菅義偉とポピュリズム

技術士(応用理学)  横井和夫


 菅義偉がマキャベリ「君主論」を座右の書として愛読していたというので筆者もよんでみた(河島英昭訳 2019岩波書店)。読んでみると中々難しい。ヨーロッパ古代・中世史、特にギリシア・ローマ史について、少なくとも平均以上の知識と理解は必要だ。詳細な脚注が付いているが、これも難しくて、本文並みの知識が必要。だから菅が本当にこの本をよんでいるのか、あるいは読んでも文章の背景まで理解しているのか、それが疑問なのである。
 それはともかくこの本は、1532年に、当時のフィレンツェ僭主のロレンツィオ・メデイチに対し送られたもので、その後幾つかの版を重ねて出版されている。要は君主たるもの如何に権力を保持するかの心構えを彼なりにまとめたものである。
 一読、というより数度読み返さないほどややこしい文章だが、ズバリ筆者なりに結論を言えば、真に君主たろうとすれば、マキャベリの云う通りをやれば確実に失脚する。この本の逆をやれば長生きできるだろう。つまりあくまでこれは反面教師として利用すべきであって、真に受けてはならない。
 この本からマキャベリという人物の性格・人物像を想像してみると、基本的には田舎の下級貴族・知識階層にぞくする。権威主義的で民衆を侮蔑している。つまり上にはペコペコへつらうが、自分より地位が低かったり弱い者には攻撃的で威張り散らす。役所のノンキャリ管理職に多いタイプだ。菅義偉とよく似ている。そういうマキャベリが君主が権力を維持するために守るべき要点を、幾つかの章に分けて論述している。
 曰く君主は民衆及び有力者の支持を受けなければならない。両方が望ましいが大抵それは無理なので、民衆の支持を執るべきだ。何故なら民衆は愚かで忘れやすいからだ。
 曰く、君主は何事にも慎重で用心深くなくてはならない。
 曰く君主は常に学習し、過去に学ばなくてはならない。但しここでマキャベリが云っている学習とは、勉学のことではない。過去の君主の破滅の原因とか、権力奪取の手練手管という意味である。
 曰く民衆や有力者を従わせるのは恐れさせるべきだ。但し憎まれてはならない。
 曰く陰謀は誰にも打ち明けてはならない。打ち明けた途端、利益は彼のものになる。
 曰く政策の助言者は最も優秀で忠実なただ一人に限るべきだ。但しそんな人間を得た君主はいない。もしいたとすれば、彼にとって代わられるからだ。等々。
 これらを過去の事例を引いて解説する。但しその解釈にも誤った点があるから要注意。
 しかしよく見ると、この程度のことは今の日本企業経営者なら誰でもやっている。それどころか東芝やニッサン、関電の様にむしろやり過ぎて・・・マキャベリに忠実過ぎて…身を滅ぼした例の方が多い。 
 マキャベリは若くしてフィレンツェ政庁の外交官となって各国との交渉に当たった。その当時のイタリアは中央のローマ教王領で南北に二分され、南は事実上スペインの出先と化したナポリ王国、北イタリアは神聖ローマ帝国とフランス王国の圧迫を受け、更に10幾つかの中小公国に分かれ、互いにいがみ合っていた。フィレンツェはその中の一公国に過ぎない。
 マキャベリが外交交渉に当たった相手はこれら中小君主国の、そのまた役人に過ぎない。君主にしたところでオーストリア皇帝やフランス国王やローマ教王程度で碌なのはいない。マキャベリがある事件に巻き込まれ投獄されたとき、彼が解放されたきっかけを作り、マキャベリがしばしば賞賛するローマ教王レオ10世(ジュリアーニ・デ・メデイチ)は免罪府を販売してカトリック世界を分裂させた張本人である。このようなろくでなしとの交流から生まれた「君主論」の内容が、碌なものでないのは当然である。
 そこで筆者が疑問に感じるのは、この本がマキャベリの本心を表したものだろうか、ということだ。彼が活躍した人生の大部分は、メデイチ家が追放された後の共和制フィレンツェ政庁である。メデイチ家が復活してからも、彼はフィレンツェ政庁に復活することはなかった。彼自身、君主主義者というより、共和主義者だったのである。
 そんな人物がわざわざ今の君主に対し有益になる助言をするだろうか?そもそも君主は支持を得るためには嘘をついてもよいというような人物である。そんな人物の書いた本を、彼よりもっと”君主論”に長けた君主たちが真に受けるわけがない。実際その後のメデイチ家頭首たちも、マキャベリの助言を素直に受け入れたようには見えない。むしろそんなことは言われなくてもわかっている、おいぼれは黙っとれ、てなところではないか。つまりマキャベリの云わんとするところは既にメデイチ家のDNAに組み込まれているのである。彼の最大の過ちは、彼が助言しようとした君主の方が、彼が抱いていた君主像よりもっと思慮深く慎重で残酷で無責任だったことだ。
 マキャベリは君主の在り方について決定的な過ちを犯している。彼は君主が権力を維持するために必要なことは、冷酷と非情で、慈悲や温情、信義や正義、道徳心や宗教心ではないだとする。勝利とは言うまでもなくライバルとの権力闘争の結果である。必要なことは、冷酷と非情により勝利を続けることが重要である、と主張する。まして名誉や誇りなどは全く無視されている。
 その例としてチェザーレ・ボルジアとかハンニバル*を例に挙げている。しかし道徳心に基づかず恐怖と陰謀によって得られた政権は、当人が生きている間は続くが長続きしないのが歴史的事実でもある。唐の則天武后は恐怖政治によって王宮を支配し、遂に唐帝国を乗っ取った。しかしその死後クーデターが起こり、唐は復活し,武氏一族の痕跡は徹底的に排除され、武即天は希代の悪女と名を残すことになった。ソ連のスターリンは30年に渡って恐怖で党・政府・国家を支配した。彼の死後、後釜を狙ったべリアはフルシチョフらによって逮捕され、処刑された。その後フルシチョフらがやったことはスターリン批判、つまり君主の抹殺である。
 要するにマキャベリが例に挙げた君主たちは、所詮500年前の北イタリアとその周辺の田舎紳士に過ぎない。こんなの参考にしても何にもならないのである。そして結論はマキャベリ「君主論」という本は、あまり金を出してまで買って読む本ではない、ということだ。菅義偉・・・・となんとか君主、あるいはリーダーになりたい人・・・は「君主論」のようなくだらない本より、「失敗の本質」を読むべきだ。
*ハンニバルに対するマキャベリの過ち;マキャベリは第一次ポエニ戦争でのハンニバルのローマ遠征について、カルタゴ軍が傭兵の集まりだったにも拘わらず反乱がおきなかったのは、ハンニバルが冷酷非情だったからだとする。しかしこれは完全な間違いである。   15世紀のイタリアの傭兵なら、みんな個人で雇い主と契約を結ぶ。こんな連中が信用できないのは当たり前である。古代では部族単位で契約を結ぶ。ハンニバルが率いたカルタゴ軍が傭兵の集まりだったのは間違いないが、その傭兵は部族単位であって、そこには部族独自のおきてがある。日本でも昔のトンネルや鉱山、更に戦前のニシン漁や北海カニ漁などはムラ単位で請け負う。村の掟は会社の規則に優先する。掟を破るものは制裁を受ける。これがマキャベリの言う冷酷・非情である。
 傭兵と雇い主を結びつけるものは何か?誰でもそれは恩賞(戦利品)と答える。それ事態は当たり前だが、祖先からの伝統というのもある。今でもネパールのグルカ族はイギリスの傭兵となるが、これは150年以上続く伝統でもある。
 戦利品の分け方は古くからのルールがある。これは一般的なものもあれば部族独特のものもある。この時君主が守らなくてはならないのは、不平を残さずルールに口出ししないことである。つまり戦利品の分配は公平で、分配方法もクリーンでなくてはならない。過去のルールを無視した君主とその側近による独り占めは謀反の基になる。
 ある都市を攻略したとき、戦利品が思ったより少なく、傭兵たちに約束した額を支払えなくなることがある。この時、ハンニバルは自分の私財で不足分を補填した。これにより傭兵達はハンニバルを信頼し謀反をおこさなかったのである。マキャベリならどうしたか。自分が云ったとおり信義を守らず恐怖と冷酷非情で恩賞を値切れば、直ちにマキャベリの首と胴体は別々になるだろう。
 同じ補填でもアベ晋三の「さくら」前夜祭」経費の補填とはかなり様相は異なる。アベ「さくら」の場合は明白な買収である。誘われた山口県民は安い会費に誘われてホイホイとついていっただけ。誇りも名誉もない。
 一方ハンニバルの場合は傭兵達への正当な報酬の不足分である。古代の傭兵はなにも個人の金儲けだけで戦うわけではない。そこには個人だけでなく部族の名誉や誇り伝統も関わてくる。多分マキャベリはそういう形而上てき価値観が理解できなかったのだろう。
(21/01/05)

 「パーキンソンの第二法則」・・・と云ってもそんなもの知っている人は殆どいないだろう。まして菅義偉が知っているとは思われない・・・の中に「副社長の資格」というものがある。トップ(社長)は次の3タイプの内、どれを副社長に選ぶべきか?
1)常に正しい・・・社長の気に入る・・・答えを出す人物。
2)ある時は正しい答えを出し、ある時は間違った・・・社長が気に入らない・・・答えを出す人物。
3)常に間違った答えを出す人物。
 さて皆さんはどう思うでしょうか?パーキンソン博士の結論は3)常に間違った答えを出す人物を副社長にすべきである。
まず1)のタイプでは、部下は社長より先に副社長の意見を聞きに行く。結果として社長は副社長にその地位を乗っ取られるかもしれない。
2)のタイプでは、問題によって答えが正しかったり間違っていたりするから、社長はどう判断してよいか分からなくなる。結果として社長としての信頼性を失う。
3)のタイプでは、社長は常に彼の意見の反対のことを決定しておけばよい。一番楽だ。
 さて第二次アベ政権で副社長と云えば誰か?建前上副総理の麻生だろうが、あんなものはお飾り。実質上の副社長は官房長官の菅だ。では何故菅は8年間もの間官房長官を務められたのか?理由は彼が3)のタイプだからだ。というより、そもそも自分の思想や哲学、考えや言葉というものを持っていない。だから反発・抵抗することはない。ボスにとって一番安心出来使いやすいのである。
 ということでとりあえず後継者にしてみたものの、とんだ目論見違い。それは昨今のコロナ対策の混乱もさる事ながら、「桜」問題や農林「みかん、卵」事件を抑え込むのに失敗したからだ。「桜」はとりあえず秘書レベルでとどめたが政治的なダメージは大きい。「みかん、卵」は何処まで行くか分からない。次の衆院選に影響する。自民党はとりあえず現有勢力を保てても、細田派がどうなるか分からない。二階派が躍進すれば、自民党内乱・分裂の危機。
(20/12/20)

 感染が広がれば停止し、ある程度収まれば再開する。これが現在の菅のGoTo事業への対応らしい。誰が考えてもこんなことを繰り返しておれば、何時まで経ってもコロナ感染は収まらない。何故ならGoToが始まって以来、政府・与党が先頭を切ってウイルスをばらまいているのだから。つまり感染を根本的に収束させる気はない。従って菅義偉が総理でいる限りコロナ感染症はなくならないのである。
 多分自民党内では菅おろしの動きが出てきているだろう。何処が火種か分からないが、一番先に菅を担いだ本人がそうかもしれない。かといって菅だってプライドがある。何時までもあんたの言いなりになってはいられない、なんて啖呵をきれば菅vs二階で自民分裂だ。気が気でないのはアベ晋三ではないか?まさかアベ再々登板なんてことがあるかもしれない。一番可能性の高いのは菅休養、甘利首相代行、秋の衆院選後に臨時総裁選。
(20/12/17)

 11日には「GoToを止める判断には至っていない」と云いながら、13日には突然GoToを全面停止と発表。ところが14日に、菅自ら7人連れでステーキ会食。これが15日国会で追及されると「一律5人以上はダメと云っているわけではない」とか「単なる会食ではなくスポーツ界、芸能界の問題に関する懇談会」てな下手な言い訳。残念ながら客の杉良太郎が「あれは忘年会です」とばらしたから何にもならない。誰だってみのもんたや森田実が芸能界やマスコミ界を代表する人物とは思わない。
 そして本日の「ひるおび」で菅応援団長の田崎史郎*が、云わなけてもよいのに「あの会合は菅総理が呼んだのではなく、二階幹事長が呼んだもの。幹事長に呼ばれりゃ行かないわけにはいかないでしょう」と。そうでしょうか?普通誰でも幹事長より総裁の方が上と思っている。自民党の組織でもそうなっているはずだ。仮に二階が政治の世界で菅より先輩であっても、首相という立場上「お呼びは有難いが、昨今の状勢を鑑みれば、今回は遠慮させていただきます。人数も多いので出来れば今回の会食は取りやめていただきたい」と返事するのが総理としての対応。しかし田崎の頭では、自民党では幹事長が総裁の上にあるようだ。つまり二階皇帝菅宰相という関係に例えればよく分かる。
 そういえば今回政府が発表した緊急経済対策に関する第三次補正予算の中に15兆円の国土強靭化予算が組み込まれている。この予算は国交省所管だから、おそらくこの中に観光業界支援というバラマキが組み込まれているはずだ。GoTo全面停止という摩訶不思議な決定の背景には、全国に点在する観光業界救済とのバーターだろう。杉も王もみのも、その出汁に使われたわけだ。こんなことをするなら、15兆円の国土強靭化予算の1割1兆6千億を全国民に10万円現金給付したほうがマシだ。しかしそれは麻生が反対したのだろう。
 要するに今の自民党は幹事長の二階が全てを取り仕切り、その前では総裁と云えども頭が上がらない。こんなことが何時までも続けば、その内この党は割れてしまうだろう。
*しかしなんでTBSはこんな永田町のドブネズミ、昭和のポンコツをゲストに使うのだろう?
(20/12/16)

 先週までは「GoToとコロナ感染率とは因果関係はない」、「今Go Toを止める時ではないと判断している」、「地方ではGoTo継続を要望する声もある」と云っていたのに、今日になっていきなりGoTo停止、それも全国規模でだ。分科会も「大都市圏でのGo To停止は必要だが、全国までは必要ではない」、と云っていた(分科会提言)。菅はGo Toを止めないときの言い訳には分科会提言の後半を使い、止めるときには前半を使っている。こういうのを都合の良い時の食言というのである。
 昼のワイドショーで菅応援団長の田崎史郎は「これは勝負の三週間でも結果が出ないので思い切ったサプライズだ」と、苦しい言い訳。忘年会の余興じゃあるまいし、この期に及んでサプライズもないものだろうが、原因は12/13毎日新聞朝刊の内閣支持率報道だろう。菅はこれまで官房長官として、内閣調査室や自民党独自の世論調査を仕切っててきた。だから毎日新聞の調査だけを鵜呑みにするはずがない。おそらく他の調査機関の報告も似たようなものだったのだろう。毎日はその決定打だったのだ。それがサプライズの原因である。 
 そしていきなりサプライズに至った原因は、(1)対策(兵力)の小出し、(2)戦略目標の見通しの甘さ、そして最大の原因は(3)実力の無さ、である。
(20/12/15)

 菅政府が唱える「勝負の3週間」とはなにか?。「勝負とはなにか、政府は何もやってねえーじゃないか」とか、「3週間目だが何も変わってねーじゃないか」とか色々突っ込みがあります。筆者が思うに、これは政府は何もせずに国民に3週間我慢させて様子を見る、ということではないでしょうか?。相撲でも将棋でも、相手が手が出せなくなると何もしないでじっと我慢して、相手が手を出してくるのを待つ。それも勝負だ。
 それはともかく、旅館崩壊防止と医療崩壊防止のどっちが大事か、と問われれば大抵の人間は医療崩壊防止だと答える。又医療関係者からも強く医療崩壊防止策強化が訴えられる。しかし菅はそんな声は意に介さず、頑としてGoToは止めない、GoToと新型コロナ第三波拡大との間に因果関係はない、と言い張り経済重視・・・つまり旅館崩壊防止・・・の姿勢を崩さない。
 筆者はこんなことをしていたら、医療崩壊だけでなく政権支持率崩壊も起こると懸念していたが、本日遂に毎日新聞調査で内閣支持率が40%、不支持率が49%となった。元々朝日・毎日・東京3紙の世論調査は政権に厳しく、サンケイ・読売は甘く10%近く高く出る。今はサンケイは世論調査は出来ないので、政権よりは読売だけ。読売でどれだけの数字が出るかが興味津々だが、それほど甘くもないだろう。
 無論菅本人や周辺は、一々世論調査は気にしない、と突っ張るだろうが、自民党内には気が気でない議員もいるのだ。それは世襲議員の様な岩盤組織を持たない3~4回生。今年中はないが、来年中には間違いなく衆院選がある。これで浮足立ったものが倒閣運動にでも走れば自民党の崩壊である。令和改元時、よく言われたのは改元時内閣は短命。しかしよく見ると実はその次の内閣が短命なのである。
(20/12/13)

 新型コロナワクチンについて、アメリカではオバマ、ブッシュ、クリントンの前・元職大統領が率先して接種すると表明。これに対し現職のトランプは何も言わない。一方我が国ではというと、官房長官の加藤や担当の西村は態度を明らかにせず「順番が来れば・・・」などとあいまい作戦。首相の菅も無言。
 この差は何かというと、貴族意識と平民・・・つまり農民・・・意識の差である。19世紀までヨーロッパやイギリスでは、貴族階層の男子は軍役を義務付けられていた。無論士官・将校階級で一般の兵士と異なり優雅なものだったが、いざ戦場となると話が違う。陸では将校(貴族)は部隊の先頭に立って突撃しなければならない。そうしないと兵士は付いてこない。海ではやはり貴族階層の士官は最も危険な位置に占位し、退艦は下士官兵の後と定められていた。20年程前、高知空港に全日空機が不時着したとき、まず乗客乗員が退機したのち、機長が退機した。人民のために貴族・君主が犠牲になる、というのは多分古いケルト・ゲルマンの習慣だったのを、中世にキリスト教的に解釈しなおしたのだろう。
 一方儒教社会は逆で、ここで重視されるのは「忠」である。ここでは君主のために人民が犠牲になる、という論理になる。韓国では、かつてのセウオル号事件では船長が乗客・乗員をほったらか逃げ出したのがテレビに流出して大騒ぎしたが、これjは儒教社会ではあたりまえである。
 オバマら前アメリカ大統領に比べ我が国政治家の意識の低さは救いようがない。意識が低いというより、臆病で自分では何もできない飼い犬根性なのである。これは徳川三百年の「依らしめるべし、知らすべからず」政策の結果だろう。
(20/12/04)

 一昨日はGo To事業は止めないと国会で云っていたのに、昨日になると突然見直すと表明。それも国会ではなく非公式の声明。国会軽視もいい加減にしろと政党側は怒るべきだが、自公にはその気もないらしい。何故この期に及んで見直しに踏み切ったのか?多分支持率対策だろう。政権発足当初は70%前後という高支持率を誇ったがこのところ低下が著しい。読売などの政権系メデイアでは60%台という数字も出ているが、他は概ね50%台まで低下。このところのコロナ対策の混迷や河井問題、大阪都構想否定等、菅案件に逆風が吹く中もっと支持率が下がってもよいのだが、野党特に国民や社民の分裂で野党共闘が暗礁に乗り上げたのが支持率低下に歯止めをかけただけ。
 10月下旬あたりから東京・北海道を始め主要都市で新規感染者が増大しだし、今月中旬にはもはや第三波認定はまぬがれなくなり、メデイアからも政権批判記事が相次ぐようになった。アベと並んでメデイアに弱いのも菅政権の特徴。特に今年7月の政府支持率が27%まで低下したのがアベ退陣の引き金。これがトラウマとなって、こうなる前になんとかせねば、というのが本音だろう。
 そして少し感染者が少なくなるとブレーキを緩め、又アタフタとブレーキをかけなおさなくてはならない。こういうことを来年の夏まで繰り返していると、本当に”東京オリンピック中止”ということになりかねない。菅は官房長官の責務は危機管理だ、と云って幾つかの事件を手柄話にしているようだが、どれもその場しのぎの火消だけ。本当の危機管理の意味を分かっていない。
(20/11/22)

 過日何気なくネットニュースを見ていたら、未だにバイデン勝利を認めず「バイデン票には不正があった、息子のハンターには薬物疑惑がある」などとトランプの肩を持つのがいた。誰かと見ると、フジテレビ論説委員の平井文夫という人物。この男、以前テレビで学術会議会員には年間280万円の年金が出る、などというフェイクネタを流した極めつけの嘘つきなのである。世論調査の数字ねつ造といい,、福井県が何処にあるかも分からない論説委員といい、フジサンケイグループ論説委員には碌なのがいない。これは経営者がアホだからだろう。
 それはともかく、今回のアメリカ大統領選挙は、文明史的には”反知性主義・・・トランプ派とその周囲の共和党保守派”vs"反・反知性主義・・・バイデン支持派とリベラル派”の闘いのようだ。そしてここで興味あるのは、前者の背後に蠢く”陰謀論者”の存在である。
 アメリカの陰謀論はQーアノンと呼ばれる正体不明のグループが有名だが、本当はもっと根が深く、広く広がっている。ヨーロッパにおける陰謀論は中世テンプル騎士団事件がはしりだろう。その後近世に入って魔女伝説やバラ十字団事件などが産まれた。しかし現代に入ってからの最大の陰謀論は第一次大戦後のドイツ、そしてナチスによって拡散されたユダヤ人陰謀説が挙げられる。
 更にこれに伴い共産党世界征服陰謀説が世界各地で広まった。しかし共産党の世界計画は第二回コミンテルンで決定され公表されているから陰謀でも何でもない。しかしその後共産党内で世界同時革命を主張するトロツキーと一国革命を主張するスターリンの対立が激化し、遂にトロツキーの亡命暗殺という結果に終わる。なお戦後は毛沢東の中国共産党が世界解放を主張し、各地で左翼過激派テロ事件が発生したが、これも明らかになっている。
 日本に於ける共産党陰謀説としては、昭和20年の近衛上奏文がある。近衛はこの文書で「陸軍統制派は共産主義であり、日本を赤化しようと画策している」、それを防ぐために戦争を終結させるべきだ、と主張した。殆ど怪文書に近い内容で全く戦局に影響しなかったが、日本の支配階層に”共産化陰謀”というキーワードが刷り込まれていたことは間違いないだろう。
 この手の共産主義陰謀説は45/08/15を契機に概ね2年ぐらいで亡くなった。しかし、1950年代に突如復活した。それは朝鮮戦争の勃発と、アメリカ本土での赤狩りマッカーシズムである。この結果、日本でもレッドパージが行なわれ、旧l共産党幹部は地下に潜った。大学も例外ではなく、”赤”と睨まれた教員・研究者が旧帝大を中心に追放された。その結果、むしろ地方大学の研究力があがったのである。大阪市大でも新制移行後、東大や京大から若手の優秀な研究者が集まり、一時は日本の学問研究をリードするまでになった。
 何故こんなことを言い出すかというと、言うまでもなく今話題の「日本学術会議」騒動なのである。この問題、色々馬鹿げた脚色・・・例えばメンバーの多様化とか、利権とか、学閥とか・・・を付けるアホが多いが、原因は杉田和博という公安上がりのポンコツ元警察官が、反共陰謀論に惑わされて余計な口を挟んだのがきっかけだ。
 この手の陰謀論は元特高警察に連なる公安警検察に根強く残り、更に自民党保守派を始めとする保守的な一般市民にも広く浸透している。例えば「学術会議は共産党・反日の巣窟」というような愚劣な噂話を流す馬鹿があとをたたない。それも単なるネット民だけでなく、自民党保守派議員からも出てくる。これに付随して出てきたのが冒頭に上げた平井文夫のフェイクネタ。最悪は自民党保守派による「学術会議は中国科学者1000人計画と結びつく親中・反日団体とか、共産党の根城」などという陰謀論までが出てくる。その背景にあるのが「日本会議」という陰謀カルト。その名誉総裁はアベ晋三で、菅義偉や麻生も有力メンバー。この「日本会議」に連なるメンバーが左翼陰謀論をまき散らしている。つまり菅と杉田和博が結託して流した「学術会議」危険団体説も又この種の陰謀論に基づくものだ。
 この手の陰謀論が世間に流行Þりだしたのがいつごろかというと、一つは90年ソ連東欧崩壊で、陰謀論をかろうじて抑えてきたsh会主義理論が力をなくし、ユングの云う集合無意識が露骨に出てきたことと、ハルマゲドンに代表される終末思想が西欧、特にキリスト教世界に広まったことがあると考えられる。中でも最も宗教に鋭敏なアメリカ白人保守層がそれに影響された。それがネットを通じて世界中に流れ、日本のような宗教にナイーブな国民にも影響されるものが出てきたのである。結論的に言えば、今の陰謀論の流行はネットを媒介としたカルトによる洗脳のようなものだ。
(20/11/19)

 新首相の菅義偉は活舌が悪くボキャ貧(使える語彙が乏しいこと)ということはかねてからメデイアを通じて云われていたが、これほどひどいとは思わなかった。昨日テレビを回していたらニュースで国会所信表明演説の一部が見れた。その印象は、あれは演説ではなく、小学生の卒業式答辞のレベルだ。活舌が悪いこととボキャ貧は別個のものではなく、互いに連関して生じる。その原因は10代後半から20代にかけてのデイペート訓練と読書の不足である。大概の人間は人前では言葉が出なくなる。つまり活舌が悪くなる。しかしこれは少々の訓練で修正できる。それは見知らぬ人の前で喋ることに慣れることである。
 例えば大学に入ると、これまでの高校のような狭い世界とは異なる人物と接触せざるを得なくなる。その時は相手が自分より物凄く偉く見えて言葉が出なくなる。しかし心配はない。相手もそう思っているのだ。ここで思い切ってなにかを喋れば打ち解けて、コミュニケーションが取れるようになる。あとはそれを拡大していけばよい。
 社会に出ると社内会議や研修会などで人前で喋る機会が増える。しかしこれはデイペート訓練の役には立たない。何故なら周りがみんな同質の仲間同士、つまり八百長になるからだ。一番良いのは学会発表とか会計検査の説明。こういう容赦ない場面を経験すると度胸がついてデイペートに箔が付いてくる。そしてこういう経験を積むと嫌でもボキャブラリーは増えてくる。それから何時までも逃げていると菅のようなボキャ貧・活舌下手になる。
 菅の活舌の悪さの原因をそもそも秋田出身で方言が出るからだ、という説明もある。しかし秋田出身でも秋田弁をとっくに卒業した人は多い。菅は故郷を出て既に半世紀以上。その大部分を東京首都圏で過ごしている。とっくに秋田弁は卒業している。それでなおかつ活舌が悪いのは、他者とのコミュニケーション不足が原因としか言えない。
 彼は上京してから段ボール会社に勤務しながら法政の二部に通ったのが売りだ。段ボール会社での勤務が工場や事務のような内勤か営業勤務かで異なるが、二部に通っていたことから考えると工場・内勤社員ではなかったかと思われる。性格にもよるがあまりコミュニケーションが図れる環境ではなかったかもしれない。
 その後代議士秘書になるわけだが、代議士は地域や周辺とのコミュニケーション維持が極めて重要である。その実務を担当するわけだが、大事なことは代議士のコミュニケーションは基本的に縦方向だということだ。例えば地元からの陳情受付は下から上への一歩通行、また派閥の親分とのやり取りも上から下への一方通行。水平方向の情報交換やデイペートはあり得ない。この結果活舌は鍛えられなくなる。
 デイペートをやるためには豊富なボキャブラリーは必須アイテム。それを供給するのが情報だが、その中でも読書が一番。何故ならテレビやSNS経由の情報は一過性で頭に残らない。但しまとまった本を読むには結構体力が必要で、年取っては無理。如何に若いうちに負荷を高めておくかがポイント。
 後に残るボキャブラリーを貯えようと思えば、ただ読書だけでは不十分。自分で文章を書くことで不足分を補うことが必要。菅やアベ、その他最近の政治家、特に自民党若手代議士はその訓練が不足。何故なら若いうちからテレビを始めとする映像メデイアに慣れ過ぎてしまったからだ。それと文章は自分ではなく秘書が書く。与党閣僚となると官僚が代筆する。従ってますますボキャ貧は進行する。
 マスコミによれば菅は官房長官時代以来、官僚が持ってきた報告について何の意見も述べず只結論だけを出したという。これだけ見ると何か沈思黙考の様に見えるが、実態は官僚と議論することが出来ず考えている振りをしているだけ、かもしれない。要するにハッタリだ。役人はこういうハッタリに弱いから、直ぐに意図を忖度して混乱に輪を掛ける。こういう議論が出来ない人間に力を持たすと、自分が気に入らないといきなり大声で怒鳴りつけたり、筋が通らないミッションを要求したりする。筆者も現役時代、この手の人間を随分目にしてきた。本四のあいつとか、四国砂防のチンピラとか。菅もその手の何処にでもいる木っ端役人の片割れのようなものだ。
(20/11/12)

 昨日夜、偶々BS-TBS某番組にチャンネルを回してみると、ゲストコメンテーターは東大教授の学者と橋下徹という田舎弁護士。テーマは例によって学術会議任命拒否問題。設置法の「・・・会員は内閣総理大臣は学術会議の推薦により任命するものとする」という一文の解釈を巡って、憲法学者は読んで字の通り「学会の推薦は内閣の任命を拘束する」というもの。これに対し橋下は「普通の日本語の解釈としてそうはならない」と主張する。
 その根拠として法的には「推薦権」と「任命権」とは別物で、任命権者は推薦とは別に任命することができる、とし、その証拠として大学入学で推薦があっても入学させなければならないことはないと主張する。これこそ大阪辺りに居る三流弁護士の三百代言の典型である。大学入試と学術会議会員推挙をゴッチャにすることに、橋下の知性がどの程度のものかがよく分かる。
 橋下の主張は法律の主旨を無視し、言葉の類似性だけを強調し議論を捻じ曲げる論法である。大学入試の場合、志願者と採用者との間には何の関係もない。採用者は自分の意志で適否を判断できる。しかし大学は公的な存在である。国公立は当然だが私立であっても国庫補助があったり、税法上の特権があって何でもかんでも自分のやりたい放題ではない。そのため客観的な採用基準を示す必要がある。昨年来問題になった東京医大や聖マリアンナ医大に於ける入試不平等問題は,、その原則に反したからである。つまり橋下の言う任命権というのは極めて限られた場面でしか機能しないのである。
 一方学術会議の場合、総理大臣に任命権があるとしても総理大臣は学者ではなく学問全体の覇者でもない。一体誰を任命してよいか分からない。この場合はその世界に選定を委託する。それが推薦である。採用者は推薦をお願いしているわけだから推薦者の意向を尊重するのは当然であり礼儀ある。
 ここには委託者(政府)と被委託者(学術会議)が公益に照らし対等という共通の認識がある。これが「学の独立」である。しかし橋下はこの関係を無視し・・・あるいは理解できるだけの知能がないのか・・・政府/学術会議の関係を上司・部下の関係に例える。これは彼がかつて大阪府知事と大阪市長との関係を上司/部下の関係になぞらえたのとそっくりの構図である。彼は世の中を何でも上下関係で捉え且つ政治に関連付けたがる。これは何故か?この考えに今最も近いのが、かつてのナチイデオローグにして現代の反知性主義の幕を斬ったカール・シュミットという人物である。多分橋下は彼の著作を読んだのではないか?しかし筆者に言わせれば、シュミットの著作などゴミのようなもの。あんなものに影響されたとすれば、反知性どころか無知脳だ。
(20/10/28)

   何もわかっていない素人が口出しする位迷惑なものはない。今その典型が「日本学術会議」騒動ではないか?これまでの経緯を見ると、そもそもの火付け役は内閣官房副長官の杉田和博という人物らしい。この人物、元警察警備畑官僚。今はあの世に行ったが、元東京地検公判部長でテレビにもよく出ていた河村という辞め検や元警察官僚の佐々淳孝などの戦後反共カルトの一員と考えられる。彼らは確か「さくら警備」とかいう会社を作り、芸能人の警備や自衛隊基地等防衛産業にくいこんでいる。辺野古埋め立て蹴帯もかれらの利権である。無論杉田がこれら防衛警備事業に無関係とは考え難い。
 これは別にして滑稽なのは、あの頭が悪い」甘利が学術会議は中国1000人計画に協力しているとツイートしたところ、これがたちまち拡散。学術会議から抗議を受けるとたちまち修正したが、その方便というのが「私にはそういう風に聞こえた」などと、他人事風言い訳。政治家なら世間の噂をよく吟味し、自分の言葉で発信しなくてはならない。それが出来ずに他人に責任を押し付けるやり方は」、当にアベ政権の遺産だ。
 中国1000人会議が科学技術の横取り作戦なら、今の日本政府には内閣参与というのがいて、この中に竹中平蔵やワトキンソン、楽天の三木谷などの新自由主義者がいる。竹中は別にパソナのCEOであり国際的に投資顧問もやっている。ワトキンソンは元ゴールドマンサックス(GS)日本法人CEOだ。これら新自由主義人脈を通じて、日本の経済、金融政策がアメリカ・・・それも投資銀行や連邦通商代表部あたり・・・に筒抜けになる。こっちの方が日本の国益にとって重要だ。今特に注意すべきは種苗法と水道法の改正である。
 一昨日のBS-BS某時事番組。ゲストは橋下徹。学術会議問題について何を言い出すかと思うと「官房副長官の杉田氏は様々な情報に通じている。任命を拒否された6人は何らかの組織につながりがあり、それを杉田氏が感知したのだろう」とトンデモ発言。
 何らかの組織とは何か?おおかた朝鮮総連とかその辺のところを言いたいのだろうが全く根拠はない。しかしこの世でそこそこの仕事をすれば何らかの組織と接点が出来るのは当然。弁護士だって弁護士会という組織に入らなければ仕事は出来ない。それどころか外から妙な組織がやってくる。特にかつてのバブル時代には土地の地上げ、バブル崩壊後は倒産会社の債務整理で、弁護士業界は大儲けした。ここに何らかの組織が介在していたことは明らか。橋下だってその例外であるはずがない。それ以外にも橋下は学術会議が防衛研究について反対意見を述べたことについて、全くの素人意見を発振している。これについてはまた別に。
(20/10/22)

 田原総一郎曰く「菅総理は就任以来92人の人間と会い、異なる意見にも耳を傾けている」。この田原総一郎は86年も人間をやってきて本当にアホだな。政権をとってから92人もの人間と合って様々な意見を聴くのは、要するにそれまでは何の政策・政見もなかった、頭の中は空っぽだったということだ。だから慌てて埋め合わせをしているのだろう。こういうことは政権取りの前にやっておかねばならない。だから政権を獲った第一声が前政権の政策踏襲である。つまり自分には何もないということを自ら表明したようなものだ。
 しかし92人というのは多すぎる。これではそれぞれの言い分がバラバラになって考えがまとまらなくなる。そうすれば誰かが「せっかくアドバイスをしてやったのに無視しやがった」とか、「あれはオレが教えてやったことだ。菅はオレの言いなりだ」なんてことを言い出すのが出てくる。そういうのがいずれ政権の足を引っ張る。何か大きなプロジェクトを担当する場合、誰かに意見を聴いて取り入れるのは悪いことではないが、そうする前に問題点を絞り込み自分なりの答えを予め用意しておき、不足点があるかどうか、勘違いがなかったかどうか、別の答えがあるかどうか、自分の解決法に対し反対するものがいるかどうか、を確認すればよい。それらがあれば納得できるように修正すればよいだけの話である。そのためには極端には信頼できるものが一人かせいぜい数人居れば十分である。92人もの多人数に会うということは、菅には真に信頼できる周辺がいないということか。
(20/10/19)

菅が自分が気に入らないと云ってたった6人の承認をさぼったため、連日国会マスコミを揺るがす大騒動。云わずと知らず日本学術会議補充人事問題。小人閑居して不善をなす、というか小人妄策を弄して大愚をなすの典型。そもそもの発端は6人の候補を削ったのを共産党が見つけたこと。それがいつの間にか10億の国費を使っているから政府が口出しするのは当然、などと大阪の橋下のような無知蒙昧マスコミギャングが言い立てるものだから、世間もそのようにうけとる。更にフジテレビのアホ論説委員の平井のように、学術会議と学士院の区別も出来ない、出来損ないが口を出して世間を混乱させる。
 中でも滑稽なのは行政管理庁長官という閑職をあてがわれた河野太郎。いきなり「学術会議も聖域ではない」と声を張り上げ拳を振り上げる。対象は10億の学術会議予算だろう。世間では10億の予算を100人ほどの会員が山分けしていると思っているアホが多いかもしれない。しかし10億の内訳を見ると唖然とするだろう。

 事務局人件費  4億4556万
庁費  1億5516万
 会員手当  7192万
 連携会員手当  1億0326万
 旅費交通費  1億4214万
国際会議分担金  1億0762万
 その他  2336万
(毎日新聞20/07/10)
 さてここで注目されるのは事務局人件費とか庁費と称する訳の分からない金である。事務局員は約50人とされるから、なんと一人年収900万という高給取りだ。全員が同じ金額ではないから、多分トップは3000万とか4000万とかという年収だ。そして彼らは内閣府及び文科省の天下りなのである。
 それに引き換え会員・・・日本の知性トップ・・・の日当はたった20000円弱にしかならない。筆者のような市井の技術士でも他人の依頼業務ではざっと一日5万円は頂く。それはともかく、仮に学術会議の改革をやるとするなら、年間6億もの税金を無駄食いする内閣府・文科省官僚をリストラし、浮いた金を会員手当の増額とか、学術振興に振り分けるのが筋というものだ。しかし河野太郎はそうしないだろう。むしろ役人利権はそのままにして、会議会員つまり学者を減らす。何故なら菅内閣に於いて役人利権を護ることは必須のアイテムなのである。
 しかしそれでは、これまで人事権を握って官僚を押さえつけてきた菅の、水戸黄門イメージと異なるではないかという疑問が湧くだろう。しかし全く矛盾しない。菅は総理になった時、内閣の方針に従わない人は異動する、とは言ったがやめてもらうとは言っていない。つまりポジションは変わっても、給料も役人としての既得権も温存される。
 人間とは不思議なもので、反対者から何か恩を与えられると返って忠誠心が強くなる。菅は官房長官時代、官僚ににらみを利かせたが誰も首を斬っていない。つまり官僚に恩を売っているのである。表では役人にコワモテの水戸黄門を演じ、裏でかれらと手を結び自家薬籠中のものとする。「菅よお主も悪よのう」アベ。
(20/10/10)

 学術会議会員候補6名の任命を内閣が拒否して騒ぎになっています。従来学術会議会員は各学会からの推薦をもとに内閣府が名簿を作成し、それを首相が承認するというもので、首相が任命を拒否するということはあり得なかった。
 菅のやった前例を否定する行為は、菅内閣に始まったのではなくアベ前政権の特徴の一つ。前例を破ることで改革をアピールし、支持率を上げたいわけだ。但しその前例は自分に都合の悪いことだけで、都合の良いのはそのままにする。それどころか、かつて廃止された悪い習慣を復活させようとする。例えば二階や麻生のような死にぞこない老人の要求による、衆参議員立候補定年制の廃止などである。
 今回の騒ぎの元は、証人を拒否された候補者は、いずれも安保法案への批判や安倍内閣の政治姿勢を批判しただけ。特に特定政党のメンバーではない・・・終戦直後なら共産党系の民科メンバーが大手を振っていたが、今はそんな時代ではない。其れにも拘わらず何故承認を拒否したのか?何となく「オレのやり方にケチをつけたからやり返す」レベルの幼稚さも感じられるが、一方で「オレに逆らう奴は許さん」といったヤクザまがいの執念深さも感じられる・・・・これはかつて議員秘書や横浜市議時代につきあった「ハマのドン」の影響だろう。
 菅義偉はイデオロギーはなく実務一遍同だ、という評価をきく。本人もアベ晋三と違ってあまりイデオロギッシュなことは言わない。しかし就任早々の会見で、官僚に対し「選挙で選ばれた政権の方針に従わないものは異動させる」と云ったり、かつての官僚支配ぶりを見ると、イデオロギー・・・ついでに言葉も・・・は無くても権力志向は人一倍強いとみられる。
 この強い権力志向は何処から来るのか?一般には外部への強い攻撃性は内的コンプレックスの裏返しと云われる。では菅のコンプレックスとは何か?
1、出身、言葉;彼は秋田県出身。高校卒業後東京に出てくれば東京の人間から「テメー秋田かよ」とからかわれたり、言葉がなかなか通じない。これが東京コンプレックスのもとになる。
2、学歴;彼の最終学歴は法政大学である。しかし夜間だった。昭和40年代当時の企業ではまだまだ全日制と二部とでは差別は大きく、就職や昇進のハンデは大きかった。これもコンプレックスの一つとなる。だから最終的には企業ではなく代議士事務所に就職したのだろう。但しこれは初めからの計画にあったのかもしれない。
3、背丈と頭;馬鹿々々しいかもしれないが、これ男にとって結構深刻なのである。男なら誰だって女にもてたいのは当たり前。しかし背が低いとか頭が禿げていると初めから競争から外れてしまう。コンプレックスのはじまりだ。そしてそれは人格形成にもっとも重要な思春期に起こる。これが解決できないで成人すと、しばしば女性への攻撃的態度が現れる。東京新聞女性記者への異常な攻撃性は、ひょっとして背丈のひがみかもしれない。なお菅には女性スキャンダルが見当たらない。やっぱり女にもてないのだ。
 かくてコンプレックスの塊でなおかつ異常に向上意欲の強い菅義偉という人物がうまれた。しかしこれは素材に過ぎない。こういう人物が権力を執行できる地位になり実行するには、動因というべき力が作用する必要がある。それはこれまでの過程で得た経験則であったり、権力執行の結果で得られた優越感・・・コンプレックスの裏返し・・・であったり、誰かから示唆教唆されたイデオロギーであったりする。
 菅は首相就任後のインタビューで「自分が一番学んだのはマキャベリだ」といっている。これに対し佐藤優は「マキャベリの原典は難しく、素人では理解するのは難しい。嘘だろう」と云っている。ワタシも彼はマキャベリストの真似はしているがその程度だろうと思う。しかし彼・・・及び元ボスのアベ晋三・・・の言動を見ていると、何かに影響されているのは間違いない。では何かというとカール・シュミットというドイツ人の思想ではないかと思われる。
 カール・シュミットとは何者か?ワタクシは何かで名前を聞いたことはあるがそれっきり。先月偶々高槻の紀伊の国屋の中公新書で解説書をみつけたので、買って読んでみた。それによると彼は1920~30年代、国家主義的論文を発表し、ヒトラーに認められてナチに接近。34年にはナチに入党。その後ナチのイデオローグとして全権付与法等ナチ法制の正当化に努めたが、40年にいきなり失脚、ベルリン大教授に転出した。戦後ナチとの関係を疑われてほぼ追放状態になったが、90年代以降急に注目され、中には20世紀最大の思想家というアホもいる。
 解説書を2、3ページ読んでみて「こりゃ駄目だ」と思った。何故かというとこの人物、国際政治が全く分かって居ない。それはワイマール期での「政治と精神」という論文にあった文章だが「法律や規範・規律が崩壊しても国家は残る」というものだ。これの言わんとすることは、これまで社会を形成してきた様々な価値観が崩壊しても国家は残る。つまり国家こそが社会の最重要要素だと云いたいのだ。
 しかしこれが全くの虚構だったことは肝心のドイツの歴史が証明している。シュミットが着目したのは第一次大戦の敗戦と革命後のドイツ国内の混乱だったのだろう。ここでは旧帝国時代の法律、規則、規律は失われ国内は急進左翼から国粋右翼まで何でもあり状態のカオス状態。しかしドイツ国家は存在した。
 しかしこの状態はドイツ国民が望み、自分の力で獲得したものではない。戦勝連合国にとってドイツが消えてなくなることが脅威だったのである。仮に国家としてのドイツがなくなれば中欧は再び戦争状態になる。連合国も戦争の被害は大きく、スペイン風邪の被害も加わって戦争どころではない。おまけに東方のロシアでは共産政権が出来、西側に拡大しようとする。この歯止めとしてドイツの存在は必要だった。だからドイツ国家は自らの意志で存在したのではなく、連合国の思惑で残されただけである。
 その証拠に第二次大戦ではヒトラーの自殺でナチ体制は崩壊し全権付与法は効力を失ったが、伝統的規範はまだ残っていた。しかし戦後ドイツ国家は米英仏ソ戦勝四か国に分割占領され崩壊した。これらが最終的に再統一されるのは半世紀近く経ってからである。つまり現実には・・・シュミットの言う例外的状態では・・・国家というものは只の虚構に過ぎないということである。
 シュミット思想の全体を述べるほどの知識は持ち合わせないが、大雑把に彼の思想をまとめるとこうなるだろう。カントの啓蒙主義やヘーゲルの弁証法の否定。ニーチェ、ベルグソン、ハイデガー等の観念論、実存主義哲学との接近。これがナチ教義との親和性を高める。日本でいうと5.15事件の橘孝三郎といったところか。ズバリ言えば戦後発生した反知性主義の奔りである。
 つまり
1、議会制度の否定。
2、自由主義、民主主義への否定、敵意、独裁主義。
3,近現代で積み重ねられた国際法やその他の伝統的価値観、合意の否定、批判。
4、国家主義に基づく社会のあらゆる場面への政治の関与の肯定。
5、例外的状況での主権者の独裁の許容
6、反ユダヤ主義と多様性の否定。
 シュミット研究者が云うところには、彼の特徴は既存の伝統的価値観、法体制への鋭い批判である、という。しかし旧体制を残しておけば将来どうなるかという予測はなく、どうすればよいかという提言もない。要するに批判で終わっているのである。この点が、筆者がシュミットを二流の物書きに過ぎないとみなす所以である。
 アベー菅政権の流れを見ると、これがシュミットの思想と見事に一致していることが分かる。例えばアベ政権下での国会軽視は上の1、に安保法制や検察庁法改正に見られる強引な法解釈の変更は3に、今回のような学術会議会員承認拒否は4、に該当する。18年北朝鮮の大したことがないミサイル実験を「国難」に利用して、総選挙をやったのは5、に相当。沖縄軽視は6、か。
 ではアベー菅はシュミットの論文を読んだのだろうか? 原典は難解なドイツ語で日本語訳も少なく、誰でも読めるものではない。誰かに話を聞いただけで、都合の良いところをつまみ食いしただけ、というのが実態だろう。その誰かが問題だが、ドイツ哲学に詳しい保守系思想家、西部遷あたりかという気はする。野良猫(西部)死して禿ネズミ(菅)を走らせる、と云ったところか。
(20/10/04)