アラブは何故敗れるか、イスラエルが滅亡するとき


 現在の中東情勢の混迷は、イラクが眼になっているように見える。しかし慧眼の読者なら、中東問題の本質はイスラエルにあるということは判っていると思う。今後の中東問題を考える上で・・・つまり我が国の外交政策を考える上で・・・・最も重要なことは、今後イスラエルという国がどうなるか、ということの判断である。イスラエルという国が未来永劫続くのか、それともあるとき突然消滅するのか。それによっては今後の方針が随分変わってくるはずです。先に発表した「アラブは何故敗れるか」に「イスラエルが滅亡するとき」を付け加えます。


以下の文章は対イラク戦争が勃発して1〜2週間後に何処かのメルマガに投稿しようと思って書いたモノです。ところがその後事態の展開が急になってしまったのでそのまま放っておいた。ところが最近、つまり2003/7月末の状況では事態はこの中で述べている予言通りに展開したので急遽掲載することにしました。それは文中下線部分です。7月末、一部アラブ人の密告によりサダムの息子ウダイとクサイが射殺された。ああやっぱりか、である。ここでもう一つ予言をしておきましょう。裏切ったアラブ人の名前や家族は既にフセイン派に知られているだろう。彼らも又必ず殺される。但し、殺人犯がアラブであるとは限らない。

                                      1、アラブは何故敗れるか

                                                                     技術士  横井和夫
1、始めに
 第二次湾岸戦争が始まったが、イラクが負けるのは始めから判っているので、真面目な軍事・歴史評論家としての私は面白くも何ともない。単なるイジメにすぎないからである。いじめっ子であるアメリカにも刑事責任がないとは云えない。アメリカはイラクに対し"宣戦布告をした"といわれるが、これは国際法だけではなくアメリカ国内法にも反する疑いがある。又、アメリカは在米イラク資産の凍結と没収を行ったが、これも全く法的根拠はない。何故なら、イラクは国連決議を無視してきたかもしれないが、アメリカに対する具体的な敵対行為はしていない。法的根拠を伴わない財産没収は、我が国では一般に「泥棒または強盗」と呼ばれ最も卑しまれるべき行為とされる。

 今回の戦争には大義は無いが、第一次湾岸戦争は、先にイラクがクウェートを侵略したからアメリカ側に正当性がある、という向きがある。しかし筆者はその考えは採らない。イラクがクウェートに侵攻する1週間ほど前の毎日新聞外信欄に「クウェート国境にイラク軍が兵力を終結中」というベタ記事があった。しかし、一向にアメリカが動いたという気配はない。その内、イラク軍がクウェートに侵攻する。アメリカがイラクを非難し出すのはそれから暫く経ってからだ。だから、筆者はイラクのクウェート侵攻は、アメリカの同意の元で行われていたのだとばっかり思っていた。サダムもそう思っていたのだろう。その内、エイプリルという駐イラク大使が帰国して、そのまま行方不明になってしまった。エイプリルは何処へ行ったんだ。

 かつて、日本がアメリカに対し宣戦布告を行った根拠に、在米日本資産の凍結、石油禁輸という経済制裁があった。云っておくが、当時日本はアメリカの領土・権益には一切手を出していない。にも関わらず、アメリカは日本に対し制裁を行った。これ自身極めて一方的な処置であり、国際法に違反していることは明白である(従って、極東軍事法廷は法的根拠がなく、その決定は一方的な報復にすぎない。しかしながら、歴代の自民党売国奴政府はその点に疑問すらだしたことはない。コイズミも同様)。つまり、アメリカという国は、昔から「泥棒または強盗」を繰り返してきたのであって、多分将来も変わらないだろう。イラクや北朝鮮が「ならず者国家」なら、アメリカは「強盗国家」である。しかし、本論はアメリカの不当性を論証することが目的ではない。アメリカがどうであれ、現実にはアラブは敗れる。その理由を示すことが目的である。
2、アラブの敗因
 何故、アラブは外敵に敗れるのか。その理由はアラブ自身にある。それは「裏切り」である。実際「裏切り」と「だまし討ち」はアラブの得意技で、これによって今まで生きながらえてきたともともいえる。十字軍はおおよそ200年続いたが、アラブが早期に団結してヨーロッパ軍に対抗する体制を作れれば、十字軍はその時点で追い返せた。しかし、アラブの諸侯は互いの闘争…特に兄弟喧嘩が多い…に忙しく、対十字軍闘争など興味はなかった(十字軍が侵攻した地中海沿岸地方は土地はやせ、何の産業もないので、アラブ諸侯にとって、全く魅力の無い地域だったのだろう。従って、その支配者が誰だろうと構わなかったのかもしれない)。例えば、カリフの要請に応じて諸侯の兄弟がヨーロッパ軍に対し共同で出兵したとする。ヨーロッパ軍と弟のアラブ軍との間に戦闘が発生した。ここに兄軍が突入すればアラブの大勝利に終わるはずである。しかし、兄軍は知らん顔をして引き上げてしまう。結果としてアラブは敗北する。理由は顕かである。功績は兄のものでなければならない。弟が功績を得れば将来必ず我が権利を侵す。弟が敗れればそれに越したことはない
 このようなことが十字軍時代を通じて頻繁に行われた。中には、アラブ間の闘争勝利のために、宿敵であるヨーロッパ人と手を結んだ例も少なくない。このようなバラバラのアラブを統一した人物の一人に英雄サラデインがいる。しかし、彼も部下の裏切りによって命を失った。
 近現代に於ける、アラブの最大の裏切りは、第一次世界大戦に於けるイスラムの保護者「オスマントルコ」に対する裏切りである。それまで600年間に亘ってアラブはトルコの保護の基に安逸な生活を楽しんできた。しかし、この時アラブは目先の利益に眼がくらんで、自らをキリスト教徒に売り渡してしまった。以来、中東アラブはアメリカとユダヤ人の奴隷に成り下がってしまったのである。
 今回の戦争でも様々な局面で裏切りが発生し、サダムも結果的には裏切りで命を失うだろう
 このような裏切りが発生する原因は何なのだろう。それはアラブ人は基本的には個人主義者だからだ。平和な時、自分が有利な時には一致するが、不利になると個人主義が頭をもたげ、利己的な行動に走るのである。上記のエピソードはその一例であるが、少し古すぎるのでもう少し新しい例を紹介しよう。
 1967年6月第三次中東戦争が始まる。この戦争では、伊藤忠の瀬島龍三が大方の予想に反して、イスラエルの勝利を予想して有名になった。筆者はこの時社会人1年生だったが、瀬島とは全く独立してイスラエルの勝利を予言した。といっても始めからではない。瀬島は伊藤忠の膨大な情報網を駆使して、当初からの予想もできたかもしれないが、筆者は毎日の新聞外信欄に出ている、断片的な記事を繋ぎ合わせるしか方法は無かった。細かい過程はわすれたが、南部戦線でイスラエルがエジプトの攻勢をかわしたあたりから、イスラエル勝利を確信するようになったと思う。とにかく、戦争開始からアラブ側の動きはちぐはぐだった。例えば、エジプトが猛攻を加えても、他のアラブ諸国は国境に軍隊を集結させるだけで、何もしない。イスラエルがヨルダンに侵攻すると、イラクやシリアはヨルダンを支援するどころか、自国の防衛一片道になる。各国はイスラエルの動きを見るよりも、同盟各国の動きに敏感だったようだ。後はイスラエルのやりたい放題、各個撃破である。要するに、アラブは始めからバラバラだったのだ。こちらが統一指揮系統と一貫した戦略を持ち、相手がそうでないとき、何処かで相手にダメージを与えることができたら、後はこちらの思い通りになる。これは戦略の基本である。
3、失敗の原因
 サダムの失敗原因の一つに、富の自己周辺への集中が挙げられる。つまり石油他の権益で得られる利益を、自分の郷党に集中させたことにより国民全体の支持を得られなくなった。これは同質の独裁者であるアドルフヒトラーとは著しく異なる特質である。ヒトラーは共和国大統領・首相・国防相・陸軍総司令官及びナチス党首等を兼任していたので、総所得は相当の高額になる。その処分については2説があって、一つは兼職している役職給与の合計が所得になるという説、もう一つは兼職している役職給与の内最高額が上限所得になるという説である。アングロサクソンの社会では前者になるが、ローマ法が普及していたドイツでは後者になる。従って、ヒトラーの所得に関しては後者とするのが妥当と思われる。何故なら、ヒトラーがまともに税務申告をしていたとは思えないが、戦後も彼の税務処理は問題になっていないからである。
 最高権力者であるヒトラーが、富を自己周辺に集中させていないという伝説は、中産階層を基礎とする第三帝国市民並びに国防軍将兵に、国家に対する大きな信頼感を与えることになった。実際、ヒトラーはドイツ中産階層の保護・育成には大きな努力をはらっている。それを反映して、大戦中ドイツ国防軍は驚異的な戦闘力と粘りを発揮している。
 これは我が大日本帝国陸海軍についても同じ事が言える。日本軍将兵の給与は天皇の名の下に担保されていたので、中間搾取が無く全額が間違い無く支払われる。これが天皇にたいする信頼感となり、将兵は給料遅配の心配なく戦闘に専念出来る。これが日本軍の強さの源泉となる。一方中国軍は軍閥の中間搾取が甚だしく、中央政府が支払った給料が末端の兵士に届くときには数分の一に減少していたり、給料遅配は頻繁であった。これでは闘う気が起こらない。中国軍が闘う気になったのはアメリカの支援で給料をドルで支払うようになってからである。
 会社でも同じで独裁権力を行使したければ、それに見合ったばらまきをやらなくてはならない。
 ところが、サダムはせっかくの富があるにも関わらず、その分配方法を間違った。独裁国家を目指すならバックボーンとなる中産階層を育成しなければならない。にもかかわらず、彼は中世的な遊牧社会・封建社会の方法を採ってしまった。ヒトラー型よりはスターリン型の恐怖統制である。従って、イラク国軍に関しては、かつての日本やドイツのような国家に対する忠誠心…これは国家によって保護された中産階層の特徴である抽象概念…は期待出来ない。サダム自身がその芽をつみ取ってきたからである。それはサダム自身がイラクを信用していないからで、その基にはアラブの伝統的方法である「裏切り」が存在するのである。
4、世界的影響
 現在の主流である市場経済主義はその行き着くところ、社会の中産階層を死滅させ一部の富裕階層とその他の貧困労働階層との分離を生じる。両者の間に信頼関係はなくなり、国家は分裂し裏切りが横行する事になり、国家と国民間の信頼関係を基礎とする国民主権国家は崩壊する。これがアメリカ資本主義即ちユダヤ人の狙いなのである。
 以上は3月24日までの情報によるものである。25日になると少し話が違ってきている。
意外にイラクは口先だけではなく、粘りがあるかもしれない。これは本年(2003)年賀状に曰く「ブッシュは最初は成功するが、最終的には失敗するでしょう」という私の予測を裏付けるので、私個人としては面白いが、その後の「第二次湾岸戦争後のドル暴落」が現実化しそうなので喜んでもいられない。
 また、イラクが予想を裏切って善戦したとき、北朝鮮は更に厄介な問題になる。北朝鮮軍はイラク軍より遙か高度に訓練されているし、指揮官も馬鹿ではない。北朝鮮にうっかり侵攻したときの米韓軍の損害はイラクとは比べものにならないだろう。今、コイズミ内閣はイラクに於けるアメリカの勝利をバックに北朝鮮に有利な交渉を、と考えているかもしれないが事態は全く逆方向に動く可能性がある。
 それがここ1週間ぐらいの間のイラク戦線で回答が得られるかもしれない、と期待される。情報としてはTVの画像よりは遅れても新聞報道…特に経済欄、先物商品価格…に着目したほうがよいでしょう。なお、判断はあくまで自己責任です。


 現在(2004/1)の状況では4、は実現していない。むしろ前半に挙げた十字軍時代の状況が再現されているように見える。何故、そのようなことになるかと云うと、アラブがアラブを裏切っているからである。特に各国の指導者・権力者は自己の権力保全に熱心である余り、国家を裏切り、人民を裏切り、神(アラー)を裏切っている。この結果ラデンのような鬼っ子を産んでしまった。アラブが真の独立を取り戻すには、あと100年ぐらいかかるかもしれない。


2、イスラエルが滅亡するとき

 既に存在している国が滅亡することなんてあるのでしょうか。幾らでもあります。生物進化の世界では、早く進化した生物種ほど繁栄期は短いという経験則があります。又、複雑な生物ほど寿命が短いのも事実です。現在のイスラエルという国は、建国以来30年くらいで中東有数の軍事大国に成長しました。これだけでも、この国の将来の運命が占えるのです。結論を云うと、イスラエルは早期の滅亡を宿命とした国家です。早ければ数10年以内、遅くても100〜200年後には滅亡し、ユダヤ人は再び世界を放浪するでしょう。
 本論に入る前に現在のイスラエル共和国の性格、国家成立の背景を吟味しておく必要があるでしょう。
1、現代イスラエル共和国について・・・・その建国のいきさつ
 1947年11月29日、国連総会でアメリカとソ連がパレスチナ分割案を発表。翌48/5/14、ユダヤ人独立運動リーダー、ベングリオンはイスラエルの独立を宣言する。アメリカは直ちに独立を承認。その3時間後、周辺アラブ諸国はイスラエルに宣戦を布告、第一次中東戦争の始まりである。18日、ソ連・ヨーロッパ各国はイスラエルを承認。これがその後半世紀以上に渉る中東紛争の発端になる。これが中東だけで済んでいてくれれば問題は無かったのだが、1959年、当時の岸内閣はアメリカの意向を受けて、エネルギー政策を石炭中心から石油中心に切り替えた(これにより三池闘争が発生)。以後日本は中東問題と無関係ではいられなくなったのである。なお、岸信介の孫が阿部晋三で、アメリカ妾主義は祖父以来岸家の伝統。
 それ以後、イスラエルは何かにつけて、ナチのホロコーストや永年のユダヤ人迫害を言い立てて、国際的な同情をアピールする政策を採ってきた。これに騙される国(日本もその一つ。アメリカが特にひどい)もあるわけで、特にヨーロッパ諸国は一種負い目を感じることになる。しかし、永年のユダヤ人迫害などあったのか。ヨーロッパに於けるユダヤ人迫害は、19世紀末から20世紀初めの僅か数10年間しかなかったのが歴史的事実である。
 紀元1世紀、ユダヤ人過激派(この当時のユダヤ人過激派の行為は、現在のアルカイダと殆ど変わらない)による反ローマ独立闘争が発生する。当時の世界の警察官であったローマ帝国は、現在のアメリカと同様、断固鎮圧方針で臨む。これがユダヤ戦争である。現在の中東を巡る状況とよく似ているでしょう。この結果、ユダヤ人は故郷を追われ、多くはヨーロッパに逃れたと云われる。実はこれにも疑問があって、ユダヤ人の多くはそのまま故郷に留まり、追放されたのはアルカイダ的ユダヤ過激派だけではなかったのかと考えられる。その証拠として、アラブの歴史家アミン・マアルーフによる「アラブが見た十字軍」によれば、エルサレムにやってきたフランク人(十字軍のこと)はアラブ人だけではなく、ユダヤ人も殺していることを目撃されていることが挙げられる。11世紀のパレスチナではアラブとユダヤが共存していたし、アラブ人はユダヤ人に襲いかかった災厄を、自分のそれと同等に評価していたのである。ローマ帝国が滅び、中世という時代がやってくる。中世ヨーロッパでは、手を使う職業はキリスト教徒の白人だけのものとされ、彼らは職人組合(ギルド)を作って職業を独占していた(筆者はこれがフリーメーソン結社の起源と考えている)。つまり、異分子であるユダヤ人はヨーロッパの伝統的職業に付けない(これを迫害というなら、そうかもしれないが)。その結果、ユダヤ人は手を使わない職業・・・医師・弁護士・金融業・教師・・・を独占するに至ったのである。近世以降西欧世界では、宗教革命・中央集権制の強化・産業革命といった一連の社会発展が続き、これらの職業は相対的な重要度を高め、ユダヤ人は社会の上位階層に位置を占めることになる。ユダヤ貴族の発生である。19世紀も末になると、フォン・ノイマンのようにユダヤ人であっても、貴族の称号であるフォンを付けるようになるのはこの時期である。この時期、ユダヤ人は完全にヨーロッパ社会と同化し、ユダヤ人自身が自分をユダヤ人と意識しなくなってしまった。但し、これはあくまでも西欧社会(ライン川の西、ドナウ川の南)の話で、東欧やロシアでは話が違う。産業革命を経験した西欧社会と異なり、東欧・ロシア社会では、土地を持たないユダヤ人は社会の底辺階層に甘んじなくてはならなかった。無論、金融業に進出した者もいたに違いないのだが、資本主義が発達した西欧社会と異なり、東欧社会ではこれらの職業は社会的嫌悪の対象にしかならなかったのである。又、東欧社会にも資本主義が押し寄せると、伝統社会の中に貧富の差が生じる。この時、社会底辺部分を受け持っていたユダヤ人は、ヨーロッパ人貧困層の失業の原因と見なされるようになるのである。それを最も強硬に主張したのは、アドルフ・ヒトラーという青年とされるが、実際は彼の主張は当時のヨーロッパ下層階層の一般的な認識で、彼はそれをパクったに過ぎない。
 更に東欧・ロシアに移住したユダヤ人の不幸を加速したのは、19世紀末の民族主義の高まりである。民族主義というのは、ある民族が民族「のアイデンテに目覚め、民族の自立を目指す運動とうけとられるが、一方で民族浄化を主張したり民族の優劣比較を行い、地域社会内での異質物の排除・迫害をもたらす。特に最も強烈だったのはスラヴ民族主義で、極端な白人優越主義・異人種排除主義を主張する。異人種排除主義といっても、対象は強いドイツ人やトルコ人ではない。弱者、つまりユダヤ人に向けられる。特に東欧ユダヤ人は西欧ユダヤ人と異なり、民族の伝統を頑なに守ってきたため、余計迫害の程度が非道くなったのだろう。上着に「ダビデの星」の縫いつけを強制したり、都市にゲットーが作られるのもこの頃である。
 さて、迫害されたユダヤ人が向かった場所は、先ずオーストリア、特に首都ウイーンである。オーストリア・ハンガリー帝国は多民族国家であり、国策として民族融和主義をとっている。オーストリア皇帝は弱者の保護者を持って任じており、ウイーンは当時のコスモポリスだった。ユダヤ人がヨーロッパ中で最も安心して住める都市がウイーンだったのである。従って、ウイーンのユダヤ人人口は急激に増える。これに最も驚いたのは、昔から住んでいる西欧化したユダヤ人だった。彼らは生活様式から何から全て西欧化しており、彼らにとって東欧からやって来た、つば広帽子を被り、長い顎髭を生やし、カフタンと呼ばれる長いガウンをまとった東欧ユダヤ人はとても同胞とは思えず、嫌悪の対象でしかなかった。つまり、差別の中に差別が発生したのである。しかしながら、全ヨーロッパを動かす民族主義の高まりは彼らにとっても無関係ではあり得ない。そこで、全欧ユダヤ協会というものが結成され、第一回総会がウイーンで開かれた。議題は当然、ユダヤ人独自国家の建設である。東欧ユダヤ人は・・・ほぼユダヤ教原理主義者といって良い・・・聖書に則り、「約束の地カナン」への帰還を主張する。一方、西欧ユダヤ人の反応はバラバラで、「聖書の云っていることは、伝説に過ぎない、それにこだわることはない。南米の何処か人のいない土地を買って、そこにユダヤ国家を作れば良いんじゃないか」という意見まで飛び出す始末。これは必ずしも、西欧ユダヤ人がいい加減ということを意味しない。西欧ユダヤ人は既に相当の資産を貯め込んでいる。彼らにとって、新国家の建設というのは重要な投資である。投資は安全で確実でなければならない(これは1000 年以上の放浪生活からきた経験則)。当時の旧世界は、帝国主義と民族主義のぶつかり合いの場で、全体が火薬庫と化し、何時・何処で火を吹いてもおかしくない(比較的安全だったのは極東だったが、ここもロシアと日本の対立が深刻化し、安全ではなくなった)。こんな処への投資は非効率でリスクが大きすぎる。新世界なら、ずっと安全である。しかし、失うものが何もない東欧ユダヤ人が、このような経済合理主義を理解するわけもなく、協議は決裂し、東欧ユダヤ人はカナン、特にユダヤ民族の象徴としてのシオンの丘への入植を開始する(ユダヤ原理主義者をシオニストというのはこれから始まる)。
 当時、パレスチナを統治していたのはオスマントルコ帝国であるが、東ローマ=ビザンツ帝国の後継者を任じていたオスマントルコ帝国政府は、何を思ったのか、それとも何も考えなかったのか、シオニストの入植と自治を許可してしまう。実は当時、トルコ帝国領内によく似た異民族共同体は幾らでもあった。トルコ政府はシオニスト共同体を、トルコ領内での異民族共同体と同じようなものと思っていたのだろう。これが、大体20世紀初め頃の話。
 話がややこしくなるのは第一次大戦から第二次大戦にかけてである。ただし、この間の経緯およびそれ以後の経過は、既に多数の現代史解説書に詳しいので省略する。なお、以上の解説からだけでも、現在のイスラエル共和国の主体であるユダヤ人も一系統ではないことが判る。現在では概ね次の4系統が共存している。
    (1)シオニスト以前、ローマ時代から住み着いているユダヤ人。
    (2)20世紀初めから、第二次大戦後にかけて移住してきたユダヤ人(シオニストやナチの迫害を逃れてきた人達)・・・・教育レベルの低い保守派、ユダヤ教原理主義者。対アラブ     強硬論者。
    (3)第二次大戦後、主に欧米からの移住者・・・第一次大戦中、イギリスはユダヤ人の支持を取り付けるために、ユダヤ人のパレスチナ国家独立を約束した(同じようにアラブにも     アラブ人国家独立を約束している)。これを信用して第二次大戦後強引に移住してきた人達。比較的教育レベルの高い進歩派。労働党支持層。対アラブ協調派。
    (4)ソ連・東欧崩壊後、イスラエルに移住してきた人達・・・いわゆるロシア語しか喋れないユダヤ人で、現在イスラエル共和国内の異質民族。新たな差別の対象。政治的立場は     不明。ユダヤ教原理主義者「ではないが、自分達の権利を守るために、保守派に組みする可能性大。
 つまりイスラエル共和国も内情は結構複雑で、足で蹴飛ばせばばらばらになりかねないのである。

2、現代イスラエル共和国の現況
 果たして、我々日本人は現在のイスラエル共和国について、どれだけの知識を持っているだろうか。つまり、イスラエルという国は何で喰っているか、である。我々の周辺にイスラエル製品というものは殆ど見られない。そこで、イスラエル共和国大使館公式HPを見てみた。青字は筆者の所見。
1)人口・国土;人口は約550万人、内450万人がユダヤ系、他はアラブ系。国土面積は約27,800q2、大部分は砂漠又は荒れ地。建国以来、大量の資本を投下して、砂漠の緑化・農地化に取り組んできた。これはイスラエル農業が、国家の補助金なしではやっていけないことを意味する。農業はイスラエルのアキレス腱になるだろう。主な農業従事者はシオニストである。幾ら競争力が無いと云ったって、建国のいきさつから見て、日本の様に農民を切り捨てる訳にはいかないだろう。
2)輸入;石油・石炭といった基礎資源は全く産出しない。水も主な取水源はヨルダン川、他は地下水に頼っている。ヨルダン川は国際河川。土地はやせ且つ狭い。即ち、資源・食糧の大部分を輸入に頼らざるを得ない。
3)輸出;電子産業に力を入れ、ハイテク商品を輸出している。特にダイヤモンド産業は世界一。
4)貿易収支;基本的には輸入超、つまり赤字。過去は大幅だったが、最近は改善されていると主張
5)国家財政;無論赤字。赤字の原因は膨大な国防費と農業補助金。赤字分は在外ユダヤ人の送金・寄金で補っている。
 何のことはない、はっきり言えば北朝鮮と同じ状態なのである。違いは、北朝鮮は国際的に孤立しているが、イスラエルはアメリカという旦那を抱えて、気楽な妾生活を送っている点である。なるほど、ユダヤ人は国際妾か、と思えば諸般の事情が納得出来る。イスラエルは国家としての躰をなしていない

3、イスラエルが滅亡するとき
 イスラエル共和国が滅亡する原因には次の2ケースが想定される。
      1)内的因子による滅亡
      2)外的因子による滅亡 

3,1)内的因子による滅亡
 これはイスラエル共和国が位置する地域の自然科学的要因により不可避的に生ずるものである。これには
        (1)地震
        (2)温暖化による環境破壊
の2ケースがある。
3.1.1)地震

右の図を見ると、アカバ湾から死海、ヨルダン川に沿って(ほぼイスラエルの東部国境沿い)南北に直線の谷が入っていることが一目で判る。少し、構造地質学や構造地形学の訓練を受けた者なら、直ちにこれが活断層であることを見抜くだろう。事実これは西のアフリカプレート(AF)と東のアラビアプレート(AR)との境界断層に相当する。

では将来はどうなるでしょう。Dietsによるいささか古い5000万年後の予測図があります。
                   

紅海は意外に開いていません。これはアフリカ大陸も同じように北西に移動しているからです。
 しかしアラビア半島は北東の1/3位がユーラシアプレートの下に潜り込み、小アジア半島も消えてしまっています。シナイ半島はアフリカから切り離され、パレスチナ、つまりイスラエルはプレートの下に潜り込んでいるでしょう。。

                           

 旧約聖書には、しばしば地震にまつわる物語が登場するが、新約には殆どというより全く登場しません。下図は理科年表に掲載されている、1970〜1985年間の中近東地方の浅発地震の分布です。アカバ湾から死海にかけての地域では、地震は殆ど起きていません。つまり、この地域は地震の空白地域といえます。この地域での最も新しい地震は、おそらくBC31年9月2日、死海地方を襲った地震です。翌30年にもエルサレムで余震があったと伝えられます。つまり、この地域は過去2000年以上に渉って地震が発生していないのです。


 先だって地震を発生したイラン・バム断層が、2000数100年に渉って地震を発生していなかったことを考えると、この断層は十分危険なレベルにあると考えておかしくありません。
断層に沿うヨルダン川西岸地帯は、主にシオニスト達の入植地域である。もしここに地震が発生すれば、迷信深いシオニスト達に動揺が発生し、国家基盤そのものがぐらつく可能性がある。地震の被害は実質被害より、心理被害が大きいことがある。要するにパニックを起こすのである。現在のイスラエル国民の大部分は、大きな地震を経験したことがないだろう。こういう人達がM7〜8級の直下型地震をいきなり経験すると、どうなるか、非常に興味がある。ユダヤの神も罪な場所を約束したものだ。
3.1.2)温暖化
 イスラエルの取水源は、ヨルダン川と地下水である。ヨルダン川からは国営水路が導かれ、これが農業並びに都市水源を賄っている。地下水は西部海岸地帯を中心とした沖積低地や石灰岩台地下の地下水を取水しているのだろう。いずれも、その起源は北方ゴラン高原に降った雪である。これが融けて、河川や地下に浸透したものを取水しているのである。つまり、ゴラン高原→ヨルダン川→国営水路、又はゴラン高原→地下浸透といった系統がイスラエルの生命線なのである。なるほど、イスラエルがゴラン高原を占領して離さない理由が判らないわけでもない。もし、地球温暖化が継続し、ゴラン高原の降雪量が低下するとどうなるだろうか。ヨルダン川の水位は低下し、取水量は減少する。これを補うため、地下水の取水を強化すると地下水枯渇や塩水化を発生する。いずれも農業基盤にダメージを与え、更に都市機能を低下させる。塩水化の進行は水質劣化を招く。イスラエル輸出産業の主力はハイテク産業らしいが、水質の低下は生産コスト増を招き、競争力低下に繋がる。この点、南北に細長い日本は、極めて有利に出来ている。温暖化による降雪量の低下は東日本の冬季降水量の低下を招くが、逆に夏期には熱帯性低気圧が発達するので、西日本の夏期降水量が増加する。夏期降水量を上手く補足すれば、全体としてのバランスは取れる。
 イスラエルは、地中海型という単一気候帯に属するため、気候変動に対する対応能力が乏しい。更にイスラエルの最大スポンサーであるアメリカが、温暖化防止に消極的なのは皮肉である。温暖化の被害を真っ先に受けるのは、農業である。現在イスラエルに於ける農業人口は6%に過ぎないが、これが保守派の中核を占めているシオニスト集団である。農業の崩壊は国家及び民族統合の崩壊をもたらす。

3.2)外的因子による滅亡
 現在の中東問題の根本問題はイスラエル問題である。石油は枝葉に過ぎない。9.11事件の後、アフガニスタンへの攻撃の前に、ブッシュは「これは第2の十字軍だ」と口走って、パパブッシュに窘められた、と云われる。しかし、彼の(猿同様の足りない)頭の中には「十字軍」イメージはつきまとって離れないだろうし、彼を後ろから操る現代のテンプル騎士団(ネオコン)の言動は十字軍の再現である(ブッシュやその側近がよく使う「崇高な使命」とか、「高貴な戦い」という言葉は、かつてローマ法王が十字軍兵士を募集するときによく使った言葉である)。逆に、彼らを受け止めるアラブ側にも、これを「十字軍」と受け止める人達が発生してもやむを得ない。従って、イスラエルの将来を占う上では、かつての十字軍の顛末を吟味しておくことは無意味ではない。
 十字軍とは何かというと、その根底に強烈な宗教的情熱があるのは云うまでもないが、それと世俗的欲望(支配欲・征服欲)とが合体した怪物(モンスター)のようなものである。一口に十字軍と言っても幾つか種類があるが、主なものには次の二つがある。
     1)聖地エルサレム奪回を目指す東方十字軍
     2)カトリックヨーロッパの北方拡大を目指す北方十字軍
 その他、13世紀南フランスのカタリ派弾圧のためのアルビジョワ十字軍、15世紀のフスの乱鎮圧のための十字軍など、ヨーロッパ域内での臨時十字軍はあったが、重要なものではない。
1)東方十字軍
 我々が十字軍といえば、直ぐ思い浮かべるのがこれ。1096年夏、大勢の薄汚い巡礼を伴ったヨーロッパ人騎士集団が、突然ボスポラス海峡を渡ってアジアに侵攻してきた。第一回十字軍の始まりである。これから、1291年夏アッカの戦いまで約200年に渉って、中東地域を混乱に陥れた大騒動が「東方十字軍」である。
 これは、丁度中間の1190年代・・・第三回十字軍・・・を境に戦いの様子が異なっている。前半はヨーロッパ側が押し気味の時代である。十字軍は計8回行われているが、最も威勢が良かったのが第一回十字軍で、この時にエルサレム王国やアレッポ公国などの、いわゆる十字軍国家が創設される。これを助けたのがアラブ側の不統一である。いわば敵失で点数を稼いだといっても良い。また、西欧世界からの支援も積極的であり、第三回十字軍では、ローマ法王の呼びかけに応じて、ドイツ・フランス・イギリスの1皇帝2国王が自ら参陣するなど、ヨーロッパ側が団結を誇示した。つまり、パレスチナのヨーロッパ人は、ヨーロッパの全面的な支持をあてに出来た時代である。しかし、この後、どうなったかというと、各諸侯は聖地回復の大義などとっくの昔に忘れて、自分の国内経営に熱心になった。特に、ドイツ皇帝とローマ法王との対立は非道く、北イタリアはドイツ皇帝軍に占領される始末。他のフランスやイギリスでも同様、ローマ法王との関係は疎遠になる一方。中世世界の崩壊が始まったのである。これに危機感を抱いたのが中東の十字軍国家。盛んに支援を要請するが効果は上がらない。第四回十字軍は聖地回復はほったらかしで、コンスタンテノープルを略奪しただけで引き上げ、第五回十字軍は、エルサレムは無視して紅海から聖地メッカの略奪に走り、第六回十字軍では、ドイツ皇帝は聖地を奪還するが、その後アラブ側と和平協定を結んで引き上げてしまう。それどころか、アラブ側と同盟を結び、北イタリアを占領してしまう。第七回十字軍ではフランス王ルイ9世はアラブの捕虜になり、第八回十字軍でとうとう戦死してしまう。前半の元気はなくなってしまった。13世紀末、パレスチナのヨーロッパ人はアッカに包囲され、とうとう地中海に叩き落とされてしまったのである。
2)北方十字軍
 東方十字軍に半世紀ほど遅れて、バルト海沿岸地方へのキリスト教布教を目指して、十字軍が派遣される。最初に狙われたのがドイツ北部のバルト地方、次いでラトヴィア、エストニア地方。この結果ラトヴィアとエストニア南部を含むリヴォニア地方がリヴォニア騎士団領に、次いでプロイセンがドイツ騎士団領になる。その後、前者は後者に吸収される。この騎士団領は世俗の領主とは独立し、独自の軍事力・法律を持ち、交易も独自に行う事実上の十字軍国家である。ドイツ騎士団の北方進出は、1240年チュード湖の戦いで、アレクサンドル・ネフスキー率いるロシア軍に敗北することによって終了する。その後ドイツ騎士団は、主にポーランド・リトワニアへの侵略を進めるが、1410年タンネンベルグの戦いで、ドイツ騎士団を中核とする十字軍が、ポーランド・リトワニア連合軍に、決定的敗北を喫し、領土を大幅に失うことで終了する。その後、ドイツ騎士団は反ポーランド・リトワニア十字軍の結成を西欧に呼びかけるが、それに応じるものは誰もいなくなり、結局うやむやの内にドイツ騎士団はブランデンブルグ公国に吸収され、騎士団員は後のプロイセン国王に臣従する封建小領主になってしまう。
 これらが終わった後、西方へのキリスト教圏拡大を目的とする民族・宗教・植民地運動が、イベリア半島・アジア・アフリカ・新大陸を対象に、おおよそ16世紀まで続く。これも一つの十字軍運動と云える。
 ところで東方及び北方十字軍の顛末を見ると、次のような経過を辿ることが判る。
(1)最初は威勢が良く、いわゆる十字軍国家を短期間でつくる。十字軍国家とは、ある宗教勢力が他民族の土地を強引に占領し、そこに作った宗教国家である。宗教を特定の政治思想あるいは独善的政治・経済システムと読み替えても構わない。アメリカ自体を一つの十字軍国家と見ることも出来る。
(2)しかし十字軍国家はその地域に根ざさない人工国家だから、軍事・経済の両面でヨーロッパに依存せざるを得ない。つまり、自己完結性を有しない不完全な国家。特に北方十字軍国家は、中核を構成する騎士団員が生涯独身を義務づけられているから、後継者の確保が大変だったろうと思える。通常は貴族・騎士階級の次三男をリクルートするのだが、14、5世紀にもなると、商業経済も発達してくるので、安月給で生涯を束縛される騎士修道士生活を選ぶ人間はだんだんと減ってくるのは当然だろう。
(3)ヨーロッパが支援に飽きた時、或いはそれを負担に感じたとき、十字軍国家の滅亡が始まる。
 現在のイスラエルはその建国の経緯から見て、現代の十字軍国家と考えて不思議ではない。1で述べたように、自国の経済力だけでは国家を維持出来ない。つまり、国家としての自己完結性を有しない。それを補うものが、アメリカの軍事援助・在外ユダヤ人からの経済援助である。在外ユダヤ人が最も多いのもアメリカだろう。つまりイスラエルは軍事・経済の両面で、アメリカに依存していると考えて間違いはない。これは、東方十字軍の前半、タンネンベルグ以前のドイツ騎士団国家の状況に非常によく似ている。イスラエルを当時の「十字軍国家」と考えれば、当時のヨーロッパが、現在ではアメリカに変わっただけである。当時のヨーロッパは、カトリック原理主義の時代だった。それでも十字軍国家支援が、余りに負担になると、国家経営に責任を持つ国王や皇帝は、最終的に十字軍国家を見捨てたのである。何故、見捨てたのか。要するに飽きたのである。普通の人間は、今日・明日の生活をどうするかで忙しい。何時までも、キリスト教の正義、遠い処にいる同胞の運命にかかずリあってる訳にはいかない。
 現在、イスラエルを支援するために、各国がどれだけの負担を強いられているか。今は対テロ戦というように誤魔化されているが、その内、裏のからくりに気付く。肝心のアメリカですら、現在のアメリカ人の中では、カトリックのような潜在反ユダヤ人口が増えてきている。更にプロテスタント原理主義者や、フリーメーソンはそもそも反ユダヤである。彼らがユダヤ支援の矛盾に気がついたとき、アメリカがイスラエルを見捨てる可能性はないとは云えない。要するに、フツーのアメリカ人がユダヤ人という特殊な民族、イスラエルという特殊な国家の支援に飽きたとき、疑問を抱いたとき、それがイスラエルという十字軍国家が滅びる時である。それが何時かというと、おそらく数10年後、早ければ数年〜10数年後に来るかもしれない。
 以上は歴史的な見方であるが、現在の経済の動きから見ても、イスラエルの将来は極めて不安定と判断せざるを得ない。その理由はアメリカが主導するグローバリズムが、必然的にこのような中小国家の命運を支配してしまうからである。
 現在のイスラエル通貨シケルは当然、ドルにリンクしている。アメリカ経済が成長している限り、イスラエル大使館公報が云うような、経済成長が発生する。ところで現在のアメリカはかつてない双子の赤字が発生している。これを支えているのが、我が日本で、それも竹中平蔵というインチキ野郎の主導で行われているのが大問題なのだが、それは別として、このままで行くとドル暴落の懸念が極めて大きい。もし、ドルが暴落すれば、シケルなど紙くずだから、イスラエルはとんでもないインフレに襲われる。資源もなく、特に他国に売る商品もないイスラエルは、そこで終わりである。
4、滅亡を逃れる方法
 ではイスラエルは滅亡を逃れられないのだろうか。滅亡を逃れる方法は勿論あります。それはイスラエル人が考えることです。
終わり


 ある報道によると、映画「パッション」のせいで、反ユダヤ的気分になるアメリカ人は、全体の26%に及び、7年前に比べ2〜3培に増えていると云われる。イラクに於ける米軍の損害が増えると、これが反イスラエル主義に結びつく可能性もある。


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