滋賀県某テールアルメ崩壊事故10(審決そして今だから云えること)


 そうこうしている内に平成14年も終わり、15年になりました。15年は何処からも、何も云って来ないまま過ぎたのですが、その年の夏、全く別の用事で、A建設の担当者と会いました。そこで、思いがけない顛末を聞かされました。
 Aの担当;「実は、あの裁判は結審しました。全額ではないが、半額の7000万円ほど取り返せた」。
 横井;「負けではなかったんだな」。
 Aの担当;「どうも、前からBが裁判所にネゴしていたらしい。Bとしては、請求額の1億4000万を裁判所に供託していて、裁判に勝ってそれを運転資金に充てる予定だったらしい。それを取られると、会社が潰れてしまう。そこで、裁判所に泣きついたみたいらしい。C、Dにはおとがめなし」。
 実はこれを一番心配していたのだ。Bは建築鋼材メーカーだから、バブル崩壊の影響をまともに喰らっている。折からの平成不況で、Bの懐も苦しい。Bに計画倒産でもされたら、裁判に勝っても、、肝心の金が入ってこないケースも考えられる。適当なところで手を打った方が良いのだが、鑑定人の立場上そういうことも口に出来ないのである。C、Dについては、本来Aが提訴すべき筋合いではなかったように思える。かといって、設計責任が無いわけではない。BがAに負ければ、その責任はC、Dにあるのだから、順序としては、BがC、Dの責任を追及すべきだろう。何故、それをしないのかについては、色々憶測できるが、それはAにとって関係の無い話である。

 横井;「そこで判決はあったのか」。
 Aの担当;「判決はなし。一方的に支払い命令が出て、それで終わり。民事ではそれが判決らしい」。

 いささか、煮え切らない結末になったが、当初の最低目標である半額には到達したし、アンカー代も出たので、まずまずというところか。しかし、今だから云えますが、実はこの裁判はまともにやれば、Aの負けなのです。その理由は、岩盤を確認したかどうかといった、瑣末なものではありません。問題は次の2点にあります。
  1)工事受注の段階で、設計に対するクレーム(疑義申し立て)を行っていない。
  2)施工中の仕様変更を文書で確認していない。
 1)は後で詳しく述べます。2)は一審の原告社員藤橋証言「テールアルメの中央部で掘削したが岩盤が出なかったので、その旨設計管理者である被控訴人C馬場に報告したところ、『そのままでよい』という指示を受けた」(平成111025日 人証p11)。文書による確認が取れていないために、裁判官の心証を悪くしたのは否めません。
 通常、海外工事では、受注時にコントラクターは発注者からのスペックをを精査し、クレームを付けなければならない。クレームとその回答は全て文書により行われ、文書は弁護士に供託されます。もし、ある工種について、コントラクターがクレームを付けていなければ、それから発生するコストはコントラクターのリスクになります。これは、施工中の仕様変更にも全て適用されます。
 これは海外工事の場合じゃないか、と云われるかも知れませんが、今では我が国でもこれが当たり前です。無論、こんなことは依頼者にも弁護士にも云いません。もし、そんな事を云えば、依頼者側も不安になり、返ってこちらの足並みが乱れる元になります。世の中には云っていいことと悪いことがあるのです。A建設の場合、上記2点に違反していたので、この点をBやCから衝かれると、かなり苦しい展開になったでしょう。それを避けるために、作戦として意図的に技術論に持っていったわけです。それともう一つ、工事が行われた平成5〜6年、事件が提訴された平成9年当時では、中央官庁ではこれが当たり前でしたが、自治体や民間工事では、昔ながらの片務契約や口約束の習慣が残っており、地場のゼネコンやコンサルでも、上記のようなやり方は一般的では無かった。だから、この点を衝いてこられても、これで切り返せるでしょう。それに日本の裁判所は世間から20年は遅れている。黙っていれば誰も判らない。いわば、被告と原告の両方を騙していたわけです。
 では、本件テールアルメ工事では、どういうクレームが可能だったでしょうか。公共事業を規準に考えてみると、少なくとも次の3点について、設計に対するクレームが可能だったと考えられます。
(1)延長300m以上に及ぶ擁壁が全てテールアルメになっている。
 通常、公共事業ではこういうことは考えられない。テールアルメは壁高が小さいと経済性では在来工法に劣る。つまり、壁高がある程度大きくないと、返って高くつくのである。詳細は経済比較による必要があるが、大雑把には次の通りと考えられる。
 @H≦3m         →重力式擁壁
 A3m<H≦5〜7m    →逆T擁壁
 B5〜7m<H        →補強土擁壁
 補強土擁壁の形式も最低3形式比較検討が必要なのだが、本件の場合民間工事だから、実績重視ということでテールアルメにしても別に構わない。但し、上記のようにすれば、テールアルメ区間を小さく出来るので、全体工費を低減出来る。又、ゼネコンの利幅が大きいのは現場打ちコンクリートだから、Aにとって返って有利だったように思える。特に、本工事はグロスで契約しているから、利益をメーカーに持って行かれる特殊工法を少なくした方が、ゼネコンにとって得なのである。
(2)テールアルメのストリップ長
 これは、参考資料「テールアルメの強度」で少し触れたが、テールアルメの構造計算書を見ると、ストリップ長が1.0mラウンドで決定されている。設計マニュアルでは0.5mラウンドだから、明らかにメーカーが0.5m分さばを読んでいることが判る。本件工事は全体で8億の見積もりを6億4千万に値切られている。Aはとにかくこの範囲で施工しなくてはならない。テールアルメ代もこの中に入っているのである。メーカーDがその分やすくするわけではないから、Aとしては、シビアに設計の中身を追求すべきである。
(3)追加ボーリングと設計変更
 (1)に示した、壁高による形式区分が出来れば、Aはその境界部でのボーリングを施主側に要求出来る。まして、本件崩壊部は壁高が14mに達する訳だから、施主サイドでボーリングの義務がある。Aはその点をB、Cに強く要求すべきであった。仮に施主側がボーリングを拒否した場合、A独自の判断でボーリングをやっても構わないのである。その結果、当然のことながら設計変更になる。このときは変更分にボーリング代金を上乗せ出来るから、結果としてAの負担は無くなる。一時立て替えのみなのだ。

 先に述べたように、こういう事は中央省庁や公団発注工事では当たり前のことです。要するに関係者の誰もが、当時こういうことに慣れていなかっただけのことなのである。しかし、今後は、地方自治体でもこういうタイプの発注形態になるし、既にそうしている自治体もある。慣れていなかったというのは言い訳にならない。筆者としては、しばしば発注者と親しい関係になりやすい地場業者に、特に注意を喚起したいのである。なあなあは駄目、常に緊張感を持って事に臨むように。

 筆者自身は、地質調査という限られた分野であったが、現役時代随分この手を使った。先ず、受注後設計書を渡されるので一応は眼を通すが、基本的には無視する。次に平面図を見て、計画の大要を掴む。場所が判れば、その辺りの地質の状況は、皆頭に入っているから、それと照らし合わせて、計画に隙が無いかを探す。見つかれば、独自に対策工案をイメージして、それに合った地質調査計画を策定し、発注者に提案するのである。場合によっては、調査計画を根本から作り直すこともあります。対策工案までイメージ出来るか、どうかがポイント。単に「地質の状況が不明確だから」などと高校地学クラブレベルのことを云っているだけでは、相手から鼻であしらわれるだけ。こちらのクレーム(技術提案)に相手が納得すれば、それは設計変更対象となり、黙って売り上げが増える。そして、相手の担当者からも喜ばれる。もし、当初の仕様・設計に隙があって、それを見逃したり、判っていても相手に伝えていなければ、そういう種類の隙は少し経験のある人間なら直ぐに判るので、竣工検査で必ず指摘を受ける。
   検査官「ここでこういう問題が考えられるが、どうしたらいいのか」。
     乙 「それは今回の仕様に入っていませんでした」。
   検査官「「お宅らプロが何でこんなことが判らんかったんや。この次の仕事はチョット遠慮して貰うかもわからんよ」
 となるのです。だから、後で火が付きそうなことを、先に消しておけば、相手の担当者の荷も軽くなるのである。但し、この方法は、問題をどう収束させるかを十分見極めてから使わないと、生半可なものまねでは大火傷する危険があるので要注意。というわけで、受注後のクレームは、受注業者の技術力を評価する上での大きな指標になります。

終わり