伝統のまやかし


横井技術士事務所
技術士 横井和夫


 天皇退位制は与党は、一代限り特別立法で走るつもりだ。この場合次の天皇が同様のことを持ち出せば、同じ騒ぎを延々と繰り返すことになる。ことの是非はともかく、何故与党特に自民保守派が一代限りにこだわったのは、元号問題が絡んでいるからである。この問題の起源は古く、戦後間も無く始まり、その後も国会等で議論されたことがあったが、いずれも保守派の抵抗で潰され、昭和何年だかに「元号法」が出来てしまった。今時、世界共通の西暦とは別に、独自元号を持つのは、日本を除けば北朝鮮ぐらいだ。これだけ見ても、この二国が如何に世界常識から隔絶しているかが、よくわかるのである。
 元号論者の言い分は次の2点である。
1 、元号は日本の伝統文化であって、これに西暦を持ち込むのは、日本人の生活になじまない。
 そもそも元号は、古代日本が中国に倣ったもので、固有の伝統文化ではない。今、一般庶民が元号を必要とするのは役所への提出書類ぐらいで、ケータイやスマホの契約書類は皆西暦だ。つまり、今の若者・・・これからの国民主役・・・は元号を必要としていないのである。
2、歴史的事実は、元号を使うから理解しやすいのであって、西暦では意味が伝わらない。
 これはある高名な歴史学者・・・多分京大名誉教授・・・の意見である。筆者はこれを聴いて、なんでこの名誉教授はこんなに頭がわるいのだろうか?と思った。元号でなければ物事の前後関係が理解できない頭では、国際的時系列で物事を考えられなくなる。第一、元号のないヨーロッパの学者は、元号なしで歴史的事象を十分理解している。
 むしろ共通時系列で考える方が、自国を相対化出来、その結果国際的視野が広がるのである。先に挙げた学者のように、自国元号主義によっておれば、結局は日本のガラパゴス化しかない。元号でしか、物事の順序や時代背景を理解できないようでは、その頭は小学生以下である。
(17/01/24)

 ’16年伊勢志摩サミットの幕開けはG7首脳の伊勢神宮参拝で始まった。これについてホストであるアベは「悠久の昔からの聖地で、その神聖性を感じてもらいたい」と、一人合点で、無学もの知らず成蹊裏口入学のアホ振りを明らかにしてくれた。
 そもそも伊勢信仰が流行りだしたのは江戸時代中期以降。これも信仰とは名ばかりで、実態は信仰に名を借りた物見遊山観光(所謂お伊勢参り)。誰か敏腕のプロデユーサーがいて、こういうイベントを考え出したのだろう。現代日本でもAKBを考え出すのがいると、たちまち似たようなのが出来るのと同じである。例の「弥次喜多道中」も、伊勢信仰に悪乗りしたわるふざけ小説。
 これがいきなり神聖化したのは、明治になって天皇が伊勢神宮に行幸してから*。それ以降毎年正月には天皇が行幸する習慣ができた。それが更に靖国信仰と並んで国家神道の中心になったのは、せいぜい大正から昭和になってからである。つまりアベの言う悠久の昔とは、たった100年足らずのことを言っているのだ。
 伊勢神宮の祭神は「天照大神」であるが、元々大和の石上神宮にいた。それが人皇10代崇神天皇のときに、大和の大物主に追い出され以後転々.。やっと落ち着いたのが伊勢の土地。なぜ伊勢になったのかよく判らないが、この背景には出雲と大和との確執・対立があったのではないか?。当時、大和は事実上出雲に支配されていたと思えば、全体の構図が理解出来る。伊勢は出雲の勢力が及ばない地域で、且つ大和に最も近い土地だった。
*何故明治天皇が伊勢神宮に行幸したのか?筆者はこのとき平田流神学が、政府や朝廷に深く浸透していたのではないかと考えている。平田流神学の祖は平田篤胤だが、彼は本居宣長の直弟子を自任していた。宣長は「古事記」を日本古代史の唯一のテクストとし、アマテラスをその主神とした。篤胤の養子の鉦胤なるものが、岩倉ら過激派貴族を通して朝廷に平田流を浸透させたのだろう。
(16/05/27)  

 諏訪大社の御柱祭で、氏子作業員が15mの柱から落下して死亡した事故が発生。6年前にも同様の死亡事故が発生している。更に今年は柱を斜面にすべり落とす際にやはり、作業員が巻き込まれて死亡した事故が発生している。労働安全法では3m以上の高所作業では安全帯の着用など、転落防止措置を「義務付けている。これを遵守しておれば転落事故は起こらなかったはずだ。単にやるべきことをやっていなかったのである。
 これらの事故は当然業務上過失致死だが、刑法上どう位置付けられるのでしょうか?特に今回の転落事故は、過去に同様事故があったにも拘わらず、作業環境を改善していなかったという点で悪質性が高い。
 この行事を建設工事と考えれば、労働安全管理者が誰か、と言う点が問題になる。諏訪大社が事業主体で、氏子社中が元請であれば死んだ氏子は下請けだ。昭和40年代までは、事故は下請け責任だったが49年か50年だかの最高裁判決で、元請責任が明確化された。つまり氏子代表はこの氏子の転落防止に責任を持っているのである。この線でいけば、氏子代表が上記容疑で逮捕される可能性もある。
 では事業者責任はどうかというと、これがはなはだ曖昧なのである。例えば運動会で生徒に死亡事故が発生したとする。指導する教師には刑事責任が問われるケースがある。しかし、行事計画を容認した学校側や教育委員会は責任を問われない。典型的な例はJR福知山線脱線事故である。無理なダイヤを組み、未熟な運転手に運転を任せたJR西日本には責任は問われていない。従って、事業者である神社には責任は問われない可能性もある。
 しかし神事では、今回のように事業者と施工者とが一体化してしまっている場合が多い。その原因は、日本神道独特の氏子制度である。この制度は神社の伝統維持には有効かもしれないが、現在のような人口減少社会では維持出来ない。又事故が起こったとき、責任逃れは出来ない。それが嫌なら仏教やキリスト教のように、信者資格を解放すべきである。
 なお、御柱に登れるのは氏子だけの特権。そこから落ちるのも氏子の特権だから、一般見物人には無関係。ザマア見ろで終わりだ。また諏訪大社の祭神は、出雲の建御名方神。恐ろしい祟り神である(但しヤマトの建雷神との戦いに敗れて、信州まで逃げてきたのだから、大したことはないと云えばない)。
 こんなことを云えば諏訪明神には甚だ失礼だが、こういう行事をする上では、当然大社側は事故保険に入っていると思うが、その点はどうなんでしょうか?それをやっていないと、明神は刑事だけでなく、民事でも訴えられることになります。
(16/05/06)

 最近若者の演歌離れが進み、それに危機感を感じた杉良太郎ら演歌歌手が自民党議員に「このままでは日本の伝統が失われる」と支援を陳情。ここでも出てきたのが「日本の伝統」という言葉。さて、「演歌」は日本の伝統文化と云えるでしょうか?
 日本にも伝統歌謡はあった。古民謡、長唄・小唄・端唄などの俗曲である。ところがこれらは江戸時代を通じて多くの流派に分かれ、それぞれが競い合うものだから極端に技巧化が進んだ。その特徴は@音程の幅が広く、高音から低音或いはその逆の転換が急である、A延ばす、引っ張る、転がすなどの細かい技法がある。その習得が必要なため、素人でも師匠について習わなければ歌えなくなってしまった。
 さて明治維新。新政府はこれら伝統歌謡を、古い過去の遺物として、表舞台から排除した。その代わり導入したのが西洋音階である。これは音階の幅が狭く、変化も滑らかなので歌いやすい。政府はこれを小学唱歌や校歌・寮歌・軍歌に取り入れ、日本人の頭を切り替えてしまった。この延長線上として大正期には商業歌曲(歌謡曲)が生まれ、更にレコード・ラジオなどの新媒体を通じて、所謂流行歌が生まれた。これらは殆どが西洋音階をベースに作られている。
 戦後、戦時中は禁止されていた西洋音楽が、どっと日本に押し寄せてきた。ジャズ、ロック、ラテン、イタリアカンツーネから、フランスシャンソン、果てはロシア民謡まで何でもありになってしまった。これに危機感を抱いた船村徹という若い作曲家がいた。彼は西洋音階と、上で上げた日本の伝統歌唱技法を組み合わせて新しい歌謡曲を作ろうとした。船村演歌の誕生である。しかしその試みも、美空ひばりという逸材にめぐり合わなければ成功したかどうかわからない。ひばりー船村コンビによる新しい歌謡曲は大ヒットし、それに続く若い作曲家が続出した。この点だけでも女王ひばりの偉大さが判る。現在我々が演歌と認識している歌謡曲ジャンルはこのとき・・・・昭和30年代後半・・・に誕生したのである。つまり「演歌」とは日本伝統文化ではなく、人工的なもの、或いは当時の日本歌謡界へのアンチテーゼとして生まれたものと解釈したほうが良い。
 今回の演歌陳情には次の3点で問題がある。
1)演歌は大衆芸能の一つと言うことには異論はないだろう。大衆芸能とは芝居や講談・浪曲などと同様、権力とは距離を置き、独自に発展してきたものである。しばしば時の権力と対立し弾圧を受けてきた。それでもその都度息を吹き返してきた。今演歌の売り上げが減ったとっいって、それで演歌が終わるわけではない。
 一時的な落ち込みに慌てて、一度でも政治家に頭を下げると、政治家に付け込まれる隙を作るになる。大衆芸能の敗北である。
2)若者が演歌を嫌うのは今に始まったことではない。昔からそうなのだ。筆者自身、10代20代の若い頃には演歌など見向きもしなかった。それが演歌に親しみだしたのは30代後半以降、企業・社会の中堅世代になってからだ。何故か?この時期は人生の中で一番しんどい、つまりストレスが懸かる時期である。いまでは40代後半からだろう。このときストレス発散の受け皿になったのが、演歌である。演歌の売り上げが延びないのは、今の演歌界がこの世代のストレス解消受け皿に成り得ていないからである。
3)演歌復活に政治家に何を期待するのでしょうか?まさか学校音楽教材に演歌を入れろ、と言うのではあるまい。演歌のテーマの大部分を占めるのは、男女の不倫とか別離。それも大概は女性が被害者だ。男女同権の今時にこんなテーマが若い女性に受けるわけがない。それと「兄弟仁義」のようなアウトロー礼賛物。こんなもの時代遅れの典型である。若者が敬遠するのが当たり前。若者がこんなテーマを支持すれば、それこそ大問題だ。
 つまり演歌とは不道徳文化の体現者である。一方政治家は一般国民の範たるべき義務がある。ゲスの宮崎が政界を追われたのも、かれが一般道徳に反する行動を採ったからである。その政治家が不道徳文化を支援することこそ大矛盾。頼むほうも頼むほうだが、受けるほうも受けるほうだ。頭の悪さとKYの程度では、どっちもどっちという感がある。
(16/03/07)

 一昨日か、政府は本年度中での南極海調査捕鯨再開を発表。捕鯨基地下関を選挙区に持つアベ晋三の強い指示によるものだろう。捕鯨は日本の伝統文化であり、欧米の価値観を押し付けるべきではないという意見がある。果たしてそういえるでしょうか?日本も欧米も、捕鯨が盛んになったのは18世紀半ば以降。背景には欧米では産業革命、日本では近世初期からの農業革命で発生した、経済急拡大がある。それに伴って油需要が急増した。従来の植物油だけでは需要を満たせないので、それを補ったのが魚油や鯨油である。
 欧米の捕鯨は油を搾るだけ、日本は全てを加工して工芸品に利用している、これが文化であると言うのが伝統論者の主張。しかしこれは欧米が遠洋捕鯨、、日本が沿岸捕鯨だったという違いに過ぎない。しかも日本が沿岸捕鯨に特化したのは、徳川幕府による海禁(鎖国)政策の結果、日本の遠洋航海技術が廃れてしまったからである。もし幕府が海禁をしなければ、日本人も欧米と同じことをやっていたに違いない。なお、オーストラリアやNZが反対しているのは、南極海での調査捕鯨。IWCでも、日本にも近海捕鯨枠は認められている。工芸品を作るなら、それからだけでも十分である。わざわざ南極まで行くことはない。せめて捕鯨伝統文化論者も、この程度の知識は持っておいて発言して貰いたい。
 なお調査捕鯨といいながら、やっている手段は非科学的そのもの。あんなにノーベル賞学者を大勢だしている科学大国が、こんな稚拙なことしか出来ないなど、国際的物笑いの種だ。
(15/11/30)

 昨日野暮用で茨木に行って帰りに阪急電車に乗ると、斜め向かいにイスラムと思われるアベックがいた。女性は結構美人で日本人じゃないかと思ったが、言葉が聞き取れなかったので判らない。ところがこの二人いきなりスマホを取り出してツーショットの自撮り撮影。イスラムは偶像禁止だから自撮り写真などあり得ないと思っていたら、そうではないらしい。
 そういえば昔ある会社いたころ、大阪西区阿波座交差点の角にあるステーキハウスによく昼食に行ったが、常連客の中にインド人・・・ターバンを巻いていたからシーク教徒か・・・がいて、それが平気で牛肉のステーキ定食を食っていたのに驚いたことがある。インド人は確か牛肉は食べないはずだったが、戒律のない日本では自由になれるのだろう。
 日本でも昭和40年代の高度成長期では、特急列車にオッサンの団体がやってくると、いきなり上着やズボンを脱いでステテコ一丁になって酒盛りを始めたものだ。これもウルサイムラの戒律を離れた開放感からだろう。
 マスコミでは中国観光客の品の悪さをあげつらう記事があるが、これも同じ戒律からの開放感なのである。と言うことでいずれ中国人も日本人と同じように大人しくなる。
(15/06/11)

 和歌山のイルカ騒動は結局太地のイルカ漁撤退(JAZAのWAZA残留決定)で一件落着。サンケイなど未だ不満なようだが、日本のためにはこれでよい。たかがイルカ・・・和歌山の太地・・・ごときで日本が世界と喧嘩したり、国際的に孤立する必要はない。
 そもそもイルカ問題が起こってからこうなることなど、業界団体では判っていたことではないか?それを自分が責任を取りたくないものだから、引き伸ばし先送りしてきた結果がこの様だ。追い込み漁が不可能になるなら、それに替わる繁殖方法を考えるのは、業界・学会の義務。日本鯨類学会はそれを怠ってきたわけだから責任は大きい。
 又太地漁業の問題を大げさに取り上げる、サンケイのようなアホ新聞や間抜けネトウヨもいるが、太地は鯨やイルカだけで食っているわけではない。他に幾らでも収入源はある。何時までもそれを見つけ出せないでいた、地元漁民がボンクラなだけだ。まして国際的視野に立てず僅かな地元票だけを頼る仁杉(県知事)や二階(国会議員)などはアホボンクラの極みである。
 元々日本人は、何か問題が起こりそうだと、黙ってやり過ごす、解決を先送りする、あれこれ言い訳して解決を引き延ばすパターンが多い。その結果問題がこじれて、どうにもならなくなってから初めて対応を考えるパターンが多い。それどころか事前に警告を発すると、何処かからか、そこまでやらなくていいのじゃないとか、こんなことをやって上から起こられたらお前の責任だ、なんて野次まで飛んでくる。
 よく言われるのが、ドイツ人の医者は手術の前に考える。イギリス人は手術しながら考える。フランス人は手術してから考える。この伝で云うと、日本人は患者が死んでから考える、ということになる。日本のイルカ産業(水族館も含め)は当にそういう状況に追い込まれたわけだ。
 今後はイルカの国内繁殖を進めなくてはならない。そのためにやらなくてはならない第一の仕事は各水族館相互のイルカの交配を進めることである。このためには現存のイルカのDNAデータを共有し、水族館同士の適切な交配計画を作る必要がある。ところが出てくるのは、各水族館での困惑映像。これは当たり前だが、テレビ局のヤラセである。
 現在の水族館レベルではそれすら出来ていなかったのではないか?金儲けばっかり考えて何もやってこなかったツケだ。
 無論それだけでは近親交配という問題が残る。それを避けるには野生種の混入が必要だが、その手段として追い込み漁は駄目ということだ。むしろ誘い込み漁にシフトすべきである。太地はそのためのイルカ繁殖センターへ転換すればよい。それが可能になれば、和歌山県太地町は世界の動物保護団体から憎悪の目で見られることなく、尊敬されるだろう。何故こんな簡単なことを思いつかないのでしょうか?
(15/05/21)

 

 曾野綾子が産経新聞に出したコラム記事が、やれ人種差別だアパルトヘイトだと国際問題に発展している。コラムの主旨は今後の少子化で労働力が不足するから、その分を外国労働者を受け入れなければならない、ということ。そこまでは良かったのだが、その後にいきなり居住区は人種別に分けたほうが良い、と遣ったものだからこれが南アフリカ始めアフリカ各国のブーイングを招いてしまった。それがアメリカまで飛び火して外務省は大慌て。
 アパルトヘイトの定義をここで解説する気はないが、そもそも居住区差別がこれの原点だ。物書きなら、自分が書いたことの影響を考えなければならない。まして今のようなネット時代では、ある言動が直ちに世界中に拡散するのである。頭が悪いというか鈍感というか、センスは生きた化石だ。こんなことだから女というものは・・・・と言うことになるのである。
 それはともかく、この関連記事をネットで見ていると、曾野コラムに批判的な書き込みが多い中、肯定論もある。その代表的なものは日本のような単一民族社会に異質な民族は馴染まない、というものがあった。これは自民保守派をはじめ次世代tか右翼に強い考えだろう。
 日本人単一民族説が何時頃から始まったかと言うと、一つは19世紀末にヨーロッパで広まった民族主義の影響、次は大正・昭和期に広まった日本人優秀民族説、更にナチズムに汚染された昭和期の国体明徴運動が動機として挙げられるのでi一般化したのは20世紀初頭と考えられる。
 しかし日本人単一民族説は、今では人類学はじめ学問的には完全に否定されている。筆者は日本人とは様々な理由で日本列島にやってきた多民族の混淆によるハイブリッド民族と考えている。元々いた旧石器人は絶滅しているが、BP1万年に誕生したホモサピエンスに属する新人以降では、少なくとも4種類の民族が到来している。
 一番最初は縄文人である。二重まぶた短頭人である。約2500年前に北九州に弥生人と言うものが現れた。一重まぶた長頭人である。この時代中国大陸は戦国乱世時代。おそらくその混乱を避けて逃げてきたのだろう。次が3〜4世紀頃。日本に須恵器や金属採掘文明を伝えた民族。この時期、朝鮮半島も動乱時代。彼等はおそらく朝鮮半島から出雲にやってきた。彼等を出雲族と呼ぼう。これは日本各地に殖民し、一時はヤマトも制圧した。当時京都は出雲の植民地だったのだ。
 その次が南方から来た海洋民族で四国、紀伊半島、房総半島に殖民した。筆者はひょっとすると神武天皇はこれの出身ではないかと思っている。それはともかく大事なことは、日本人は異人種の集合体ながら永年の間に共通の価値観、同質性を獲得してきたのである。だから1500年以上に渉って、国家も国旗も無くても統一を保ってこられた。これは当に歴史的奇跡であり偉業なのである。曾野コラムや、日本人単一民族説はその偉業をぶち壊すことになりかねない。
(15/02/20)

  とうとう最高裁が夫婦別姓論議を憲法審査することになった。これが話題になったのは今から10年位前と思う。そのとき、自民党保守派議員を中心に、夫婦同姓は日本の伝統だ!などと言う主張が出てきた。同じ頃自民党が出した改憲案の中に家族制度の維持というのがあった。これも日本の伝統だ!という論法です。どちらも間違っています。
 まず夫婦同姓は、明治に民法を作るに当たって、フランス・ドイツの民法を丸写しにした結果で、日本の伝統でも何でもありません。単なる欧米文化の模倣なのです。第一、それまでは庶民階級は姓などを持っていない。武士階級でも女性は姓を持たない。
 そもそも日本の姓は律令時代に天皇から豪族・貴族に与えられたもの。平安期に武士階級が勝手に姓を名乗りだしたが、これは僭称に過ぎない。只、弁証法で曰く「量的変化は質的変化を招く」、又マルクス曰く「数は力なり」なのだ。それを氏姓命名権を独占していた藤原摂関家が、利権のために正当化しただけ。徳川だってもとを辿れば怪しいのである。
 家族制度も同じで、これも欧米の制度を丸写ししただけ。普通世間ではこれをサル真似という。
 このサル真似を一番やりたがるのが、一見民族主義を吹聴する自民保守派とか、石原次世代の党だろう。まあサル真似政党だ。
(15/02/19)

 昨日某BSトーク番組。テーマはIWCの決定と調査捕鯨の継続の有無。さてここで視聴者からの意見投稿があって、その代表例が読み上げられた。調査捕鯨継続賛成派は
1)食料資源確保のために鯨の生態把握は必要である。
 これは従来の日本政府の主張であり、投稿者は関係官庁とかその周辺からのサクラの疑いがある。また、鯨=生命体を資源と考えるのには、なにかナチズムに通低するものを感じる。
2)欧米社会の価値観を押し付けられることが問題。
 これは捕鯨とは無関係な単純反西欧主義である。要するに捕鯨は日本の伝統文化だから他人は口出しするな、と云いたいわけだ。ところが冷静に歴史を紐解くと、捕鯨特に今問題になっている南氷洋捕鯨は、日本の伝統でもなんでもなく、戦後食糧難解消のため始めた経済事業に過ぎない。それ以前の・・・江戸時代の・・・沿岸捕鯨にしろ、目的は鯨油とりで、鯨肉が一般市場に回ることは殆どなかった。一部の産地で消費されていたに過ぎない。この事実を無視して形だけ見て伝統々々と叫ぶのが、単純反西欧主義なのである。これを煽るのが、サンケイ*や新潮・文春などの保守系メデイア。かつて満州事変の後、反西欧思想をばら撒いて、日本を戦争に追い込んだ昭和マスコミの愚と罪の再来である。実はこれが現在日本で増えている保守主義・民族主義の現れである。
しかもそれは年寄りだけではなく、若者を虜にしている。現在最大の国際危険因子のイスラム過激主義も、その素は反西欧主義である。たかが鯨といって馬鹿にしてはならない。僅かな票を目当てに鯨鯨と云い続けていた政治家こそが、責任を持たなければならない。
*これを先頭に立ってやったのが当時の朝日。今それをしようとしているのがサンケイ。だからサンケイも朝日を批判出切る資格はない。
(14/09/22)

日本ではクジラやイルカを獲って食うが、中国・朝鮮ではこれ以外に犬も食らう。どちらが野蛮かはさておいて、今中国南部で犬肉祭というものが開かれている。全国の食肉業者が集まって、犬肉の即時販売(つまりホンモノの犬をその場で解体して、参加者に提供するものである)が行われている。勿論動物愛護団体もやってきて反対集会をするが、業者側は、これは中国伝統文化だ、と抗議を無視。それどころか、犬を法外な価格で反対者に売りつけたり、「家族の命は保障しないぞ、と脅迫メールを送る始末。行政も、我々は無関係だ、と知らぬ顔の半兵衛を決め込む。
 中国の犬食文化の伝統は非常に古く紀元前に遡る。漢建国の功臣で、鴻門の会で剣舞を披露して劉邦を救った氾カイの前職は犬殺し。史記に「牛刀をもって狗肉を割く」という言葉があるから、周代以前に犬食の習慣はあったと考えられる。では日本ではどうだったか?仏教が庶民に広まる迄は、結構やっていたのではないか。仲哀天皇死後の服喪令では、一切の肉食が禁止されているから、犬食も例外ではなかったと思われる。
 さてクジラ・イルカ漁を諸外国に批判されても、これは伝統文化だ(本音は選挙の票目当て)と、総理大臣や県知事が居直る日本に、中国・韓国犬食文化を批判する資格があるでしょうか?今後のサンケイ・週刊新潮その他反中・嫌韓メデイアや保守系言論の反応に興味がある。
 和歌山県知事は太地にしかないローカルアナクロ産業の肩を持つのではなく、これが無くなっても大丈夫な新産業の創成に力を注ぐべきである。そういうことをせずに古い因習に囚われているから、和歌山県は20代若者離県率日本一の汚名を蒙らなければならないのだ。いずれ和歌山県からは若者がいなくなり、残った年寄りも死んでしまうから、いずれ和歌山県はキツネやタヌキしかいなくなり、県自身が絶滅する。こんな将来の無い県に、国土強靱化法などで公共事業を注ぎ込む事など無駄の極み。いっそ南海トラフ地震で全滅してくれた方が、天下国家のためだ。
(14/06/22)

 調査捕鯨の国際司法裁判所裁定で日本敗北が決まると、アベはカンカンになって、担当者を怒鳴りつけたと云う。何故クジラ如きで一国の総理大臣がそこまでしゃかりきになるかと思えば、下関が調査捕鯨基地の一つだったのだ。下関はアベの選挙区、選挙地盤なのだ。つまり捕鯨は日本の伝統だとかナントカ、きれい事を並べているが、実態は自分の選挙にすり替えているだけだ。和歌山の仁杉も似たようなものだ。
 これを見てもアベシンゾーというのは、如何に肝っ玉の小さい小人物であるかが判る。あのタレ眼の細面の顔を見ても判るでしょう。
(14/04/06)

 昔、筆者が子供の頃の肉と言えばクジラだった。はっきりいって不味かった。なんとかクジラ生活から逃れたい、と言うのが、あの当時の日本人の願いだったのだ。そして苦難20年、食生活は次第に脱クジラとなり、70年代後半からの円高もあって、アメリカ・オーストラリアから安い牛肉が入るようになり、念願の脱クジラが達成された。万々歳なのである。
 今回国際司法裁判所で日本の南氷洋調査捕鯨に違法裁定が下された。これはIWCの様な、いい加減な機関の決定ではないから、日本もそれに従わざるを得ない(竹島問題もあるからね)。しかしこんなこと、始めから判っていたのではないか?
 そもそも戦後50年代から欧米各国は捕鯨から手を引いていた。
しかし日本は戦後食糧確保のかけ声の下に、南氷洋捕鯨に力を入れていた。ところがその間に日本人の食習慣はすっかり様変わり、クジラなしで十分やっていけるようになった。取得タンパク質トン当たりコストを考えると、捕鯨クジラより輸入牛肉の方が安い時代になったのである。だから捕鯨など止めたってかまわなくなったのだが、世の中、なかなか簡単には行かない。
 ある産業が出来ると、必ずそこに族という利益共同体が産まれる。それは直接生産者や、その周辺の間接業者、彼等を監督する役人、さらにそれらと利権を共有する政治家から構成される産官政複合体である。彼等の究極の目的は、この共同体を生存させるための政府予算を獲得することである。政治家はこの目的に沿って、議会活動を行う。従ってこの利益共同体がなにがしかの集票力がある限り、その産業の社会目的の有無に拘わらず族は継続する。これが捕鯨産業にも発生する。我が国捕鯨産業の場合、直接生産業者は、和歌山県太地町や岩手県陸前高田町など、幾つかの漁業地のみである。一見政治力として大したことはないように見えるが、彼等の結束力は固く、選挙特に地域選挙では無視出来ない力を持つ。
 世の中幾らクジラが要らなくなったといっても、捕鯨関係者は自己防衛のために、あくまで捕鯨継続を主張する。これをきっかけに政治力が介在する。政治家達は捕鯨産業の継続を確約して、それを政策に反映させようとする。ところが元々産業として成り立っていないのだから、まともな政策では捕鯨関係者の要求を正当化できない。ここに知恵のある官僚や学者がいて、「調査捕鯨」なるよく判らない文言を入れる。この結果、捕鯨は公共事業化するのである。ある産業の公共事業化こそは、その産業の堕落のはじまりであり、墓穴までの第一歩である。
 そして(公共事業である)調査捕鯨をダラダラ続けていたあげくが、今回の国際司法裁判所の裁定である。この裁定では日本は科学的調査と云いながら、何もやっておらず、商業捕鯨と何ら変わらないと指摘している。その根拠の中に、何時までやるのか、調査結果が計画にどう反映されているのか判らない、というのがある。当にこれこそが公共事業そのものなのである。本来これは日本人自身が・・・政府に対し・・・指摘しなければならなかったことだ。そもそも「調査捕鯨」の目的は、クジラ捕獲禁止による生態系変化の程度を調べる事であった。しかし科学的調査と言いつつ、その手法は実に非科学的なものだ。クジラを捕獲して開腹し、内容物を・・・主に目視で・・・調べる。それが終われば個体は焼却するのかと思えば、持って帰って市場に販売する。これじゃ商業捕鯨と何も変わらない、と言われても反論出来ない。現代生物学に於ける生態調査は、個体は捕獲せず長期観察によって、行動形態・方法・個体数の変化等を推計化するものである。であれば例えば人工衛星を使うとか、もっと科学的な方法を採用すべきであった。クジラの捕食実態が調べたければ、何も開腹まで必要ではない。麻酔銃で捕獲し超音波断層写真を撮るとか、或いは内視鏡で胃の内容物を調べ、GPSロガーを装着して海に戻せばよい。これだけでもクジラ捕獲技術の維持は出来る。そういう方法を考えるのが、学者の努めである。業者の下請けをやっておるようでは話しにならない。
 処がこういう話しが出ると、たちまちメデイアに踊るのは「日本の食文化を守れ(林農水相)」とか、「捕鯨は日本の伝統文化だ」とか、果ては東京のクジラレストランのオーナーの嘆き顔など、センチメンタル報道のオンパレード。クジラ料理は日本料理の中では何も位置づけられていない。従来の捕鯨は沿岸捕鯨が中心で、遠洋捕鯨が行われるようになったのは昭和になってから、南氷洋捕鯨に至っては戦後である。江戸時代には太平洋岸数カ所で沿岸捕鯨が行われていたが、捕獲量は一村辺り年間せいぜい数10頭。肉の大部分は搾られて油は油脂類に、絞りかすは肥料に、皮膚や髭・歯・骨は工芸品に利用。ほんの一部が地元で食用に供されたに過ぎない。つまり歴史的に見ても、鯨肉が日本の食生活を支えていたとは、とても云えないのである。クジラレストランのオーナーに至っては、アホとしか云いようがない。第一既に20年前に商用捕鯨は禁止になった。調査捕鯨だって何時まで続けられるか判らないのである。つまり材料が入ってこなくなるリスクは始めから判っていたはずだ。だったらさっさと商売替えするのが当たり前。それをやってこなかったのは自己責任。沿岸地区で鯨食をやっている地区があるが、この地区でクジラが獲れなくなったからと言って、いきなり餓死するわけでも何でもない。イルカ騒動の時に、捕鯨反対団体に抗議する民間団体のプラカードに「漁師さんの生活を守れ」というのがあったが、これこそ噴飯・アホ最大表現だ。太地の漁師がイルカだけで食っているわけではない。
 もし調査・商業捕鯨終了で生産者の生活に支障が出るのなら、それに変わる産業を育成するのが、行政であり、政治家の役割である。それを日本の農水行政や各県知事がサボってきただけの話しだ。また、生産者が産業構造変更を拒んできたのなら、それは自己責任である。
(14/04/02)