『ISOについて(増補版)』

 これは先般メルマガキーストーンに掲載された『ISOについて』に未だ、書き足らない点や説明を要すると思われる部分を付け加えたものです。



 ISOの問題については岡野工業社長の言い分は半ば当たっているとは思うが、筆者とは若干認識が異なる。両者とも、ISOで技術が向上するとか、品質が向上するとかといった幻想を抱いていない点は共通している。異なる点は、岡野さんはTQC至上主義のようだが、私はもう少し第三者的だということである。この点はあとで述べます。
 まず、ISOについてですが、私個人も数年前からISOなんて駄目だ、と思っている。この点について説明しましょう。
1) 数年前、英国BNFLによる関電MOX燃料品質管理データのねつ造が問題になった。当時の毎日新聞にねつ造データが載っていたので、それを見ると、そのお粗末さにあきれ果てた。高校生でも少し数学や物理を知っておれば、もう少し上手く作れる。同じねつ造するならもっと上手くやれ。なお、この件は、筆者が既にホームページで指摘している。確かISOを言い出したのは、イギリスじゃなかったのかね。本場がこれではどうにもならない。
2) 今、世界でISO取得企業数の伸び率が一番大きい国は、何処か知っていますか。それは中国です。中国は現在改革解放経済下にあり、先程の憲法改正でも、私有財産保護が明記さました。しかし、政治的には、中国共産党の指導下による、事実上の一党独裁国家です。党の方針が政府の政策となり、国家の目的になる。全国民は、それぞれが属する階級の役割に従って、国家に奉仕する。それが社会の動きを決定することになります。現在の中国の最大目的は、経済発展です。その手段として、グローバル経済を選んだ。世界の工場としてグローバルに、受注していかなくてはならない。この時に必要な手段がISO というわけ。ISOの建前では、各国に政府とは独立した認証機関を設立し、これの認可を受けた認証会社が、個々の企業を審査して認証を与えることになっています。しかし、党と政府が一体化した中国という国家で、真に政府から独立した認証機関が存在出来る、と考えるほど我々はナイーブではありません。
3) 小泉改革のおかげで、ISO認証を受けたいと思っている会社もどんどん倒産する。一方、大企業をリストラされたサラリーマンがISO業界に入ってくるので、知らない間にこの業界も人余り状態。審査会社間の競争も激しく、審査料も値崩れをおこし、たたき合いになっているらしい。そうすると、審査員の日当も下がるので(一日1万円という情報もある)、審査会社も審査員も数でこなすしかないから、まともな審査が出来なくなる。その内あちこちからクレームが出てきて、いずれISO審査員など、社会の盲腸扱いされるでしょう。しかしISOはそう簡単にはなくならないような気がする。何故なら、これは役人の退職後の生活安定に、丁度良い職場を与えるからである。でもやっぱり最後にはなくなるでしょう。何故なら、役に立たないものの運命は消え去るのみ、というのが資本主義の冷徹な原理だからです。
 それに肝心のアメリカが無視しているんだからどうにもならんのじゃないか
 以上述べたことだけでは、ISOだとかそういった品質管理は、無意味だと思う人が出てくるかもしれない。それはそれで、頭の毛が三本足りないのである。無能な経営者ほどISOやTQCなどという横文字に弱く、これさえやれば業績がアップすると錯覚する。25年ほど昔のTQC騒ぎの時もそうで、TQCの旗振りをやっている経営者が、TQCの意味をさっぱり理解せず、無理難題を現場に押しつけてくるので、現場は混乱するばかり。QCサークルなど文化大革命の自己批判集会のようになっちゃった。関西の某電力会社では、ノイローゼで入院する管理職や自殺者まで出たのである(その電力会社の某施設のトイレで、ある管理職がうつろな目で天井を見つめ、なにならぶつぶつ呟いていたという、不気味な目撃証言がある)。それに比べりゃまだISOのほうが、人道的のような気がする。少なくとも、ISOで精神病院入りしたり、クビを吊ったという話は聞いていない。あったら教えて下さい。
 TQCもISOも、その内容をよく読めば判るように、技術力とは何の関係もない。TQCはそもそも、規格外製品の発生を極小化するための手段であり、ISOに至っては品質管理にも無関係である。ISOの要求するものは、情報の共有化と公開である。先に挙げたBNFLのデータねつ造事件はこれを怠ったのである。これが我々の仕事にどういう風に結び付くかというと、事故・不良品発生の未然防止、製品の均質化である。ダントツの技術を身につける(これはそもそもISOの目的ではない)ことは出来ないが、そこそこフツーの技術力強化に繋ぐことは出来る。この点、岡野社長には何かISOに対する誤解があるように思われる。ISOを導入してみたが、思うように成果が上がっていないと思う経営者は、もう一度技術とは何かを考え直して、ISOと上手くつき合う工夫をした方が良いだろう。ナントカと鋏も使いよう、という言葉もある。なお岡野社長はISOを導入してから不良品が増えたと言っているが、これはその頃から、日本企業が中国に生産拠点をシフトしたことに関係しないか。又、TQCとISOは役割が違うから、別に矛盾しない。TQCを進めながらISOで管理することも可能なのである。
 なお、岡野社長もどうも気が付いていないようだが、TQCとISOにはそもそも根本的な違いがある。TQCは余りにも生産技術重視に偏り、世界市場を睨んだ戦略が無かった。逆にISOはそもそも世界戦略から始まった。つまり、1980年代から始まった、日本の輸出攻勢(それを支えたのがTQC)に危機感を抱いたイギリス・ヨーロッパ勢が、世界市場から日本製品を追い出すために考え出したのが、ISOなのである。これは市場経済主義と共に、グローバリズムを世界に押し進める力の一つなのである。しかし、日本の政府・産業界はそれに気付かず、みすみすISOの軍門に下ってしまった。同じ頃、国際金融でもBIS規制を呑んでしまっている。これが日本の銀行保有資産の大部分を、不良債権化した元凶である。如何に、当時の我が国産業界指導層が、無能でボンクラ揃いだったがよく判る。今も大して変わりはないが。岡野社長はあくまで「もの造り」の立場からISOを批判しているが、これだけでは問題は解決しない。現にISOを武器に、経済発展を遂げている中国という国があるのだから。日本にとって重要なことは…特に岡野社長のように、日本技術界の指導的立場にある人にとっては…単にISOを批判するのではなく、ISOを越える世界標準を作ることである。それも国家戦略として。(2004/03/23  技術士(応用理学)横井和夫)


1)不良品の発生はISOのせいか?
 岡野社長はISOを導入してから不良品が多くなった、と主張するのに対し、筆者は生産拠点を中国にシフトしたせいではないかと述べた。中国シフトは国内のリストラを意味する。つまり、不良品の発生はリストラの進展に比例していると考えられる。リストラとISOは関係ない。
 先般のブリジストンタイヤ宇都宮工場爆発火災事故、TVのニュースでこれを見た途端、「これはリストラのやりすぎだ」と直感した。当日夕方のニュースで、何処かの評論家が同じことを云っていた。最近とみに多いのは、産業事故が建設現場だけでなく、製造現場、それも中小企業ではなく業界トップ企業で頻発することである。先だっての出光苫小牧タンク火災・三菱長崎の建造中船舶火災などが例として挙げられる。
 出光苫小牧を例に挙げよう。鎮火後の上空からの映像を見ると、タンクがスロッシングを起こしたのは、一目瞭然である。ところで、原油タンクのような危険物貯蔵施設は、作りっぱなしではない。大きな地震がある度に、設計基準が改訂され、それは自治大臣(現在の総務大臣)から、各自治体消防当局に通達される。消防はこれに基づいて、各事業者に貯蔵施設の安全性の確認を求める。事業者は本来、消防の指導・勧告が無くても、安全確保の義務がある(国土交通省での内部監査)。ISO取得事業者なら、当然の義務である。安全性に不足があれば、対策工を実施しなければならない。
 スロッシングは、タンクの安全確認項目の基本の一つでもある。何故、スロッシングが起こったのか?事業者が安全確認を怠ったとしか考えられない。これはISO(出光なら当然取得済みと考えられる)を忠実に実行しておれば、避けられた可能性がある。但し、ラインがいくらISOに忠実であっても、トップが無視すりゃ何にもならない。三菱ふそうハブ損傷事件もその可能性はある。つまり、不良品の発生はISOの問題ではなく、企業ひいては経営者の経営姿勢の問題である。

2)TQCは何故挫折したか?
 かつて日本列島を席巻したTQCの嵐は今や見る影も無く、全部ISOにとって替わられた。何故か?先に述べたように、TQCに世界戦略が無かったのが大きな要因だが、もう一つ民族性もあるのではないか。TQCというのは、まず到達すべき目標があり、それに到達するために、下部構造からの討議を積み上げる。そのためのQCサークルの重層構造と、末端からの提案の吸い上げ構造を特徴とする。末端からの提案が順次高レベルのQCサークルに伝達され、討議・選別され、最後にトップに到達するというシステムである。我々は既にこれにそっくりのシステムを知っている。それは江戸時代日本の統治(特に農村)システムと共産党の細胞組織・民主集中制、というピラミッド構造である。この方式は、民主主義の進んだ欧米では受け入れられ難い。このシステムに耐えられるのは、世界広しといえど、日本人と北朝鮮人ぐらいじゃないか。どうもTQCは、末端が集団で行動することを好む、農耕民族に向いているらしい。TQCが日本的ボトムアップ方式(これは最終責任の所在が判らなくなる)なのに対し、ISOは西欧流トップダウン方式だから、個人主義の進んだ欧米で、より受け入れられる原因になったのだろう。