市場主義経済の問題
                          技術士 横井和夫

 ノーベル経済学賞がアメリカ人2名に渡されましたが、誰も感激しない。テーマは契約と報酬との関係についての経済学らしい。簡単には経営者に対する報酬は、固定給が良いか歩合制が良いか、という話。だれでも歩合が良いというのに決まっている。
 昔の特に欧州型企業(日本もそうだが)は資本(株主)と経営との関係が必ずしも明確ではなく、株主の誰かが経営者になったり、日本では従業員の中からところてん式に社長にまでなRのもいた。その結果企業経営が甘くなり、成長率は鈍化し、日本・中国・韓国などのアジア系企業に市場を奪われることになった。これはイカン、なんとかせねば、というわけで思いついたのが資本と経営の分離。
 要するに経営者を株主から分けて、経営を請け負わせるやり方だ。この結果、社長・専務という昔からの肩書は消え、CEOだのCFOだのという横文字肩書が増えたのである。
 彼ら経営陣と株主を結ぶものが契約である。契約の中身は何か?というとそれは財務諸表の改善である。この傾向と合わせるかのように、国際企業会計基準(国際と云っても実態はアメリカ)が改訂され、経営側に有利となった。そして、どの会社も社業を忘れ、短期利益確保に血道をあげることになった。
 その結果が、経営者と一般市民との間のとてつもない収入格差である。アメリカの場合、人口の2%に過ぎないセレブが富の90%を所有しているといわれる。この値は、古代エジプト王国やローマ帝国のそれを上回るものである。ということでアメリカも、もう後はないということになるが、それ以上の格差を作っているのが中国。
 というわけで、現代世界は経済学的にはもはや末期状態。この状況を作るのを促進したのが、実は今回ノーベル賞を受賞した二人のアメリカ人である。
 ノーベル経済学賞は実はノーベル委員会がきめるものではなく、スウェーデン科学アカデミーが独自にきめるもので、近代経済学特に理論経済学に偏っているという批判は以前からある。数年前、ノーベルの曽孫にあたる人物が、経済学賞からノーベルの名を削除するよう求めたことがあった。これはもっともな話である。しかしアカデミーはそれを無視したままである。
(16/10/12)

 フィリピン大統領選で当初泡沫呼ばわりされたドウテルテ候補が圧勝。その理由は40年前のアキノ民主革命に対する不満の解消だ。あの革命はフィリピン民主化目的でもなんでもなく、フィリピン経済から日本を追い出すために、CIAとホワイトハウスが仕組んだ陰謀。当時のマルコス政権を支援していたのは日本政府。そしてマルコスをあれまで大きく育てたのは反米親中の田中角栄。という背景をみると、あの政変の裏に、反主流親米の岸・福田の影がちらつく。
 そして今回の政変。アキノ親米政権からの脱却となれば、フィリピンは再び親中反米路線に転換する可能性がある。確かマルコスの子供か孫だかも立候補していたはずだ。
 それは別として、もともと泡沫呼ばわりされていた人物が、あれよあれよという間に肥大化しモンスターとなってしまう例は過去にもみられる。例えば1932年ヒトラーはドイツ大統領選に立候補した。当初は泡沫扱いされたが、僅差でヒンデンブルグに迫った。翌33年総選挙でナチは地すべり的勝利を挙げ、念願の首班の地位を手に入れた。2008年大阪府知事選。全く注目されなかった橋した徹を誰かが担ぎ出して、あれよあれよという間に当選してしまった。そして今のアメリカ、トランプ旋風。まるっきりの泡沫候補がとうとう共和党大統領候補を確実なものにした。
 何故泡沫が本命になり、且つ権力を手に入れるのか?だれがその手助けをしたのか?彼らに共通しているのは、最大の支援者はマスコミだということです。ヒトラーは当時最先端のラジオを最大限に利用した。他の二人はテレビだ。ドテルテも同じだろう。
 彼らの共通点は・・・すでにいろいろ言われているが・・・まず大衆の不満をすくい上げて大衆の敵を作り、その敵をメデイアを通じてコテンパンにやっつけて、大衆の溜飲を下げると同時に支持を取り付ける。そして私に任せれば全て解決すると約束する。しかしその方法は具体的には言わない。非合法的手段や非現実てき政策も含まれるが、その点を詰問されればはぐらかす。つまり情報操作である。大衆はこの情報の間隙の中に、何かを期待してしまう。その結果が泡沫権力者の登場だ。
 しかし泡沫権力者は長続きしない。ヒトラーでも、実質的には33年の権力掌握から39年の開戦まで、たった6年間。橋したも大阪府知事だった3年間だけ。ブッシュとネオコンの天下もたった3年だった。
 つまり泡沫権力者の賞味期限はマスコミが大騒ぎしたり、大衆が期待する割には短く、せいぜい数年ということだ。そういえば我が国アベ首相も3年経って、いよいよ賞味期限切れの感だ。
(16/05/10)

 昨日国会で野党質問に対し、アベが「反知性主義とは何事か!」と激高。こういうように自分を否定・批判されるとむきになって反論するこそ反知性主義の現われなのである。
 「反知性主義」は最近よくマスコミに登場する情報アイテムである。「反知性主義」とはそもそも何か?。「反知性主義」があるからには、その反語として「知性主義」があるはずだ。知性・理性とは、人類が未開の段階を出て文明を手にした時以来、経験から獲得た後天的特質である。
 知性主義は基本的には、人間の本能的欲望を抑え、自分だけではなく共同体全体の規律を優先し、論理的に考え、その結論には従うというものである。この中からキリスト教や仏教といった論理宗教、更には民主主義という概念が生まれてきた。
 しかし知性主義は人間の本能・欲望を抑制するものだから、人間にとって窮屈なものである。例えば商売をするにも、共同体の運営にも様々な規制が加わってくる。だから個人にはフラストレーションが産まれ、社会にもストレスが蓄積する。これを解消するために、スポーツや芸能などの様々なガス抜き機構が生まれた。ガス抜きがこの程度で済めばよかったが、それで済まない場合には、革命や戦争という現象が現れる。
 ここから知性主義に対する反知性主義というものが生まれる。知性主義が大脳前頭葉の論理野から生まれたとすれば、反知性主義は小脳の活動野に起源があるだろう。つまり人間が持つ獣性である。これは旧くはネアンデルタール人に起源があり、ホモサピエンスはそれとの交配によって、ある特質を獲得した。それはユングの云う「集合無意識」と言うことになるだろう。この「集合無意識」は文明期以降、人間の意識の奥底に閉じ込められてきたが、ときとして目覚める。これが「反知性主義」なのである。
 以上のべたことから、「反知性主義」が後世に出来たあらゆる規制を拒否するのは当然である。当然考えは内向きになり、他の共同体との共存もときとして拒否する。過去の習慣・伝統を絶対視する、などの特徴がある。
 資本主義は、これまでのカトリックという知性主義に対するアンチテーゼとして発生した。それを支えたのは、規制を嫌うプロテスタンテイズムである。つまり資本主義は17〜18世紀に於ける反知性の代表だった。ところが19世紀に入り、資本主義の暴走が始まると社会的批判が高まり、抑制的な行動がもとめられるようになった。その代表がマックスウェーバーの「プロテスタンテイズムと資本主義」という著作である。この結果、伝統的資本主義は知性主義の代表になった。
 ところが1980年アメリカに誕生したレーガン政権は、この規制を打ち破ってしまった。レーガンこそが戦後アメリカの「反知性主義」のさきがけなのである。そしてアメリカの資本主義は何でもありのジャングル世界になった。この結果がリーマンショックなのである。
(続く)
(16/04/10)

 ソ連東欧崩壊の後、あるアメリカの歴史学者が「これで歴史は終わった」と述べた。彼は歴史とは諸勢力の対立によって生まれる変化と捉えていたのだろう。歴史上様々な勢力が生まれては消えしていたが、核という最終兵器を得た以上、最終勢力はアメリカとソ連となる。そのソ連がなくなったのだから、歴史を動かす原動力がなくなり、結局歴史は停止することになる。
 しかし筆者はそれからまもなく、むしろ歴史は逆転していると考えた。その切っ掛けは何か忘れたが、ソ連崩壊後の西側資本の急速な東欧への進出、或いは新自由主義と称するあからさまな金融帝国主義が、19世紀の植民地主義とダブったからかも知れない。
 新自由主義経済を背景にした西側資本が中世の十字軍とするなら、それに対するアラブイスラムの抵抗も発生する。つまり中世への回帰だ。
 ヨーロッパ中世とはどういう時代だったか?ある人はこれを宗教と暴力が支配する時代だった、と言う。この宗教(カトリック)も現代の我々が認識する普遍的で寛容なものではなく、異教徒・異端者を徹底排除不寛容宗教だった。例えば、異教徒は悪魔に捉われているのだから、彼らを全て殺すことは彼らの魂を救うことだ、と云って薬殺を煽る神父まで現れるしまる。まるっきり、現代のオウム真理教やISと変らない。つまり立場は変ってもやっていることは、中世暴力世界と同じなのである。
 では中東・アジア・日本はどうなのか?(続く)
(16/03/23)

 EUが南沙諸島への米艦派遣を支持した裏で、イギリスは中国からの原発や鉄道投資契約を結ぶ。それだけでなく、今月にはオランドやメリケルまで中国を訪問する。ここで注意しなくてはならないのは、この訪中はこれまでと性格が違うということだ。これまでの訪中は対中国投資の可能性を探るもの。いわば積極ビジネスだ。ところが今回はそうではなく、中国からの投資を呼び込むもの。つまり「物乞い外交」だ。その口火を切ったのが英国。
 何故英欧がここまで落ちぶれたのか?要するに金がないからである。典型が英国だが、老朽化したインフラを更新するにも、生産設備拡大のための地域開発するにも、政府には先立つ金がない。何故かと言うと、国内(地域内)金融機関が政府に金を貸さないからだ。
 イギリスはサッチャー政権下でシテイーの銀行はみんな外国資本になった。ドイツ・フランスも同じだ。今ヨーロッパ主要銀行CEOはみんなインド人だ。彼らはリスク管理には厳しい。特にドイツは国内法で政府の借金は厳しく制限されているから、政府が直接借金できない。ここがが日本と大きく異なる点に注意。無論どちらが良いかは、まだ判らない。日本はこの歯止めをなくした(アベノミクス)ので、アベ内閣発足後2年で、国債発行残高が1200兆円まで膨れあがった。
 国内(地域内)から資金が調達できなければ、外国からの投資を呼び込むしか方策はない。それはかつてアメリカドルだったり、アラブのオイルマネーだったが、昨今のドル安原油安でそれもおぼつかなくなった。そこで飛びついたのがチャイナマネーというわけだ。なんとなく吉原の安女郎が旦那をとっかえひっかえしているように見えるが、これも又女郎こと自立した女性のの生き方。
 中国は全てを戦略的に見る。そのため投資先の少々のリスクには目をつぶる。ここがインド人やアングロサクソンとの違い。おまけに、アメリカや日本ではご法度の賄賂も自由だ。投資先の政府にとってはこんなあり難い話はない。
 さてこんなことで英国・欧州の将来はあるのでしょうか?先に挙げた吉原安女郎ではないが、当座の儲けは出るが、いずれ客の信用をなくし、廓から追い出されるでしょう。
(15/11/01)

 本日ネットをみていると、南アフリカで外国人排斥運動が勃発し、外国人8500人が避難する騒ぎ(CNN)。理由は外国人が地域経済を支配し、雇用を奪うということ。CNNは外国人を何処の国とは明言していませんでしたが、おそらく中国人のことでしょう。インド人の可能性もありますが、インド人は南アフリカがイギリス植民地時代からやってきているので、現地人との付き合いはもっと上手い。
 筆者はこれがAIIBの本質ではないか、と疑っています。昨今の経済減速で表されるように、今後中国経済の無限発展はありえない。経済成長が縮小すれば、発生するのが国内失業者。これが国内不安定化の原因となる。その結果は革命、内戦、王朝交替である。中国は過去2000年に渉ってそういうことを経験している。これはイカン何とかせねば。そこで思いついたのがAIIB。この資金を使って途上国に公共事業を起こし、そこに中国人労働者を送り込み、終わった後も帰国させず、住み着いて現地の経済を支配する。無論現地民との軋轢も生じる。その端緒が図らずも南アフリカに現れたのでしょう。
(15/04/18)

最近になって漸く、イラク戦争の戦術的意味に関する評論が現れるようになった。その多くはGPSと連動した精密誘導弾とか、無人偵察機の利用とかいった技術レベルの評価に終始している感がある。確かに精密誘導弾によって敵の指揮中枢を撃破し、情報の面から敵を無力化出来れば、非常に効率的な戦争が行えることになる。しかし、重要な点はこういう技術レベルの話ではない。80年代以降アメリカが採ってきた市場主義経済の行き着く処、こういう戦争形態の発生は必然であり、今後更に発展すると考えられる。但し、この種の戦争形態を採用し得る国家は今のところアメリカのみである。アメリカに敵対したい勢力は別の形態を模索する事になろう。
 レーガン時代から始まったアメリカの市場主義経済は、90年代のクリントン時代で大成功を収めた。市場主義経済とは要するに、経済活動に於ける規制を徹底的に緩和・撤廃することにより企業間競争を激化させ、経済を活性化しようというものである。この行き着く先は富・所得配分の不均衡である。従来の規制型社会の最終的所得配分は一般にはガウス正規分布になるが、市場主義経済下では一端に極値が偏るポアソン分布になる。このような社会は一部の金持ちと大部分の貧乏人からなり、中産階層がいないという社会構造上極めて安定性に乏しい性格になる。
 古代エジプト王朝末期では全人口の2%が富の90%を、数年前のアメリカでは全人口の8%の人間がアメリカ全体の富の80%以上を所有していたといわれる。現在では富の寡占率はもっと高くなっているだろう。つまり、現代アメリカの富の寡占率は、古代エジプト王朝末期と余り変わらない水準に達していると考えられる。このような社会で具体的にどのような事態が発生するかというと、まともな軍隊が作れなくなるのである。その結果、エジプト軍の主体は傭兵・奴隷兵が占めることになる。傭兵・奴隷兵が戦闘能力に劣るとは云えない。ハンニバルが、イタリア遠征に率いたカルタゴ軍の大半は傭兵だった。特にヌビア騎兵は当時世界最強といわれたのである。だからといて、カルタゴ軍に統率の乱れは認められない。その理由は主将のハンニバルが兵士と労苦を共にし、戦利品の分配は公平で、何よりもハンニバルの作戦・指揮能力が高く傭兵達を納得させるものだったからである。彼らはプロである。しかし、雇用主に軍事的能力が欠けた場合は忠誠心という点では疑問が残るだろう。末期のエジプト王国は官僚機構が膨大になり、国王の周りには佞臣・宦官が跋扈し、国王と軍隊の間の意志疎通が十分とは云えない状態になっていた。一方、対するローマ軍は共和制は既に形骸化したとはいえ、なお軍隊の中核は市民兵であった。かくしてエジプトは滅亡し、ローマが覇者となったのである。

ヨーロッパやアジア諸国は、ピョートル大帝以降のロシアや、実利論が主体を占めた中世のインドを除けば、国家は…それが封建制に根ざしたものであろうと、専制国家であろうと…富の配分の平準化を国家経営の最大目的とし、意図的に配分の不均衡を政策として奨めた例は殆どない。ひょっとすると、織田信長はこれを意図していたんじゃないか、という気はする。しかし、それは、徳川幕府によって否定されている。オスマントルコ帝国では富は一旦スルタンに集まるが、イスラム法により、スルタンはその富をイスラム寺院やバザールに寄付しなければならない。イスラム寺院はそれにより、学校・病院・貧民院を経営する。オスマントルコ時代では、庶民の教育費・医療費・社会保険は無料だったのである。無論、介護保険も必要ない。これにより、所得配分のバランスは取れていた。おそらくサダム時代のイラクもそうだったろう。アメリカ流市場経済主義はこのバランスを破壊し、社会に無用な混乱を招いたに過ぎない。

 19世紀以降のヨーロッパ国民国家では、各国とも競って中産階層を育成しようとした。これは古い封建軍隊しか持たなかった各国が、国民軍を用いたフランスによりコテンパンにやられたからである。この典型がドイツで、第2、第3帝国を通じてドイツは中産階層育成に努めた。ドイツ帝国はドイツ中産階層によって支持されていたのである。帝国とドイツ中産階層は運命共同体であり、その結果、第一次、第二次の両大戦を通じてドイツ軍は驚異的な粘りを見せている。ナチ将校クルト・マイヤーは、部下の中隊員(武装SS擲弾兵)の出身階層が大部分中産階級であったことを、その著書(「擲弾兵」)の中で、数字を挙げて示している。
 現代アメリカは市場経済主義により意図的に中産階層を破壊しているから、これを基盤とする市民兵による古典的な国民軍は編成出来ない。かといって今更奴隷を輸入することも出来ない。であれば残る方法はロボット兵しかない。これなら、上官に反抗することはないし、戦争の無いときは電源を切っておけば金はかからない。無論、年金の必要もない。考えようによっては非常に安上がりなのである。殆どSFマンガの世界だが、あの国はSFの世界をまともにやろうとする傾向がある。無論、さすがのアメリカもこの段階に達していないが、その中間過程には達している。
 イラク戦争の米軍の特徴にハイテク兵器があるのは言うまでもないが、もう一つ市民権待機者というものがある。これは、アメリカ永住権は持っているが、市民権は持っていない人達で、アジア系、ヒスパニック系移民やその子弟が多いといわれる。アメリカ市民権審査には長時間かかるため、その間待機している人達である。但し、兵役に付くと審査が優先されるため、彼らは軍隊に志願するケースが多い。一説によると、イラク戦に従事した米軍兵士のおおよそ1/3が市民権待機者だったと言われる。彼らはアメリカ人であって、アメリカ人ではない。しかし、一般のアメリカ人以上にアメリカ人になりたがってもいる。これは便利である。生けるロボットとして使える。
 グローバリズムと市場主義経済原理により、世界中の金がアメリカに集まるシステムが出来上がっている。これを求めて世界中から人が集まって来る。アメリカ市民権という甘い蜜をちらつかせば、そこに蜂が集まってくる。その蜂を集めれば良いだけの話だから。