田弁は卒業している。それでなおかつ活舌が悪いのは、他者とのコミュニケーション不足が原因としか言えない。
 彼は上京してから段ボール会社に勤務しながら法政の二部に通ったのが売りだ。段ボール会社での勤務が工場や事務のような内勤か営業勤務かで異なるが、二部に通っていたことから考えると工場・内勤社員ではなかったかと思われる。性格にもよるがあまりコミュニケーションが図れる環境ではなかったかもしれない。
 その後代議士秘書になるわけだが、代議士は地域や周辺とのコミュニケーション維持が極めて重要である。その実務を担当するわけだが、大事なことは代議士のコミュニケーションは基本的に縦方向だということだ。例えば地元からの陳情受付は下から上への一歩通行、また派閥の親分とのやり取りも上から下への一方通行。水平方向の情報交換やデイペートはあり得ない。この結果活舌は鍛えられなくなる。
 デイペートをやるためには豊富なボキャブラリーは必須アイテム。それを供給するのが情報だが、その中でも読書が一番。何故ならテレビやSNS経由の情報は一過性で頭に残らない。但しまとまった本を読むには結構体力が必要で、年取っては無理。如何に若いうちに負荷を高めておくかがポイント。
 後に残るボキャブラリーを貯えようと思えば、ただ読書だけでは不十分。自分で文章を書くことで不足分を補うことが必要。菅やアベ、その他最近の政治家、特に自民党若手代議士はその訓練が不足。何故なら若いうちからテレビを始めとする映像メデイアに慣れ過ぎてしまったからだ。それと文章は自分ではなく秘書が書く。与党閣僚となると官僚が代筆する。従ってますますボキャ貧は進行する。
 マスコミによれば菅は官房長官時代以来、官僚が持ってきた報告について何の意見も述べず只結論だけを出したという。これだけ見ると何か沈思黙考の様に見えるが、実態は官僚と議論することが出来ず考えている振りをしているだけ、かもしれない。要するにハッタリだ。役人はこういうハッタリに弱いから、直ぐに意図を忖度して混乱に輪を掛ける。こういう議論が出来ない人間に力を持たすと、自分が気に入らないといきなり大声で怒鳴りつけたり、筋が通らないミッションを要求したりする。筆者も現役時代、この手の人間を随分目にしてきた。本四のあいつとか、四国砂防のチンピラとか。菅もその手の何処にでもいる木っ端役人の片割れのようなものだ。
(20/11/12)

 昨日夜、偶々BS-TBS某番組にチャンネルを回してみると、ゲストコメンテーターは東大教授の学者と橋下徹という田舎弁護士。テーマは例によって学術会議任命拒否問題。設置法の「・・・会員は内閣総理大臣は学術会議の推薦により任命するものとする」という一文の解釈を巡って、憲法学者は読んで字の通り「学会の推薦は内閣の任命を拘束する」というもの。これに対し橋下は「普通の日本語の解釈としてそうはならない」と主張する。
 その根拠として法的には「推薦権」と「任命権」とは別物で、任命権者は推薦とは別に任命することができる、とし、その証拠として大学入学で推薦があっても入学させなければならないことはないと主張する。これこそ大阪辺りに居る三流弁護士の三百代言の典型である。大学入試と学術会議会員推挙をゴッチャにすることに、橋下の知性がどの程度のものかがよく分かる。
 橋下の主張は法律の主旨を無視し、言葉の類似性だけを強調し議論を捻じ曲げる論法である。大学入試の場合、志願者と採用者との間には何の関係もない。採用者は自分の意志で適否を判断できる。しかし大学は公的な存在である。国公立は当然だが私立であっても国庫補助があったり、税法上の特権があって何でもかんでも自分のやりたい放題ではない。そのため客観的な採用基準を示す必要がある。昨年来問題になった東京医大や聖マリアンナ医大に於ける入試不平等問題は,、その原則に反したからである。つまり橋下の言う任命権というのは極めて限られた場面でしか機能しないのである。
 一方学術会議の場合、総理大臣に任命権があるとしても総理大臣は学者ではなく学問全体の覇者でもない。一体誰を任命してよいか分からない。この場合はその世界に選定を委託する。それが推薦である。採用者は推薦をお願いしているわけだから推薦者の意向を尊重するのは当然であり礼儀ある。
 ここには委託者(政府)と被委託者(学術会議)が公益に照らし対等という共通の認識がある。これが「学の独立」である。しかし橋下はこの関係を無視し・・・あるいは理解できるだけの知能がないのか・・・政府/学術会議の関係を上司・部下の関係に例える。これは彼がかつて大阪府知事と大阪市長との関係を上司/部下の関係になぞらえたのとそっくりの構図である。彼は世の中を何でも上下関係で捉え且つ政治に関連付けたがる。これは何故か?この考えに今最も近いのが、かつてのナチイデオローグにして現代の反知性主義の幕を斬ったカール・シュミットという人物である。多分橋下は彼の著作を読んだのではないか?しかし筆者に言わせれば、シュミットの著作などゴミのようなもの。あんなものに影響されたとすれば、反知性どころか無知脳だ。
(20/10/28)

   何もわかっていない素人が口出しする位迷惑なものはない。今その典型が「日本学術会議」騒動ではないか?これまでの経緯を見ると、そもそもの火付け役は内閣官房副長官の杉田和博という人物らしい。この人物、元警察警備畑官僚。今はあの世に行ったが、元東京地検公判部長でテレビにもよく出ていた河村という辞め検や元警察官僚の佐々淳孝などの戦後反共カルトの一員と考えられる。彼らは確か「さくら警備」とかいう会社を作り、芸能人の警備や自衛隊基地等防衛産業にくいこんでいる。辺野古埋め立て蹴帯もかれらの利権である。無論杉田がこれら防衛警備事業に無関係とは考え難い。
 これは別にして滑稽なのは、あの頭が悪い」甘利が学術会議は中国1000人計画に協力しているとツイートしたところ、これがたちまち拡散。学術会議から抗議を受けるとたちまち修正したが、その方便というのが「私にはそういう風に聞こえた」などと、他人事風言い訳。政治家なら世間の噂をよく吟味し、自分の言葉で発信しなくてはならない。それが出来ずに他人に責任を押し付けるやり方は」、当にアベ政権の遺産だ。
 中国1000人会議が科学技術の横取り作戦なら、今の日本政府には内閣参与というのがいて、この中に竹中平蔵やワトキンソン、楽天の三木谷などの新自由主義者がいる。竹中は別にパソナのCEOであり国際的に投資顧問もやっている。ワトキンソンは元ゴールドマンサックス(GS)日本法人CEOだ。これら新自由主義人脈を通じて、日本の経済、金融政策がアメリカ・・・それも投資銀行や連邦通商代表部あたり・・・に筒抜けになる。こっちの方が日本の国益にとって重要だ。今特に注意すべきは種苗法と水道法の改正である。
 一昨日のBS-BS某時事番組。ゲストは橋下徹。学術会議問題について何を言い出すかと思うと「官房副長官の杉田氏は様々な情報に通じている。任命を拒否された6人は何らかの組織につながりがあり、それを杉田氏が感知したのだろう」とトンデモ発言。
 何らかの組織とは何か?おおかた朝鮮総連とかその辺のところを言いたいのだろうが全く根拠はない。しかしこの世でそこそこの仕事をすれば何らかの組織と接点が出来るのは当然。弁護士だって弁護士会という組織に入らなければ仕事は出来ない。それどころか外から妙な組織がやってくる。特にかつてのバブル時代には土地の地上げ、バブル崩壊後は倒産会社の債務整理で、弁護士業界は大儲けした。ここに何らかの組織が介在していたことは明らか。橋下だってその例外であるはずがない。それ以外にも橋下は学術会議が防衛研究について反対意見を述べたことについて、全くの素人意見を発振している。これについてはまた別に。
(20/10/22)

 田原総一郎曰く「菅総理は就任以来92人の人間と会い、異なる意見にも耳を傾けている」。この田原総一郎は86年も人間をやってきて本当にアホだな。政権をとってから92人もの人間と合って様々な意見を聴くのは、要するにそれまでは何の政策・政見もなかった、頭の中は空っぽだったということだ。だから慌てて埋め合わせをしているのだろう。こういうことは政権取りの前にやっておかねばならない。だから政権を獲った第一声が前政権の政策踏襲である。つまり自分には何もないということを自ら表明したようなものだ。
 しかし92人というのは多すぎる。これではそれぞれの言い分がバラバラになって考えがまとまらなくなる。そうすれば誰かが「せっかくアドバイスをしてやったのに無視しやがった」とか、「あれはオレが教えてやったことだ。菅はオレの言いなりだ」なんてことを言い出すのが出てくる。そういうのがいずれ政権の足を引っ張る。何か大きなプロジェクトを担当する場合、誰かに意見を聴いて取り入れるのは悪いことではないが、そうする前に問題点を絞り込み自分なりの答えを予め用意しておき、不足点があるかどうか、勘違いがなかったかどうか、別の答えがあるかどうか、自分の解決法に対し反対するものがいるかどうか、を確認すればよい。それらがあれば納得できるように修正すればよいだけの話である。そのためには極端には信頼できるものが一人かせいぜい数人居れば十分である。92人もの多人数に会うということは、菅には真に信頼できる周辺がいないということか。
(20/10/19)

菅が自分が気に入らないと云ってたった6人の承認をさぼったため、連日国会マスコミを揺るがす大騒動。云わずと知らず日本学術会議補充人事問題。小人閑居して不善をなす、というか小人妄策を弄して大愚をなすの典型。そもそもの発端は6人の候補を削ったのを共産党が見つけたこと。それがいつの間にか10億の国費を使っているから政府が口出しするのは当然、などと大阪の橋下のような無知蒙昧マスコミギャングが言い立てるものだから、世間もそのようにうけとる。更にフジテレビのアホ論説委員の平井のように、学術会議と学士院の区別も出来ない、出来損ないが口を出して世間を混乱させる。
 中でも滑稽なのは行政管理庁長官という閑職をあてがわれた河野太郎。いきなり「学術会議も聖域ではない」と声を張り上げ拳を振り上げる。対象は10億の学術会議予算だろう。世間では10億の予算を100人ほどの会員が山分けしていると思っているアホが多いかもしれない。しかし10億の内訳を見ると唖然とするだろう。

 事務局人件費  4億4556万
庁費  1億5516万
 会員手当  7192万
 連携会員手当  1億0326万
 旅費交通費  1億4214万
国際会議分担金  1億0762万
 その他  2336万
(毎日新聞20/07/10)
 さてここで注目されるのは事務局人件費とか庁費と称する訳の分からない金である。事務局員は約50人とされるから、なんと一人年収900万という高給取りだ。全員が同じ金額ではないから、多分トップは3000万とか4000万とかという年収だ。そして彼らは内閣府及び文科省の天下りなのである。
 それに引き換え会員・・・日本の知性トップ・・・の日当はたった20000円弱にしかならない。筆者のような市井の技術士でも他人の依頼業務ではざっと一日5万円は頂く。それはともかく、仮に学術会議の改革をやるとするなら、年間6億もの税金を無駄食いする内閣府・文科省官僚をリストラし、浮いた金を会員手当の増額とか、学術振興に振り分けるのが筋というものだ。しかし河野太郎はそうしないだろう。むしろ役人利権はそのままにして、会議会員つまり学者を減らす。何故なら菅内閣に於いて役人利権を護ることは必須のアイテムなのである。
 しかしそれでは、これまで人事権を握って官僚を押さえつけてきた菅の、水戸黄門イメージと異なるではないかという疑問が湧くだろう。しかし全く矛盾しない。菅は総理になった時、内閣の方針に従わない人は異動する、とは言ったがやめてもらうとは言っていない。つまりポジションは変わっても、給料も役人としての既得権も温存される。
 人間とは不思議なもので、反対者から何か恩を与えられると返って忠誠心が強くなる。菅は官房長官時代、官僚ににらみを利かせたが誰も首を斬っていない。つまり官僚に恩を売っているのである。表では役人にコワモテの水戸黄門を演じ、裏でかれらと手を結び自家薬籠中のものとする。「菅よお主も悪よのう」アベ。
(20/10/10)

 学術会議会員候補6名の任命を内閣が拒否して騒ぎになっています。従来学術会議会員は各学会からの推薦をもとに内閣府が名簿を作成し、それを首相が承認するというもので、首相が任命を拒否するということはあり得なかった。
 菅のやった前例を否定する行為は、菅内閣に始まったのではなくアベ前政権の特徴の一つ。前例を破ることで改革をアピールし、支持率を上げたいわけだ。但しその前例は自分に都合の悪いことだけで、都合の良いのはそのままにする。それどころか、かつて廃止された悪い習慣を復活させようとする。例えば二階や麻生のような死にぞこない老人の要求による、衆参議員立候補定年制の廃止などである。
 今回の騒ぎの元は、証人を拒否された候補者は、いずれも安保法案への批判や安倍内閣の政治姿勢を批判しただけ。特に特定政党のメンバーではない・・・終戦直後なら共産党系の民科メンバーが大手を振っていたが、今はそんな時代ではない。其れにも拘わらず何故承認を拒否したのか?何となく「オレのやり方にケチをつけたからやり返す」レベルの幼稚さも感じられるが、一方で「オレに逆らう奴は許さん」といったヤクザまがいの執念深さも感じられる・・・・これはかつて議員秘書や横浜市議時代につきあった「ハマのドン」の影響だろう。
 菅義偉はイデオロギーはなく実務一遍同だ、という評価をきく。本人もアベ晋三と違ってあまりイデオロギッシュなことは言わない。しかし就任早々の会見で、官僚に対し「選挙で選ばれた政権の方針に従わないものは異動させる」と云ったり、かつての官僚支配ぶりを見ると、イデオロギー・・・ついでに言葉も・・・は無くても権力志向は人一倍強いとみられる。
 この強い権力志向は何処から来るのか?一般には外部への強い攻撃性は内的コンプレックスの裏返しと云われる。では菅のコンプレックスとは何か?
1、出身、言葉;彼は秋田県出身。高校卒業後東京に出てくれば東京の人間から「テメー秋田かよ」とからかわれたり、言葉がなかなか通じない。これが東京コンプレックスのもとになる。
2、学歴;彼の最終学歴は法政大学である。しかし夜間だった。昭和40年代当時の企業ではまだまだ全日制と二部とでは差別は大きく、就職や昇進のハンデは大きかった。これもコンプレックスの一つとなる。だから最終的には企業ではなく代議士事務所に就職したのだろう。但しこれは初めからの計画にあったのかもしれない。
3、背丈と頭;馬鹿々々しいかもしれないが、これ男にとって結構深刻なのである。男なら誰だって女にもてたいのは当たり前。しかし背が低いとか頭が禿げていると初めから競争から外れてしまう。コンプレックスのはじまりだ。そしてそれは人格形成にもっとも重要な思春期に起こる。これが解決できないで成人すと、しばしば女性への攻撃的態度が現れる。東京新聞女性記者への異常な攻撃性は、ひょっとして背丈のひがみかもしれない。なお菅には女性スキャンダルが見当たらない。やっぱり女にもてないのだ。
 かくてコンプレックスの塊でなおかつ異常に向上意欲の強い菅義偉という人物がうまれた。しかしこれは素材に過ぎない。こういう人物が権力を執行できる地位になり実行するには、動因というべき力が作用する必要がある。それはこれまでの過程で得た経験則であったり、権力執行の結果で得られた優越感・・・コンプレックスの裏返し・・・であったり、誰かから示唆教唆されたイデオロギーであったりする。
 菅は首相就任後のインタビューで「自分が一番学んだのはマキャベリだ」といっている。これに対し佐藤優は「マキャベリの原典は難しく、素人では理解するのは難しい。嘘だろう」と云っている。ワタシも彼はマキャベリストの真似はしているがその程度だろうと思う。しかし彼・・・及び元ボスのアベ晋三・・・の言動を見ていると、何かに影響されているのは間違いない。では何かというとカール・シュミットというドイツ人の思想ではないかと思われる。
 カール・シュミットとは何者か?ワタクシは何かで名前を聞いたことはあるがそれっきり。先月偶々高槻の紀伊の国屋の中公新書で解説書をみつけたので、買って読んでみた。それによると彼は1920~30年代、国家主義的論文を発表し、ヒトラーに認められてナチに接近。34年にはナチに入党。その後ナチのイデオローグとして全権付与法等ナチ法制の正当化に努めたが、40年にいきなり失脚、ベルリン大教授に転出した。戦後ナチとの関係を疑われてほぼ追放状態になったが、90年代以降急に注目され、中には20世紀最大の思想家というアホもいる。
 解説書を2、3ページ読んでみて「こりゃ駄目だ」と思った。何故かというとこの人物、国際政治が全く分かって居ない。それはワイマール期での「政治と精神」という論文にあった文章だが「法律や規範・規律が崩壊しても国家は残る」というものだ。これの言わんとすることは、これまで社会を形成してきた様々な価値観が崩壊しても国家は残る。つまり国家こそが社会の最重要要素だと云いたいのだ。
 しかしこれが全くの虚構だったことは肝心のドイツの歴史が証明している。シュミットが着目したのは第一次大戦の敗戦と革命後のドイツ国内の混乱だったのだろう。ここでは旧帝国時代の法律、規則、規律は失われ国内は急進左翼から国粋右翼まで何でもあり状態のカオス状態。しかしドイツ国家は存在した。
 しかしこの状態はドイツ国民が望み、自分の力で獲得したものではない。戦勝連合国にとってドイツが消えてなくなることが脅威だったのである。仮に国家としてのドイツがなくなれば中欧は再び戦争状態になる。連合国も戦争の被害は大きく、スペイン風邪の被害も加わって戦争どころではない。おまけに東方のロシアでは共産政権が出来、西側に拡大しようとする。この歯止めとしてドイツの存在は必要だった。だからドイツ国家は自らの意志で存在したのではなく、連合国の思惑で残されただけである。
 その証拠に第二次大戦ではヒトラーの自殺でナチ体制は崩壊し全権付与法は効力を失ったが、伝統的規範はまだ残っていた。しかし戦後ドイツ国家は米英仏ソ戦勝四か国に分割占領され崩壊した。これらが最終的に再統一されるのは半世紀近く経ってからである。つまり現実には・・・シュミットの言う例外的状態では・・・国家というものは只の虚構に過ぎないということである。
 シュミット思想の全体を述べるほどの知識は持ち合わせないが、大雑把に彼の思想をまとめるとこうなるだろう。カントの啓蒙主義やヘーゲルの弁証法の否定。ニーチェ、ベルグソン、ハイデガー等の観念論、実存主義哲学との接近。これがナチ教義との親和性を高める。日本でいうと5.15事件の橘孝三郎といったところか。ズバリ言えば戦後発生した反知性主義の奔りである。
 つまり
1、議会制度の否定。
2、自由主義、民主主義への否定、敵意、独裁主義。
3,近現代で積み重ねられた国際法やその他の伝統的価値観、合意の否定、批判。
4、国家主義に基づく社会のあらゆる場面への政治の関与の肯定。
5、例外的状況での主権者の独裁の許容
6、反ユダヤ主義と多様性の否定。
 シュミット研究者が云うところには、彼の特徴は既存の伝統的価値観、法体制への鋭い批判である、という。しかし旧体制を残しておけば将来どうなるかという予測はなく、どうすればよいかという提言もない。要するに批判で終わっているのである。この点が、筆者がシュミットを二流の物書きに過ぎないとみなす所以である。
 アベー菅政権の流れを見ると、これがシュミットの思想と見事に一致していることが分かる。例えばアベ政権下での国会軽視は上の1に、安保法制や検察庁法改正に見られる強引な法解釈の変更は3に、今回のような学術会議会員承認拒否は4に該当する。18年北朝鮮の大したことがないミサイル実験を「国難」に利用して、総選挙をやったのは5に相当。沖縄軽視は6か。
 ではアベー菅はシュミットの論文を読んだのだろうか? 原典は難解なドイツ語で日本語訳も少なく、誰でも読めるものではない。誰かに話を聞いただけで、都合の良いところをつまみ食いしただけ、というのが実態だろう。その誰かが問題だが、ドイツ哲学に詳しい保守系思想家、西部遷あたりかという気はする。野良猫(西部)死して禿ネズミ(菅)を走らせる、と云ったところか。
(20/10/04)