北朝鮮の過去、現在、未来

 1988年9月17日、ソウルオリンピック開会式。この日、スウェーデン、オーストリア、ユーゴの中立国銀行団が、北朝鮮に対する追加融資を拒否する声明を出した、という新聞ベタ記事を覚えている人は一体幾ら居るでしょうか。この日を境に韓国は対外債務を一掃し、債権国となるのに対し、北朝鮮は破産宣告を突きつけられたのである。北朝鮮の経済的困難は既にその数年前から伝えられており、モラトリアム(債務支払い不能)発動は時間の問題とされていた。北朝鮮が麻薬密売や偽ドル札造りといった非合法経済への傾斜を深めるのは、概ねこの時期からである。何故こうなったかと言うかは北朝鮮国家の成立と、その後の国際政治の動きと無関係ではない。北朝鮮指導部が国際政治の動きの方向を見誤っただけである。現在全国最悪レベルの不良資産を抱える大阪府・大阪市の状況は、北朝鮮の経済破綻と非常によく似た構図を持っており、決して他人事ではないのである。

1、北朝鮮国家の成立
 1948年9月9日、朝鮮民主主義人民共和国樹立が宣言された。それに先立つ8月13日大韓民国樹立宣布式が挙行された。朝鮮半島二分化が事実上確立された瞬間である。何故こうなったかは日本の敗戦処理に関し、米ソ両国間の認識に齟齬があったためである。
 昭和20年1月、天皇の允栽を得た、昭和20年度帝国国防政策大綱では朝鮮半島防衛に関しては、概ね38度線を境に、北は関東軍、南は大本営の管轄となすとされた。同年7月のポツダム宣言では、連合国は日本に対し、無条件降伏を求めると同時に、在外日本軍は交戦地域に於ける各交戦国に降伏するものとされた。これは中国・東南アジア・太平洋地域ではあまり問題はない。即ち中国本土では中国軍に、東南アジアでは英豪軍に、太平洋地域ではアメリカ軍に降伏すれば良いからである。ところが満州・朝鮮地域は交戦の空白地帯だったのである。ついでに言えば、千島・樺太地域もそうである。逆に言えば、非交戦地域があれば、そこに強引に交戦状態を作れば、その地域を占領出来る。これに目をつけたのがスターリンだったが、米英中は全くそれに気が付かなかった。45年8月9日、ソ連軍は突如ソ満国境を破り三方から満州に侵入した。同時に樺太・千島方面でもソ連軍が侵入した。交戦地域の創出である。満州方面のソ連軍はほぼ一週間で満州全土を制圧し、9月には更に南進して38度線以北を占領してしまった。ソ連にとっての交戦の相手は関東軍であり、関東軍の支配地域が38゜線以北だから、そこまでは占領の権利があるというわけである(何故ソ連が前述の帝国国防政策大綱の内容を知り得たかは謎である。それまで日本はソ連を仲介に対英米和平交渉を進めようとしていた。その過程で、外務省筋から漏れたとすれば、大失態である)。更に金日成という朝鮮人指導者を担ぎ出して、朝鮮ソビエトの成立などの宣伝を派手にやりだした。翌46年2月8日には金日成を主席とする臨時人民委員会が成立する。これに驚いたアメリカは慌てて南部に部隊を派遣し、ソ連の動きを牽制すると共に、北側の動きに呼応するかのように46年2月14日に、アメリカ亡命中だった李承晩を首班とする大韓民国代表民主議院を作った。このように朝韓両国の成立は、日本降伏後の極東アジア処理について、連合国内で意志が統一されていなかったことに起因することが判る。それはアメリカが極東地区のソ連の脅威について、余りにもナイーブ(鈍感という意味)だったからである。これらの臨時行政組織が後の南北両政府に移行してしまったのである。
 では、南北両朝鮮の建国に携わった二人はどういう人物だっただろう。金日成は生年不明。実は金日成と呼ばれる人物は複数いて、朝鮮労働党主席金日成は、抗日の英雄金日成将軍とは別物だという説がある。それはさておき、キムジョンイルの父イルソンは、戦前から朝鮮北部で抗日パルチザン活動をやっていたのは事実らしい。昭和17年、日満合同軍警による討伐で、キムイルソン一派はソ連領内に逃げ込んだ。そこで困ったのはソ連極東州当局。下手に扱うと日本とのトラブルを招きかねない。ソ連本国は今や「大祖国戦争」の真っ最中。うっかりしたことは出来ない。そこで中央にお伺いを立てると、意外にもモスクワに連れてこいという返事。そこで彼らはモスクワに送られ、そこで共産主義洗脳教育を受け・・・このことは、キムイルソン等は、それまでまともな社会主義教育を受けていなかったと言うことだ・・・赤軍の一部に編入されることになった。その後、キムイルソン率いる朝鮮人部隊はスターリングラード戦に参加し、更に対独戦に従事し、45年6月ドイツの降伏と共に極東に送られ、対日戦に従事する。キムイルソンは日本降伏と同時に朝鮮に帰還し、ソ連の軍事力をバックに北朝鮮の政治指導者に祀り上げられることになる。
 一方の李承晩は1875年産まれ、旧朝鮮王国両班出身。強烈な反日主義者にして反共主義者、熱心なカトリック(婦人のフランチェスカはオーストリア人)。日本の朝鮮統治開始以来反日活動を続け、日本軍に幾度となく捉えられ、憲兵の拷問にも屈せずアメリカに亡命して朝鮮独立を主張し続ける。アメリカが何故李承晩を担ぎ出したかというと、19〜20世紀にかけての東アジアでは、アメリカは日本と中国本国には大変興味を持っていたが、満州と朝鮮にはどうも関心がなかったように見受けられることが挙げられる。つまり、アメリカは朝鮮の指導層にはコネがなかったのである。唯一のパイプがアメリカに亡命していた李承晩。政治能力は無いが、反共的でキリスト教徒、英語が喋れるという点だけがアメリカにとってメリットだったというわけ。ところが、李承晩の権力基盤である両班勢力は日本統治時代にほぼ絶滅してしまい、残っているのは日本の教育を受けた世代。彼らにとって李承晩とは救国の英雄ではなく、祖国を見捨てた裏切り者にしか映らない。李承晩も又、朝鮮にコネが無かったのである。彼にとって、権力の源泉はアメリカの支持と支援しかない。こういう状況に韓国特有の郷党主義、閥族主義が加われば、発生するのは独裁とネポテズムと腐敗しかない。事実そうなったのである。
 
2、朝鮮戦争と中ソ対立、中国文化大革命
 1949年11月、モスクワでスターリン、毛沢東、キムイルソン三者会談が行われ、ここでイルソンは韓国政府の腐敗と韓国社会の混乱を根拠に、一挙南進赤化統一を主張した。フルシチョフ回顧録によれば、ここで毛沢東は反対したがスターリンが黙っていたので、イルソンはそれをДаと勘違いして南進に踏み切った事になっている。しかし実態は、南進に積極賛成したのは大陸解放に成功して舞い上がっていた毛沢東で、スターリンの立場はНиетだった。ところが年が明けると状況は反転し、翌年2月再び会談が開かれると、スターリンの方がむしろ積極的になり、毛沢東が弱気になった。この理由はソ連が国連安保常任理事国の立場を利用して、アメリカ始め西側各国の動きを詳細に察知していたためである。毛沢東が弱気になったのは、彼は”日本軍”の介入を本気で恐れていたためである(ソ連宛毛沢東書簡)。結局1950年4月に予定されている在韓米軍の日本撤退をチャンスとして南進が決定された。1950/06/25北鮮軍は38゜線を突破する。たちまちソウルは陥落し、李承晩は市民を見捨てて逃げ出す。8月には北鮮軍は朝鮮半島南端に達し、米韓軍は釜山橋頭堡にまで追い込まれる始末。連合軍総司令官マッカーサーは前線を視察して反攻を計画する。09/19米軍は仁川に上陸。この頃には、北鮮軍は補給線が延びきり、継戦が困難な状況になっていた。米軍はソウル奪還と北鮮軍の背後を遮断する様子を見せる。このため、北鮮軍前線は壊乱し、米韓軍は全面反攻に打って出、ソウルを奪還し、更にピョンヤンを奪取し、10月にはアメリカ第三海兵師団が鴨緑江を見下ろす地点まで進出した。これに対し中国は全面介入を決定し、10/25林彪指揮下の中国人民義勇軍が鴨緑江を渡河し、米韓軍前線に浸透し半島を南下する。これ以降、共産軍の主体は中国軍が取って代わった。再びソウルは占領され、米韓軍は半島南部に追いつめられる。これに対し、米軍は北朝鮮内部に戦略爆撃を実施し、兵力を増強して再び共産軍を38゜線まで押し返す。共産軍は51年春の春期攻勢で一気に米韓軍を追いつめようとしたが、莫大な砲爆撃の前に計画は頓挫し、以後38゜線を挟んで共産軍対国連軍の戦線膠着状態が53年まで続くのである。状況が変化したのが53年のスターリン死去。これを好機としてスターリンの側近ベリアが後継の地位を狙うが、フルシチョフ、マレンコフらの反撃により失脚し、逮捕処刑されてしまう。この結果ブルガーニン、マレンコフ、フルシチョフによる集団指導体制(いわゆるトロイカ体制)が成立した。朝鮮半島での戦争状態も急速に収束に向かい、53/07/10朝鮮休戦協定が成立する。しかし、これは38゜線国境と南北両国家の並立・対立を固定しただけに過ぎなかった。
 さて、ソ連国内では又別の変化が起こった。56年2月のソ連共産党第20回党大会秘密会でフルシチョフはスターリン批判を非公式に行う。57年7月中央委員会でマレンコフ、モロトフが解任され、翌58年3月にはフルシチョフが党第一書記に加えて首相を兼任し、独裁体制を確立する。これ以後ソ連は緊張緩和、平和共存(いわゆる雪解け政策)を打ち出し、西側に揺さぶりを掛けてくるのである。この動きを社会主義の後退、ソ連の民主化容認と早とちりした慌て者がいた。それがハンガリーである。56年10月、ハンガリーで民主派による反乱が発生、共産党政府を追い出して親西欧派のカダル政権が成立した。フルシチョフはソ連国内のスターリン派は追放したが、東欧勢力圏での鉄の規律を緩めるつもりはない。直ちにハンガリー全土を軍事制圧し、反乱主導者を逮捕し、カダルを処刑してしまった。それは別にしても、58年以降のソ連の変節に世界中の左翼は衝撃を受け、分裂と混乱が始まった。日本の共産党でも、これをきっかけに合法革命説を主張する宮憲主流派対世界同時革命を主張する反主流派との対立分裂が始まった。後者は大衆動員を主とし、非合法手段も容認する路線で、これが60年安保闘争を指導したが、60年安保の総括を巡って宮憲主流派との抗争に敗れ共産党を除名された。彼らはその後革命的共産主義者同盟(いわゆるブント)を結成し、67年に「新左翼」を結成し、日本の極左革命闘争を主導するのである(1)。
 ソ連の路線変更に最も衝撃をうけたのは中国である。中国は朝鮮戦争で数10万とも100万とも言われる犠牲を出した。それほどのことまでして守ろうとしたのは国際共産主義の連帯、革命の大義のはずである。ところが友党ソ連共産党はそれをいともあっさり捨て去り、憎むべき資本主義陣営、堕落した民主主義国家との共存の道を選んだのである。「ふざけるんじゃない!」というのが毛沢東の本音だろう。ここからいわゆる中ソ対立が始まる。中国はソ連を修正主義、社会帝国主義と呼び、以後第三国での民族解放闘争、資本主義国での革命闘争支援にシフトする。反対にソ連は中国を極左過激主義と呼び、中国に支援される極左集団をトロツキストと呼んで、互いに仇敵同士としていがみ合うのである。中国はそれまでソ連をモデルとして国造りを行ってきたが、これ以後「ソ連は当てに出来ん、自分でやる」というわけで自力更生路線に踏み切り、大躍進政策を採ることになる(1958)。ところがこれが大失敗。一説によれば1000万とも2000万とも言われる餓死者を出す。この結果、毛沢東は自己批判を迫られ、国家主席の地位を追われ、党主席として上海に引きこもる。1964年「海瑞罷官」という論文(著者;毛沢東)が公になり、以後10数年に及ぶ中国文化大革命が始まるのである。文化大革命は私見によれば1970前後を境に大きく前後2期に分かれる。前期は紅衛兵に象徴される単純左翼造反運動の時期。左翼造反派対実権派走資派との抗争時代。劉少奇、澎徳壊、燈少平らが失脚。後期は、江青ら四人組が実権を握った時期。この時期は実は前期の反動の時代で、紅衛兵を始めとする前期の活動家は弾圧され下放の憂き目を見る。現在の中国共産党指導部の多くはこの時期の経験者である・・・この点を日本人の多く、特に自民党保守派はわきまえていない。この時期に毛沢東の個人崇拝、神格化が進んだことに注目すべきである。1976年9月毛沢東の死と共に文化大革命は急速に収束する。その前の8月には四人組による奪権が企てられたが、解放軍の反撃に合い、四人組は失脚。その後林彪はソ連脱出を試みるがモンゴル上空で爆死(一説ではソ連軍が撃墜したとも言われる)、他の三人は逮捕された。77年走資派の頭目燈小平が復活し、近代化路線が始まる。これはその後改革解放路線と名を変え、社会主義市場経済という訳の判らないモンスターに変身したのである。
 ではその間北朝鮮はどうだったのか?残念ながら北朝鮮についての詳しい情報は殆ど無いと言うに等しい。ただ間違い無いのは、中ソ対立がこの国にも深刻な影響を及ぼしたであろうということだけである。これは北朝鮮だけではなく、旧ソ連ブロックの国々にも影響を及ぼした。東欧を中心に国内的には社会主義路線を採るが、国際的には中ソと距離を置くという国が現れた。旧ユーゴやルーマニアがそれである。北朝鮮もこれに倣って独自路線を採るようになる。つまり、中ソ対立以後、北朝鮮は国際政治の中では共産ブロックの一つではなく、中立国と見なされるようになったのである。

(1)67年頃から日本の左翼運動特に学生運動は70年安保闘争モードに入る。しかし、実際の70年安保闘争は68年10.21国際反戦デーで終了したとみるべきである。一昨年の秋、JR高槻駅前歩道橋で、同年輩らしいオッサンにビラを渡され、それに「10.21国際反戦集会に参加しよう!」などとあったので、驚きあきれてそのオッサンに「こんなもの未だやってるのか!?」と聞いたら「やってますよ」という返事。殆ど絶滅危惧種のようなもんだ。この後の学生運動は概ね学園紛争にシフトする。その終末種が東大紛争である。しかしこれら学園紛争は最早70年安保とは無縁の日本版文化大革命のようなものである。本場の中国では、文革派の頂点に毛沢東というカリスマがあり、毛沢東思想という統一指導テーゼ、毛沢東語録というテクストがあった。それでも内部では、穏健派対急進派、地域派閥等が主導権争いで分裂混乱していたのである。まして、日本版文革には統一指導者や統一思想があったわけではない。従って、各派の対立抗争は激しく分裂混迷の度を深める。しかも、この時期に各派分裂抗争の隙を狙って、ソ連や北朝鮮が日本の左翼運動に介入し、テロ活動をそそのかしていたのではないかと疑われるフシがある(11)。淀号ハイジャック事件や浅連合赤軍事件などは、ボッチャン育ちの活動家達が、彼らのそそのかしを真に受けたためではないだろうか?70年代初期にはキムジョンイルは30代そこそこ。既に党の宣伝扇動工作部門責任者のポストについている。朝鮮総連を媒介に、日本の極左過激派運動に影響を与えていた可能性は十分考えられる。しかし、当時の日本の公安や情報関係者で、キムジョンイルをマークしていた人間は、果たしてどれだけいただろう。同じ時期、ジョンイルは海の向こうから日本をじっくり観察し、研究していたのだ。一方、日本側は全くのノーマーク。これでは勝負にならない。

(11);その理由は当時の過激派資金の潤沢さである。彼らの活動費は一体どこから来ていたのだろうか?それは今の右翼と裏腹の関係がある。数年前、京都外環道路の関係で、長岡京市西部での土工、トンネル抗口計画部を点検調査したことがある。打ちっ放しゴルフ場裏の崖に大阪層群の撓曲が見えたので、近づいてみると、手前に右翼の街宣が止まっていて、その胴体に「環境を守れ!」と大書してあったのに驚いた。環境保護は左翼の独占と思っていたのに、何故右翼が?である。しかし考えてみると、政府環境予算→保守系環境族議員→自民党系環境企業(団体) →同和系右翼という資金の流れは十分にあり得るのだ。

3、キムジョンイル体制と北朝鮮

 日本はよく、10年遅れてアメリカの真似をする、と言われる。それと同じで、北朝鮮も又、10年遅れて中国の真似をする、と筆者は考えている。日本の朝鮮植民地統治時代、鉱工業投資は北部が中心で、例えば平壌炭田、ウオンサンコンビナート、鴨緑江水力開発などが行われた。敗戦で日本はこれらの資産をそのまま残して撤退した。つまり、北朝鮮は日本が建設した社会インフラをそっくり手つかずで受け継いだのである。一方南部は、一部の港湾整備や鉄道敷設を除けば概ね農業地帯のままだった。おまけにこれを引き継いだ李承晩腐敗独裁政権は、アメリカの援助だけを頼りに、社会インフラ整備は全くてを付けようとしなかった。従って、朝鮮戦争が始まるまでは、工業生産力は北の方が遙かに上だったのである。これがキムイルソンをして、南侵に駆り立てた原因だったかもしれない。ところが戦争で北の社会インフラの殆どは破壊されてしまった。戦後は一からやり直しである。当然ソ連・中国の援助をあてにする。その両国が対立し、喧嘩を始めるのである。地理的にも両者に挟まれた弱小国北朝鮮としては、どちらに組みするわけにもいかない。中立国として独自路線を行かねばならない。
 折から韓国では李承晩政権が倒れ(1960)、ゴタゴタの後パクチョンヒ軍事独裁政権が成立した(1961)。パク政権は日本と日韓条約を結ぶ(1964)。これにより韓国版高度成長が始まるのである。これを横目で見ていた北朝鮮は何を考えたか、60年代の終わりか、70年代の始め頃に千里馬(チョンリマ)運動というものを始める。北朝鮮版大躍進政策である。ところがこれも本家の大躍進と同様、大失敗に終わってしまう。共通の理由として挙げられるものは、@生産にシフトし過ぎて、製品を消費する市場の形成を怠った、A生産が鉱業や鉄などの素材に偏ったため、消費者のニーズに合わなかった、B消費者を無視した計画生産であったため、商品の質が悪く、国際競争力がなく在庫が増えるのみだった。唯一競争力があったのが武器産業か?当時、共産圏「にはコメコンという経済協力機構があったが、これがまともに機能しなかったのだろう。
 実はこれらの内幾つかが、大阪府市の財政悪化と共通しているのである。大阪も高度成長期には鉄鋼その他の素材産業・・・いわゆる重厚長大産業・・・に産業政策をシフトした。しかし、その当時は国策とも一致した・・・つまり、資本主義的計画経済・・・し、製品の売れ先は公共事業により政府保障が付いていたようなものである。円高不況で一時低迷したが、後のバブル期に再びこのDNAが復活したのである。関空を始めとする開発と言う名の土地切り売り、目的もよく判らない・・・ということは消費者無視の・・・ハコモノ造り。これを主導していたのが府市である。こういう事にうつつを抜かしていたばかりに、バブル崩壊と同時にそれらが皆在庫と言う名の不良資産として残ってしまった。その結果、ハイテクとか情報といった次世代産業に、すっかり取り残されてしまったのである。経済感覚の無さという点で、大阪府市は日本版北朝鮮といって良いだろう。
 千里馬運動の結果として北朝鮮に残ったものは莫大な対外債務である(大阪府市も同じ。赤字三セクを抱えて右往左往)。中国は経済的には事実上鎖国状態だったので、大躍進も自前でやった。だから失敗しても、国内的には政治経済不安は発生するが、対外債務は発生しない。一方、北朝鮮は経済発展を外国からの借金で賄おうとしたのである。ところが幾らモノを作ってもいっこうに売れないから、溜まるのは赤字と借金だけ。これが、冒頭であげたモラトリアムとか、外国銀行の追加融資停止に繋がるのである。問題はこの千里馬運動を主導したのが誰か?と言うことだが、実はよく判らない。ジョンイルの可能性も勿論あるが、ジョンイルが中心になって行ったのは、その後の後始末では無いかと思われる。彼が政治の実権を引き継いだ80年代では、ソ連中国ともに既に市場経済原理を受け入れはじめていた。唯一の輸出先からも閉め出されかねなかったのである。こういう状況下で対外債務を支払うために考え出されたのが、ミサイルを始めとする武器輸出と、偽ドル札造りを始めとする非合法経済だったのだろう。
 中国では文化大革命の後半に、毛沢東の神格化、個人崇拝が行われる。実はこれは江青ら四人組が自己への権力集中を確立するための隠れ蓑だったのだが。北朝鮮でも80年代に、主体(チュチェ)運動という一種の文化大革命のようなものが、政府主導(これが中国と違うところ)で始まり、その中でキムイルソンの神格化、個人崇拝が進められる。主体(チュチェ)運動そのものは、千里馬運動の失敗で、政府や国民世論の中に混乱が生じたので、これを収拾整理するために始められたものだろうが、途中でキムイルソン個人崇拝に変身させられてしまったのである。その後の北朝鮮経済の崩壊過程は既にTVメデイアで散々報道されているので、今更言うまでもないだろう。この時期にキムジョンイルが党・政府の実権を掌握するようになる。イルソンの神格化はその為に必要な儀式であり、自己の権力を正当化するための手段でもある。父親の死で、国際舞台にジョンイルが登場することになる。父から子への権力委譲はそれほど簡単ではなかったように思われる。と言うのは党・政府のトップの座は直ぐに手に入れられたが、党軍事委員長ポストまではかなり時間が空いていたし、全軍の閲兵までも時間が空いていたからである。と言うことは、例え独裁者の息子で、独裁者が後継に指名していたとしても、党・政・軍はそれぞれ別組織で、それぞれの支持を得なければ容易に独裁者にはなれないことを意味する。しかしこれは、スターリン以来旧ソ連での権力交替劇で常に見られたことであり、別に珍しい事ではない。現在でもシリアがそうだったし、将来はカザフスタンやタジキスタンで同じ事が繰り返されるだろう。つまり、現在の北朝鮮国家権力体制はキムジョンイル独裁といっても、朝鮮労働党、共和国政府(特に情報機関)、朝鮮人民軍三者のバランスの上に立っている訳で、これらの権力バランスが崩れれば、簡単に崩壊する可能性を持っていると考えるべきである。逆に言えば、仮にキムジョンイル体制が崩壊したところで、これら三権力が、あるいはその内の一つが体制変更を望まなければ、現在と大して変わらない(変わるのは主人だけ)体制が継続するのである。その中でも特に重要な要素は軍である。従って、今後の北朝鮮情勢を考える上では、キムジョンイル個人の動向だけではなく(日本人、特にマスコミはジョンイル個人に注意を向けすぎである)、朝鮮人民軍の動きに注目する必要がある。
 90年代中国は社会主義市場経済という意味不明のスローガンの下、改革解放体制に移行し、空前の経済成長を遂げる。横で見ているキムジョンイルも羨ましくてならない。我が国もああいう風にならねば、と思い改革解放政策を訴えるのだが、いかんせん党も軍部も政府も、永年の硬直した官僚制と特権にどっぷり浸かってしまって言うことをきかない。今一番焦っているのがジョンイルだろう。

4、朝鮮半島の将来と日本の安全保障
 朝鮮半島は現在南北に二分されているが、将来は統一されるだろう。戦後、大国の都合で分断された同一民族国家は、ドイツ、ベトナム、朝鮮の三カ国であるが、このうち二ヶ国は既に統一を果たしている。残るは朝鮮のみである。だから、いずれ統一されるのは歴史的必然である。と言うより、エントロピー増大の法則により統一し、均質化するのは物理法則の予言するところである。問題はそれが1)何時どの様にして、2)統一後はどういう国家が形成されるのか、その国家が日本にとって友好的であるかどうか、という点について、不確定要素が多く、関係各国の目論みもバラバラだということ。更に問題なのは、この影響を最も直接的に受ける日本の国民・政府・政治家が、この問題についてナイーブで具体的なイメージを持ち得ていないということだ。
 朝鮮半島が日本の安全にとっての生命線であることは、明治以来何も変わっていない。日清・日露の両戦争は朝鮮半島の・・・日本にとっての・・・安定維持を目的として行われたものである。敗戦で、日本は朝鮮半島に影響力を及ぼせなくなったが、変わりに朝鮮半島が南北に分かれて互いに対立してくれた。そのおかげで、日本は安全保障に大した経費を使わず、経済発展に専念出来たのである。よく日本の経済発展を支えたのは日米安保条約と云われる。確かにその一面もあるが、それだけではない。日米以外に韓米安保条約もあるし、何よりも強烈な反日民族である朝鮮民族が分裂してくれていて、日本どころではない状態が続いたのが大きいのである。ものの順序として上記2テーマについてどういう可能性があるか、を検討してみよう。
1)何時どの様にして
 南北統一が何時行われるかは、どういう統一モデルを考えるかによって大きく異なってくる。これについては、筆者自身なんら具体的なデータを持ち合わせていない(持っていてもそれを使いこなせない人間が大部分)ので、考えられるケースを幾つか仮定して、統一モデルを検討してみよう。まず、北朝鮮による南侵、或いは米韓軍の北進による軍事統一は、今のところ実現性は薄い(全くない訳ではない)ので、これは除外する。非軍事的統一でも簡単ではなく、おそらく何段階かを経て、やっと実現出来るようなものだろう。大まかには次のようなプロセスが考えられる。
        (1)第1段階・・・・キムジョンイル独裁体制の崩壊
        (2)第2段階・・・・統一準備政権の誕生?
        (3)第3段階・・・・統一交渉?
 無論これは上手く行った場合の話しで、(2)以下は全く海のものとも山のものとも判らない。

(1)第1段階・・・・キムジョンイル独裁体制の崩壊
 一番考えやすいのは、現在のキムジョンイル独裁体制に何らかの変化が生じた時、ある動きが出るのではないかという期待である。これはジョンイルの後継問題にも関わるが、ジョンイルは既に後継者は世襲ではない、と中国に伝え、中国もそれを了承したと云われる(筆者はそれ以前に、ジョンイル自身が三人の息子達を見限ったと考えている)。ジョンイルに”何か”あったとき・・・それは早ければ5年以内に発生する・・・北朝鮮に政権の受け皿が必要になる。その”何か”の中身だが、一つはジョンイル自身の健康問題であり、もう一つは軍部によるクーデターである。
@ジョンイルが自然死したとき
 ジョンイルは糖尿で、おまけに心臓に爆弾を抱えている。何時”何か”が起こっても不思議ではない。この場合は、息子達が後継者にならないし、キム一族以外の有力者の存在も見あたらない。従って、とりあえずは党・政による集団指導型暫定政権が誕生するだろう。問題はこれが軍部の支持を得ているか否かである。もし得ていなければ、これは非常に不安定な政権であり、軍部クーデターで崩壊するか、内部分裂を起こすだろう。この過程で、強力で現実的な政権が産まれれば、次の第2段階に移ることが出来る。
Aクーデターにより崩壊したとき
 (@)ジョンイルが今の先軍政治を止め、民生に政治の中心を移し、軍の利権が削減されたとき、(A)アメリカに対し過度な譲歩を行ったとき、(B)ジョンイルが急死したが次期政権の受け皿が出来ていなかったときのいずれかに、軍によるクーデターが発生する可能性がある。これにより、政体は個人独裁から軍部独裁体制に移行する。但し、これまでの支配体制の中で、軍の中の実力者は排除されてきているはずなので、ドングリの背比べ。軍事評議会か何かのの集団指導体制。しかし過去の歴史を見ても、こんなのが長続きした試しがない。必ず仲間割れを起こし、クーデターに次ぐクーデター。結局は@に収束するだろう。
 以上はおそらく中韓が考えていると思われる現実的シナリオである。これら以外に経済の破綻により民衆が暴動を起こし、それに政府・軍の一部が加わって政権崩壊に至る、というシナリオもある。ジョンイル一族は海外に逃亡し、日米が支持する民主暫定政権が誕生する。これはアメリカや日本保守派が考えているシナリオだ。しかし一歩間違えれば大混乱になり、大量の難民の発生、最悪は内戦になりかねない。中韓露が絶対に受け入れられないシナリオでもある。また、仮に民主暫定政権が出来たとしても、政権運営の経験が無いから、たちまち分裂混乱に陥るのは目に見えている、そこでやっぱり出てくるのが、軍によるクーデターである。結局はこれも(1)に収束する。

(2)第2段階・・・・統一準備政権の誕生
 どのケースでも、一時的にせよ軍部独裁政権が誕生するのは避けられないという予測である。上で述べたように、軍事政権が長続きすることはない。しかし政府、党、軍の中の現実勢力が・・・外国の支援を受けて・・・主導権を取れれば、統一準備政権が誕生する可能性はある。特に軍の既存利権を保障すれば一気に問題が解決する可能性はある。又、幾つかの紆余曲折はあるにせよ、最終的には現実政権に収束するだろう。但しこの政権に過度な期待・・・言い換えれば過度な任務の押しつけ・・・を寄せてはならない。今のイラクの混乱は、大して力もないマリキ政権に、アメリカが性急な民主化(という期待)を押しつけたからである。無論、日本がこの政権に何の注文を付けてもならないのは当たり前である。

(3)第3段階・・・・統一交渉
 北に統一準備政権が出来たとして、解決しなければならない問題が沢山ある。これをクリアーしなければ、形だけの統一など絵に描いた餅で、解決を謝れば、朝鮮半島は再び分裂してしまうだろう。
@北朝鮮人民の新国家での位置づけの確定。戸籍、権利、財産の保全。生命・安全の保障。
A北朝鮮国土、インフラ、生産設備の保全と処理。これは統一直後の北朝鮮域内でのインフレ発生予防、環境対策にとって重要。
B統一で発生する北朝鮮失業者の吸収対策。特に北朝鮮人民軍兵士の処理。
C北朝鮮資産の確定と処理。特に対外債務の処理。キムジョンイル一族他党幹部私有財産の処理。
D北朝鮮人民軍が保有している兵器、特に核施設、核兵器、飛翔兵器の処理。
 要するに、必要なことは、まず北朝鮮側を安心させることであり、周辺諸国の権利・言い分は、二の次に置かなければならないということである。しかしながら、日米は優先順位をこの逆に置きたがるだろう。それに拘れば、新生統一朝鮮国家と日米との溝を深めるだけである。
 なお、100万とも云われる北朝鮮人民軍をどうするのか、を十分考えておかねばならない。そっくり韓国軍に編入すれば、150〜160万もの強力な軍事力が誕生する。しかもこれは核兵器を保有しているかもしれない。少なくとも核兵器を製造した経験を持つ。東アジアの軍事バランスが大きく崩れる。逆に人民軍を解体すれば、大量の失業者を発生する。しかも彼らは兵士として殺人・破壊の訓練を受けている。東欧・ソ連崩壊でも大量の軍人が失業した。彼らの多くは傭兵としてボスニアやアフリカに移ったり、犯罪組織に組み込まれ地域不安定要因になった。それと同じで、北朝鮮兵士の相当部分が中国やアジアの闇社会・犯罪組織に呑み込まれ、アジア全体の治安悪化要因になる可能性が高い。無論日本もその影響とは無関係ではない。
 又、一時的に統一特需でバブルが発生する。日本にも余波がやってきて、統一関連株が高騰するが、こんなものは直ぐに消えてしまうので有頂天にならないこと。

2)統一朝鮮国家と日本との関係
 以上のシナリオは、韓国が北朝鮮を吸収合併するということを前提としている。これ以外の前提はあり得ないと思うが、皆さんはどうでしょう?吸収合併段階でまず予想されることは、北朝鮮地域での物価高騰、失業の増加、役人の腐敗、治安の混乱。大事なことは、とりあえず韓国人・企業の北への移動・進出を禁止することです。野放図な進出は、必ず南北対立感情を復活させる。
 そのような試練を経て誕生する統一朝鮮国家とはどんな国家で、それは日本に対しどういう接し方をするだろうか?まず日本人が認識しなくてはならないことは、人口およそ7500万人、勤勉で優秀、且つ反日感情が強い国家が、海の向こうに誕生すると云うことである。経済的・技術的に大きなライバルである。
 もっと重要なことは、この国家とアメリカ・中国との関係である。日本との関係はその次の話題にしかならないだろう。結論的に云うと、統一国家は親中であることは間違いないが、アメリカに対しては、反米とまで行かなくても、一定の距離を置くと予想される。何しろ、全国民の1/3が強烈な反米教育を受けており、残りの2/3も必ずしも親米一編道とは云えないからである。では日本に対してはどうか?国際的評価では日本≒アメリカである。現在の朝鮮及び韓国の国民感情からみて、統一国家が反日・嫌日になっても親日になることは考えられない。と言うことは、実は将来の日本の安全保障は、日本対統一国家間の関係よりも、アメリカ対中国との関係で決まってしまうのである。従って、この問題は中国対米国との関係から考え直さなくてはならない。最近の世界史をさぼっている若者は、アメリカと中国はズーッと対立していたと思っているかもしれないが、アメリカが中国と直接関係を持ちだした19世紀末より今までの100年少々の間で、アメリカと中国が対立関係にあったのは、1949年の新中国の成立から1972年の米中国交回復までの23年間、ブッシュ政権が出来て今までの6年間、計およそ30年の間に過ぎない。前者はアイゼンハウワー政権下での中ソ封じ込め政策という特異な環境下、後者はジョージ・W・ブッシュという特異なキャラクター下での出来事である。政党別で云うと、民主党は概ね親中、共和党は反中の傾向がある(但し、これもこれまでの特異な環境がそうさせてきただけで、未来永劫そうだとは云えない)。つまり、アメリカが共和党政権下では米中関係は緊張するから、日本対統一国家の関係も緊張する。これまでは韓国が日中のバッファのような役割を果たしてきたが、そのような効果は最早期待出来ない。言い換えれば、38゜線が対馬海峡まで南下するような状態である。逆に民主党政権で米中が接近すれば、日本は無視されユーラシア大陸の端っこで孤立する。これが極端に云えば、4年ごとに繰り返すかもしれないのである。但し、共和党の反中は、中国=共産主義という思いこみから発生しているだけで、中国が共産主義を捨てればどうなるか判らない。だから将来の日本の安全保障を考える上では、今のような単純な対米追従一編道、対中強硬姿勢では埒が開かず、袋小路に入って国際的孤立になりかねない。隣に強力な統一朝鮮国家が成立することを視野に入れて政戦略を練らねばならないのである。

(拉致について)
 筆者はここでは「拉致問題」について一言も云っていない。何故なら、拉致問題は朝鮮半島状勢がどう変わろうと、解決しないと考えられるからである。その理由は「解決」をどういうレベルで捉えるかについて、日朝だけでなく日本国内でも意見が異なり、一本化していないからである。先日、山崎拓、加藤紘一らかつてのYKKの内、コイズミと袂を分かった二人が記者会見を開き、「解決をどう捉えるか、で話しは違ってくる」という発言をしていた。要するに、筆者がかつて指摘したように、現在の日本政府が設定した解決に要するハードル(@拉致被害者の即時帰国、A真相の解明、B責任者の処罰)が高すぎることが、解決を困難にしているということだ。仮に北朝鮮が崩壊し、南北統一がなされても、このハードルを越えることは出来ないだろう。何故なら、@統一の主役となる韓国が公式には拉致を認めていない、A拉致犯人と雖も、統一後は統一朝鮮国家国民である、それをみすみす他国に売り渡すことはしない、B従って、統一朝鮮国家は日本人拉致問題の捜査をしないだろうし、日本独自の捜査も認めないだろう、と考えられるからである。無論統一の混乱の中で、拉致被害者が発見され、保護されて、日本に帰国することはあり得る。しかし、A真相の解明、B責任者の処罰は有耶無耶で終わるだろう。(07/04/30)


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