タレントクラシー(芸人独裁)の時代

 かつて、中曽根康弘はコイズミ政治を「劇場型政治」と評したが、今の橋下フラックスを彼ならどう表現するでしょうか?私ならこれをワイドショー型政治と呼びます。劇場型とワイドショー型とはどう違うのでしょうか?劇場で演じられるのは、主に芝居・オペラです。これらは一話完結型で、ストーリーが必ず終結するようになっている。又、主役と敵役の関係も明確で、敵役が必ず最後に滅びる予定調和型になっている。例えば、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」では、巨悪の高師直が討たれることによってストーリーが完結する。
 ではワイドショーではどうか。ワイドショーというのは、終わりのない勧善懲悪劇です。常に悪役を見つけ、それをコメンテーターとか評論家が徹底的にいじめる。ワイドショーというのは、実は形を変えたイジメ*なのです。悪役は週によって異なりますが、通常保守系政治家・官僚が悪役の常連、今では電力会社がそれに加わります。悪役を期待するのは視聴者です。制作側は視聴者の興味を読んで、週毎に悪役を仕立てなくてはならない。ストーリーに共通性・一貫性は必要ない。その時点の視聴者の要望に答えられればそれでよい。逆に、次々に話題を変えて行かなければ、番組そのものが成立しない。
 これは橋下の政治手法そのものです。彼は三年前大阪府知事になって以来、様々な意見を発信しているが、その中に一貫した思想と云うものが感じられない。通底したものがないのである。例えば、2年前沖縄問題が混乱したとき、彼は沖縄海兵隊を大阪に、と云った。しかし、今彼は知らん顔である。一貫しているのは、その時点でのワイドショー視聴者を掴まえられる話題だけである。だから筆者は橋下フラックスをワイドショー型と呼ぶのです。ワイドショーはイジメの対象を次々に変えて行かねばならない。同様に橋下・維新も、敵を次々に作っていかなくてはならない。これがワイドショーにしか頼るべき手段のない、タレントクラシーの限界です。仮にイジメの対象がなくなったとすれば、最後は身内或いは全国民の中から敵を創り出すことになるだろう。
  ワイドショーは一方で、身内には甘い。身内とは、メデイア系や芸能界です。島田シンスケ事件を見てみましょう。事件が発覚した当座、ワイドショーの反応は、「この程度で引退する必要はない」というトーンが大部分。その後、警察が乗り出してきたことが判って急にトーンダウン。シンスケを表立って批判したワイドショーはない。シンスケ復活の余韻を残している。悪役として芸能人が登場すると、とにかく追求が甘くなり、彼(彼女)の生い立ちから説明が始まり、”人間としては真面目で、一所懸命働いていたのだ”などと、弁護発言が始まる。まるで、傷の舐めあいである。つまり、身内に甘いのだ。タレントクラシーとは身内の庇い合い・傷の舐めあい政治なのだ

*イジメのメカニズムは、簡単に云えばこうです。学校或いは職場で、何らかの共通点を持った人間が集まり、集団を形成する。この集団は、集団外の人間を排除するか、敵対視する。これが進行すると、相手に対し攻撃的になったり、実際に攻撃する。一種の集団精神病理(ヒステリー)現象です。私は18世紀始め、アメリカ北東海岸で起こった所謂「サレムの魔女」事件も、この種の集団ヒステリー現象と考えています。
 イジメ集団の特徴は、外部に対しては攻撃的になるが、内部では団結心も強く相互扶助精神も旺盛である。イジメと芝居の敵討ちとはどう違うのでしょうか?芝居の場合は、味方の中にも犠牲者を出して悲劇性を高める。例えば忠臣蔵の勘平の切腹の様に。そこには強い内部倫理性がある。しかし、イジメ集団にはそういう自覚はない。外には強面で押し通すが、仲間同士では傷の舐め合いをやっているのだ。
 昔、高槻に引っ越して間もなく、高槻暴走族が力を持っていた頃、仕事で帰りが遅くなって、高槻城址公園のそばを通ると、暴走族らしき集団がたむろしている。オヤジ狩りにあっては大変だと思いつつも、その側を通るときに彼等の会話を聞いてみると、実は情けない愚痴と泣き言なのだ。だれかが愚痴を言うと、リーダーらしきものが、「・・・よう判る・・・」などと慰め励ましている。要するに傷の舐めあいをやっているのだ。暴走族も外眼には強面だが、中身は意外に弱いのである。これはワイドショーそっくりであり、タレントクラシーの実態でもある。おそらく橋下維新にも当てはまるだろう。
(12/02/05)

東に稀代のオポチュニスト管直人がいると思えば、西にはそれに負けるとも劣らない、いやそれ以上のオポチュニストがいる。それは現大阪府知事橋ノ下徹である。オポチュニストとは、自分自身は定見を持たず、大衆の動向を見て、動向がこっちならこっちへ行く、アッチならアッチへ行くと、方向をめまぐるしく変える人物のことを指す。その結果、都合が悪くなると、あの時はみんながこうだったからこうしたと、いつでも言い逃れる道を造っておく。
 これに一番近い人間とはどういう人間かと言うと、それは芸人である。芸人は芸術家とは異なる。芸術家は観客・顧客とは一線を画し、自己表現を主体的にこなし、歴史に作品を記憶させる存在である。芸人にも、2種類あって、所謂伝統芸人は、いわば職人のようなもので、昔からの芸の基本を守りながら新しい要素を取り入れ、芸を後世に伝える。半ば芸術家と云ってよい(先代円生の落語とか、いとしこいしの漫才とか)。しかし最近流行のピン芸人は、そもそも伝えるべき伝統芸を持ち合わせていないから、観客の注目を維持するためにネタを次々と繰り出すしかない。しかし、ネタが尽きたとき、或いはネタが観客(大衆)に飽きられたときがピン芸人の最後である。
 管直人は当初、消費税増税とかTPPとか言い出したが、これは芸人ではなく、霞ヶ関官僚という人形使いに操られた人形だっただけ。彼が芸人の本領を発揮したのは、3.11災害以後である。いきなり浜岡原発停止を言い出したり、更にそれがエスカレートしたのが、6月末の脱原発宣言。更にこれに前後して、チョンの孫と一緒にダンスしたりしている。この後、急速に再生エネルギー法案にシフトしていく。本人は福島原発事故以来、日本のエネルギー政策をどうすればよいかと考えていたところ、こういう結論に達した、と宣言しているが、本当か?という疑いは残る。彼の政治家としての出発点は70年代の水俣病訴訟だが、その後の政治経歴に反原発運動は見られない。政権交替後でも、原発停止に関する発言はない。と言うことは、先の脱原発発言は一時的な思いつきに過ぎないということだ。何故なら、原発をどうするかは、極めて複雑な問題で、たった2〜3ヶ月を一人で考えて結論を出せる問題ではない。それをやったということは、大したことは考えず、低落した支持率を如何に上げるか、政権をどれだけ延命出来るか、という打算の結果に過ぎない。つまり国民(観客)の拍手を如何に採るか(言い換えればテレビ視聴率を如何にあげるか)だけが関心の的なのである。これがピン芸人の特質である。
 大阪の橋下は更にあからさまである。筆者が記憶しているだけで、彼が繰り出したキテレツ発言は1)上海万博への大阪府館中止発言(但し、中国に接待されると突然翻す。これが後のWTC問題に繋がる) 、2)大戸川ダムの地元負担拒否(所謂ぼったくり発言)、3)普天間問題に関しての、沖縄海兵隊大阪誘致発言(「沖縄問題は全国民が自分のモノとして、受け止めなくてはならない」と大見得を切った割に、その後、鳩山政権の支持率が低下すると、ピタリと云わなくなった)、4)議会・府内部の反対を押し切っての、WTCへの大阪府庁舎移転発言(結局これも平成23年東北沖地震の影響で断念)、5)槇尾谷川ダムの中止(これも流域住民の意向を無視し、関係ない団体の圧力をうけたもの。関係無い団体とは、”維新の会”と称するアホ集団)、6)関西広域連合について、鳥取県無意味発言(これも鳥取県知事から抗議を受けると、さっさと退散)、7)そして極めつけはいきなりの”大阪都構想”。こんなもの、橋下立候補時点では、本人自身取り上げていない。途中から入ってきたのだ。それと忘れていたのが8)大阪カジノ構想。
 ま、そんなことはどうでも良いが、一つ云える事は発言に一貫した思想性が無いことである。あるのは、その時々での世論の動向。これを如何に活用するかだけが目的になっている。これこそ、ピン芸人の特徴、安物お笑い芸の真骨頂。ピン芸人は、本舞台20分を維持する芸能力を持っていないから、次から次へとネタを繰り出す。ネタが滑ると直ぐに取り下げて客席に謝る。それはそれで、笑いは取れる。橋下のネタの内、1)〜6)と8)は小ネタ。但し7)大阪都構想はそこそこ大ネタでもある。ピン芸人の橋下がこんなネタを考えられるはずがない。誰かが後ろで操っているのだ。その”誰か”とは堺屋太一というアナクロイベント屋である。前の大阪府知事選の前に、堺屋が官邸に飛び込んでいることが目撃されている。この結果自民党中央は橋下支持に、逆に大阪府連は中央への反発を強め、現在の大阪府議会での知事対自公の対立・確執を産む原因になった。それどころか、先の衆院選での大阪10区自民党敗北にも繋がっている。堺屋を追放しなければ、大阪での自民党復活はあり得ない。
 似た芸人知事に、前宮崎県知事東国原がいる。しかし、管や橋下とは少し違う。東国原姓は南九州に多い姓で、分家ではあるが、祖先は古代の隼人族に連なる由緒を持っている。だから彼の政策は地に足を付いたモノで、それ故県民の支持を得た。そして、彼の政策は、党派を超えて、後継者にも受け継がれることが可能なのである。しかし、橋下という名字は大阪にはない。一体何処からきたのか?という疑問が発生する。これはいずれジワジワと効いてくる。
(11/09/19)

 東京都知事選候補に自民党はいよいよ石原慎太郎にお願い。一方の民主党は未だ候補者も決まらず、聞こえて来るのは蓮ホウの声だけ。他に聞こえて来るのは東国原とか、居酒屋のワタミ*とか、 共産党の小池とか。彼等に共通するものはタレント性です。小池がタレントだって?と驚くかもしれませんが、彼のテレビ登場回数は立派なタレント並みです。何故こんなに、どの政党も・・・いや国民全体が・・・タレント頼みになったのでしょうか?それは既製政治家のサラリーマン化が原因です。戦前、少なくとも戦後高度成長期までの日本の政治家は、陣笠と言えども自前で選挙をし、家の子郎党をを養ってきた。処がある時期から政治家のサラリーマン化が進む。それが何時の時期かは、なかなか特定出来ないが、一つは50年代以降の世襲議員の増大、もう一つは小選挙区制の導入で、派閥より党執行部の力が強くなったことが挙げられます。小選挙区制の特徴は、とにかく勝たねばならない勝敗第一主義。そうすると、党執行部も大勝出来なくてもとにかく勝てる候補、つまり安全パイを狙う。又結果第一主義だから、各候補に余計なことを云わせなくする。その結果、候補のサラリーマン化が進む。
 サラリーマンの特徴は何でしょうか?それは1)どれもこれも、会社の色に染まってしまって個性をなくしていること(個性を消さなくてはサラリーマンになれない)、2)サラリーマンは属している会社のシステムに従って、自分の将来が決まってしまう。3)それが判っているから、誰もみな同じことをやる。違うことをする人間は”会社”から排除される。4)そこに会社の論理に外れた人間(例えばヤクザ屋サンなど)が入って来ると、どう対応して良いか判らなくなる(要するにパニック状態)。従って、自分達が作って来た論理と異なる論理の持ち主には及び腰になる。特に社会の頂点である官僚、会社の頂点である経営者はみんなサラリーマン。彼等はみんなトコロテンで上がってきただけだから、実質的経験に乏しい。つまりケンカの仕方を知らない。
 一方タレント(芸人)というものは、そもそも社会の常道から外れた存在。いわば被差別民だ。事実、被差別社会は近世以来、タレント(芸人)の供給源だった。ケンカというのは、常道から外れた手段でもってする意志の強要である。タレント(芸人)は、もともと失うものがないから、始めからケンカの仕方を知っている。コイズミ純一郎を挙げてみよう。彼は現代政治家に珍しいケンカ上手。彼の曾祖父は、横須賀で海軍に食い込んだ請負。背中に紋々が入った立派なヤクザ。血は争えない。浜田幸一は千葉の本職のヤクザ。両方ともテレビ受けは良く、ファンも多かった。大阪の橋下が尊敬するのはコイズミとシンタロー。シンタローは元々三文小説家だから正真正銘のヤクザ。橋下の氏素性は誰も判らない。コイズミ後の自民党総裁はアベ・福田・麻生の三人。みんなサラリーマンだ。前の二人は実際にサラリーマン生活を経験している。麻生は親の会社を継いだが、それはどっぷりサラリーマン社会。
 戦後の高度成長を支えたのは、間違いなくかたぎのサラリーマン。しかしバブル崩壊以後、彼等はすることが無くなった。それどころか、やることなすこと失敗だらけ。結局サラリーマンは飽きられ、邪魔者扱いされるようになった。その行き着く先がタレントクラシー(芸人独裁)社会なのである。
(*)高槻にもワタミがあって一度家族で食事に行ったことがある。処がそのサービスの悪さにビックリした。まず分煙がされていない。五月蠅い。オーダーを取ろうにも店員がなかなかやってこない。注文した品がなかなかやってこない。ワタミだけは二度といかないことにした。
(11/02/13)

 名古屋・愛知トリプル選の河村陣営圧勝に、マスコミは”新しい民主主義の始まりだ!”などとタワケ解説。横井流に云えば「日本もとうとう本格的タレントクラシーの時代に突入」と言うことになる。こんな物、筆者は15年前に予言している。但し、筆者はこの中でタレントもいずれ腐敗・堕落しその後に新しい独裁権力者(クラシー)が生まれる、と予想している。タレントの堕落は何処から始まるでしょうか?その始めはマスコミとの癒着です。実際、橋下徹と10ch(読売テレビ)との癒着は目に余るものがある。東国原とTBSとの癒着も問題になるでしょう。更にこれが進むと、既製政党との癒着に繋がる。誰でも昔からの大物におだてられれば、悪い気にはなれない。既にタレントに狙いを付けている政党もある。タレント連中の下心は見え見えなのだが、それを指摘する言論がない。
 では、次の新しい独裁権力は何者でしょうか?筆者はおそらく外国移民と予想しています。経団連は1000万人移民を主張している。そして日本は滅亡する。ローマ帝国の滅亡と同じパターンだ。
(11/02/09)


 07年の宮崎東国原に続き、08年には大阪橋ノ下、そして09年には千葉森田とタレント知事が次々と登場しています。果たしてこれは何を意味するのか?良いことなのか、悪いことなのか?はっきりしているのは、将来ろくな事にはならないことと、このブームもいずれ消えるということです。
(09/04/18)

 07年の宮崎東国原に続き、08年には大阪橋ノ下、そして09年には千葉森田とタレント知事が次々と登場しています。果たしてこれは何を意味するのか?良いことなのか、悪いことなのか?はっきりしているのは、将来ろくな事にはならないことと、このブームもいずれ消えるということです。
(09/04/18)

 タレントクラシーとは、いわゆるタレント(芸能人、スポーツ選手それに類似した職業)が、政治・経済に支配的影響を及ぼす社会システムのことです。デモクラシーの最終的発展段階に現れたステロタイプでしょう。
 




 その辺りを踏まえると、次々世代支配階層とは、易者・占い師・似非予言者・インチキ超能力者・インチキ宗教家の類と考えられます。まさかと思うでしょうが、現実にはその予兆という物が現れています。例えば、細木数子のようなインチキ占い師、ヒトラーのような似非予言者、麻原ショーコーのようなデタラメ宗教家が現れ、世紀末と永遠の救済を唱え、みんながそれを支持し、それを真実と考え、それに従う・・・従わない者は時代遅れとされて、つまはじきされる・・・世の中です。今後、形を変えた第二第三のオウム真理教が現れるでしょう。コイズミ郵政カイカクというペテン、コイズミ純一郎と言う稀代のトリックスターを支持するような国民だ。何があっても不思議ではない。その次はイヌ・猫といったペットを支配者とする、ペットクラシーの世界かもしれません。そして、日本は滅び、隣の何処かの国に支配されるでしょう。
(09/04/18)

 宮崎県知事選で東国原英夫(通称「そのまんま東」)氏が、大方の予想を裏切って大差で当選しました(07/01/21)。大差という点が重要です。タレント知事というのは、以前にも横山ノックとか青島幸男がいました。しかし彼らは知事選に打って出る前の10〜10数年を、参議院議員として過ごしています。政治の世界では必ずしもシロートとは言えない。しかし、東国原氏は全く政治経験がない。その点が異なる点です。果たして上手く知事をやり通せるかどうかは判らないが、一つの時代の変換点を予感させる。以下の文章は、今(2007)からおよそ20年ほど前、某コンサルに再々就職したとき、当座何もする事が無かったので暇潰しに考えていたことを、更にその7〜8年後、あることをきっかけに文章化したものです。だから作品としては12〜3年前のものです。今、その予想が実現しつつあるように思えます。
(07/01/23)


タレントクラシーの時代

1、始めに
  タレントクラシーとは、いわゆるタレント(芸能人、スポーツ選手それに類似した職業)が、政治・経済に支配的影響を及ぼす社会システムのことです。デモクラシーの最終的発展段階に現れたステロタイプでしょう。
2、日本史に見られるサイクル性
 歴史の発展過程にある構造が存在するらしいということは随分昔からいわれていた事であって、今に始まったことではない。歴史構造モデルの代表的なものの一つにマルクスがある。マルクスは、歴史は単直線的に進化すると考えたのだが、これは彼の独創ではなくその当時のヨーロッパ人の共通の認識でもあった。この考えはつい最近までのヨーロッパの歴史においては、その通りといっても良いかもしれない。少なくとも2000年程度の長いサイクルでは通用しているように見える。しかしこれからは判らない。ヨーロッパ(アメリカも含め)の歴史は新しいサイクルに入っていると考えられる。
 アジア、特に中国・目本では、ヨーロッパよりずっと短いサイクルで歴史が繰り返されている。中国では大体300〜400年毎に同じことを繰り返している。その間変わったのは皇帝の顔だけで、社会構造の本質は驚くべき事に4000年間なにも変わっていない。
 日本の場合も250〜300年毎に同じことを繰り返しているので、一見中国と似ている様にみえるが、実はその中で一定の進化の法則性が見える点が異なる。図1は日本の歴史を、あるサイクルで区切ったときの、1サイクルで見られる共通現象をまとめたものである。
 サイクルの区切りは従来の時代区切りを基にしているが、これはそれなりに意味を持つ。何故なら1サイクル(時代区切り)の中に、ある共通のステージが見られるからである。ここで、採り上げているのは「平安時代」以降であるが、おそらくそれ以前の時代にもこの方式は適用できるだろう。又、「鎌倉」、「室町」は通史では別の時代に区分されているが、本質は変わらないので一連の時代と考える。
 まず、1サイクルは次の5ステージに区分出来る。
     (1)初期興隆期
     (2)前期動乱期
     (3)中期興隆期
      (腐敗亜期)
     (4)後期衰退期
     (5)末期混乱期
(1)初期興隆期
 前時代を否定した革命直後の時期で、気風は武断的・男性的であり理性が支配する時期である。この時期の特徴は
@新しい法制度が整備される(平安初期の延喜式、鎌倉初期の式目、江戸初期の諸法度、明治の法律・憲法)。
A外国の知識・文化が積極的に導入される(平安初期の密教、鎌倉初期の朱子学、明治期の欧米文化の導入)。
 革命の気分が全国に行き渡り、当に新しい時代が始まったと感得出来る時期である。
(2)前期動乱期
 ところが革命気分も何時までも続かない。革命には反動がつきもので、辺境での反乱や、内部での反革命運動が発生する。場合によっては外国との闘争も発生する。平安初期の奥州動乱、鎌倉初期の諸紛争、島原の乱・慶安の変・西南戦争などがその例に当たる。また、内政的には「三代目にはなんとやら」で、革命主体はいつの間にか骨抜きになり、実力者や官寮が跋扈するようになる。政治は官僚化が進み革命の意義は形骸化する。従って、実はこの時期には、その時代が既に衰退期に入ったと見れぬ事もない。しかし、何とかこの時期を切り抜けると次の繁栄期にたどり着く。
(3)中期興隆期
 この時期では目本は経済的に繁栄する。これには2つのタイプがある。一つは徳川吉宗のように、徹底した政治改革とデフレ政策で幕府財政を建て直し、その結果需要が増えて経済が成長する例と、平安時代中期の藤原氏の繁栄や室町初期の繁栄のような、一種のバブル経済の例である。いずれにしても歴史の教科書では「中興期」とされる。内政的には安定し経済は潤う。しかし、これは次の衰退期の準備に過ぎない。
(4)後期衰退期
 再び政治は官僚化が進み、政治家はひたすら権力維持にのみ躍起となる。民心は離反し社会・経済的にも混迷化が進む。この時期に大きな騒擾事件が起こり(平安期の保元・平治動乱、室町期の応仁の乱、江戸期の大塩平八郎の乱)、その結果政治家は統治能力を失い、時代は一気に動乱の時代へと進む。一方、民間ではこの時期には、次の革命のための様々な思想が現れる。しかし、思想も革命勢力も一本化されておらず、彼ら同志の対立もあってなかなか前進しない。いわば革命の発芽期のような時期である。
(5)末期混乱期
 既存政治の衰退は極度になり、もはや形を維持することがせいぜいになる。この間革命勢力の中にも離合集散はあるが、不必要な勢力は淘汰され次第に一本化される(無論腹の中での対立は隠されている)。
 最終的に旧勢力は駆逐(全面戦争のケースもあるがクーデターのケースもある)され、新しい時代に移行する。
 ここで面白いのは(3)中期興隆期と(4)後期衰退期の端境期に、汚職(権力の腐敗)が蔓延することである、平安中期「栄花物語」に謡われる藤原氏の繁栄は「売官」という汚職によるものである。室町期の銭ゲバ日野富子、江戸中期の田沼意次等実証例に事欠かない。
 つまり、(3)中期興隆期と(4)後期衰退期の間に、「腐敗亜期」というサブステージを入れて置かねばならない。一般に収賄側は時の権力者階級(滅亡階級)、贈賄側は次の時代の権力者又はその同調者になる例が多い。腐敗期が存在するかどうかは、その時代が(4)後期衰退期に入ったかどうかの判定基準になる。


3、歴史主体の階層性
 マルクスは歴史を担った階層(革命主体)は、中世以降、貴族・地主階級→ブルジョワジー階級→プロレタリア階級というように、上部階級から下部階級に移行すると考えた。つまり、歴史は直線的に進化する。
 中国の場合は北方騎馬民族を除けぱ、革命主体は一貫して農民(農民が流民化した盗賊)である。食糧生産メカニズムを杜会の基本構造と考えると、杜会構造上農民より下の階層はないから、結局同じことを繰り返さざるを得ないことになる。
 日本の場合はこれと異なり、ヨーロッパと似ておりマルクスモデルに当てはまるのである。各時代の歴史主体(権力者階層)の変化を見てみよう。
(1)平安時代
 平安時代は貴族政治の時代といわれる。確かに藤原氏が摂政関白を独占し、歴史記録にも藤原氏を中心としたことしか残っていない。しかし、藤原氏自身も大伴・物部・橘といった天皇家に直結する上流貴族を権謀術数で追い落として成り上がったにすぎない。つまり、この時代は下級貴族の時代といえる。
 しかし、後半は源氏・平家という武士階級に権力を譲り渡す事になる。武士が革命主体となる。
(2)鎌倉・室町時代
 鎌倉時代の権力主体は北条氏であったが、北条氏白身の立場は幕府執権にすぎない。幕府を支えていたものは関東源氏の名門達(武田、新田、足利等)である。北条氏も彼らの支持を得ていたときは権勢を振るえたが、一旦彼らに見放されるとあえなく壊滅してしまった。
 室町幕府を開いた足利氏は関東源氏の名門中の名門である。つまり、この時代は上級武士の時代といえる。
(3)江戸時代
 戦国動乱というジャパニーズスタンダードに基づく全国的リストラ騒動の過程で、旧時代の名門企業の多くは倒産し、最終的に天下を取ったのは徳川氏という得体のしれない地方企業である。しかし、徳川氏の出白は判らない。又、その後老中幕閣を構成した諾大名達も、先祖は誰だか判らないものが殆どである。前時代の名門大名達は、外様に追いやられて遂に権力を回復することは出来なかった。この時代は下級武士の時代といえる。
(4)明治以後
 この時代はもっとひどい。維新の元勲達の多くは、下士・郷士・足軽といった下層武士の出身である。武士と農民の中間にあって、税金の取り立てや公共事業の現場監督等の実務を担当してきた階層である。江戸時代の主流学問は朱子学で、実学は軽視され礼節のような虚学が重視される。実務官僚は人間扱いされなかったのである。維新により彼らが権力を握り、かれらに取り入った財閥達も実務オンリーでやってきた。
 学制改革で一般庶民も高級官僚に任用されるようになったが、彼らも実務一点張りである。つまり、この時代は実務家支配の時代ーテクノクラートの時代といえよう。
 これらの階層変化をみると、ある一定の法則があることが判る。
@主体階層は上級より次の階層に移行する。その逆もなく、階層間のギャップもない。
A次時代の主体は、その時代では身分が低くて表に出られないが、その陰で実力を蓄えており民衆の支持を得ている。
B既得権益に無関係である。
C時代が必要とする何らかの技術を持っている。
 ここで@〜Bについては特に説明の必要も無いと思われるのでCについて述べておこう。平安末期に実力を奪った源氏は武士だから武器の操作に巧みであったのは当たり前である。しかし、これは源氏の本質ではない。源氏はその名前から見て、古代の土木技術者集団が自立し武装化した集団と考えられる。又、その過程で金属鉱山開発のノウハウを、先住民から取得した可能性が極めて高い。この技術を用いて関東の貧困な農地を開拓し、且つ鉱山利権(金という富)を手に入れていったのである。元祖ゼネコンといって良いだろう。
 戦国動乱を勝ち抜いた下級武士達は、鉄砲という新兵器に習熟していたが、一方で流通経済というソフトウェアの吸収にも積極的であった。幕末志士達は(全部では無いが)、天皇制という抽象性を理解するセンスや、外国の言語・法律・技術を理解し利用するというソフトウェアを持っていた。明治以降の目本を支えた階層は当に実務家達である。彼らの武器は専門知識と情報とマニュアル(活宇)である。これらを自由白在に操って、あるときは日本を繁栄させ、ある時は利権を拡大した。つまり、時代にあった技術とは、時代と共にひたすら軽薄短小化の道を辿っているのである。

5、これからの時代
 明治以降の目本が新しいサイクルに入ったということは、これまで述べた各時代の諸特徴に照らして顕かと思われる。問題は現在がそのサイクルのどのステージにあるかの認識である。明治20年の憲法発布か、せいぜい目清戦争までが(1)初期興隆期にあたる。日露戦争期にはかなり官僚化が進んでいる徴候が見られる。(2)、(3)を何時までとするかは、かなり意見が分かれるように思われる。大正・昭和期には天皇親政という維新の大儀は形骸化し、官僚支配が強大になっていく。この点から第二次大戦終結までを(2)前期動乱期とし、昭和30年代後半の高度成長から平成バブルの間までを(3)中期興隆期、以後現在を(4)後期衰退期とすることが妥当な認定と考えられる。平成バブル期以降の官僚・金融汚職は当に腐敗亜期に相当する。
 となると、現在既に次の時代を担う革命主体が育っているはずである。ではそういう階層とは一体何なのか。次時代担当階層の必要資質は上に挙げた通りである。これに該当する階層として最初侯補に挙げたのは「ヤクザ」であったが、ヤクザ屋サンというのは大変なリアリストで、且つプラグマティストだから、政権担当のようなリスクの大きい仕事は請け負わない。権力に寄生して非合法利益を上げることしか考えないから、B非既得権益資格に該当しない。
 現在の杜会で身分が低くて表には出られないが、実力(金力)を持ち、且つ大衆の支持を集めている階層といえぱ「タレント」、「スポーツ選手」以外にない。彼らは原則として自前で稼いでおり、既得権益に無関係である。電波という武器を用いて大衆の感性に直接アピールするという技術を持っている。彼らが作るものは感動とかショック・笑いという形にならない価値である。究極の軽薄短小化である。
 そして今、時代が求めているものは当にタレントなのである。東京・大阪両知事選挙を見てみよう。東京都知事選有力立侯補者は全てプロのタレントではないが、なにがしかタレント性を持っている。明石氏はエリート外務官僚であるが、一般の人にとってはTVで見たカンボジャで活躍する明石代表を連想するであろう。不特定多数の一般ピープルにとって、顔と名前が(電波メディアを通じて)一致することは、立派なタレントの証拠である。大阪に至っては、タレント横山ノック侯補に対し共産党を除く既成政党は侯補者すら立てられない。
 なお、過去にもタレント議員は多く、タレント出身の大臣・次官が出たことがあるが、何ら実績を残し得ていない。だから、タレントは駄目だという人はいる。しかし、彼らは出身がタレントだというだけで、議員になった途端タレントを捨てて実務家になろうとし、その結果実務家に取り込められてしまった連中である。にわか実務家の限界の例証に過ぎない。むしろ、管直人の方がタレント性がある。(実務家のいう)後先のことを考えずAIDS間題を表に出し、世論の支持を得たのは立派なタレント流儀である。彼に比べれぱこれまでのタレント議員は度胸がない。度胸が無いということは実務家の証でもある。
 余談であるが、先日島根県ヘトンネルを見てくれといわれて現場まで行って来た。その時依頼者側の人間(多分島根県土木のOB)が「大阪府知事選でタレント侯補を支持するとは、大阪府民の見識を疑いますなあ」というものだから、「いやそうじゃない。今までが非道すぎた。中川という役人上がりが、ヤクザとつるんで府政を出鱈目にしたから、府民は役人や政治家を信用しとらんのや。少なくともノックなら悪いことはしよらんやろうということや。」といってやったが、このオジサンは全く時代の変化が読みとれない、実務家馬鹿の典型である。
 実務家の最後の砦である専門知識や情報の独占も、インターネットという情報拡散システムの普及により風前の灯火となってきた。この結果実務家達の持つ相対地位は低下し、早晩リストラの対象となる(既に始まっている)。

6、結論
 典型的な実務家とは戦前では軍部官僚であり、戦後は大蔵官僚・銀行家達である。前者はひたすら作戦要務令に従って"粛々と軍務をこなして"国を減ぼした。後者も又各種の通達・基準に従って"粛々と業務をこなして"国を滅ぼしたのである。いずれもマニュアルには極めて忠実であったが、肝心のマニュアルが時代遅れで独りよがりのものだから、世間に通用するはずがない。通用しないとなると、彼らは責任を投げ出して国民(又は杜員や預金者)に責任を転化する。
 要するに実務家の完敗である。つまり、旧時代を支えてきた実務家(と称する顔がはっきりしない、何をいっているのやらよく判らない存在)は衰退し、文章よりは言葉、言葉よりは表情・行動、論理よりは度胸・感性を優先するタレント・スポーツ選手(とそれに類似した人間)の時代(タレントクラシーの時代)に変わるであろう。従って、投資するならタレント、スポーツ選手ということだ。
 但し、彼らもいずれ腐敗するだろう。何故腐敗するのか。人間には腐敗因子というものがDNAに組み込まれているのか、それともユングのいう集合的無意識というものが作用するのか。その解明はこれからの課題である。


 では、タレントの次に登場するのは、果たしてどういう階層でしょうか?芸人より下で、しっかり稼いでいる階層と言えば、被差別民しかありません。無論、現代は建前上差別が撤廃されていますが、現実にはそれは生きている。江戸時代、ある事件をきっかけに歌舞伎役者(現代のタレントに置き換えられるだろう)は弾左右衛門支配を抜け出した。この辺りを詳しく述べると、大変長くなるのと、うっかりすると某団体から「差別だあ!」と糾弾されかねないので止めておきます(例えば、塩見鮮一郎の著書などを参照)。一方、なお、弾左右衛門支配を受けた階層は残っていた。弾左右衛門は26種の職業を支配していたとうそぶいている。無論これはハッタリであるが、江戸時代、20数種類もの賤業とされる職業があったのも事実である。これらは役者(タレント)の更に下の階層である。これがタレントの次の時代を支配する階層になると考えられる。
 その辺りを踏まえると、次々世代支配階層とは、易者・占い師・似非予言者・インチキ超能力者・インチキ宗教家の類と考えられます。まさかと思うでしょうが、現実にはその予兆という物が現れています。例えば、細木数子のようなインチキ占い師、ヒトラーのような似非予言者、麻原ショーコーのようなデタラメ宗教家が現れ、世紀末と永遠の救済を唱え、みんながそれを支持し、それを真実と考え、それに従う・・・従わない者は時代遅れとされて、つまはじきされる・・・世の中です。今後、形を変えた第二第三のオウム真理教が現れるでしょう。コイズミ郵政カイカクというペテン、コイズミ純一郎と言う稀代のトリックスターを支持するような国民だ。何があっても不思議ではない。その次はイヌ・猫といったペットを支配者とする、ペットクラシーの世界かもしれません。そして、日本は滅び、隣の何処かの国に支配されるでしょう。
(09/04/18)


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