菅義偉とポピュリズム

技術士(応用理学)  横井和夫


 昨日夜、偶々BS-TBS某番組にチャンネルを回してみると、ゲストコメンテーターは東大教授の学者と橋下徹という田舎弁護士。テーマは例によって学術会議任命拒否問題。設置法の「・・・会員は内閣総理大臣は学術会議の推薦により任命するものとする」という一文の解釈を巡って、憲法学者は読んで字の通り「学会の推薦は内閣の任命を拘束する」というもの。これに対し橋下は「普通の日本語の解釈としてそうはならない」と主張する。
 その根拠として法的には「推薦権」と「任命権」とは別物で、任命権者は推薦とは別に任命することができる、とし、その証拠として大学入学で推薦があっても入学させなければならないことはないと主張する。これこそ大阪辺りに居る三流弁護士の三百代言の典型である。大学入試と学術会議会員推挙をゴッチャにすることに、橋下の知性がどの程度のものかがよく分かる。
 橋下の主張は法律の主旨を無視し、言葉の類似性だけを強調し議論を捻じ曲げる論法である。大学入試の場合、志願者と採用者との間には何の関係もない。採用者は自分の意志で適否を判断できる。しかし大学は公的な存在である。国公立は当然だが私立であっても国庫補助があったり、税法上の特権があって何でもかんでも自分のやりたい放題ではない。そのため客観的な採用基準を示す必要がある。昨年来問題になった東京医大や聖マリアンナ医大に於ける入試不平等問題は,、その原則に反したからである。つまり橋下の言う任命権というのは極めて限られた場面でしか機能しないのである。
 一方学術会議の場合、総理大臣に任命権があるとしても総理大臣は学者ではなく学問全体の覇者でもない。一体誰を任命してよいか分からない。この場合はその世界に選定を委託する。それが推薦である。採用者は推薦をお願いしているわけだから推薦者の意向を尊重するのは当然であり礼儀ある。
 ここには委託者(政府)と非委託者(学術会議)が法益に対等という共通の認識がある。これが「学の独立」である。しかし橋下はこの関係を無視し・・・あるいは理解できるだけの知能がないのか・・・政府/学術会議の関係を城址・部下の関係に例える。これは彼がかつて大阪府知事と大阪市長との関係を上司/部下の関係になぞらえたのとそっくりの構図である。彼は世の中を何でも上下関係で捉え且つ政治に関連付けたがる。これは何故か?この考えに今最も近いのが、かつてのナチイデオローグにして現代の反知性主義の幕を斬ったカール・シュミットという人物である。多分橋下は彼の著作を読んだのではないか?しかし筆者に言わせれば、シュミットの著作などゴミのようなもの。あんなものに影響されたとすれば、反知性どころか無知脳だ。
(20/10/28)

   何もわかっていない素人が口出しする位迷惑なものはない。今その典型が「日本学術会議」騒動ではないか?これまでの経緯を見ると、そもそもの火付け役は内閣官房副長官の杉田和博という人物らしい。この人物、元警察警備畑官僚。今はあの世に行ったが、元東京地検公判部長でテレビにもよく出ていた河村という辞め検や元警察官僚の佐々淳孝などの戦後反共カルトの一員と考えられる。彼らは確か「さくら警備」とかいう会社を作り、芸能人の警備や自衛隊基地等防衛産業にくいこんでいる。辺野古埋め立て蹴帯もかれらの利権である。無論杉田がこれら防衛警備事業に無関係とは考え難い。
 これは別にして滑稽なのは、あの頭が悪い」甘利が学術会議は中国1000人計画に協力しているとツイートしたところ、これがたちまち拡散。学術会議から抗議を受けるとたちまち修正したが、その方便というのが「私にはそういう風に聞こえた」などと、他人事風言い訳。政治家なら世間の噂をよく吟味し、自分の言葉で発信しなくてはならない。それが出来ずに他人に責任を押し付けるやり方は」、当にアベ政権の遺産だ。
 中国1000人会議が科学技術の横取り作戦なら、今の日本政府には内閣参与というのがいて、この中に竹中平蔵やワトキンソン、楽天の三木谷などの新自由主義者がいる。竹中は別にパソナのCEOであり国際的に投資顧問もやっている。ワトキンソンは元ゴールドマンサックス(GS)日本法人CEOだ。これら新自由主義人脈を通じて、日本の経済、金融政策がアメリカ・・・それも投資銀行や連邦通商代表部あたり・・・に筒抜けになる。こっちの方が日本の国益にとって重要だ。今特に注意すべきは種苗法と水道法の改正である。
 一昨日のBS-BS某時事番組。ゲストは橋下徹。学術会議問題について何を言い出すかと思うと「官房副長官の杉田氏は様々な情報に通じている。任命を拒否された6人は何らかの組織につながりがあり、それを杉田氏が感知したのだろう」とトンデモ発言。
 何らかの組織とは何か?おおかた朝鮮総連とかその辺のところを言いたいのだろうが全く根拠はない。しかしこの世でそこそこの仕事をすれば何らかの組織と接点が出来るのは当然。弁護士だって弁護士会という組織に入らなければ仕事は出来ない。それどころか外から妙な組織がやってくる。特にかつてのバブル時代には土地の地上げ、バブル崩壊後は倒産会社の債務整理で、弁護士業界は大儲けした。ここに何らかの組織が介在していたことは明らか。橋下だってその例外であるはずがない。それ以外にも橋下は学術会議が防衛研究について反対意見を述べたことについて、全くの素人意見を発振している。これについてはまた別に。
(20/10/22)

 田原総一郎曰く「菅総理は就任以来92人の人間と会い、異なる意見にも耳を傾けている」。この田原総一郎は86年も人間をやってきて本当にアホだな。政権をとってから92人もの人間と合って様々な意見を聴くのは、要するにそれまでは何の政策・政見もなかった、頭の中は空っぽだったということだ。だから慌てて埋め合わせをしているのだろう。こういうことは政権取りの前にやっておかねばならない。だから政権を獲った第一声が前政権の政策踏襲である。つまり自分には何もないということを自ら表明したようなものだ。
 しかし92人というのは多すぎる。これではそれぞれの言い分がバラバラになって考えがまとまらなくなる。そうすれば誰かが「せっかくアドバイスをしてやったのに無視しやがった」とか、「あれはオレが教えてやったことだ。菅はオレの言いなりだ」なんてことを言い出すのが出てくる。そういうのがいずれ政権の足を引っ張る。何か大きなプロジェクトを担当する場合、誰かに意見を聴いて取り入れるのは悪いことではないが、そうする前に問題点を絞り込み自分なりの答えを予め用意しておき、不足点があるかどうか、勘違いがなかったかどうか、別の答えがあるかどうか、自分の解決法に対し反対するものがいるかどうか、を確認すればよい。それらがあれば納得できるように修正すればよいだけの話である。そのためには極端には信頼できるものが一人かせいぜい数人居れば十分である。92人もの多人数に会うということは、菅には真に信頼できる周辺がいないということか。
(20/10/19)

菅が自分が気に入らないと云ってたった6人の承認をさぼったため、連日国会マスコミを揺るがす大騒動。云わずと知らず日本学術会議補充人事問題。小人閑居して不善をなす、というか小人妄策を弄して大愚をなすの典型。そもそもの発端は6人の候補を削ったのを共産党が見つけたこと。それがいつの間にか10億の国費を使っているから政府が口出しするのは当然、などと大阪の橋下のような無知蒙昧マスコミギャングが言い立てるものだから、世間もそのようにうけとる。更にフジテレビのアホ論説委員の平井のように、学術会議と学士院の区別も出来ない、出来損ないが口を出して世間を混乱させる。
 中でも滑稽なのは行政管理庁長官という閑職をあてがわれた河野太郎。いきなり「学術会議も聖域ではない」と声を張り上げ拳を振り上げる。対象は10億の学術会議予算だろう。世間では10億の予算を100人ほどの会員が山分けしていると思っているアホが多いかもしれない。しかし10億の内訳を見ると唖然とするだろう。

 事務局人件費  4億4556万
庁費  1億5516万
 会員手当  7192万
 連携会員手当  1億0326万
 旅費交通費  1億4214万
国際会議分担金  1億0762万
 その他  2336万
(毎日新聞20/07/10)
 さてここで注目されるのは事務局人件費とか庁費と称する訳の分からない金である。事務局員は約50人とされるから、なんと一人年収900万という高給取りだ。全員が同じ金額ではないから、多分トップは3000万とか4000万とかという年収だ。そして彼らは内閣府及び文科省の天下りなのである。
 それに引き換え会員・・・日本の知性トップ・・・の日当はたった20000円弱にしかならない。筆者のような市井の技術士でも他人の依頼業務ではざっと一日5万円は頂く。それはともかく、仮に学術会議の改革をやるとするなら、年間6億もの税金を無駄食いする内閣府・文科省官僚をリストラし、浮いた金を会員手当の増額とか、学術振興に振り分けるのが筋というものだ。しかし河野太郎はそうしないだろう。むしろ役人利権はそのままにして、会議会員つまり学者を減らす。何故なら菅内閣に於いて役人利権を護ることは必須のアイテムなのである。
 しかしそれでは、これまで人事権を握って官僚を押さえつけてきた菅の、水戸黄門イメージと異なるではないかという疑問が湧くだろう。しかし全く矛盾しない。菅は総理になった時、内閣の方針に従わない人は異動する、とは言ったがやめてもらうとは言っていない。つまりポジションは変わっても、給料も役人としての既得権も温存される。
 人間とは不思議なもので、反対者から何か恩を与えられると返って忠誠心が強くなる。菅は官房長官時代、官僚ににらみを利かせたが誰も首を斬っていない。つまり官僚に恩を売っているのである。表では役人にコワモテの水戸黄門を演じ、裏でかれらと手を結び自家薬籠中のものとする。「菅よお主も悪よのう」アベ。
(20/10/10)

 学術会議会員候補6名の任命を内閣が拒否して騒ぎになっています。従来学術会議会員は各学会からの推薦をもとに内閣府が名簿を作成し、それを首相が承認するというもので、首相が任命を拒否するということはあり得なかった。
 菅のやった前例を否定する行為は、菅内閣に始まったのではなくアベ前政権の特徴の一つ。前例を破ることで改革をアピールし、支持率を上げたいわけだ。但しその前例は自分に都合の悪いことだけで、都合の良いのはそのままにする。それどころか、かつて廃止された悪い習慣を復活させようとする。例えば二階や麻生のような死にぞこない老人の要求による、衆参議員立候補定年制の廃止などである。
 今回の騒ぎの元は、証人を拒否された候補者は、いずれも安保法案への批判や安倍内閣の政治姿勢を批判しただけ。特に特定政党のメンバーではない・・・終戦直後なら共産党系の民科メンバーが大手を振っていたが、今はそんな時代ではない。其れにも拘わらず何故承認を拒否したのか?何となく「オレのやり方にケチをつけたからやり返す」レベルの幼稚さも感じられるが、一方で「オレに逆らう奴は許さん」といったヤクザまがいの執念深さも感じられる・・・・これはかつて議員秘書や横浜市議時代につきあった「ハマのドン」の影響だろう。
 菅義偉はイデオロギーはなく実務一遍同だ、という評価をきく。本人もアベ晋三と違ってあまりイデオロギッシュなことは言わない。しかし就任早々の会見で、官僚に対し「選挙で選ばれた政権の方針に従わないものは異動させる」と云ったり、かつての官僚支配ぶりを見ると、イデオロギー・・・ついでに言葉も・・・は無くても権力志向は人一倍強いとみられる。
 この強い権力志向は何処から来るのか?一般には外部への強い攻撃性は内的コンプレックスの裏返しと云われる。では菅のコンプレックスとは何か?
1、出身、言葉;彼は秋田県出身。高校卒業後東京に出てくれば東京の人間から「テメー秋田かよ」とからかわれたり、言葉がなかなか通じない。これが東京コンプレックスのもとになる。
2、学歴;彼の最終学歴は法政大学である。しかし夜間だった。昭和40年代当時の企業ではまだまだ全日制と二部とでは差別は大きく、就職や昇進のハンデは大きかった。これもコンプレックスの一つとなる。だから最終的には企業ではなく代議士事務所に就職したのだろう。但しこれは初めからの計画にあったのかもしれない。
3、背丈と頭;馬鹿々々しいかもしれないが、これ男にとって結構深刻なのである。男なら誰だって女にもてたいのは当たり前。しかし背が低いとか頭が禿げていると初めから競争から外れてしまう。コンプレックスのはじまりだ。そしてそれは人格形成にもっとも重要な思春期に起こる。これが解決できないで成人すと、しばしば女性への攻撃的態度が現れる。東京新聞女性記者への異常な攻撃性は、ひょっとして背丈のひがみかもしれない。なお菅には女性スキャンダルが見当たらない。やっぱり女にもてないのだ。
 かくてコンプレックスの塊でなおかつ異常に向上意欲の強い菅義偉という人物がうまれた。しかしこれは素材に過ぎない。こういう人物が権力を執行できる地位になり実行するには、動因というべき力が作用する必要がある。それはこれまでの過程で得た経験則であったり、権力執行の結果で得られた優越感・・・コンプレックスの裏返し・・・であったり、誰かから示唆教唆されたイデオロギーであったりする。
 菅は首相就任後のインタビューで「自分が一番学んだのはマキャベリだ」といっている。これに対し佐藤優は「マキャベリの原典は難しく、素人では理解するのは難しい。嘘だろう」と云っている。ワタシも彼はマキャベリストの真似はしているがその程度だろうと思う。しかし彼・・・及び元ボスのアベ晋三・・・の言動を見ていると、何かに影響されているのは間違いない。では何かというとカール・シュミットというドイツ人の思想ではないかと思われる。
 カール・シュミットとは何者か?ワタクシは何かで名前を聞いたことはあるがそれっきり。先月偶々高槻の紀伊の国屋の中公新書で解説書をみつけたので、買って読んでみた。それによると彼は1920~30年代、国家主義的論文を発表し、ヒトラーに認められてナチに接近。34年にはナチに入党。その後ナチのイデオローグとして全権付与法等ナチ法制の正当化に努めたが、40年にいきなり失脚、ベルリン大教授に転出した。戦後ナチとの関係を疑われてほぼ追放状態になったが、90年代以降急に注目され、中には20世紀最大の思想家というアホもいる。
 解説書を2、3ページ読んでみて「こりゃ駄目だ」と思った。何故かというとこの人物、国際政治が全く分かって居ない。それはワイマール期での「政治と精神」という論文にあった文章だが「法律や規範・規律が崩壊しても国家は残る」というものだ。これの言わんとすることは、これまで社会を形成してきた様々な価値観が崩壊しても国家は残る。つまり国家こそが社会の最重要要素だと云いたいのだ。
 しかしこれが全くの虚構だったことは肝心のドイツの歴史が証明している。シュミットが着目したのは第一次大戦の敗戦と革命後のドイツ国内の混乱だったのだろう。ここでは旧帝国時代の法律、規則、規律は失われ国内は急進左翼から国粋右翼まで何でもあり状態のカオス状態。しかしドイツ国家は存在した。
 しかしこの状態はドイツ国民が望み、自分の力で獲得したものではない。戦勝連合国にとってドイツが消えてなくなることが脅威だったのである。仮に国家としてのドイツがなくなれば中欧は再び戦争状態になる。連合国も戦争の被害は大きく、スペイン風邪の被害も加わって戦争どころではない。おまけに東方のロシアでは共産政権が出来、西側に拡大しようとする。この歯止めとしてドイツの存在は必要だった。だからドイツ国家は自らの意志で存在したのではなく、連合国の思惑で残されただけである。
 その証拠に第二次大戦ではヒトラーの自殺でナチ体制は崩壊し全権付与法は効力を失ったが、伝統的規範はまだ残っていた。しかし戦後ドイツ国家は米英仏ソ戦勝四か国に分割占領され崩壊した。これらが最終的に再統一されるのは半世紀近く経ってからである。つまり現実には・・・シュミットの言う例外的状態では・・・国家というものは只の虚構に過ぎないということである。
 シュミット思想の全体を述べるほどの知識は持ち合わせないが、大雑把に彼の思想をまとめるとこうなるだろう。カントの啓蒙主義やヘーゲルの弁証法の否定。ニーチェ、ベルグソン、ハイデガー等の観念論、実存主義哲学との接近。これがナチ教義との親和性を高める。日本でいうと5.15事件の橘孝三郎といったところか。ズバリ言えば戦後発生した反知性主義の奔りである。
 つまり
1、議会制度の否定。
2、自由主義、民主主義への否定、敵意、独裁主義。
3,近現代で積み重ねられた国際法やその他の伝統的価値観、合意の否定、批判。
4、国家主義に基づく社会のあらゆる場面への政治の関与の肯定。
5、例外的状況での主権者の独裁の許容
6、反ユダヤ主義と多様性の否定。
 シュミット研究者が云うところには、彼の特徴は既存の伝統的価値観、法体制への鋭い批判である、という。しかし旧体制を残しておけば将来どうなるかという予測はなく、どうすればよいかという提言もない。要するに批判で終わっているのである。この点が、筆者がシュミットを二流の物書きに過ぎないとみなす所以である。
 アベー菅政権の流れを見ると、これがシュミットの思想と見事に一致していることが分かる。例えばアベ政権下での国会軽視は上の1、に安保法制や検察庁法改正に見られる強引な法解釈の変更は3に、今回のような学術会議会員承認拒否は4、に該当する。18年北朝鮮の大したことがないミサイル実験を「国難」に利用して、総選挙をやったのは5、に相当。沖縄軽視は6、か。
 ではアベー菅はシュミットの論文を読んだのだろうか? 原典は難解なドイツ語で日本語訳も少なく、誰でも読めるものではない。誰かに話を聞いただけで、都合の良いところをつまみ食いしただけ、というのが実態だろう。その誰かが問題だが、ドイツ哲学に詳しい保守系思想家、西部遷あたりかという気はする。野良猫(西部)死して禿ネズミ(菅)を走らせる、と云ったところか。
(20/10/04)