沖ノ島の謎




 

 あのアホの張本が、白鵬1047勝について、翌日のスポーツ紙で一面に取り上げたのが一社しかなかったのに腹を立てて、「同じ民族なんだから・・・・」とクレーム。要するにもっと尊敬を払えということだ。で、筆者は相撲にはあんまり関心はないので、白鵬1047勝の歴史的意義をあれこれ言う立場氏はないが、張本の云う「同じ民族」なんだから、という言葉に若干引っかかるものがある。
 民族という言葉には広義と狭義がある。広義で云えば、白鵬のモンゴルも張本の朝鮮族も、日本人も同じモンゴロイドで、使う言語もアルタイ語系だ。その意味では張本の意見は正しい。これが広義の民族である。 しかし狭義ではそうはいかない。モンゴルはれっきとした単一民族である。又朝鮮族もツングース系騎馬民族ということははっきりしている。しかしツングースとモンゴルとは一体ではない。ある時に分かれたのだろうが、言語・文化も異なる発展を遂げている。
 一方日本人はもっとややこしい。原日本人として挙げられるのは縄文人だが、縄文人の由来そのものが分からないのである。柳田国男以来、南方由来説が定説とされてきたが、縄文人の形体的特質が明らかになるにつれて、南方=東南アジアか中国南部には、これに比定できる民族が見当たらなくなったのである。その後の弥生系民族は中国南部からの難民又は亡命者が主で、中国の混乱とは無関係だった、モンゴル・ツングース系民族が、わざわざ列島にやってくるとも思えない。
 一方古事記では、スサノオが機を織っているアマテラスに向って、馬の皮を投げつけるシーンがある。これなどアマテラス一族が騎馬民族で、天孫はモンゴル高原から天下ったように見える。しかしだ、古事記の冒頭にあるのは、オノコロ島における国生み伝説である。これは明らかに海洋民族の説話だ。騎馬民族を前提とするアマテラスースサノオ天孫降臨伝説とは全く矛盾するのである。それどころか、古事記説話には、後世に他所から説話をパクったと考えられる部分がいくつもある。
 つまり日本人というのは、一部ネトウヨが云うような単一民族ではなく、数種の民族が大陸縁辺の列島に辿り着いて、そこで共存を図った結果なのである。だから国籍論など実にくだらないし、同一民族にこだわるのも意味はない。張本には「同じ民族」だからという単一民族説がある。しかし日本の歴史を見ると、他文化・他民族を許容してきている。重要なことは多様性を認めることである。これ以外に日本人が今後生きていく道はないだろう。
(17/07/23)

このほど「沖ノ島」はじめ8件の宗教遺跡が一括して、世界遺産に登録されました。それが妥当かどうかは別にして、筆者は数年前から「沖ノ島」が古事記で云う「オノコロ島」ではなかったか、と考えています。「オノコロ島」については兵庫県淡路島がそれではないかという説が昔からあったのだが、これは殆ど根拠がない。古事記にアワシマとあったのが似ているというだけである。
 戦後沖ノ島で発掘調査が行われ、大量の弥生前期青銅器と土器が発見されました。当時の日本では銅は採掘されていないから、これらは外国特に中国由来のものは明らかです。では当時の中国を含む東アジア情勢はどうだったでしょうか?
 中国は戦国乱世の真っただ中。特に日本で弥生時代が始まったBC2300年頃は、秦が周辺諸国を亡ぼし、領土を拡大していった。当然中国内部からは大量の難民・亡命者が発生したはずです。その内、江南地方の亡命者が沖ノ島に辿り着き、ロビンソンクルーソー的生活を送った。その後生活も安定し、人口も増えたので対岸の北九州に植民し、一地域を支配するようになった。これが筑紫王朝です。但し南九州には先住の隼人族がいたり、東の瀬戸内方面には別ルートからやってきた出雲族の片割がいたりしてそれ以上、領土を拡大できなかった。
 何故筑紫族が中国江南地方難民の子孫かと云うと、九州北部出身者に限って、「砂」という言葉を「シャ」と発音するのである。例えば「砂岩」は、我々普のヤマト人なら「サガン」と発音する。しかし北九州人に懸ると「シャガン」になってしまう。「中細砂(チュウサイサ」はチュウシャイシャになってしまうのである。
 さて過日、あるテレビ番組を見ていると、「砂」を国別でどう発音するかというのをやっていた。ここでびっくりしたのは、確か台湾人は「サー」と発音していたが、中国江南人は顕かに「シャー」と発音していたのである。これで筆者の云う、筑紫王朝中国江南地方起源が証明された。
(17/07/13)
 縄文末から弥生時代初期・・・つまり中国戦国動乱期・・・に、大陸から渡ってきた難民・亡命者は北九州だけでしょうか?実は他にも何か所もあります。その中で特に重要なのは「出雲」ですが、他にも「コシの国」とか北陸地方が挙げられます。
 これらの地域に共通するのは「鉄」です。青銅と鉄の製造技術、弥生初期に、ほぼ同時に日本に伝わったと云われます。スサノオが出雲にやってきたのは、筆者は概ね2200~2300年ぐらい前と考えています。そのときには、既に出雲に「ヤマタ族」という鉄器集団が来ていました。スサノオは少し遅れてやって来たのです。
 筆者は鉄や金属精錬に関連する言葉として「イ」に注目しています。「イ」が付く地名は、西日本では「イズモ」「イヒカワ」、北陸では「イヅナ」「イイデ」などがあります。新潟の弥彦神社のヤはイヤ
の転じたものと考えられます。いずれも鉄の採掘・精錬に関係しています。この製鉄民族が近畿東海地方に南下して、我々が知っている弥生文化を作ったというのが、筆者の考え方です。
 古事記という書物の内特に神代紀は、各地の伝説を寄せ集めたもので、中身は矛盾だらけです。しかし重要なこのは出雲神話が全体の2/3位を占めることです。これに比べ筑紫や尾張が登場することは殆どありません。筑紫王朝はヤマトと異なる、独自の発展を遂げたのでしょう。
(17/07/15)