それでも男系か? 

 前の評論で、男系論者が主張するY染色体説が、生物学的に見ても如何にナンセンスであるか、を説明した。ここでは、更に、あのナントカノミヤというか、バカノミヤが云う、女系王制は国家の分裂を招くか、について検討する。
 古代・原始社会が女系社会であったことは、民俗学的にも強く示唆されている。古代エジプト王国では、王権の正統後継者は王女で、王女と結婚したものが王位継承者になった。だから、兄弟婚が多かったと云われる。無論、形式だけだったろうが。グリム童話には、古代ゲルマン社会の記憶と考えられる部分が少なくない。その中の典型的パターンに、王女が魔女(反乱者、異民族或いは疫病の比喩か?)に呪われて王国を追われるが、そこに他国の王子が現れて、王女の呪いを解き、魔女を追放し、王女と結婚して王位を継ぐ。みんな幸せになってメデタシメデタシ、というのがある。日本では、出雲神話が典型的である。高天原を追われ、出雲(初期農耕社会)に現れたスサノオは、ヤマタノオロチ(農耕民の敵対勢力。即ち鉱山民・地質屋)を退治し(王国の危機の解決)、クシナダヒメと結婚して、出雲の支配者となった。

この物語を、出雲に於ける河川改修を例えたものとする説がある。つまり、ヤマタノオロチとは、出雲平野を流れる河川であり、オロチ退治は、河川の氾濫を制御し、農耕文明を創るための公共事業(国造り)だった、というわけである。しかし、疑問がある。@出雲で国造りを行った大国主は、スサノオの孫であり、順序が異なる。A八本目の尻尾から出てきた、「アメノムラクモノ剣」は何者で、それが三種の神器の一つになった理由は、河川改修説ではどう説明されるのでしょうか?


 これらの物語が伝えるのは、@古代王国は女系で、王権の正統継承者は女性である。A王国に滅亡の危機が訪れたとき、英雄が現れ、王女と結婚することにより、王国の危機を救う、という原理である。つまり、女系社会は英雄を産む。では、男系社会は英雄を産まないか?そのとおり。男系社会では英雄は産まれない。産まれても反乱者とか犯罪者という汚名を着せられて、歴史から抹殺される。何故なら、マキャベッリ曰く、「帝王は英雄を好まない(又は嫉妬する)」からである。
 日本と並ぶ男系王国は中国である。中国では、多くの英雄が現れているではないか?とご不審でしょうが、英雄が現れる時期に注意する必要がある。中国では、秦王朝以後平均200〜300年毎に王朝が交替している。王朝の交替とは、国家の分裂である。王朝が続いている間は、忠臣とか、名将は現れても、英雄は現れていない。忠臣・名将も、現れると…帝王の嫉妬のため…直ぐに消えてしまう。英雄が現れるのは、王朝の統治能力が無くなり、国家は分裂し、社会が混乱した時である。そして、英雄の役割は、王朝を救うのではなく、滅び行く古い体制にとどめを刺し、新しい王朝を築くことである。
 中国と並ぶ男系王朝は、オスマントルコ帝国である。ここでは、帝国の分裂を未然に防ぐため、全く別のシステムが採用された。オスマントルコだけではなく、騎馬遊牧国家では、王権の継承は、単に血筋だけではなく、実力で奪うものである。その結果、初期のオスマン帝国では、皇帝が死ぬと、兄弟間での王位継承争いが日常的だった。これに終止符をうったのが、バヤズイット一世で、父のムラト一世が暗殺されると、直ちに兄弟達を処刑して、自らスルタンの地位についた(1389)。この「兄弟殺し」が、その後オスマントルコ帝国の統一を守るための伝統となった。実は日本でも、似たようなことは行われていたのである。平安期以降、日本では、皇太子が立つと、他の皇子は出家し、仏門に入ることが慣わしとなった。親鸞聖人や一休禅師もその例である。出家とは、俗世界との縁を切ることだから、事実上処刑と同じ意味である。この伝統は、実に幕末まで続いた。なお、明治以降は、皇太子の兄弟は僧侶ではなく、軍人になることが義務になった。僧侶の役割は、死者を弔うこと、軍人の役割は死者を作ること。大変な矛盾なのだが、天皇家は唯々諾々と受け入れた。伝統など、現実の必要(つまり政治権力)の前には、無力なのだ。従って、男系の伝統など、大したことでは無いのではないか、と思ってしまうのである。バカノミヤの反論を期待したいですねえ。
 なお、新約聖書の冒頭に、アダムから始まって、イエスまで延々とイスラエル王の系譜が続くが、これがみんな男系なのが、興味を引く。だから、イスラエル人は、しばしば統一と団結を失い、諸国を放浪しなければならなくなったのか。
 さて、男系論者が自慢し主張する、日本の万世一系の実態とは、どういうものだったろうか。
@ 途中に女帝が存在している。男系論者は、これら女帝はみんな一時的な中継ぎであって、恒久的な存在ではない、と主張する。確かに、中継ぎだったろうが、例え中継ぎでも女帝が採用されるには、それなりの理由があったはずである。男系では、皇統の断絶、或いは国家的危機を招く危機があったからだろう。
A 男系だからといって、常に国家が一体であったわけではない。壬申の乱や、古代でしばしば見られる宮廷クーデター事件はどう説明できるのか?
 日本の天皇家が、神話時代は別にしても、歴史時代に男系を保っていられた理由は、途中から政治的実権を失ったためと考えられる。まず奈良時代以降は、実質的に藤原氏が実権を握った。しかし、天皇の権威は健在で、これにより日本の政治を左右することも出来た。しかし、頼朝の鎌倉開幕で、それすらも失ってしまった。以降、日本の政治は、政治的実権は幕府(武士)、それを権威付けるだけの朝廷(象徴制)の並立制になった。象徴制だから、幕府にとっては、自分の権威を裏付けてくれさえすれば、男系だろうが、女系だろうが、どちらでも良い。任命者の権威が高ければ高いほど、被任命者の権威も上がる。任命者の権威は先祖の古さに比例する。その為には、万世一系が良いのに決まっている。無論、それに対する反動もあって、それが建武動乱や明治維新だったのである。
 鎌倉以降、政治の主役となった武士のトップは、征夷大将軍である。幕府は一つの王朝である。これはその性格上、男系にならざるを得ない。ここで、鎌倉、室町、徳川三幕府の存続期間は、140〜260年、平均約210年。中国の王朝平均存続期間と変わらない。つまり、男系王朝の寿命は、永くても200数10年前後と見積もられる。もし、天皇家が男系相続で、政治的実権を手放さず、実力で日本を支配しようとすれば、とっくの昔に滅亡していた可能性の方が高い。
 以上の点から見ると、男系は万世一系を保障するものではなく、むしろ非常に不安定なものであった、ということが判る。つまり、バカノミヤの云う、日本は男系だから、統一を保たれてきた、女系ではそれは保障出来ない、などというタワゴトは、全く根拠のない妄言に過ぎないのである。
 なお、日本が男系になったのは、弓削の道鏡事件が発端だ、とタワケタ事を言う人間がいる(某田原総一郎という人物)。あの話しは、それこそ嘘か本当か判らない作り話。男系でも、天一坊事件というものがあった(尤も、これも後の講釈師がでっち上げた嘘)。つまり、偽物が出てくるリスクはお互い様。
(06/04/08)


天皇は染色体で決まるのか?



 王位継承システムは、誰でも判る単純な方式が良い。それには直系方式が一番である。誰も文句を差し挟めない。過去の歴史を振り返ると、変則的な継承方式を採ると、大抵内輪もめとか、内乱といった騒動が起こっている。日本で云えば、壬申の乱とか、南北朝の動乱などは、変則的な皇位継承方式を採ったための副作用である。
(06/02/07)

コイズミ政権も末期だと思っていたら、こんな時代錯誤のタワゴトで、党内が揉めるんだから、自民党も終わり。天皇継嗣問題について、おおかたの総意として(これは国民の大多数から、共産党まで含めて)、女帝容認論で決着が付いたかと思っていたら、三笠宮寛仁というタワケモノが、余計なことを言い出したものだから、自民から民主の一部まで巻き込んでの大騒ぎ。寛仁はいやしくも皇族なのだから、政治に影響を与える発言禁止は判っているはず。まして、天皇継嗣に係わる問題なら、それが政治問題になるのは当たり前。いくら個人的発言と言っても、その影響を考えれば、軽はずみな発言はするべきではない。旧憲法下なら、例え皇族でも不敬罪に問われかねない。こういうアホは、この間風邪で入院したらしいから、そのまま精神病院か座敷牢に放り込んだ方が良い。
 まず、女系反対論者(これを男系主義者と呼ぶ)が根拠とする、Y染色体の連続だが、日本人が染色体と言う言葉を知ったのは、20世紀に入ってからである。とても神武天皇が知っていたとは考えられない。仮に男系で皇位が継がれていたとしても、それは遺伝形質を存続させるというような、生物学的意図ではなく、むしろ、別の意味により、偶然男系が維持されたと考えるべきである。日本国憲法では、「天皇の地位は国民の総意に基づく」とある。染色体やその他の遺伝形質に基づくとは書かれていない。イヤあれは、アメリカの押しつけ憲法だから、日本の伝統には合わない、と男系論者は主張するだろう。ところが歴史的事実は、意外にそうでもないのだ。天皇は古代でも、宗教的存在と同時に政治的存在だった。しかし、6・7世紀頃には、政治的実権は既に失われ、その後の天皇の地位は、蘇我氏・藤原氏といった豪族により維持されるようになった。鎌倉以降、天皇の地位を保障したものは幕府である。幕府とは、武士の総意に基づき、武士を代表する機構である。国民の定義を、国家に対し何らかの権利・義務を有する集団・階層と定義すると、中世・近世では武士がそれに該当する。つまり、過去においても天皇の地位は、幕府を構成する武士、つまり国民の総意に基づいたものであって、現代と何ら変わるところはない。無論。これは怪しからん、天皇中心の政治にしなければならない!という運動が何度か起こるが、長続きした試しがない。統治能力がとっくの昔に失われているから、現実社会に適応出来ないのである。
 さて、ご存じの通り(高校1年の生物の知識)、ヒトの遺伝子(DNA)は染色体という形で保存されるが、ヒトの染色体は全部で23対46本あり、23番目が性染色体である。これの機能は男女の性差を分けるだけである。人格・性格・知能・体質と言った重要情報は、他の22対の染色体が受け持つ。性染色体の内、Y染色体は父親からしか受け継がれない。天皇家が万世一系と云われるのは、古代より男系できたからY染色体が保存されてきた。従って、Y染色体を保存するためには、男系でなくてはならない、というのが、男系論者の主張である。何故、Y染色体を保存しなければならないのか?よく判らない。Y染色体イコール天皇と云わんばかり。しかし、これはいくらなんでも、牽強付会、こじつけの議論である。何故なら、これは結果と目的を、混同してしまっているからである。古代より天皇家が男系できたのは事実だろう。しかし、これは必ずしも血統 を護るためではない。血統を護るためなら、女系でも別に構わない。男系を護ろうとしたのは(天皇はある時期から、文弱化したが)、古代では天皇自身、武人だったからではないか、と思われる。徳川将軍家では、直系が絶えた場合でも、男系で通したが、これは将軍が武人でなければならないからである。皇祖神であるアマテラスは女だから、それを護るには男でなくてはならない(女帝の場合、アマテラスの嫉妬を買う)、という解釈もなくはないが、少しこじつけの感はする。結果として、Y染色体が保全されてきたに過ぎない。おそらく、どこかの暇な学者が天皇家の歴史を調べ、それに遺伝学の知識を当てはめると、Y染色体の一貫性がでてきた。これに何処かのおっちょこちょいが飛びついただけの話しだろう。Y染色体の一貫性、これ自身は間違いではないが、天皇継嗣問題を左右するほどの重要性はない。父のY染色体そのものが遺伝するわけではなく、情報が伝達されるだけなのだから。どうでも良い、下らない話しなのだ。それより重要なことは、血統の正しさである。そして、この血統は性染色体ではなく、他の22対の染色体を構成する、DNAの塩基配列で決定される。遠く離れた親戚の男子より、直系女子の方が、先祖の血をより濃く受け継いでいるのは、自明の理である。何故なら直系の子は先祖の血を、少なくとも1/2は受け継いでいるが、3親等離れれば1/8、4親等なら1/16になる。殆ど他人である。ここまで離れると、本人だって、皇族としての意識がなくなる。それにつけ込む悪党が出ないとは限らない。従って、天皇家の伝統(これをDNAとすると)を護ろうとすれば、直系主義を原則にすべきである。そうしておかないと、将来天一坊が現れるかも知れない。男系論者の主張の最大の問題は、人格形成に重要な22対の常染色体を無視し、マイナーな性染色体のみに着目している点である。自動車を買うときに、車体やエンジンより、ハンドルを基準にするようなものである。但し、女帝か女系か、と云う結構ややこしい問題を、有識者会議という、法律の裏付けのない秘密会議で、簡単に結論を出すのは問題だ、という寛仁の主張には一理がある。又、自民党の一部に男系主義に汚染され、こういう下らない議論に飛びつく馬鹿があとを絶たない。おまけに、これを政局に絡めようとする、不純な動きまである。これというのも、コイズミが功を焦って、なすべき手順をさぼったからである。
(06/02/06)
 


テニストリーと女帝問題

 テニストリーとは耳慣れない言葉ですが、これは王権を兄弟(或いは従兄弟などの男系近親者)で、交替するシステムのことです。何故、今時こんなことを話題にするか、というと、例の女帝問題について、早速保守派の一部から反対意見が出て、更にそれに皇族の一部が同調するに及んで、この先、頭の悪い右翼が悪のりし、おまけに、ものを知らないマスコミが、それに同調するおそれがあるからです。だから、王権継承システムについて、少し解説をしておこう、と思うからです。
 女帝問題について、某皇族男子を含む保守系シンパの主張は概ね次の2点に纏められるでしょう。
@男系一系こそが、日本の皇位継承の伝統である。この問題を、短期間で軽々しく結論すべきではない。
Aこれがあるから、人王125代の天皇家を守ることが出来た。
B女帝の場合、その配偶者の地位、名称について法的整備がなされていない。配偶者が得られない場合、天皇制廃止の論議になりかねない。
C従って、皇位継承者の幅を広げ、男系一系の伝統を守るべきである。
 さて、そうでしょうか?Bについては、なるほどそうか、とも思うが、@Aについては、根拠はない。特に男系一系が日本固有の伝統である、という主張は、各国、諸民族の歴史・伝統に照らしても誤りである。又、Cに相当するシステムが、テニストリーなのである。だから、テニストリーというものの本質・実態は国民として理解しておかなくてはならない。
 王位を直系ではなく、兄弟(男系近親)間で交替する風習は、古代〜中世社会では、日本だけでなく、世界的に普通に行われていた。何故なら、古代〜中世では、王の権威は甚だ不安定で、王位継承権者は必ずしも血筋だけでは決まらなかったからである。王位を担保する実力が必要とされた。実力とは、軍事力・財力がものを云う。また、家臣団(官僚)・貴族(族長)・軍隊の支持がなくてはならない。モンゴルでは、大カーンが死ぬと、クリルタイによって次期大カーンを選出する。これには通常数ヶ月かかる。その間に、本命候補は族長や長老の支持を確保して、敵対候補を潰していくのである。これも実力の内。
 古代〜中世社会での、王の主な役割は、軍隊の統率、訴訟の審決、法律の布告である。統率に不備があれば、兵士が忠誠ではなくなり、裁判に不公平があったり、法律が国の隅々まで行きとどかなければ、国民に不平・不信が発生し、国家が不安定になる。又、周辺諸国からの信頼も必要である。国家が巨大国である場合、国王の資質に疑問があるとすれば、周辺属国が動揺し、国境周辺が不安定化する。逆に巨大国の属国の場合、宗主国の承認を得られないことがある。その結果、国王を男系にする必要があったのである。無論、これらの条件を全てクリアーすれば女性でも構わない。古代エジプトのハトシェプストのように実力で王国を支配した女傑もいたのである。
 では、こういう政権交替がどういうように行われるかと云うと、一般には、兄王が生きている間に、弟と政権交替が約束されることが多い。但し、兄王の王子が成人した暁には、王位を王子に戻すという約束でだ。しかし、誰が考えても、こんな約束がまともに守られる訳がない。どういうことが起こるかというと、一般には次の3パターンがある。
@王子が、ある時、原因不明の病気か事故で死んでしまう。
A王子はまだ子供だとなめていたら、王子を担いで奪権を狙う家臣が現れ、王子もすっかり知恵が付いて、気がついたら、王子派によるクーデターで、国王とその一族・家臣団が一斉逮捕処刑されてしまう。
B国が国王派と王子派に分かれて、戦争に発展する。「壬申の乱」がこの例。
 もう判ると思いますが、テニストリーとは、国家統治が政府や法律の権威に基づかない(国王の権威が確立していない)、前近代社会でのシステムだということです。国王や国家の権威が確立すると、このシステムは廃止され、直系制が普通になります。何故、テニストリーが廃止されるようになったかというと、国家(国王)の権威が確立するにつれ・・・ということは、国家の成熟度が上がること・・・、利点より欠点の方が大きくなったからです。これに至る過程には、次の二つのパターンがあります。
(1)イギリス型(立憲君主制)
 ブルジョワジーが発生し、政府・議会の力が国王を上回ると、国権の代表である軍事統帥権、裁判権、立法権も政府・議会に移ってしまうので、国王の必要条件としては血筋しかなくなる。だから男系である必要はなく、政府・議会にとって都合の良い直系制が採用される。王子が複数いる場合、王位を継げる王子は一人ですから、他の人間は邪魔になります。だから、他の王子は本国以外の領地の候に封ぜられるか、どうでも良い閑職に付けて飼い殺し。
(2)フランス又はロシア、トルコ型(絶対君主制)
 これは改めて解説する必要はないでしょう。当たり前です。皇太子以外の王子は通常は抹殺される。デユーマの小説「鉄仮面」はこれをテーマにしたものです。、
 日本の場合、大化の改新以来、天武朝と天智朝との間で、政権交替(というより奪い合い)が行われてきました。ところが、桓武天皇以来・・・中世の南北朝という若干の混乱はありますが・・・直系制になります。平安期以降、明治維新まで、皇弟は僧籍に入ることが習わしになります。親鸞聖人や一休禅師もその一人。これは実質的な抹殺です。動乱期に天皇を助けて活躍した、武人型の皇弟が現れます。建武期の護良親王や幕末期の中川の宮などがその例ですが、彼等は何れも僧籍から還俗した人達です。
 つまり、テニストリー制に代表される、男系一系制は日本固有の伝統でも何でもなく、世界中で行われていたことで、日本もその例外ではなかった、ということに過ぎません。
 以上を纏めると、王位の継承方式には歴史上、次の3方式があることが判ります。
    (1)男系一系制
    (2)直系制
    (3)男子直系制
(1)男系一系制
 これがテニストリーに代表される古い王位継承方式です。これの利点は、王位継承者選択肢の幅が広く、王制を維持するのに最も都合が良いことです。しかし、王位継承権を巡って混乱・闘争が発生することが多く、とっくの昔に放棄された方式です。民主主義に基づく今の日本に、王位継承を巡っての闘争などあるはずがない、と思う人もお有りでしょうが、皇室というのは、特別のブランドを持つ。つまり、うっかりすると、利権に利用されかねない、ということです。もし、候補者が二人以上おれば、これを巡って、次期天皇候補者を利用した、スキャンダルが発生するかもしれない。又、候補者に政治的野心が芽生えれば、国論・国家を二分する政治問題が発生しかねない。
(2)直系制
 現在、ヨーロッパの王国が、全て採用している方式です。永年の歴史的教訓から編み出された知恵の産物です。今回の、政府有識者会議の結論であり、国民の大部分(おそらく共産党も含めて)が支持する方式です。これの問題は、男子が生まれない場合、女王(帝)となり、冒頭に述べた問題が発生することです。しかし、これらの問題は主にテクニカルな枝葉末節の事柄です。今すぐに結論を出さなければならないものではない。
(3)男子直系制
 現在我が国の皇室典範が定めている方式です。前2者に比べ、後継者選択肢が最も狭い方式です。モロッコやサウジなどイスラム諸国はこれかも知れません(ひょっとすると、これらの国は未だテニストリーかもしれない)が、これらは一夫多妻だから可能なのでしょう。タイ、ブータンも仏教国だから、この可能性はありますが、よく判らない。少なくとも西欧型王室では採用されていない。一般に動物は進化が進むと、少産になる。日本人も、今後これ以上多産系になることは考え難い。そこで出てくるのが、側室制である。しかし、昭和天皇以来、日本の天皇家は一夫一婦制となり、それが国民全体の支持を得ているのである。天皇家というものは、伝統を守ることも重要だが、その生活が国民の模範で無くてはならない。現憲法が禁じている一夫一婦制を、天皇家が破ることは、天皇家に対する国民の支持を失わせるものであり、更に諸外国に対して、野蛮の印象を与える。百害あって一利なし。
 そこで考えられるのが養子制です。旧皇族、或いは臣籍に降下していても、天皇家と血縁関係にある男子の中から、適任者を選び、それを天皇家の養子に迎え、帝王教育を施した後、皇位を継承すれば良い。これは一見テニストリーと似ているが、一旦養子にする事により、直系制が維持出来ることが異なる点です。江戸時代の大名家では、後継者難になったときに、将軍家や縁戚の大名から養子を迎えることが、常態化していました。これの利点は、領主が交替しても、領民が違和感を覚えないことです。もし国内に適任者がいなければ、海外から求めることを考えても良い。ヨーロッパでは、こういう例は幾らでもあります。例えば、現スウェーデン王室の祖先は、国王も王妃もフランスの庶民(ナポレオンのライバルだったベルナドット元帥が、一旦スウェーデン国王の養子になり、国王の死後国王に即位。この顛末は小説にも映画《デジレ》にもなっているので、オールド洋画ファンならご存じのはず)。かつてのロシア・ロマノフ王朝の祖先もフランスの貧乏貴族。ハプスブルグ家の先祖に至っては、出自もよく判らない。旧朝鮮国王の末裔あたりを探してくれば、日韓友好にもなるし、将来 ヨン様ばりのイケメン天皇が期待出来るかも知れないので、女性の支持間違いなし。(05/11/10)


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